インスタント人間達の物語
@nanasinonaoto
エピソード1 人間自販機
今日こそは、買うんだ。
そう自分に言い聞かせながら、人間自販機の前にぼくは立った。ポケットの中の手に、一万円札と国民IDカードを握り締めて。
雨の降りしきる深夜3時。
平日の夜。人通りも無くなる筈の通りに設置された人間自販機の前には、いつも自分と同じ様に踏み切れないでいる人達がたむろしていて、怖気づいたぼくは家に引き返していた。
台風が近付いていた今夜、ようやっと自販機の周りに人影は無かった。
かつてゲームセンターに溢れていたプリクラの様なボックスにぼくは意を決して、入った。自動ドアが閉まり、台風の轟音がそよとも聞こえなくなった。
ぼくは以前自販機を利用した友人に教えられた通り、まず国民IDカードを機械に通した。
「ご利用は初めてですか?」
と無機質な機械音が尋ねてきて、タッチパネルには、はい、と、いいえ、が表示された。
カード履歴で分かる筈なのにと思いつつ、いいえ、を選んだ。
「ご利用目的をお選び下さい」
無機質な声が尋ね、タッチパネルには、殺人、性交、その他、が表示された。
殺人を選ぶ予定だったぼくの指先は、だが横へずれていきその他を指した。
機械はしかし指先の逡巡には頓着せず、法律で定められた自販機利用の際のお約束事を唱え始めた。成人式でも暗唱させられた奴だ。
いわく、
「殺人を目的とするインスタント人間のご利用は、最寄りの警察署内の特別室内でのみ行って下さい」
「再生したインスタント人間を屋外に連れ出した場合厳罰に処せられます」
「性交後の殺人を目的とする場合でも、インスタント人間の核となるカプセルに危害を加える事は禁じられています。ご利用後は所定の回収ボックスへ投函して下さい。ご自宅での死体処理は認定業者が行い、その費用は別途頂戴致します」
「カプセルは40度前後のお湯で満たした浴槽に沈めると、再生が始まります。刺激に弱い方、心臓に不安のある方は再生プロセスを見る事は推奨されておりません。あなたは警告を受けました」
「再生完了までには30分を要します。再生完了後、6時間を経過した後、細胞は自動崩壊を始め、15分以内でカプセルを除く全細胞が消滅します。尚、インスタント人間の血肉は飲食用では無く、摂取した場合の全責任は利用者が負いますのでご注意下さい」
そしてタッチパネルには、同意する、同意しない、が表示された。
「以上の注意事項にご同意頂ける場合、同意する、を選んで本人確認手続きを行って下さい。ご同意頂けない場合は、国民IDカードを受け取り、ボックス内から退出して下さい」
指先は考えるよりも先に、同意する、という文字を押していた。そしてぼくは機械に指図された通り、タッチパネルに掌を乗せ、カメラに瞳孔を近づけ、声を出した。
わずか30秒ほどの照合作業の時間が、半端でなく長かった。
台風の中に逃げ出したかった。だが、そっと力を込めて触れてみた自動ドアはロックされていた。
照合作業を行う機械の静かな唸り声が止むと、機械音が告げた。
「再生するインスタント人間の元となるDNAサンプルを受け皿の上に置いて下さい」
ぼくは、恋人協定に従って、付き合い始めた時に彼女から渡されていた彼女のDNAサンプルを、受け皿の上に置いた。
それは関係が破綻した時も、お互いの身に危害は加えないという担保になるもので、成人した男女が関係を持つ場合には、お互いのDNAサンプルを提供し合う決まりになっていた。これはインスタント人間を販売する自販機の利用価格が10万円から1万円に変更された頃に国会を通った法律で定められた。
事実、その法律がもたらした効果は劇的だった。
男女関係のもつれから生まれる殺人や強姦、暴力、ストーカー行為といった犯罪行為は前年比10%以上という速度で毎年減り続け、インスタント人間の人権を守る会の声よりは犯罪被害者の人権を守る会の声を社会に拡大していった。
受け皿を載せたトレイは機械の中に引き込まれていき、ぼくはまたドアの取っ手に力を込めてみたが、びくともしなかった。
「ご利用料金を挿入して下さい」
これまたゲームセンターの両替機のような札入れに一万円札を載せると、それはもう2度と帰って来なかった。
代わりにまるでガチャガチャのカプセルの様に、それは受取口から転がり出た。
それは直径5cmくらいの何でもないようなビニール玉にしか見えなかった。ぷにぷにして、アルマジロが丸まったようにところどころに凹凸や切れ込みがあったが、これにお湯をかけて30分待てば、インスタントとは言え一人の人間が現れるとは、信じられなかった。
そのくらい、一人の人間の重みにしては軽すぎた。
そして、まだ、ドアは開かなかった。
「カプセル内のDNAサンプルの有効期限はドア開放時より6時間となっております。ご利用終了から6時間以内に所定の返却ポストまでご投函下さい。」
そして自動ドアが開き、台風の風が吹き込んで来るのと同時に、機械が言った。
「ご利用、ありがとうございました」
なにがありがとうだ、バカヤロウ!
