3-A「死なない ゾンビ ヘッドショット」

――2499年2月4日


 私の夫、カズヤは世界的に有名な脳神経外科医で、脳を扱うデリケートな仕事をしているのに、いつもジョークを飛ばして、周りの人を笑わせたりすることが大好きでした。


 二人の間に息子のハジメが産まれてからは、今までやったことも無いはずなのに、私とハジメに秘密で、いつの間にか練習していた手品を披露したり、人をいつも楽しませようとする、良い夫でした。


 ハジメの5歳の誕生日にカズヤは手の上にハンカチをのせて、小さい宇宙船のおもちゃを出して、カズヤはこう言いました。


「ほら!ハジメの好きな宇宙船だぞ!どうだ!」


「えー!これ欲しい宇宙船と違う!」


 ハジメが欲しがっていると思っていたプレゼントが、アッサリ外れてしまい手品は成功したものの、息子に泣かれるという大失敗の誕生日でした。


「ハジメのアホー!待ってろ!今度はお前の好きなもの、絶対に当ててやるからな!」


「カズヤ、パパでしょう?全く、子供じゃないんだから……プレゼントも欲しいものを聞けばいいのに……」


 いつまでも子供のような彼を、私は愛していました。


――2499年4月2日


 ハジメの誕生日から2ヶ月、カズヤは治療方法のない脳の病気にかかりました。脳が萎縮し続け症状は急速に記憶が無くなり、やがて脳死する病。自分で一ヶ月に一度病気も無いのに、大した意味もなく脳をスキャンして観察する趣味がこんな病気を発見するなんて……本人も驚いていました。


「俺は、あと一ヶ月で脳の機能が停止するみたいなんだ……いやあ、さすがに今回はビックリしたよ……まさか、脳の研究してた俺がこうなるなんてなぁ……皮肉なもんだ……」


 私も夫も、何も抵抗できない現実を急に突きつけられて、呆然としてしまいました。一ヶ月で夫は、完全にこの世から居なくなってしまうのです。


 子供も5歳になるのだから、本当のことを伝えるべきだろうと二人で決断し、そのまま包み隠さずハジメが理解できるように伝えました。ハジメも私もわんわん泣いて、一晩中色んな話をして、ハジメは一ヶ月後にはパパは居なくなってしまうことを、ようやく理解したようでした。


 その3日後、カズヤは私達と別れ、家を出ることにしました。


――2499年4月5日


 私達家族は、悲しい葬式の様にならないように、暗い色の服を着ないで、カズヤから新婚の頃に買ってもらった真っ白なワンピースを着ました。ハジメもパパに買ってもらった宇宙戦闘機が描いてあるTシャツを着ました。カズヤは最後のお別れだというのにいつも通りのジャージです。最後まであなたはブレがない人だなと私は思いました。


「じゃあな!ちょっとパパは死ぬ前にやりたい事が出来たんだ!……ハジメ、悪いな。お前が大人になるまでは、俺の保険金と貯金でバッチリ大学もいける!あー、本当のこと言うと無職になっても問題無いくらいお金はあるぞ!だから、お前の好きなように生きなさい」


「ちょっとカズヤ!ひどい言い方ね!でも、何しに行くのかは聞かないわ、どうせあなたは答えない。それだけ私もあなたの事を知っているもの……さようなら、カズヤ……」


「世話になった。愛してるよ、ナナ……」


 久々にママと呼ばずに出会った頃のように名前を呼んでくれて、私は嬉しかった、涙が我慢していたのに溢れてきました。


「パパ……イヤだっ……!」


 もうハジメは、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃです。私はハジメをぎゅっと抱きしめて、カズヤに別れを告げました。


「ありがとう、カズヤ。これでお別れだなんて信じられないけど……楽しかったわ」


「まぁ、仕方ないんだわ!このまま家にいてもな?脳が萎縮し続ける以上、急激にお前たちのことを忘れて行って、しまいには俺の名前も忘れてしまう。そんなもん見てたら、お前らは嫌になっちまうよ。医者の俺が言うんだからまず間違いない」


