第6話
目を覚ますと、俺は一人だった。
まあ、いつも一人で寝ているのだから、当然といえば当然なのだが、昨日は……というか今日は、その限りではなかった筈だ。
時計に目をやる。現在は八時四十分、今日が平日だったなら、俺は遅刻確定だったが、今日は幸い
寝返りをうち開いた瞼を再び閉じかけたその時。
「……いい匂い」
扉越しからでも、何かを焼く音と何か良い香りが漂ってくる。
恐らく、あと少しで朝食は完成し、ルシアが俺を起こしに来るだろう。
だが、一々ルシアに手間をかけさせるのは、あまりいい気はしない。
「っしょ……と」
起き上がり、部屋の扉を開けるとそのまま洗面台へ向かう。
寝ぼけ眼を冷水で覚ますと、下の階へ降りる。
リビングの扉を開けると、中のキッチンでは案の定、ルシアがちょうどフライパンの上のスクランブルエッグを皿に移している所だった。
「……おはよう、ルシア」
欠伸混じりの俺の挨拶にルシアは律義に応えた。
「あ、おはよう御座います、昴様。今日もよい朝ですね」
「……雨、降ってるけどな」
「……はい」
俺の言葉通り、外はあいにくの雨で、とても外出する気にはなれなそうだった。
「とりあえず、皆起こしてこようか?」
「お願いします」
昔は、俺の手を煩わせるわけには行くまいと、俺の身の回りの事は何もかも自分でやろうとしていたルシアだったが、最近になってこれくらいは、俺に任せてくれるようになった。
これが進歩と呼べるのか分からないが、俺としてはもっと頼ってくれた方が嬉しいのだが、その想いがルシアに伝わる事は、まだ先になるだろう。
「おーい、朝だぞお前らー!起きろー!」
俺は一つ一つ部屋を回り起こしていくと、十分足らずで全員が席に着く事ができた。
どうやら、エリカの方はルシアが起きた時に部屋まで運んだらしい。
「いただきます!」
俺がまず唱和し、皆がそれに続く。そしていつも通りの食事の風景が広がった。
そんな中で話題に上がる事、それは。
「いやー、そろそろですな」
「ですねぇ」
横から聞こえた会話に、俺が反応した。
「ん、何がだ?」
俺の問いに答えたのはルシアだ。
「もう、忘れたのですか?来月から、いよいよ《ランク戦》が始まるとの事ではありませんか?」
「ああ、そういえば……」
うちの学校には《ランク戦》という恒例行事が存在する。
ランク戦とは、全校生徒が一斉に行う一対一の大型バトルトーナメントで、これによって後半年間のその生徒の立場が決まる。
決勝トーナメントではテレビ中継すら来るというランク戦は、それにより決まった順位によりランクが付けられ、そのランクに応じた待遇を学校側から受けるという、なんとも残酷なイベントだ。
そして、このイベントの最も残酷な点とは、「学年別制度が存在しない」という所にある。
身体的、技術的に見ても今の年代の人々において二年どころか一年の差すら果てしなく大きい。
いくら特に優秀な生徒を集めるうちの学校でも、さすがに年単位のアドバンテージをそう簡単に覆せる生徒は少ない。
そのため、必然的に一年生の待遇が平均的に見て一番低くなる。
だが、そんな中でも優秀な成績……いや戦績を残した低学年の生徒には、高学年の生徒より同ランクでも比較的高いレベルで優遇がなされる。
そんな格差をわざと見せつけるような制度に、異論を唱える者も少なくはないが、なにせあのエクシズ教団が推薦しているのだ。表立った反抗などそうそうできるはずもない。
だが、そんな裏事情を知るよしもない能天気な人々は、単純に大きな学生のイベントとして捉えていて、毎年この季節は世間からの注目の的となっている。
甲子園や高校サッカーなどとは比較にならない程の規模と話題性を持つイベントだ。
それには当然俺も出場する……というか出場しなければいけない。それに……
「今年の一年生優勝候補の一人なのですから、頑張ってくださいね」
そう。
俺は、毎年ランク戦開催前に、マスメディアによって独自に行われた調査によって公表される、「今年の一年生の中から優勝の見込みのある生徒」の中に、今年は俺の名前も入っていたのだ。
つまり俺は、世間の良い食い物として期待されているのだ。まったく、反吐が出る。
先程言われた「頑張ってください」も、ランク戦に対して俺があまり良い思いをしていない事が分かっているからこその皮肉なのだ。もちろん、本人に悪意があるわけではないのは俺も分かっているが。
たぶん、この家の住人は全員、俺が優勝することを微塵も疑っていないだろう。
事実、俺は今更、学生レベルの相手に遅れを取るような事はしない。そんな事、あってはならないのだ。