そう心の中で怒鳴って、でもカプセルはレインコートのポケットの中にしまいこんだぼくの視界に、まるでジュースの自販機の傍にあるようなカプセル返却ポストの丸い入口が飛び込んできた。
使わずに返す事もできますよ?
そう問いかけてきた返却ボックスを前にぼくは立ち尽くした。カプセルを握る手がじっとりと汗に濡れた。
「おい、終わったのなら、どけよ」
苛立った声を後ろからかけられて、びっくりしたぼくは文字通り入口の脇から飛び退き、慌てて自転車にまたがり、家に向かってペダルを漕ぎ始めた。
逆風をついて進む内にも、見知らぬ男がボックスの中に入り込む姿を見届け、ぼくは時々コートの中のカプセルの膨らみを確かめながら、家路を急いだ。
台風の中を帰る間、彼女から別れを告げられた一言が頭の中で繰り返された。
「あなたと一緒になっても子供が作れないなら、これ以上付き合い続ける意味は無いわ」
大学時代から付き合い始め、25になって受けた婚約前の身体検査と遺伝子検査で、ぼくの精子には欠陥がある事が判明した。つまり子種が無いという奴だ。
「ほんとですか?なんとか治らないんですか?」
彼女のその一言に、ぼくは救われた。
瞬きする間もおかず、医師がモニター越しにぼくの人生を決定付ける一言を告げるまでの僅かな間だけ。
「なんとも、なりません」
反論を待たずに医師の姿はモニターから消えた。
そのわずか10分後、病院の出口で彼女はぼくに言った。
「子供を持たない事を選択する夫婦はいるわ。育てる事だけでも社会に貢献する人達もいるけど、私はイヤ」
「そう、だね。子供を自分達で作れる夫婦と、そうでない夫婦の待遇は、全然違うしね」
やけになっていた。喧嘩を買って欲しくて言ったが、彼女はただ静かにうなずいただけだった。
日本の総人口が七千万人を切った現在、自然生殖で人口増に貢献できる夫婦と、そうでない夫婦の間では、住宅ローンや教育費用補助、公共料金や税金控除などの面であらゆる便宜の差別化が図られていた。例えば出産費用から公立学校の教育費などは、国が5割以上負担した。以上、というのは、生めば生むだけ、さらに1割ずつ負担が軽減されていったからだ。
子供を作れない夫婦は、自分達では扶養しきれなくなった『自作できる』夫婦から子供を預かって養育する事で、日本という国そのものが消滅する速度を減じる事に貢献する義務が課せられていた。
女性にとってみれば、『子供を作れる』夫かどうかで、結婚後の生活負担は全く違っていた。婚約前の身体及び遺伝子検査が義務付けられていたのは、至極当然の流れだった。
その結果から、ぼくの婚約が不成立になった事も、彼女がぼくに別れを告げた事も、だから誰も恨む事ができなかった。恨めるとしたら、自分の体だけだったろうか。
ぼくは家についてから、まずユニットバスの浴槽に湯を注ぎ始めた。温度は42度にした。
洗面所からタオルを持って出て、濡れた髪をわしゃわしゃと拭く。レインコートからカプセルを取り出して、湿り気を取るように軽くタオルで拭いてみた。当然、何も起こらなかった。
テーブルの上にカプセルを置き、指先で転がして見る。
携帯電話で「オレ、これからインスタントするぜ」と友人達にかけようかとも思ったが、気が進まずに止めた。
これが、ほんとにアイツになるのか?