 ふぅ……と一息、カズヤはこれで良いと、自分に言い聞かせているようでした。


「まぁ、行き先は安全な場所だから心配いらない。今から何をするかもわからないってのに、送り出してくれてありがとう。ハジメ!泣くな!将来お前にも嫁さんが来た時そんなんじゃ情けないぞ!宇宙旅行の夢もあるんだろ!泣いてる場合じゃ無いぞ!勉強しとけよ!いや……泣くのは良い、そうだな、感情をぶつけるんだ!この不条理でクソッタレだけど、面白い世界にな!」


 カズヤはハジメの肩を両手でポンポンと叩いて励ます。そして、私に近づきネックレスをかけました。


「何これ?最後のプレゼント?あなたも同じネックレスしてるけど……」


「うーん、そうだな、形見だと思ってくれ。」


「ちょっと、本当に何これ……あなたアクセサリーなんてしないのに……」


 不意に口づけをされて抱きしめられて、頭が一瞬真っ白になりました。カズヤはスッと後ろに下がって後ろを向いて、住宅街から街へ繋がっている長い街路樹の道を、夕日に向かって歩き始めました。


 手を振って少しこっちを見て、名残なごり惜しそうに。でも、追いかけてはいけないこともわかっていました。ハジメが追いかけないように、そっと抱きしめ一緒にカズヤを見送りました。


 ハジメはこれ以上泣かないぞ!と言わんばかりにグッと唇を噛んで夕日を見ていました。私もそんな幼いわが子を見て元気づけられました。



――1ヶ月後……


――2499年5月5日 早朝 街の大通り


「なんだありゃあ!道路の真ん中をすげえ速さで走ってるやつがいるぞ!」


 クラクションが街中に鳴り響く、男が狂ったように走っている。車道のど真ん中を綺麗に中央の車線を踏むように。疲れも知ら無いような顔で、無表情で走る。


 交差点へ、男が信号無視をして飛び込んでいった。長いクラクションの後、ドンッと鈍い音がして男は車に跳ねられ、10メートルくらい飛んで、歩道脇の消火栓に頭を勢いよくぶつけて動かなくなった。


 男をはねた車の運転手はびっくりして、すぐに車から降りてこう言った。


「おい!いきなり飛び出してきて、何考えてんだ!?死ぬつもりか!ちくしょう!はねちまったよ!」

「そんなこと言ってないで早く救急車と警察呼べ!はやく!」


 数分で救急車、パトカーが何台か到着する。運転手はその場に座り込んで泣いている。通行者はもう、男が死んでるとばかり思って近づきもしない。救命士が男に近づく。


「……うぅぅ」

「喋ってるぞ!?まだ息がある!?ッ!おい!動くな!!」


 動くな!と救命士が言ったと同時に、突然男は近くの消火栓につかまり立ち上がった。そして、消火栓を軽々と道路から左手で引っこ抜いてしまった。


「なんだ!?頭が陥没骨折してたのに動いた……!」


 救命士が腰を抜かし、消火栓の根元から水が15メートル程上がった。水しぶきで虹が街の中にかかる。


 遠くで子供が街の中に突如現れた噴水と虹に喜んでいる。


「わー!お母さん、あれみて!虹!きれいだねー」

「あら、綺麗ねぇ!でも街の人も大変ねえ……」


 噴水が上がり虹の中、水浸しになった10人くらいの警官が、男に銃を構える。


「止まりなさい!これは威嚇じゃない!早く!その場で手をあげて!膝をつきなさい!」


 男は何も聞こえないかのように警告を無視してゆっくりとズルズルと歩き出した。右足首が外側に折れ曲がっている。消火栓を引き抜いた左腕は、肩から骨が外れたのかダランとぶら下がっている。顔は無表情、痛みをまるで感じていない。頭から血がドクドクと流れている。右手には何か固く握りしめているようだ。