……だが、ここは世界でもトップレベルの優秀者を集めた学校だ。俺の相手になる者だって、きっとわんさかいるはずだ。
「昴、なんだかわくわくしてる?」
エリカに指摘され、自分が無意識に笑みを浮かべているのに気がついた。
……そうか、楽しみなのか、俺。
「まあ、やるだけやってみるよ」
控えめな宣言だったが、俺の
俺は一人、ひっそりとため息をついた。
やれやれ、これじゃあ、余計に負けられないじゃあないか。
「ご馳走様でした!」
俺は朝食を終えると、ひとまずトレーニング室へと向かった。
俺を見送る皆の顔が、やけにニヤついていたのは、気にしないでおこう……。
――――――――――――――――――――
「起立、礼!」
号令により、朝のSHRが終わると、教室はいつもの賑わいを取り戻した。
皆が口々に出す話題はやはり、いよいよ来月に迫った《ランク戦》だ。
俺達一年生にとって、初であるこのランク戦は、皆の緊張を煽ぐ物であり、皆の興味を煽る物でもあった。
聞こえて来る内容は、「今年は誰が優勝するんだろう?」とか「俺は取り敢えずCランクには行きてーな!」「バーカ!お前にそんな実力ねーだろ」などといったもので、ともすればテスト前のような雰囲気だ。
実際、一年生の内大抵の生徒はテスト感覚で今回のランク戦に挑もうという姿勢だ。
ちなみに、ランク戦で決められるランクは全部で七段階ある(下から順に、F、E、D、C、B、A、Sといった感じで、Aランク程まで来るともはや一流ホテル並の待遇がなされるらしい)。
本当に、理不尽だな。
「ねえ、あなた」
「………………」
「ねえってば」
「…………………………」
「……ていっ!」
「ふぐっ!?」
突然の手刀を後頭部に喰らい、俺の脳内はたちまち混乱に陥った。
「な、何事だ!」
「いやですねぇ、軽くチョップしただけなのに、大げさですよ?」
思わず数世紀前に存在した「武士」のような口調になった俺に、そう言って両手をひらひらと振る目の前の女生徒の制服の胸元には、赤のリボン。
(二年生……か)
この学校の制服の、男子はネクタイ、女子はリボンが学年別に色分けされており、今年の一年生は青で、目の前の女生徒同様二年生は赤、そして三年生が緑となっている。
他学年の教室にまで来て、しかもよりにもよって俺の所に何の用が。
「あなたは、
「はい、そうですけど……」
一体誰だ?
そんな素朴な疑問を解消するため、俺は正面に保っていた視線を上にあげると、そこには見た事のある顔があった。
「……あんたは確か、生徒会副会長の────」
「はい。
俺に気を使ったのか、あえて俺の台詞を遮るかのようにして自己紹介をした彼女に、俺は抱えて当然の疑問をぶつけた。
「……それで、副会長ともあろうお方が、俺なんかに何の用ですか?」
少し皮肉げに俺が言ってみせると、千堂副会長は、両手を胸の前で合わせ、驚いた表情をした。
「『なんか』だなんて、とんでもない!貴方は、今年度ランク戦においての一年生優勝候補と世間から認定された、立派な生徒なのだから。もっとその事に誇りを持つべきよ?」
俺に向けて、千堂副会長から発せられた「一年生優勝候補者宣言」は、クラス中にざわめきを起こした。
だが、そのざわめきの中に「やっぱりか」という言葉が少なからず出ていたのを、昴は確かに聞き取った。
「……とりあえず、用件を言ってくれます?」
突き放すような俺の口調にまるで動じず、副会長は依然優しげな口調で答えた。
「突然ですが、昴君。生徒会に入ってくれないかな?」
瞬間、更なるどよめきが、教室を包んだ。なにせ、一年生が生徒会のメンバーとして選ばれるのは、従来、ランク戦が終わってから決められる物なのだ。しかも、そこで最低でもBランクまで到達した者のみ……という条件付きで。
まあ、それらはあくまで「普通なら」の話で、規則として決められた事ではない以上、その決定に反論するのは筋違いと言えるし、それに、一年生の内に生徒会に入れるというのは、その間の学校生活での一定の地位を確保できるに等しいのだ。
そして、そのレールは、社会に出ても強い影響力を持つ。この誘いを断るのは、逆に何かやましい事でもしているのではないかと怪しまれる程だ。
「まあ、一応他の《一年生優勝候補者》達にも話すつもりではあるのですが。君の場合は、なんと会長からの推薦も受けている」
もはや、周囲は皆、絶句していた。
「それはまあ、嬉しいお誘いですが、断らせていただきます」
俺が即答する。
「……理由を、聞いてもよろしいでしょうか?」
