第五話 地獄の火炎

 もしも地獄にいるなら、そのまま進め!

               ――――ウィンストン・チャーチル


    *


 一九四二年三月、西方同盟(主にダリア)軍はリヒトニアに到達した。

 彼らはこの勢いに乗り快進撃を続け、首都ベアレンシャンツェも目前である。


 これは新たに導入された三つの要素によるものが大きい。

 一つ目は電撃戦と呼ばれる戦車の集中運用による突破戦術である。これは皮肉にもアルテニア軍が森林地帯を突破した奇襲作戦を参考に発案されている。

 二つ目は暗視装置を搭載した戦車の登場により夜戦で有利になったこと。

 三つ目は特殊部隊の活躍である。


 リヒトニアが占領された後、ヴィルヘルム将軍はアルテニアに対する不服従を呼びかけ続けた。

 それに呼応するかのように徐々にレジスタンス活動が行われるようになった。

 その活動内容は初めは反アルテニア的な内容のビラを撒く程度だったが、西方同盟軍の進撃に伴ってストライキ、そして破壊工作や暗殺といった直接的な攻撃も行われるようになった。

 もちろん、アルテニアもこれを野放しにできるはずもなく、レジスタンスの弾圧に力を注ぐようになっていった。


    *


 線路の脇の背の高い草むらで十人ほどの武装した人々が伏せて隠れている。彼らはアルテニアによるリヒトニアの支配に対する抵抗者たちレジスタンスだ。

 しばらくすると汽笛が聞こえ、そして列車の走る音が大きくなってきた。

 汽車が隠れている人々の目の前へ至るその直前、彼らのリーダーである男が、


「今だぜっ!」


 と号令を出した。その瞬間、大きな爆発が起き、線路は破壊され、汽車は脱線し、停止した。


「突撃!」


「「うぉおおおおおお」」


 リーダーの号令を聞いて、伏せていた人々が一斉に飛び出す。

 小銃ライフル短機関銃サブマシンガンを撃ちながら、止まった列車に一気に近づく。

 列車に乗っていたアルテニア兵たちも応戦するが、脱線の衝撃で負傷した者が多い上に、混乱しているため、すぐに殲滅されてしまった。


「やったぜ!」


「リヒトニア万歳!」


「おうおう、まだだぞ。帰るまでが破壊工作サボタージュだ」


「おっし、やるか!」


 ある人々は、列車に積まれていた武器を持ち出し、ある人々は積まれていた戦車に爆薬を設置しはじめた。


「軍からもらったこの爆薬、すごい便利だな」


「うっかり爆発させることがなくてありがたいぜ」


「しかし、もったいないな……戦車は持って帰れないのか……」


「持って帰っても隠しておく場所がないからな。俺達が最終的に想定している市街戦じゃ戦車はあまり役に立たねぇ。この人数と労力でこれだけの成果を出せれば十分だぜ。じゃあ、爆破のスイッチを入れろ!」


    *


 ベアレンシャンツェ占領軍司令部――。

 とある将校が首都占領軍司令官である将軍にレジスタンスによる被害の報告を行っていた。


〈大佐……これはどういうことだね? あれだけ捕まえてもまだいるのか?〉


〈はい、将軍閣下……。やつらは鼠のように湧いてきます。何せ、潜在的には何百万人もレジスタンス候補がいますので……末端よりもリーダー格を集中的に狙っていくことが重要です。調査では今回もおそらくマックス・モスターマンのグループだと考えられます〉


〈そこまでわかっていてなぜ捕まえられん⁉〉


〈なかなか狡猾なやつでして……〉


〈言い訳はいらん! なんとかしろ! このままでは被害が増える一方だ! 本国からの私に対する評価にも大きく影響する!〉


〈わかりました。お任せください〉


〈ほう、何か考えがあるのかね?〉


〈せっかくこれまでたくさんのレジスタンスのやつらを捕らえたのです。彼らを餌にしましょう。場所をシュテルン広場に指定し、一斉処刑の予告を広範囲に張り出します。これを助けに来た者がいればそれを捕らえ、いなければレジスタンスの無力さをアピールできます。これで効率的に鼠を駆除できます〉