正確には、アイツの形をした生き物もどき、だが。
自分をふった彼女に電話しようかどうか、真剣に迷った。
だが、もし彼女が電話に出たとして、何を言うのだろうか。
何を言えるのか。どんな言葉なら聞いてもらえるのか。
分からなかった。
浴室から浴槽に湯が張り終わったという自動音声案内が流れた。ぼくは携帯電話をポケットにしまい、カプセルを無造作に掴んで浴槽に投げ込むように入れた。
カプセルはしばらく浮かんでいたかと思うと、ゆっくりと沈み始め、底に定着すると、外郭が変色して薄い膜に包まれたかと思うと、急激な速度で膨らみ、凸凹が分裂し始めた。
ぼくは続きを見る勇気が無くて、浴室のドアを閉めた。
ドアに背をもたせかけ、携帯電話を取り出し、彼女に電話した。
何を話すつもりだったのだろうか。
呼び出し音だけが流れ続けた後、留守電モードに切り替り、ぼくはしばらく黙り続けた後、一言だけ言った。
「これから、再生するつもりだ」
そしてぼくは携帯の電源を切り、電話のジャックを外し、ドアに鍵とチェーンをかけ、TVを点けたり消したりしながら、時計だけをみつめ続けた。
時計の短針が文字版の11を指した頃、風呂場で誰かが立ち上がる音が聞こえた。
ザアアアッ、とお湯が湯船からこぼれる音がして、びちゃ、びちゃ、と音を立てて誰かが浴室に立った。
そのまま放っておこうかとも思った。
お湯に玉を投げ込んでから45分ほど経っていた。
10分ほどそのまま待ってみても、アイツもどきは、ユニットバスから出てこなかった。
ひょっとして、このまま放っておいたら、風邪を引くんじゃないかと思った時、風呂場の扉越しにくしゃみが聞こえた。
あいつそっくりの、くしゃみだった。
気がついた時には、ぼくは立ち上がって風呂場へと向かっていた。
6時間後にはどうせ消え去るとは、その時のぼくの頭に浮かばなかった。ただ、乾いたバスタオルを手にして風呂場の扉を開けて、そこにいた人影に向かって投げた。
見るまいと思ったが、そこにいたのは、やはりあいつだった。見慣れたような、懐かしいような、あいつの裸身。バスタオルが中途半端に頭からかかって乳房や足の付け根の合間は隠されていたが、自分の目の高さにあったあいつの目に、どきりとさせられた。
はらりとバスタオルが落ちて、全てが見えた。
ぼくは考えるより先に濡れた床に落ちたバスタオルを拾い上げ、あいつの体を拭き始めた。あいつは抗わずただかすかに震えていた。
ぼくは腕を上げさせて脇の下まで拭いたり、脚を広げさせて内腿の間まで拭いた。胸や腹は大雑把に拭いてバスタオルを胴に巻きつけて、ようやっとあいつの顔と向き合えた。
良く知っている筈なのに、初対面な人が目の前にいた。
「よう。」といつも通り、待ち合わせの時かけていたように声をかけても、あいつは何も言い返さなかった。
インスタント人間は、言葉を解さない。
インスタント人間は、言葉を返さない。
インスタント人間と、会話はできない。
そんな三原則を思い出した途端、コレはアイツではないのだ、とようやく実感が沸いて、あいつの筈の誰かを、ぼくは強く抱き締めて、泣いた。
良くわからなかったけど、ぼくは濡れた風呂場の床に両膝をつきながら、あいつの下腹に頭を押しつけるようにして、しばらく泣いた。泣き続けた。
だけど、あいつの筈の誰かがぼくに何かを言うことは無かった。
泣きじゃくるぼくの頭に、そっと手を添えてくれることさえも、無かった。
それで、さらに泣けた。
ぼくがようやく泣き止んで、バスタオルを巻いたまま立ち尽くしていたあいつの手を引いて、ベッドまで連れて行った時、時計の短針は1と2の中間にあった。
ベッドの端にあいつもどきを座らせ、隣に座り、ぼくは当初の予定を思い返した。
あいつを忘れる為に、最期の何回かをしてみて、それでもまだ足りなければ、自分を捨てたあいつを恨んでるようであれば、あいつもどきを殺してみようと、そんな計画を立てていた。
部屋の明りを落とし、ベッドサイドの小さなランプを灯し、ぼくはあいつと唇を重ねてみた。ぎこちなく、あいつもどきからも唇を押し付けるような反応があった。
インスタント人間の目的で「性交」を最初から選んでおけば、相手の反応の敏感さやテクニックや積極性などまで細かく設定することが出来るというのは聞いていた。
が、ぼくが選んだのは、殺人でも性交でもない「その他」。
殺人の方は、ほとんど性的に無反応だという。その他は両者の中間。
どっちつかずというのは聞いていた。以前利用した友人からは、セックス目的なら、迷わず「性交」を選べと言われていた。当人では無いにしろ、姿形は当人のままで、違うテイストが味わえる。その違いを楽しむ事に没頭すればいいとも聞いていた。