 警官達があっけにとられる。


「こいつは……映画で見たぞ……ゾンビだ……」

「あんな怪力ありえないだろ……つかまれたら殺されるぞ!」

「ゾンビって頭撃てばいいんだろ!?俺、ゲームでやったから、知ってるぞ!」


 パンッっと軽い拳銃の音が一発鳴り響く。弾は男の眉間に当たった。


「よし!やったぜ!」

「馬鹿野郎!なにしてんだ!ゾンビなんて映画とゲームの世界だろ!」


 頭に拳銃の弾を撃たれた男は、その場に倒れ……こまなかった。


「え……」


 この瞬間、その場にいた警官全員が凍り付いた。それでも男は歩く。ゆっくりと、太陽の昇る方角へただひたすらに。首に巻いたネックレスが太陽の光でキラキラしていた。



――同日10時 ナナとハジメの家


 リビングで息子のハジメが、テレビを見て騒いでいます。朝から街の方で大渋滞らしく、おまけに街のど真ん中で、道路脇の消火栓が抜けて噴水が上がってしまい、虹がかかっている映像がテレビに映し出されていました。


「ママ!虹だよ!綺麗だね!」


 お別れの日、4月5日からちょうど一ヶ月。虹がまるでカズヤへのはなむけのように街の中心にかかっていました。次の瞬間、場面は一転して、テレビの画面に足を引きずり歩く、血まみれのジャージを着た男が映り、顔のアップが映し出されて声を失いました。


 血だらけでボロボロのになった無表情の夫、カズヤ。でも、私と息子はすぐ理解したのです。ああ、最後にカズヤは家に帰ってきたかったんだ、不思議と何も怖く無かったのです。左腕が肩からブラブラとしていて、滑稽な歩き方で……すぐに、警察から電話がかかってきました。


「奥さん!テレビ見ているか!?お前さんの夫がゾンビになってそっちに向かっている!早く逃げろ!!」


「わかってます、でも、良いんです。お願いします。あの人を撃ったり捕まえたりしないでください。」


「何言ってるんだ!?奥さん!気が動転してるのか?」


「パパが帰ってくるんだ!おまわりさん!邪魔しないで!」


 ハジメが警察にそう言った途端、警察の方は急に落ち着いてくれて、夫はどういった仕事をしていたのか、一ヶ月前何があったのかを意外と話をよく聞いてくれました。


「ご主人はご病気で……わかりました。あなたのご主人は今日、何かをする為にこのような事態が起きている。それでも、決して悪いことをするような人ではないと、そういうことですね」


「ええ、そうです……私、主人を迎えに行きます」


「僕もパパのところに一緒にいく!」


「ご主人は街に設置してあった消火栓を片腕で引き抜くほどの力を持っています。奥さん、ご主人に近づいたら怪我じゃすまないかもしれませんよ!?」


「大丈夫です」


――1ヶ月前、あの日と同じお気に入りの服で、息子と私はパパを迎えに行った。


――同日11時


 街から住宅街へ街路樹が続く一本道。ゾンビは歩く、ズルズルと足を引きずって、ゆっくりと滑稽に。ゾンビの前後はパトカーに挟まれ、左右には警官が10人ほど拳銃を持っている。野次馬もその周りに数百人は居るのだろうか、まるでお祭りの行列である。


「あーあ、心配して来てみりゃ、やっぱりダメだったか……」


 お祭り騒ぎになっている野次馬の先頭にいた白衣の男が、ゾンビに駆けよった。


「おい!君!危ないから離れなさい!」


「あー、いいよ大丈夫だ。俺はこいつの親友だ。今こいつの体に起きていることはよく知ってる。人間が近づいたら絶対触らないように、こいつと作ったから。」


「はぁ?作った?ちょっと!君!どういうことか説明しなさい!」


「あとでじっくり説明するよ!!こいつは最後の家族団らんに行くだけだ。ほっといてやれ!あっ!?誰だよ!頭のど真ん中撃ったやつ!ろくでもねえ奴だな!」


 ブツブツと文句を言いながら、男はゾンビの右肩を持ち上げて一緒に歩き始めた。


「んっ、よいしょっと!まだ歩けそうだな。ネックレスも壊れてはいない、よし!奥さんと子供のところへ行こう。ん?右手握ったまま開けなくなったのか?仕方ないな」


――同日 11時30分頃


 私と息子のハジメは、夫のカズヤを迎えに住宅街から街へ続く長い街路樹の道を歩いていました。そして、パトカーのランプが見えて、その後ろに白衣の男に肩を貸してもらって歩いてくるカズヤを見つけました。