〈なるほど、囚人どもに食わす飯も馬鹿にならんからな〉


〈はい〉


〈わかった、それでいけ〉


〈承知しました〉


〈しかし、そんなに目立つことをすると『亡霊』が出るかもしれん〉


〈『亡霊』――亡霊部隊――? まさか本当にいるとは……〉


〈そうだ、せっかくだから本土から届いたアレを用意しよう〉


〈アレ……と言いますと?〉


〈ついでだから紹介しておこう、ついて来たまえ〉


 将軍は大佐を別の部屋に連れて行った。


〈入るぞ〉


〈どうぞ〉


 ドア越しに聞こえたのは女性の声だ。

 司令官がドアを開けた。


〈なっ⁉〉


 将校が驚く。

 そこで待っていたのは、とんがり帽子にマント――御伽噺の魔女を連想させるとても奇妙な服装をした女性だった。


〈彼女は――女優でしょうか?〉


〈ふふふ、勘違いするのも無理はない。この服装は宰相閣下の指示だ〉


〈はい?〉


〈紹介しよう、我が軍の秘密兵器、イフリータ・ナイジョノワ発見されし者だ〉


〈秘密兵器……ですか?〉


〈比喩ではない、詳しいことは私にすら秘密らしい〉


〈将軍閣下にも秘密とは一体……!〉


〈だが、そんなことは問題ではない。彼女はとてつもない力を持っている。それは知っている〉


〈君にも特別に教えよう、この『魔女』の力を!〉


    *


 亡霊部隊にはレジスタンス支援の任務が与えられた。具体的には敵の収容所を襲撃し、囚われた同胞を救出するのである。

 今回の目標ターゲットである収容所は、リヒトニア首都ベアレンシャンツェの近くに存在する。

 輸送機は夜の闇に紛れて敵の支配領域上空に侵入、ベアレンシャンツェから三十キロメートルほど離れた地点で亡霊部隊はパラシュートで降下した。

 しかし風が強く、隊員たちはそれぞれ距離が離れてしまった。


 ルッツはとりあえずパラシュートを外して、案内人の待っているはずの村の方へ歩き出した

 まぁ、他に人がいないところだ、ヴィクトリアが見つけ出してくれるだろう。


「さて、ここらで休憩するか」


 ルッツは手頃な岩に腰掛ける。水筒を取り出し水を飲む。


「は~、やっぱり作戦中に飲む水は格別だな」


「そうカ、それはよかったナ」


「え?」


 突然、すぐ後ろから微妙に変な発音のリヒトニア語が聞こえた。


「おっと、変なキは起こすなヨ?」


「しまった……」


 敵に背後を取られた。

 あー、いつぞやと似たような展開だな。しかし、敵は一人――隙を見つけて何とかできないか?


〈おーい、来てくれ!〉


(ああ、仲間を呼ばれてしまった――)


 足音とともにさらにもう一人アルテニア兵がやってきた。


〈こいつを縛ってくれ〉


〈わかった〉


(あー、まずいな。非常にまずい)


 そう、思っていたところ……。


〈うげっ〉


〈ぎゃっ〉


 ルッツの背中に何か重みが感じられた。誰かがもたれかかっているのだ。しかし一体誰が――。


「さっさと殺せばよかったものを――」


 よく聞き知った声――マリーのものだ。彼女とヴィクトルが一瞬にして二人の敵を倒したのだ。マリーとヴィクトルは同じバラシュートで降下していたから離れなかったのだろう。


