お家に帰ろう
「できたね」
「う、ん」
最初のは軽い戯れ。場は整った。布石はひいた。これで問題なく勝負にうつれると、互いに戦いやすい場を作った二人は頷きあう。
見学の冒険者たち、とくに最初にいじめではと叫んでいた者たちと、咲也子の行動には慣れているはずのティオヴァルトですらめまいがして。<当千>の切り裂いた天井からの春の木漏れ日が、そんな彼らを慰めているようだった。
「<当千>‘芽吹き‘」
「キュアア!」
日の光をたっぷりと浴びた<当千>の高い鳴き声に応えるように、先ほど天井を裂いた際にフィールド中に散った葉から発芽が始まり蔓が伸びていく。それは水に浮かび、ひんの身体に張り付いた数枚も例外ではなかった。
「ふぃぃぃん!?」
「ひん、‘渦‘のなかで‘あわ‘」
あっという間にひんの全身に絡みつき、体力を削っていく蔓。咲也子の言葉も聞こえていないのではないかと思えるほどに混乱しあわてては体力を削られを繰り返しているひんに、咲也子は言った。
「ひん。一緒に、がんばろ、う」
ぴたりと、ひんの恐慌状態が止まった。
それはひんにとって特別な言葉だったから。
心が裂けそうなほどに願ったことを、思ったことを一度も忘れたことのないひんにとって、その言葉は何よりも優先するものだった。
「ひん」
「ふぃぃん!」
絹の鳴き声と同時にひんを中心として、ため池に渦が生まれる。ごうごうと音を立てる激しいそれの中で、ひんは口から泡を吐き出だし、とぐろを巻いて全身を渦の中に置く。そうするとあれほどに絡みついていた蔓がぬるぬると取れていった。完全になくなった蔓に、ひんは咲也子に声をかける。
「ふぃぃぃん!」
「<当千>‘草刃の球‘を放て」
「ひん、そのまま水の中へ」
咲也子の言葉にひんが水の中に再び潜るのと同時に‘草刃の球‘がひんがいた場所を通り過ぎ、渦で立っていた泡を切りながら壁に当たり、うずまいた刃のように鋭い草がいくらか傷つけた。
「ひん、‘凍てつく吐息‘。ちょっとだけ、ねー」
再び水面から顔を出したひんに咲也子が告げる。なんとなく傾げた首につられて、さらりと艶やかな黒髪が揺れた。
「ふぃぃぃん!」
「<当千>、飛んでもう一度‘草刃の球‘を放て」
「ひん、尾で氷を薙ぎはら、え」
「<当千>よけて」
飛行する<当千>めがけて鋭く割れた氷の破片たちが無数に襲いかかる。それをよけて飛ぶものの、完全に避けきることはできず当たってしまう。鋭く、刃物と言っても大差ないようなそれに、もともと傷ついていた腹部の鱗は耐えられずに裂けた。
「キュアッ!」
「ひん、‘水落とし‘」
また水の塊かと上を仰いだツキヒと<当千>。裂けた部分から赤い血が流れだすその腹に、空中に浮かんでいた<当千>の真下から伸びた水の触手が絡みついた。
「<当千>!‘草刃の吐息’を放て」
「ギュア!」
草刃で一度途切れるものの瞬く間には元に戻り、泡交じりの触手に傷口が痛んで<当千>は悲鳴を上げたのを最後に<当千>をため池の中に引きずり込んだ。
「<当千>!」
水の中に引きずり込まれていった‹当千›にツキヒは叫ぶものの返事はない。本来水の中で息ができるのは水の中で暮らしている水属性以外いない。しかも‘あわ‘を使用した水ではさらに呼吸も出来ない。
呼びかけてからしばらくの沈黙の後、ツキヒの横に置かれた体力を示す水晶玉が赤く染まった。
「勝者・・・サクヤコ」
いまだ信じられないような顔をして呆然と咲也子の勝利を宣言する審判。唖然としてるのは見学していた冒険者たちも同じだった。
「勝っちまったよ・・・」
「最年少のアリーナチャンピオンだろ?すっげえな、あの嬢ちゃん」
「手加減してたんじゃねえの。ツキヒさん」
「いや、修練場の地形まで変えてんだぜ? どう考えても本気だろ」
いつも戦うのは自分で、テイカーとしての咲也子の一面を知らなかったティオヴァルトはこの勝負に内心驚いていた。が、あの存在が。人であれテスターであれ、率いるのがうまくないはずがないとどこか納得のいく結果だったよう気もしていた。あれに率いてもらって勝てないなら、よっぽどのポンコツだ。
「お疲れ」
「疲れた、の」
抱っこをねだる咲也子を抱き上げながら、ティオヴァルトは労った。負けてしまったツキヒの方をうかがうと、こちらもしゃがんでひんが水の中から引き揚げてきた<当千>を抱き上げつつ、労いながらなでていた。
その目は優しくて、やはりどこか咲也子と似た雰囲気を持っていた。
ティオヴァルトの視線に気が付いたツキヒは<当千>を抱きつつ、咲也子たちに近づく。
ツキヒが近づいてきたことにティオヴァルトの視線を追うことで知った咲也子は 不思議そうにゆっくりと首をかしげた。
「な、に?」
「いい勝負だった。ありがとう」
「こっちも、ありがと、う」
「帰ろうか」
「・・・」
いい勝負だったと咲也子の手を握り握手をすると、おもむろにツキヒが言った。まったく何の脈絡もなく続けられた言葉に、咲也子はきょとんと目を瞬かせる。数度瞬きをすると、横にかしげていた首を前後に揺らして了承する。
「・・・」
咲也子を抱えたまま、ティオヴァルトをひどい焦燥感が襲う。
ざわりざわりと足元から這いのぼってくるかのように強くなっていくそれ。ティオヴァルトの腕の中で、咲也子は抱き上げてくれている腕がにわかに強張ったのを感じて、ティオヴァルトの顔を見上げた。
唇をかみしめるように結んで咲也子と視線を合わせるその鋭い目つきが、咲也子にはどこか途方に暮れた顔が、懐いた犬が必死に捨てないでと訴えかけているのを彷彿とさせた。
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