 事情はよくわからないけれど、あのゾンビは人に危害を加えない、奥さんと子供に会いに行く。ただそれだけなんだと見ている人達には理解してもらったようです。


「がんばれ!」


 一人の警官が急に声を上げました。あの電話の警官の声です。


「もう少しだ!!がんばって!」


 野次馬に来ていた人たちからもポツポツと声が上がる。

 またたく間に声は伝播し大きな声援となってカズヤを街の人皆が励ましてくれました。そして、あと10mのところでカズヤの同僚は肩を貸すのをやめて、私達を見て一礼しました。私もハジメも頭をさげました。


「あとは行けるだろう、がんばったな」


――同日 11時35分


 一歩ずつ、ゆっくりと私たちは歩み寄ってカズヤを抱きしめました。すると電池が切れたように、カズヤは道路に膝をつきました。


「お疲れ様、カズヤ」


「パパ、おかえりなさい!」


 カチッと、音がしたような……少しノイズが混じったような音が聞こえてきました。


「……あー、あーテスト、録音ボタン押されてるかこれ?」


 何か不自然だけれど、カズヤの声が聞こえます。


「これを聞いてるってことは、無事ゴールしたみたいだな。俺、街の人に迷惑かけたかもしれん。あとで謝っといてくれ」


「カズヤ……あなたって本当に馬鹿ね……」


「パパが喋ってる!けど……何か違うね……」


「この音声は、声帯にネックレスから電気信号を流して話している。録音だから質問しても答えられない、すまんな」


「まずは、ハジメ、俺の右手を開いてくれ」


 ハジメはカズヤの言うとおり、何かを握っている右手を触るとかたくなに握られていた手の鍵が空いたかのように開きました。


 丸い形の宇宙船のおもちゃ。ハジメが誕生日に本当に欲しかった、宇宙船のおもちゃ。


「ハジメが欲しかったおもちゃ……これだろ!パパ家を出てから何日か悩んだけれど、わかったんだハジメの好きな宇宙船。これで当たりじゃなかったら死に切れんなあ……」


「パパありがとう……」


「この宇宙船だったの?ハジメ」


「うん!そうだよ!大事にする!」


「最後まで世話かけたなぁナナ、お前たちの記憶が無くなっていくのが怖くってな。でも、俺が死んだら家に体だけでも帰ろうかなって思ってさ、ネックレスを渡したんだ」


 私はもう理解していました。夫の首にかかっているネックレス、私の首にかかっているネックレス。これを目標にして夫の体は死後、走って帰ってきたのです。


「なんで黙ってたのかって?いやー、やっぱり最後くらいびっくりさせたいじゃん!」


「本当に……馬鹿なんだから……」


 私は涙を流しながら笑っていました。ハジメも不思議そうに私を見ています。


「ママ、泣いてるの?笑ってるの?」


「ううん、うれしくて泣いてるのよ」


「変なのー」


 まるで、そんな会話の間を読み取っていたかのように、カズヤが口を開きました。


「ナナ、君のネックレスを俺の首にかけてくれ、これで本当にお別れだ……ナナの手で、頼む」


「うん、そうね、わかったわ……」


 カズヤは私とハジメに最高のお別れをプレゼントしてくれました。

 ひざまずいているカズヤの首に、私のネックレスをかけると、一瞬「バチッ」っと音がして銀色だったネックレスは真っ黒に焦げました。


 カズヤは一瞬、顔面の神経へ電気が伝わったからなのか、本当に最後の最後に仕掛けていたのか定かではありませんが、今まで無表情だったカズヤが、にこっと優しく微笑んで道路に倒れこみました。



――2499年5月5日夜


 この日、人類初めて本物のゾンビと遭遇したというニュースがネット上に広がった。しかし、このゾンビは人を襲わなかった。


 まるで、大昔にあったゾンビを題材にした歌の歌詞のようなことが起きたことから、この事件は「ラブゾンビ事件」と呼ばれ、歴史上の新しいお伽話として語り継がれた。


 赤く綺麗なワンピースを着た女性と、クールな赤い宇宙戦闘機の描かれたTシャツを着た子供と、ジャージ姿でひざまずいたゾンビの写真とともに。

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