「物騒なこと言うなよ」


「大丈夫?」


 マリーが無表情で尋ねる。


「あ、ああ。助かった。他のアルテニア兵が来る前に移動しよう」


〈怪しいやつがいるぞー〉


「うわー、最悪だ」


 さっきの叫び声に引き寄せられたのだろう。


 ルッツとマリーはすぐに小銃ライフルを構えて臨戦態勢になる。しかし――。


〈うああああ〉


 悲鳴が聞こえてきた。

 そして、


「あー、やっと見つけました。無事ですか?」


 現れたのはヴィクトリア、ラルフ、ハンス――亡霊部隊の隊員たちだった。


 かくして、彼らは道に出たところで、野戦服を脱ぎ、一般市民が着ているような服に着替えた。

 そして、道沿いに『案内人』が待つ村へと向かった。

 村が見える場所まで来たところでルッツが、


「あまり人数が多いと目立つ。村へは俺とヴィクトリアだけで入る」


「カップルのフリをするんですね!」


「ああ、そうだが。何か嬉しそうだな?」


「それが私の本当の仕事ですからね! めっちゃ得意ですよ! さぁ、私たちのラブラブっぷりをこの村の人々に見せてあげようじゃありませんか!」


「だから、目立つなって言ってるだろ! このご時世、カップルも自粛ムードだ。間違いない!」


 ルッツとヴィクトリアは村に入っていった。


「アルテニア兵がいるな……」


 ルッツは「注意しろ」とは続けなかった。その言葉自体が聞かれたら危険だからだ。

 ヴィクトリアもわかっているらしく、


「ルッツ……私、怖い」

「大丈夫だよ、ヴィッキー。さぁ、あそこの居酒屋で昼食を取ろう」


 そして二人は目的の居酒屋に入った。

 席につくと、ルッツは焼きポテトブラートカルトッフェルンを頼んだ。


「へい、お待ちっ」


 しばらくすると料理が運ばれてきて、二人はそれを食べた。


「ヴィッキー、リヒトニア料理と言えばジャガイモだけど、リヒトニアでジャガイモが普及したのは一八世紀くらいなんだぜ」

「へぇ、最近なんだ」


 そんな話をしていると、別のテーブルの男の客が立ち上がって料金を置いた。


「お代はここに置いていくぜ。ヨハンによろしくな!」

「毎度! ヨハンには伝えておくぜ」


 その男はそのまま出ていった。

 ヨハンによろしく――合言葉である。

 ルッツの話したジャガイモ薀蓄いや、注文内容からすでに始まっていたのだ。


「さて、俺たちも行くか」

「ええ」


 ルッツたちも会計を済ませると、先程の客の後を付けた。

 村から少し離れた場所で男は立ち止まった。

 追いついたルッツは突然、


「勇気はあるか?」


 と言った。それを聞いた男はニヤリと笑って、


「あるさ。待ってたぜ!」


 そう、この男が案内人だ。


 ルッツたちは、案内人の手引でベアレンシャンツェに向かった。


    *


 ルッツたちが見たのは変わり果てたベアレンシャンツェの姿だった。


 至る所にアルテニアの旗が翻り、アルテニアの軍人が我が物顔で闊歩している。

 あらゆる壁という壁には傀儡政権のプロパガンダポスターが貼られていた。

 軍楽隊が勇ましい音楽を奏でながら行進している。どうやらこの行進は毎日行われているらしい。

 一部にはアルテニアと上手くやっている人々もいるのだろうが、多くの住民たちにとってはウンザリだろう。


「消灯時刻は夜十二時。それ以降に外出しているところを見つかると、一晩中靴磨きなどの雑用をやらされるんだ、たまったもんじゃないぜ」


 案内人が語る。


「はぇ~、大変ですねー」


「なぜ、自国でこんなにコソコソしなくてはならないのだ? な~ぜ~だ~?」


 もちろん、答えはわかりきっている。ただの愚痴だ。


「それはだからじゃないですか?」


 ヴィクトリアの皮肉は今日も絶好調だ。


「あー、なるほど……」


 なぜ、亡命政権はやたらと『自由』という接頭語プレフィックスを付けたがるのだろうか?

 『元祖』とか『本家』でも良い気がするが――。


「そのうち名前に『民主主義』って付いた独裁国家できますよ!」


「……そうかもしれんな」


 アルテニアの秘密警察が工作員やレジスタンスを血眼になって探している。

 この亡霊部隊なら見つかっても捕まることはないだろうが、予定外のことは避けたい。


 敵の監視網を潜り、無事にレジスタンスのアジトへ到着することができた。

 アジトは居酒屋の地下室を利用している。多くの人が出入りしてもバレにくい。


「よく来てくれた。俺がモスターマンだ」


 ルッツたちを出迎えたこの男の名はマックス・モスターマン。レジスタンスの有力者であり、数々の破壊工作でアルテニア軍にダメージを与えている。中々豪快な男に見える。

 亡霊部隊の素性は原則秘密扱いだが、この男には現地協力者として一応知らされている。


「ルッツ・クレム大尉です」


 二人は握手を交わす。


「久しぶりですね、マックス」


「おお、ハンスじゃないか! 十年前に国を出ていったきり、どうしたものかと思っていたが、国の危機に帰ってきてくれたんだな!」


「当然ですよ! まぁ、老師には『俗世間に介入なぞ修行が足らない』と皮肉を言われましたね」


「ははは、そうなのか。ともかく会えて嬉しいぞ」


 二人もまた握手を交わす。


「何だ、知り合いか」


「ああ、そうさ。だけど事態は急を要するんだ。クレム大尉、これを見てほしい」


 モスターマンは一枚の紙をルッツに差し出した。


「『偉大なるアルテニア帝国に仇なす卑劣なるテロリスト、マックス・モスターマンに告ぐ。貴様が出頭しなければ、政治犯罪者百名をシュテルン広場にて公開処刑する。なお、この処刑は一九四二年八月一日正午に開始する』――明後日ではないですか!」


「今、ベアレンシャンツェを中心に広範囲に貼られているみたいだ。ちょっと有名になりすぎたな。ガハハハハハ。いや、笑えねぇ……」


「この政治犯百名というのは――?」


「実際に対象となっている者の多くが俺たちの仲間であることがわかっている。やつらからすれば、完全に関係性が把握できなくても、百人いればそこそこ当たる考え方だ。合理的だが、人としては終わっているぜ!」


「モスターマンさん、出て行っては駄目ですよ」


「それはわかっている。しかし仲間を見殺しにはできないし、この最悪の見世物ショーが市民の目に晒されれば彼らの抵抗する意志に関わる! なんとか救出できないかと調べているが、敵もそれをわかっているから収容所の警備を堅くしてやがる。俺たちは常に敵の隙を突いて成果を上げてきたんだ。だからこういうケースは非常に難しい。そうこうしている間にも時間だけが経過している」


「わかりました。この救出、我々亡霊部隊が行いましょう。我々はそのためにやってきたのです。国民を守るのが軍の務め! 国のために戦って捕まった人となればなお助けなければならない」