「まず、第一に面倒臭い。そして第二にやる気がないってとこですかね」
「……君って、もしかしてお馬鹿さん?」
幾ら雰囲気で誤魔化そうとも、流石にその台詞は失礼だろ。
「馬鹿と言われようと何と言われようと、俺にはそんな重大な仕事こなせるとは思いませんし、そんな重要な役目を担う程の責任は取れません」
「はあ。さすがにそこまで言われると、もうどうしようも無さそうたなあ」
ようやく諦めてくれるか……と俺が彼女を横目で見ると────彼女は笑っていた。
「では、生徒会副会長の権限、及び生徒会会長の権限を一部行使します。一年B組、二宮 昴君。貴方を生徒会庶務に任命します」
「はあ!?」
さすがの俺も、この行動は予測できなかった。間抜けな声を発した俺は、まんまと一杯食わされたと、副会長を睨んだ。
「これは、他ならぬ会長からの命です。会長曰く『もしも彼が誘いを断った場合は、会長権限を行使してもよい』との事でして」
完全に重大な事を失念していた。この学校においての生徒会会長の権力は、一介の教師にも勝る。
それは、ただの教師と、当校の最高権力者である校長の間くらいだ。
「拒否権は無い……と?」
「はい。それでも拒否するのなら、こちらも相応の手を打たせていただきます」
(断ったら……まあ、いいとこランク戦出場資格を剥奪されて、全試合不戦敗によりFランク確定……ってとこか。最悪の場合、無期限停学処分なんて事も十分にありえる)
俺は、苦虫を噛み潰したような顔で思案すると、仕方ないとばかりに嘆息し、副会長に向き直った。
「わかりました。入りましょう」
「それは良かった!では、早速ですが生徒会室へと……」
「だが条件があります」
副会長の言葉を俺は自分の言葉で塞いだ。
「……何でしょう?」
再び業務的な丁寧語口調に戻った副会長に、俺は冷静を装い言った。
「俺は、事務的業務があまり得意ではありません。それと、矢面に立って衆目に晒されるのはあまり望みません」
「……で、それを学校側でなんとかして欲しいと?」
「まあ、そういう事になりますね。……あ、それと帰りは遅くならないようにしたいですね」
それはつまり、実質「名前は貸してやるから放っておけ」と言っているような物だった。
普通の人ならば「馬鹿にしてるのか」と怒ってもなんらおかしくない場面だが、彼女の表情に変化は無かった。
「……そうですね。……会長と、一度相談してもよろしいでしょうか?」
副会長の要求を、俺は却下した。
「それは、止めて戴きたいですね」
弱点を見つけた、とばかりに副会長の笑みが少し露骨になった。
「何故でしょう?」
しかし、俺の表情からも、余裕が消える事は無かった。
「それは……」
瞬間、教室内のスピーカーから、馴染みのある音が鳴り出した。
授業の開始を告げるチャイムだ。
「授業が、始まってしまいますので」
周りの生徒はもちろん俺も既に、次の授業の準備を終えていた。教卓には次の現代文の授業の担任教師までいて、副会長はもはや、「授業の障害となる存在」だった。
「千堂先輩も、授業に戻らないと。……生徒会副会長ともあろうお方が、授業をサボタージュされては、この学校の面子に関わりますから」
「……そうですね。私も、自分の教室に戻るとします。お騒がせして申し訳御座いません、中山先生」
「い、いえ。授業の遅刻については、後で私がそちらの担当教諭に説明しておきますので」
「あら、ありがとうございます。……それでは」
最後に教室と廊下の間際で一礼し、起き上がりざま俺の方に笑顔を向けると、副会長は自身の所属するクラスへと戻っていった。
すると、緊張の糸が解けたように、その場の全員が「ほうっ」と息を吐いた。
「えー、それでは授業を始めます」
先生の方も、かなり緊張していたのだろう、ホッとしたせいか、号令をかけるのを忘れたまま授業を始めた。そして、それに気づけたのもまた、俺を含めた少数のみであるようだった。
「……めんどくさいなぁ」
俺は、自身でも聞き取れないくらいの小さな音量で言った。
なのに。
『いいじゃない、別に。とても楽しそう』
……そんな事ない。絶対にろくな事にならないだろ。
『それでも、私はとても羨ましいわ』
止めてくれ。そんな事言わないでくれ。
……もう、あの罪悪感に埋もれた無力で無気力な自分に戻るは嫌なんだ。
もう、俺に構わないでくれ。
『…………またね』
声は遠ざかっていった。
いつの間にか目元にわずかに滲んだ涙を拭くと、俺は窓から曇天模様を眺めた。
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