―113― 救出(3)~囚われの船~

――もう陽が沈む頃だろうか……いったいどうなったんだ?


 エマヌエーレ国の貴族パウロ・リッチ・ゴッティは、”自分の船”の一室にある柱に後ろ手で縛られたままであった。彼は自分の意志で飢えや渇き、排泄欲を満たすこともできず、ただ海賊どもに荒らしつくされた不潔で禍々しいこの空間で耳を澄ませ息を潜めているしかなかった。

 ゴッティ自身も海賊に散々痛めつけられていたが、(海賊どもの話では無事である)妻や娘たちがどれほどに恐ろしい思いをしているであろうかも考えずにいられなかった。



 ついに今日、悪名高きペイン海賊団はアドリアナ王国直属の船を襲撃した。

 この船ではない別の船の甲板を震わせていた男たちの声は――船を守らんとする男たちと奪おうとする男たちの咆哮のごとき声は、なんとゴッティが監禁されているこの部屋にまで聞こえてきていた。

 

 しかし、おそらく日が沈みゆく頃であろう今は、男たちの争いの声は一切聞こえてはこない。

 戦いは終幕を迎えたに違いない。

 ペイン海賊団 vs アドリアナ王国兵士軍団。

 いったい、どちらが勝ったのであろうか?

 神は、悪と正義のどちらに引導を渡したのであろうか?

 

 

 人を殺したいほど憎むことなど今までの人生ではなかったゴッティであるが、ペイン海賊団構成員たちについては――とりわけ凶悪で残虐性の高いあのジムとルイージという名の2人の海賊については、”アドリアナ王国の正義の刃”によって、屍となっていることを心より願わずにはいられなかった。

 だが、ジムいわく「このペイン海賊団から逃げきれた船は、”今まで”一隻もいねえんだよ」と。奴らの戦闘能力(獲物を殺害する能力)は自他ともに認めるものであるのは事実だ。


 アドリアナ王国兵士軍団は、ペイン海賊団の血塗られた刃に屈してしまったのであろうか?

 もともと優れた身体能力の持ち主であるうえに最高峰の訓練を受けている者たちが集結しているであろうアドリアナ王国兵士軍団ですらも、負け知らずのペイン海賊団に打ち勝つことはできなかったのであろうか?


 だが、仮にそうだとするとゴッディは違和感を抱かずにはいられなかった。

 ペイン海賊団側が勝利したにしては、この囚われの船内はあまりにも静か過ぎはしないか、と。


 ジムとルイージの性格上、自分たちペイン海賊団が今回も見事勝利したとなれば、ゴッティをさらなる「絶望」と「恐怖」へと落とし込むため、得意気にこの部屋へとやって来そうなものであるのに……

 それに、外道揃いの凶悪な海賊団の一員にはとても見えない風貌うえ、ジムたちに肉を削がれる直前であったゴッティを救ってくれた天使のごときランディーという名の少年もこの部屋に姿を見せることはない。

 と、いうことは…………!



 だが、その時であった。

 閉じられた部屋の扉の外から聞こえてきた足音に、ゴッティはビクッと身を震わせた。

 誰かがこの部屋へと向かってきている。

 いや、”誰か”じゃない。”誰かたち”だ。

 その複数の足音と話し声が、柱に縛り付けられたまま逃げることなどできないゴッティの鼓膜だけでなく、魂をも震わせる。

 「希望」と「絶望」が表裏一体となり、ゴッティの心臓を激しく揺さぶり続ける。

 扉が開かれた時、ゴッティへと突き付けられるのは「希望」であるのか「絶望」であるのか?



 そして、ついに――扉は開かれた。



 この部屋へと足を踏み入れたのは、3人の若い男であった。

 剣を手に身構えていた男たちであったが、部屋の柱に縛り付けられているゴッティの姿を見て、彼ら全員とも瞬時に血相を変え、ゴッティへと駆け寄った。

 そう、ゴッティを”救出する”ために。


 ペイン海賊団構成員が、人質であるゴッディを救出し解放しようとするわけがない。

 いや、彼らの行動だけでなく、彼ら3人ともどう見ても海賊になど到底見えない風貌であったのだから。


 3人のアドリアナ王国の兵士。

 彼らの髪の色や瞳の色、顔立ち、雰囲気などは、三者三様であった。


 人質となり心身ともに相当に弱っているゴッティであったが、3人の男のうちで一番年長だと思われる”燃えるような赤毛と情熱的なこげ茶色の瞳のまるで彫刻のごとき美貌と艶やかな雰囲気”の兵士には、ハッと目を奪われてしまった。

 また、”褐色の肌に鳶色の髪と鳶色の瞳で穏やかな顔立ち”の兵士は、”滅多に見ないほどに素晴らしい筋肉隆々の肉体”をしていることが服越しにも見て取れた。

 そして、”やや小麦色の肌にグレーの髪にグレーの瞳”の兵士は、顔つきも体つきも引き締まっており、彼の”研ぎ澄まされた稀有な存在感”も初対面でありながら、ゴッティは感じずにはいられなかった。



 ゴッティからすると名を知らぬ3人の兵士たちである、ヴィンセント、トレヴァー、フレディは手際よく、ゴッティの戒めをといた。

 柱から解放されたゴッティであったが、すぐに歩き出すことなどできるわけもなく、ふらついた。トレヴァーが慌てて、前のめりに倒れ込む寸前であっゴッティの体をその頑強な肉体で支え、彼が持っていた水をゴッティに優しく含ませるように飲ませた。


「今よりすぐに私たちの……アドリアナ王国の船へと保護いたしますので、どうかご安心ください」とヴィンセントが言う。


 彼の言葉を聞いたゴッティは潤したばかりの口を開いた。

「アドリアナ王国の船……! アドリアナ王国の……!」

 ゴッティは今の現実を――今、自分の目の前にいる”3人のアドリアナ王国の兵士”の姿は夢ではないことを確認するかように、言葉を反芻してしまっていた。

 アドリアナ王国兵士軍団が、ペイン海賊団を見事に討伐した!