「おお」


「俺の責任で予定を変、収容所を後回しにして広場を襲撃することにする。街中だから持ち込める武器は制限されるが、みんな頑張ってくれ」


「任せてください、隊長」


「ああ、ハンスは武器が制限されても関係ないな。マリーは玩具おもちゃ屋のアレを使え。精度が落ちるが腕でカバーしろ」


「わかった……」


「ヴィクトリアとラルフは、武器なしか、小型のもので何とかしろ」


「わかり申した」


「はーい」


 そして来る八月一日――。

 広場には十本の太い木の棒が立っていた。周囲に配置された三十人以上の兵士。さらに十台の檻があり、それぞれ十人ずつが入れられていた。もちろん、多くは捕らえられたレジスタンスの人々である。きっちり百人だ。そして集まった多くの観衆。


 一人のアルテニア軍の将校が台に登った。


「えー、お集まりの皆様。本日は大変お日柄もよく絶好の処刑日和となっております。残念ながらモスターマンさんはまだ出頭していただいておりません。というわけでこのままですとお仲間の方々は順に死んでいただきます。まぁ、テロリストですから仕方ないですよね。ご覧の通り一度に十名ずつ行われますのでそれなりに時間がかかるでしょう。もしモスターマンさんにおいで頂ければ、その時点ですぐに処刑をやめる用意がございます」


 将校は流暢なリヒトニア語で厭味ったらしくスピーチする。


「それでは最初の十名!」


 将校は手を上げて合図する。

 一つ目の檻からレジスタンスの人々が連れ出され、それぞれ木の棒に括り付けられる。


〈構え!〉


 十人の兵士たちがそれぞれ小銃ライフルの狙いを定める。

 しかし、いつまでたっても『撃て』の命令は聞こえない。

 人々は不審に思い、命令を発するはずの将校の方を見た。

 周囲がざわつき始める。

 なぜなら、その将校の首にはナイフが刺さっていたからだ。


〈あ、ああああ〉


「死人に口なし、死んだ将校に命令なし、されど亡国に刃あり」


 その将校を殺害したであろう男はそう言った。ルッツである。


〈捕らえろ!〉


 次に優先的な命令権を持っている将校が叫んだ。


「とっさの判断力はいいな。だが、そうはさせないぞ」


 兵士たちが走り出そうとしたその時、ヴィクトルが飛び出して威嚇する。

 グルルルル。


〈なんだ、この犬は? 邪魔だ! ぶっ殺してやる!〉


 しかし、ヴィクトルを撃とうとした兵士はその前にマリーに撃たれた。


〈狙撃だと! どこからだ!〉


 通常の狙撃銃は目立つため、玩具おもちゃ屋特製の組み立て式小銃ライフルを持ち込んでいる。性能的にやや劣るがこの場合は仕方ない。マリーの狙撃能力とこの距離なら問題なく敵を倒していく。

 兵士たちの意識が遠くへ向かったところでヴィクトリアとハンスが兵士たちに接近。兵士たちを次々と殴り飛ばしていく。

 敵が混乱している間にルッツたちがレジスタンスメンバーを救出。

 ラルフとハンスが縛り付けている縄を手刀で切っていく。いつもの刀は目立つために持ってきていないが、それでも十分に凄い。


「た、助かったのか?」


「それはアジトに帰ってから判断するでござる」


 ルッツはまず、拳銃ハンドガンで檻の前にいる兵士を倒し、持っていた小銃ライフルと鍵を奪い、その鍵で檻を開けていく。


「これが噂の亡霊部隊か⁉ まさか本当に……とにかく逃さん! 【炎の魔女イフリータ】がお前たちを地獄の火炎で焼き尽くす! 骨も残さないくらいに!」


 敵将校は鬼の形相だ。


「イフリータ? 新兵器か? 火炎……まさか……?」


「くくく……何を想像しているのか知らないが、今にわかる。ほーら、暖かくなってぞ……!」


「そうか、とりあえずおまえは死ね」


 ルッツが敵から奪った小銃ライフルでアルテニア軍の将校を撃ち抜く。

 その将校は実にあっけなく死んだ。


「処刑されるのはおまえだったみたいだな――めでたしめでたし。よし、撤収だ!」


 ルッツはアジトの方へ向かおうとするが、すぐに立ち止まった。


「んー? たしかに夏だけど、この暑さはおかしくないか……」


 不自然な暑さにルッツがそう呟いた直後――近くですごい爆発音がした。

 あたりで次々と火の手が上がる。


「こ、これは……」


 逃げ惑う人々。体に火が付いてのたうち回る姿も――。

 そして、爆煙の向こうから一人の女が姿を現す。

 ルッツはその姿を覚えている。

 とんがり帽子にマント――その外見は御伽噺の魔女を連想させるとても奇妙な姿をしていた――。


「あ、あいつは⁉」


「とてつもなく巨大な【チー】を感じます!」


「なんだ、お友達か?」


「いえ、顔を会わせたことはありません」


〈敵を確認。殲滅を開始する――〉


「マイスター、危ない!」


「うぉっ!」


 『魔女』が放った火球がルッツの近くで爆発した。ヴィクトリアがかばって間一髪助かった。


「……あ…ああああ」


 マリーは『魔女』を見て狼狽える。


 彼女は憶えている――自分の故郷を炎の海に変えたのがあの『魔女』だ!

