―109― ダニエル vs レナート(3)

 物語の時は、またしても巻き戻される。

 何度も何度も至るところで時間が巻き戻されるも、船にいる者は皆、それぞれ戦っているのだから仕方ない。

 次なる物語の焦点として定められし者は、河瀬レイナであった。


 今より、ほんの数カ月前の冬に、この世界へといざなわれた15歳の少女の魂。

 至って真っ当な心根と常識の持ち主であるも、武力いう点では、抜きんでているはずもなく、やや頼りない少女。


 彼女は――いや、彼女たちは、男たちの鬨の聲で燃え滾る船の下方の隠し部屋にて身を潜めていた。

 船を守らんとする男たちと奪おうとする男たちの咆哮のごとき声が上から聞こえてくる。死神に魅入られし船を揺らし、彼女たちの鼓膜をも震わせ続ける。

 そして、何より今、ダニエル・コーディ・ホワイトが自ら自分たちの囮となり、死神に――何人いるかも定かでない侵入者たちにたった一人で対峙しているのだ。


 息を潜め、祈ることしか自分たちにはできない。

 

 潮の匂いに満ちた”暗黒の世界”のなか、レイナは隣のジェニーと身を寄せ合い、手を握り合う。


――ダニエルさん……


 レイナの手の震えがジェニーに伝わり、ジェニーの手の震えがレイナに伝わってきた。

 言葉を交わすことはできない今の状況であるが、彼女たちの脳裏には”最悪の事態”が自分たちの思いに反し、描かれてしまっていた。


 血の海のなか、苦悶の表情で事切れているダニエル。

 彼のただでさえ透けるように白い肌は、まるで人形のごとく白くなり、ついに”死者となってしまったダニエル”という、最悪の事態。


 決して、ダニエルを馬鹿にしているわけではないが、彼がたった1人で侵入者たちに、武力で立ち向かって勝てる可能性は極めて低いであろう。ダニエル自身もそれは理解しているはずだ。


 フランシスが残した嫌な台詞(置き土産)もが蘇ってくる。

 首都シャノンの城に不法侵入してきた、あいつはこんな予言を伝えてきた。

 希望の光を運ぶ者たち7人のうち、3人が今から5年後にこの世で生を紡いでる姿が見えないということを”聞いた”と……

 まさか、その3人のうちの1人は……!!!



――お願い、神様……ダニエルさんを助けて。この船にいるすべての人を守って……!!



 魔力というより”暴力”の波がこの船に押し寄せ、今にも飲み込まんとしている。

 その時、レイナの肉体がドクンと熱く脈打った。”決して不快ではない眩暈と耳鳴り”までをも、レイナは”既視感とともに”感じた。

 その眩暈と耳鳴りのなか、神への助けを求めるレイナの脳裏に再生されたのは、この世を守る大いなる存在となったアンバー・ミーガン・オスティーンの姿であった。


――アンバーさん……


 しかし、ここにはいない彼女の名を呼んだその時、レイナの体内を満たしていた眩暈と耳鳴りが強くなった。

 ドクン。

 心臓がより強く脈打った。魂がより強く震えた。

 これは、恐怖による震えなどではない。

 自分が”何か”と繋がろうとしている高揚した震えだ。


 そして、レイナの魂には”またしても”直接、声が響いてきた。

 この部屋にいないはずの者の声が。

 自分が助けを求めていたアンバーの声ではない。でも、レイナはこの声の主を知っていた。


――心配しないで。ダニエルがここで命を落とすことはありません。


「!!!」


 レイナの魂に響いてきたのは、”前にも魂に直接語りかけてきたヴィンセントの声”であった。

 いや、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーは今、甲板にてルークたちとともに戦っているはずである。

 やはり、ミザリーとも話した通り、これはヴィンセントの声のようにしか思えないが、ヴィンセント本人の声ではないのだ。

 