ただし、再生した元の当人を求める事だけはするな。
そう言われていたのに、ぼくはそうしていた。
そうではないあいつもどきの反応に、ぼくは苛立った。
舌を差し入れて絡めた時の反応も、乳房を揉みながらその先端を口に含んで転がした時の反応も、いつもなら、あいつならくすぐったがって笑い始めた筈のおへその周りを舐め回しても、アイツの様には反応しなかった。
くすりとも笑わなかった。
ぼくは頭に来て、突然、あいつもどきの頬を張った。
バチン、という音が響いた。
それまでかすかな呻き声を上げていたあいつもどきは驚いたような表情をしていた。
いまいましいことに、アイツそっくりの驚いた顔だった。
アイツを殴ったことなど無かったのに。
だけど、ぼくはあいつもどきの頬を2度ほど張った。
2回目は、1回目ほど強くなかったけど、あいつもどきの筈の存在は、アイツとそっくりの驚いた顔をした。
3回目は、その驚いた顔を崩したくなくて、音が立たないほどそっと叩いた。
あいつもどきが、ぼくの張った頬に触れて、不思議な表情をした。怒っているのでもなく、悲しんでいるのでもなく、ただ、痛みという感覚に驚いているような、そんな不思議な顔。
インスタント人間には知識も言葉も感情も無く、感覚があるだけ。だから殺されようとしていても逃げないし、抵抗もしない。そうでないと、「本来の目的」の役には立たない。
そんな知識は、だけど、ぼくの役には立ってくれなかった。
ぼくが逃げるようにベッドから離れた時、時計の短針は、3を指そうとしていた。
たいして広くもないリビングをうろつきながら、ベッドの上のアイツもどきを見ると、もう驚いた表情はしていなかった。頬に手をあててもいなかった。
アイツそっくりの別人が、ぼつんとベッドの上に座って、ぼくの方を見るともなく見ていた。
何も期待していない瞳だった。
それで、ぼくは何故か安心した。
ぼくは、ぼくとアイツが使っていたマグカップを取り出し、お湯を沸かして、コーヒーを入れた。
自分のはブラック。アイツのは、クリープと2杯の砂糖入り。
ベッドに戻り、あいつもどきにアイツのカップを渡した。
ベッドサイドテーブルに自分のカップを置いて、アイツも着てたことのあるぼくのシャツをあいつもどきの肩にかけた。
そしてぼくはあいつもどきの傍らに座り、その腰に手を回して、時々コーヒーをすすりながら、語りかけた。
二人が別れてからあった、とりとめもない出来事を、次から次へと。
もしヨリが戻ったら、そんな事があったとしたら、話そうと思ってた事を。
あいつもどきは、一度もカップに口を付けなかった。
インスタント人間は飲食できない。
ぼくは気にせず、語り続けた。
時計の短針が4を過ぎた頃、腰に回した手に、ふやけたような柔らか過ぎる何かが触れた。
驚いて指先でまさぐると、指がのめり込んだ。
あいつもどきの手から、アイツのカップが落ちて、あいつもどきの足とベッドの上にコーヒーがこぼれた。
熱っ!とは叫ばなかったが、あいつもどきはまた、アイツそっくりな驚いた時の表情をした。
顔の形は輪郭がぼやけたように、あまりそっくりでは無くなっていたが、それでもまだ、似ていた。
ぼくはそれで、ふやけ始めたあいつもどきを風呂場に連れて行き、シャツを肩から外し、脚にかかっていたコーヒーをシャワーで洗い流し、それから、生温い湯船にあいつを戻した。
あいつはおそらく再生した時のように、ひとりでに湯船に膝を抱えて座り込み、そのまま身じろぎしなくなった。
見ている内にもどんどん顔かたちが変わるので、ぼくは友人から聞いていた通り、シャワーをあいつもどきにかけながら、浴室から出た。
インスタント人間の細胞は再生から6時間後に崩壊し始めるよう遺伝子操作されている。お湯につけて再生したように、崩壊時もお湯につけてふやかし、そのまま残り湯を捨てる感覚で、かつて人間であった筈のものを流し捨てる。
それで、インスタント人間の一回の人生が終わる。
ぼくは、そんな事を想いだしながらも、扉を閉めた向こうで溶けているだろうあいつもどきに話しかけ続けていた。
時計の短針が6を指しても、7を指しても。
短針が8を指し、会社に遅刻が確定しても、ぼくは話し続けた。
湯船から溢れて排水口に吸い込まれていくごぼごぼという水音が、ぼくの話し声に相槌を打ち続けた。
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