 巨大な恐怖は一瞬にして大きな怒りに変換された。


「……殺す!」


 ありったけの殺意を込めて引き金を引こうとするが、できない――。敵の姿がゆらゆら揺れて、狙いが定まらない!


「陽炎……!」


 陽炎――つまりは熱で光が屈折する現象。銃は連射すると銃身の熱で陽炎が発生し、狙いが付けにくくなることはマリーもよく知っている。

 しかし、これは銃身ではなく『魔女』が熱を出しているのだ。これほどのゆらぎとなればどれほどの高温か? アレの近くにいる隊長たちは大丈夫なのか?


「とりあえずアレは敵ってことで間違いないな!」


「そうでござるな!」


 ルッツは敵から奪った小銃ライフルで『魔女』を撃ちまくる。

 この『魔女』は普通の兵士と違い、身を隠そうとしない。

 命中する――そう確信していた。しかし、『魔女』は全く動じない。まるで、弾丸が『魔女』に当たる前に消えているかのようだ。


「やっぱり駄目か!」


 ルッツはリヒトニア降伏以前の戦いを思い出す。

 あの時と同じだ。

 相手の正体が全く見えない。

 ハンスはとてつもなく巨大な【チー】と言っていた。

 こいつ相手には亡霊部隊の超人たちも通じるかはわからない。

 とにかく危険だ、それは間違いない――。


「全軍撤退!」


 ルッツは叫んだ。

 今回も逃げるしかないのか――ルッツの心中は悔しさでいっぱいだ。


 『魔女』は逃さないとばかりにもう一発火炎弾を撃ってくる。


「やあっ!」


 ハンスが【チー】で防ごうと試みる。弾き飛ばされるも致命傷は免れる。


「大丈夫か?」


「ええ、何とか」


 やはり、撤退の判断は間違ってなかった。敵の力は強大だ。


「とにかく逃げるぞー!」


「東洋には『心頭を滅却すれば火もまた涼し』という諺がありますが、限度がありますね。ここはやはり『三十六計逃げるに如かず』です」


「『三十六計』って何だよ?」


「兵法を三十六通りに分けてまとめた本があるのですよ!」


「なるほど! しかし、東洋文化の講義を受けてる場合じゃなかった!」


「マイスターはしばらく私が抱えます」


「お、おい」


 ヴィクトリアはそう言ってルッツを強引に抱えて走り出した。

 後ろで次々と爆発音がするのも構わずひたすら逃げた。


「あいつの周囲にはものすごい陽炎が起こって狙いが定まらない」


 ルッツたちに合流したマリーはそう報告した。


「あの熱じゃ無理ないな。まぁ、狙いが正確でも倒せるか怪しい相手だ」


「そうかもしれない……」


 実際、マリーはルッツの射撃が効いていないことを見ていた。

 射撃に対して身を隠そうともしない――相手にはそれだけの自信があるということか――。


「とにかく一旦、レジスタンスアジトに戻って装備を整えるぞ。今回は尾行とか気にしている場合じゃない、とにかく急ぐぞ!」


 かくして、亡霊部隊はそのままレジスタンスアジトまで撤退した。


「さて、アレは一体何なんだ? 本当にハンスのお友達じゃないのか?」


「私の流派とは似て非なるものですね。私の見立てでは、アレは不老不死を目指すものではなく、あらゆるものを破壊するものです」


「私はアレを見たことがある」


「それは本当か、マリー?」


「私の村を燃やした」


「何かアレの正体について知っているか?」


「知らない」


「そうか、俺と同じだな。俺も以前に仲間をやられたが、結局アレに関して何も知らない」


「でも、倒さないと……」


「それはその通りだが……」


「あのー」


「どうしたヴィクトリア」


「問題の彼女なのですが、おそらくオートドールですねー」


「なん……だと……! なぜそう言える?」


 ルッツたちの驚きは如何ばかりであったか? いや、薄々とは考えていたのだ。

 一体いたのだから他にいても何もおかしくない。


「音でわかるんですよねー。人間とは違う、独特の動作音がするんですよー」


「しかし、ヴィクトリアさんには【チー】が感じられませんでしたが?」


「ハンスはヴィクトリア以外に超科学技術機械人形を知っているのか?」


 ルッツはわかっていて尋ねた。ハンスの回答は当然、


「い、いえ」


「つまりだ。もしかしたら【チー】を使える機械人形も存在するかもしれない。いや、アレがそうだろう」


「アレはほっとくとベアレンシャンツェを全焼させかねないでござる」


 ラルフの心配はもっともだ。


「捕まっていたは助け出したが、今度はこのベアレンシャンツェそのものが状態だ。もしかしたら最初からこの亡霊部隊を狙っていたのかもしれない。中々底が知れない相手だが、こうなったらやるしかない」


「……どうやるの?」


 マリーの疑問も当然だ。それに対してルッツは、


「相手は一人――数の差を利用して波状攻撃を行う。つまりは今までとは逆だ。それで倒せることに掛ける」


「ラルフ、その名刀がどれだけ耐えられるかわからないが、いいか?」


「拙者はこの刀を信じるでござるよ」


 ルッツの問いにラルフは力強く答えた。


「わかった」


 装備を整えて外に出たルッツたちが見たのは地獄だった。視界の至る所から火の手が上がっていた。

 これは中世から近世にかけて魔女狩りで火炙りにされた者たちの復讐か?


