第一章①

 うすらぼんやりとしているうちに学区内の県立高校へと無難に進学した私が最初に後悔したのはこの学校がえらい山の上にあることで、春だっていうのに大汗かきながら延々と続く坂道を登りつつ手軽なハイキング気分をいやいや満喫している最中であった。これから三年間も毎日こんな山登りを朝っぱらからしなきゃならないのかと思うと暗澹たる気分になるのだが、ひょっとしたらギリギリまで寝ていたおかげで自然と早足を強いられているのかもしれず、ならばあと十分でも早起きすればゆっくり歩けるわけだしそうキツイことでもないかと考えたりするものの、起きる間際のあの十分の睡眠がどれほど貴重かを思えば、そんなことは不可能で、つまり結局私は朝の運動を継続しなければならないだろうと確信し暗澹たる気分が増加した。

 そんなわけで、無駄に広い体育館で入学式がおこなわれている間、私は新しい学舎での希望と不安に満ちた学園生活に思いをはせている新入生特有の顔つきとは関係なく、ただ暗い顔をしていた。同じ中学から来ている奴がかなりの量にのぼっていたし、うち何人かはけっこう仲のよかった連中なので友人のあてに困ることはなかったが。

 男はブレザーなのに女はセーラー服ってのは変な組み合わせだな、もしかして今壇上で眠気を誘う音波を長々と発しているヅラ校長がセーラー服マニアなのか、とか考えているあいだにテンプレートでダルダルな入学式がつつがなく修了し、私は配属された一年五組の教室へ嫌でも一年間は顔を付き合わせなきゃないクラスメイトたちとぞろぞろ入った。

 担任の岡部なる若い青年教師は教壇に上がるや鏡の前で小一時間練習したような明朗快活な笑顔を私たちに向け、自分が体育教師であること、ハンドボール部の顧問をしていること、大学時代にハンドボール部で活躍してリーグ戦ではそこそこいいところまで勝ちあがったこと、現在この高校のハンドボール部は部員数が少ないので入部即レギュラーは保障されたも同然であること、ハンドボール以上に面白い球技はこの世に存在しないであろうことをひとしきり喋り終えるともう話すことがなくなったらしく、


「みんなに自己紹介してもらおう」


 と言い出した。

 まあありがちな展開だし、心積もりもしてあったから驚くことでもない。

 出席番号順に男女交互で並んでいる左端から一人一人立ち上がり、氏名、出身中学プラスα(趣味とか好きな食べ物とか)をあるいはぼそぼそと、あるいは調子よく、あるいはダダ滑りするギャグを交えて教室の温度を下げながら、だんだんと私の番が近づいてきた。緊張の一瞬である。解るよね?

 頭でひねっていた最低限のセリフを何とか噛まずに言い終え、やるべきことをやったという解放感に包まれながら私は着席した。替わりに後ろの奴が立ち上がり――ああ、私はきっと生涯このことを忘れないだろうな――後々語り草となる言葉をのたまった。


「東中学出身、涼宮ハルヒコ」


 ここまでは普通だった。真後ろの席を身体をよじって見るのもおっくうなので私は前を向いたまま、その涼やかな声を聞いた。


「ただの人間には興味ない。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、オレのところに来い。以上」


 さすがに振り向いたね。

 長くて真っ直ぐな黒い髪に何でかカチューシャをつけて、クラス全員の視線を傲然と受け止める顔はこの上なく整った目鼻立ち、意志の強そうな大きくて黒い目を男子にしてはめずらしい長いまつげが縁取り、淡桃色の唇を固く引き結んだ男。

 ハルヒコの白い喉がやけにまばゆかったのを覚えている。えらい美少年がそこにいた。

 ハルヒコは喧嘩でも売るような目つきでゆっくりと教室中を見渡し、最後に大口開けて見上げている私をじろりと睨むと、にこりともせずに着席した。

 これってギャグなの?

 おそらく全員の頭にどういうリアクションをとればいいのか、疑問符が浮かんでいたことだろう。「ここ、笑うとこ?」

 結果から言うと、それはギャグでも笑いどころでもなかった。涼宮ハルヒコは、いつだろうがどこだろうが冗談などは言わない。

 常に本気なのだ。

 のちに身をもってそのことを知った私が言うんだから間違いない。

 沈黙の妖精が三十秒ほど教室を飛び回り、やがて体育教師岡部がためらいがちに次の生徒を指名して、白くなっていた空気はようやく正常化した。


 こうして私たちは出会ってしまった。

 しみじみと思う。偶然だと信じたい、と。 


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