 ペイン海賊団を打ち負かしたのは、目の前にいる彼ら3人だけじゃないだろう。それに戦い抜いて散った者たちも、彼らの仲間にはいるに違いない。

 犠牲のうえに勝利がある。けれども正義は勝ったのだ。

 表裏一体となり、ゴッティの心臓を激しく揺さぶり続けた「希望」と「絶望」であるが、今こうして「希望」がはっきりと明示されたのだ。

 彼ら3人が”希望の光”をこの部屋と運んできてくれた。



 そして――

「わ……わわ私の妻は、娘は……今どこに?」

 どもりながらもゴッティは彼らに問う。目じりにはすでに涙が滲みだしていた。

 自分がこうして助けられたということは、妻や娘たちも無事に助けられているはずだ。彼女たちの元には、また別の兵士たちが”希望の光”を届けているに違いないであろうから……


「奥様とお嬢様らしき方は、別の兵士たちが保護し先に私たちの船へとお連れしました。幾人かの侍女の方々も一緒に……全員とも”外傷はない”とのことです」

 ヴィンセントが再び答える。


 ヴィンセントの答えを聞いた、ゴッティの瞳からはついに涙が溢れ出した。

 その場に崩れ落ちるように座り込んだゴッティは、顔を覆って泣いた。

 いい年の大人が人前で、それも自分の子供に近いような年齢の男たちの前で泣くなど、普段のゴッティなら恥ずかしく思っただろう。

 だが、この時ばかりはゴッティも溢れる涙をこらえることはできなかった。

 妻や娘たちを失うことにはならなかったという奇跡に、そしてもうすぐ彼女たちをこの腕の中に抱きしめられるという喜びに、瞳から大粒の涙を流し、肩を震わせて泣かずにはいられなかった。


「……ありがとう……本当にありがとう……」

 鼻を啜り、肩を震わせ続けるゴッティ。

 

 涙をぬぐったゴッティはトレヴァー、ヴィンセント、フレディを見上げた。

「こ、この船の中で……私以外に生きて保護された男はいただろうか? その……」

 自ら彼らに問うたにもかかわらず、ゴッティは口ごもってしまった。

 自分の従者たちの生存にわずかな希望を抱きたかったが、この船にもともと乗っていた自分以外の”男”は、全員皆殺しとなっているはずである。自分は”例外的に”殺されなかっただけなのだ。


 顔を見合わせたトレヴァー、ヴィンセント、フレディ。

「私たちの仲間が今、この船内を調査中でございます。生存者がいた場合は、私たちの船へとすぐに保護する手配をとっております」と、ヴィンセントが伝えた。

 彼らもゴッティの心の内は分かっていたが、今のゴッティに”分かり切った事実”を告げるのは酷であると思った。





 トレヴァー、ヴィンセント、フレディは、ルークやディラン、ヒンドリー隊長や他の兵士たちとともに、この”囚われの船”に救出と調査のために足を踏み入れた。

 エマヌエーレ国の貴族が所有しているこの船の内部は、仁義も容赦も何もない殺戮集団「ペイン海賊団」の血塗られた手に引っ掻き回され、荒らされ尽くされていた。

 海賊たちがたらふく飲み食いした食料や酒の残骸だけじゃない。

 船内の甲板や壁や廊下など至るところに哀れな犠牲者たちのものらしき血が飛び散り、こびりついていた。

 だが、とうの犠牲者たちの遺体そのものはなかった。

 おそらく海賊たちは、”(遺体が)腐っちまう”と海へとゴミのように投げ捨てたのだろう。遺体そのものはなかったが、”指の一部や眼球”など惨たらしい殺戮の残骸は、トレヴァーたちも目にしていた。

 正直、よくこの船の中で、あいつら(ペイン海賊団の奴ら)は、たらふく飲み食いができたものだと思わずにはいられなかった。


 フランシス一味の乗る”神人の船”が神人の骨とともに風をきり、青空を進みゆくのだとしたら、この”囚われの船”は犠牲者の血と無念を船へと染み込ませ、青く美しい海を進み獲物が乗った船を追い上げていたのであろう。


 そして――

 もともと身なりも良く、顔立ちもなかなかに整ったナイスミドルであったに違いない、この囚われの貴族男性(ゴッティ)は、会話こそ困難になっていないものの、目は落ち窪みゲッソリとやつれ、痣や血の跡が彼の監禁生活の凄まじさを物語っていた。

 自分たちが彼を助け出すのがあと数日遅れていたら、間違いなく限界を迎え、会話すらできない状態になっていたであろう。

 おそらく数週間の監禁生活において、男性が受けた”心的外傷”も従者たちを無惨に失った悲しみもこれから一生涯消えることはないであろうと……

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