「あ……ああ、美しきベアレンシャンツェの街並みが……」


 ルッツは嘆く。

 『魔女』の居場所はすぐにわかった。ヴィクトリアとハンスが検知できるからである。

 もっとも、そんなことしなくてもあれだけ派手にやらかしているのだ、わからない方が難しい。


「よし……突撃っ!」


 ルッツの掛け声とともに隊員たちが動き始める。

 ヴィクトリアは走りながら短機関銃サブマシンガンで攻撃する。

 しかし、『炎熱の盾』を持つ『魔女』には通用しない。


「やはり、これでは駄目か。重機関銃なら通用したのか……?」


 重機関銃は生憎調達できなかったのだ。せっかくヴィクトリアがいるのに。

 逆に『魔女』は火炎弾で反撃するが、ヴィクトリアはこれを華麗に躱していく。

 周囲の気温がすごいことになっているが、ヴィクトリアは人間よりは熱に強いらしい。


 一方、建物の屋根に登ったマリーが対戦車銃を構える。

 対戦車銃――名前の通り、戦車の装甲を貫通させるために作られた小銃ライフルであり、生身の人間に対して使用するようなものではない。だがもしもがいたら――。


「さて、いきますよ。あまり使いたくない技ですが――鬼神法!」


 ハンスの周りにゆらゆらと光が現れた。

 鬼神法――簡単に言ってしまえば無理をして一時的に本来より高い能力を得る技術である。

 健康に悪いので用量・用法をよく守って、なるべくお使いにならないようにしてください――。


 おそらく『魔女』にも【チー】を感知する能力はあるのだろう。

 危険を察知したのか、優先度を変更したらしく、ハンスに向かって炎弾を放つ。


「破っ!」


 ハンスが飛んでくる炎弾に向かって掌を突き出すと光の波紋のようなものが現れ、それに触れた炎弾は拡散して消滅した。


「今度はこっちからいきますよ……!」


 ハンスは一気に『魔女』との距離を詰めると魔女に向かって掌を突き出した。対する『魔女』も同様の動作を行い、二人は見えない何かを介して押し合う形となった。


「ぬぬぬ、負けませんよ!」


 必死の表情を浮かべるハンスに対して、さすが機械人形、『魔女』の表情は涼し気だ。もっとも、力が拮抗しているということは『魔女』の方も全力なのだろう。


「うぉおおおおおおおお」


「……」


 雄叫びを上げるハンスに対して、『魔女』は無言だ。


「……村の仇!」


 機会を伺っていたマリーが引き金を引く。銃口から銃弾が発射される。この銃弾の弾頭には極めて高い耐熱性を持つ金属であるタングステンを用いている。


 【チー】の勝負に力を費やしていた『魔女』は対処ができずに頭部に命中した!

 しかし、それでもよろめかせるだけで、致命的なダメージを与えることはできなかったようだ。


「あいつの身体は装甲かよ!」


 ルッツはもはや呆れるしかなかった。


「でやああああ!」


 今の一撃で直接的に大きなダメージを与えることはできなかった。

 しかし、大きな隙きを作ることはできた。

 その結果、『魔女』はハンスとの【チー】の勝負に押し負け吹っ飛んだのである!


「今です、ラルフさんっ!」


「この瞬間ときを待っていたでござる!」


 『魔女』にラルフが疾風の如く接近し、すれ違いざまに一閃!


「流し斬りが完全に入ったでござる!」


 地面に落ちた『魔女』はそのまま二つに分裂した――。

 身体の中はやはり人間ではなかったようだ。


「……やったでござる」


 『魔女』の残骸を見つめるラルフ。

 しかし、その残骸はバチバチとスパークをはじめて――爆散した――。


「危ないっ!」


 近くにいたラルフは軽症だった。いち早くハンスが異変に気が付き、守ったからである。


「大丈夫かー?」


 ルッツたちが集まってくる。


「大丈夫――と言いたいところですが、無理をした反動でもう動けません。帰りは運んでください」


「まーた、私の出番ですかー?」


「急ぎでもないし、たまには俺がやろう」


「そうですかー」


「いえ、せっかくですからヴィクトリアさんに……」


「まぁ、そう遠慮するなよ!」


 と、ルッツは強引にハンスを背負って歩きだす。


「ハンス殿のお陰で助かり申した」


「今のはかなり驚いたぞ」


「拙者も焦ったでござる」


「とりあえず、何とかなったな……刀の方はどうだ?」


「全く問題がないでござる」


 ラルフは刀を抜いて美しく煌く刃を見せる。


「相手は対戦車銃を食らっても砕けたり貫通したりしない強度だったぞ? もはやその刀の方が得体が知れないな」


「あの瞬間、今までで一番自分の力量を出せた気がするでござる」


 ルッツは少し優しい声で、


「そうか、よかったな」


 背中のハンスは逆に皮肉っぽい声で、


「案外、機械人形用かもしれませんよ? 機械人形が持って敵の機械人形を斬るんです」


「超高性能アンドロイドを作れる技術力なのに一周回って原始的なんだな」


「弾切れはしなさそうですけどね」


「さて、そんなにゆっくりしていられない。ちょっと休んだらすぐ収容所へ行くぞ。まだまだ多くの同胞が囚われている」


 亡霊部隊の活躍で、多くのレジスタンスメンバーが助けられた。

 例のアジトは念のために引っ越したらしい。

 まぁ、よくあることだ。


    *


 いよいよ、西方同盟軍はベアレンシャンツの目前まで到達した。

 しかし、アルテニア軍もリヒトニア最大の要所を失うまいと、強固な防衛線を構築していた。

 

 追い込まれたアルテニア軍は、ベアレンシャンツェの市民たちに武力を誇示するために大規模な軍事パレードを繰り返すようになった。しかし、市民たちの顔にうかんだのは冷笑だった。


 ここは爆音鳴り響く最前線――。

 自由リヒトニア軍の第三歩兵師団は自分たちの首都を目前にして必死の攻勢をかけていた。

 しかし、丘の上に敵の砲兵隊が陣取っており、苦戦を強いられていたのだ。


「ダメだ、一旦引くぞ!」


 隊長の号令で中隊は引いていく。


「また、だめなのか……」


「首都は眼前なのに……」


「対戦車壕も充実してやがる。短い期間によくやるもんだ」


「どこか他の場所で穴が開けばなー」


「その『他の場所』のやつらも同じこと考えてるぜ!」


「ハァ……」


 大きなため息が出る。


「司令部から通信が入った。すぐに再攻撃の準備をしろだとよ」


「司令部も無茶いうなぁ」


「状況がよくわかっていないのでは?」


「いや、なんか特殊部隊が大砲を無力化してくれるらしいぞ」


「え? 具体的にはどうやるのですか?」


 どうすれば、あの丘の上を制圧できるというのか――ここの誰もが知りたい答えを持っているというのか?


「わからん。どちらにせよ、俺たちは命令された以上行くしかない」


「やれやれ、信じるしかなさそうですね」


 問題の砲兵隊陣地の近く――。


「あれが問題の砲兵隊陣地でござるか」


 ハンスはとある砲台を指差し、


「あの一際大きくて戦車のような履帯が付いているのが問題のアレでしょうか?」


「そうだな。二百ミリメートル榴弾砲だ。二十キロメートル近く届くぞ。砲兵大国アルテニアの象徴だな」


 ルッツが解説する。


「ひぇ~、一般的な野砲の倍ですね」


「仮に同等のものを用意しても、地形の関係で負けるな」


「よくある車輪じゃなくて、履帯のようなものが付いていますね」


「おそらく、車輪では自重や反動に耐えられないのだろう」


「なるほど」


 なお、動力エンジンを備えていないので移動に関しては自動車などで牽引する必要がある模様。


「まぁ、ここまで近づいてしまえば恐るるに足りず! 行くぞ!」


「「了解ヤー!」」


〈敵の奇襲だ!〉


〈慌てるな、数は少ないぞ!〉


 しかし、アルテニア兵たちはすぐに襲撃者たちの恐るべき戦闘力を知ることになる。

 ここに陣取ってる部隊は高所の利点を活かして遠くの敵を倒すことに特化している。

 もしこっそり接近できたとしてもそれは少数の兵力しかいない――その考えは正しかったが、まさか超人が攻めてくることは考えてなかった。

 いや、仮に考えていたとしても、長い戦線のここだけ防御を厚くするわけにはいかない。

 やはり特殊部隊は――亡霊部隊は強力なのだ。


〈そんな馬鹿な!〉


〈まさか噂の亡霊――ぐわっ〉


〈畜生っ!〉


「よし、片付いたな」


 敵を殲滅した後、ルッツは予定通り信号弾を上げた。


「あれが合図だ! 進軍開始!」


「敵が全く攻撃してこないぞ……」


 到着した中隊の人々が見たのは、たくさんのアルテニア兵の死体と無傷の野戦砲の数々だった。


「えっ? 何だこれは……」


「とりあえず、目標制圧完了だな……。司令部に報告だ」


 亡霊部隊は防衛の要所を次々と襲撃していった。

 防衛線に穴を開けられたアルテニア軍はそれをきっかけに後退せざるを得なくなった――。


    *


 ベアレンシャンツェでは警察、郵便、その他インフラなどにおいてストライキが発生し、一般市民の生活にも悪影響が出始めていた。

 そして、その日は来た。

 武器を持った男たちが、続々と警察署前に集まっていた。

 彼らはストライキをしていた警官たちである。


「我々は警察署を占拠する!」


「「うおおおおおおお!」」


 そう、ついにレジスタンスたちは最後の大勝負に出たのだ!

 一斉蜂起である!


 レジスタンスたちはベアレンシャンツェのあらゆる公共建築物を占拠した。

 そして、次々とアルテニアの将兵や軍用車に対して攻撃をはじめた。

 しかし、状況はレジスタンスたちが不利だった。

 ある役所の前には、アルテニア軍の戦車隊が現れた。


「戦車が来たぞ!」


「嘘だろ?」


「投降しろ! さもないと建物ごと吹っ飛ばすぞ!」


 拡声器を持ったアルテニア軍の将校が叫ぶ。

 それに対して、レジスタンスたちは機関銃の掃射で応えた。


〈撃て!〉


 轟音とともに、建物の壁に大きな穴が空いた。


「今のはほんの挨拶代わりだ。早く投降しないと次々撃ち込むぞ!」


「畜生! せっかくここまで準備したのに!」


「早く西方同盟軍が来てくれることを祈るしかないのか……」


〈では、仕方ない。建物ごと吹き飛ばしてやる! 戦車隊、一斉砲撃!〉


 しかし、砲撃は起こらない。

 なぜなら、この役所前に集まった戦車はすべてバラバラになっていたからだ。


「さーて、一足先に帰ってきたぜ!」


 亡霊部隊は通常部隊に先行してにベアレンシャンツェに潜入し、レジスタンスの援護をはじめていたのだのだ。


「リヒトニア軍が来たぞおおお!」


 ついに、自由リヒトニア軍の機甲師団が敵の防衛線を突破し、ベアレンシャンツェに到着したのだ。

 彼らは市民から熱狂をもって迎えられた。街中の鐘が鳴り響き、この報せを伝えた。


「緊急速報です。西方同盟軍がベアレンシャンツェに到着しました! 繰り返します! 西方同盟軍がベアレンシャンツェに到着しました!」


 ラジオを通してこのニュースは遠方にも伝えられた。

 この時点でまだベアレンシャンツェには二万人のアルテニア軍の将兵がいたが、降伏は時間の問題だった。

 一九四二年八月二十五日、リヒトニア首都はアルテニアから解放されたのだ。


 首都奪還というのは精神的にも影響が大きく、西方同盟軍の将兵たちは各々楽しんでいた。


「おーっし、隊員諸君! 美味そうなものをもらってきた。何か歩いているだけでいろいろ貰えたぞ」


 市民たちの歓迎ぶりは凄まじく、貴重な物資を惜しげもなく解放の英雄たちにプレゼントしているのだ。

 ルッツとヴィクトリアは亡霊部隊のテントに麦酒ビール葡萄酒ヴァイン、その他食べ物を運んできた。


「ところで、マリーさんがいませんけどー?」


 ヴィクトリアがあたりを見渡す。


「なんか、買い物に行くと言ってたぞ」


「言ってる側から戻ってきたでござる」


 マリーは葡萄酒の瓶を抱えてやってきた。


「……これを飲んで欲しい」


 といつも通り異常に簡潔に言うマリー。


「ん? 葡萄酒ならここにあるぞ。それとも、こだわりの銘柄なのか?」


 とルッツは軽口を言ったが、マリーの表情を見て、彼も少し真剣な顔つきになった。


「これは……私の村で作られたもの。私も何度か手伝ったことがある」


「……そうか、ではいただくとしよう」


 マリーの村は焼き払われてしまった。今後、この葡萄酒が製造されることはない――。

 もはや、取り戻せないものも多い。だからこそ、取り戻せるものは取り戻せなくてはならない。

 ベアレンシャンツェは取り戻した。リヒトニア全土もきっと取り戻してみせる。

 ルッツたちはさらに続く戦いへの決意を新たにしながらグラスの中身を飲み干した。

 さすがにヴィクトルには与えられなかった……。

 犬はアルコールを分解できないため、その致死量は体重一キログロムあたり、およそ六ミリリットルである。


「なぁ、マリー」


「……何?」


 こんなときでもマリーは銃の手入れに余念がない。


「この戦争が終わったらどうするんだ?」


「また、ヴィクトルと狩りをして暮らす……」


「そうか。それはとてもおまえらしいが、軍人を続けてみないか? 戦争の種は尽きないぞ」


「……考えとく」


「あー、またマイスターが人をいけない道に引きずり込もうとしてるぅ~」


「は? 軍人は素晴らしいぞ! こうやって首都も取り戻せたしな!」


「奪ったのも軍人じゃないですかー!」


「そりゃ、政治が悪い! 社会が悪い!」

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