 誰かが――例えば悪しき力を持つ魔導士などが、ヴィンセントのふりをして、自分をたばかろうとしている可能性だってあると、レイナは考える。けれども、響いてきたこの声が、ヴィンセントに非常に似ているという理由だけではなく、信頼に値するように”感じる”のだ。

 声の主のあたたかな思いが自分の中へと深く流れ込んできている。レイナは感じる。自分はこの声の主と確かにつながっていることを。


 この声の主に聞きたいことは、声の主自身の正体を含めてたくさんある。けれども、悠長に1つ1つ問いかけて、回答をもらっている時間などはない。

 今、一番、問わなければならないことは――



――ダ、ダニエルさんは、無事であるということですか?


――ええ、彼は彼の戦い方で、侵入者へと立ち向かっています。


 やはり聞き覚えのある優しいテノールがレイナへと響いてきた。

 そして、レイナは気づく。

 この声の主は、”侵入者たち”ではなく、”侵入者”と単数形で表現したことに。

 侵入者は一人であるということか。


 ゴクリと唾を飲み込むレイナ。


――わ、わ、私、あなたに聞きたいことがたくさんあります。でも、私は今、何よりもダニエルさんを助けに行きたいんです……っ……あなたには不思議な力があって、私を導こうとしているなら、一つだけ教えてください。私がこの隠し部屋から出ることは、ダニエルさんにとって、是か非かを……!


 ダニエルを助けに行きたい。

 自分たちを守ろうとしてくれている勇敢で優しい彼が、たった一人で死神の刃の前に身を投じたのだ。

 しかし、自分には何の力もない。自分が外に出ることで、侵入者と必死で戦っているであろうダニエルの足を引っ張ることになるであろう。けれども……!



――……彼を助けに行きたいのですね。分かりました。あなたの勇気に応え、お伝えしましょう。”今の状況なら”それは彼にとって”是”となります。



「!!!」


 ”是”であると!

 しかし、声の主はこうも伝えてきている。”今の状況なら”と。

 ダニエルが今、どういう状況にあるのかは分からないが、”今なら”ダニエルを助けに行っても事態は暗転しないということか。

 ここで息を潜めたままでなどいられない――!


――ありがとうございます。私、ダニエルさんを助けに行きます。


 唇をギュっと結んだレイナは、濃く長い睫毛を震わせ、声の主への礼を律儀に伝えた。

 そして、彼女は――


「わ、私……ダニエルさんを助けにいきます」


「えっ?」

 レイナの声――決意に、隣のジェニーだけでなく、ともに息を潜めていた侍女長たちも驚かざるを得なかった。


「一体、どうしちまったんだい。私たち女はここにいなきゃ……ホワイトさんの思いを無駄にする気かい?」

 暗い部屋のなか、声を潜めながら侍女長がレイナを諌めた。侍女長の声に、周りの者たちも同意し、頷いたらしかった。


「お願いしますっ……行かせてください。時間がないんです。私がこの隠し部屋を出たら、すぐにダニエルさんがしてくれているように、絨毯を直しますっ……だから……っ」


「レイナ、少し落ち着いて」

 ジェニーが今にも立ち上がらんとしているレイナの両肩に手を置いた。


「声を……声を聞いたんですっ……いいえ、例え声を聞いてなくても、私はダニエルさんを助けに行きたい……今なら、まだ……」

 レイナの口から紡ぎ出される声が、うわずり、震えていた。

 暗い隠し部屋の中、皆の表情は分からない。しかし、レイナは自分を諌め、”憐れむ”ような視線が突き刺さってきているのを感じた。


 自分が外に出ることで、この隠し部屋にいる皆が見つかってしまう可能性だってある。ダニエルの思いと行動を無駄にし、皆の命をも危険にさらす行動に出ようとしていること。

 それに加えて、魔導士でもないのに”声が聞こえた”などと狂人じみたことまで口走るとは……!

 船が襲撃されてしまったという恐怖、死と表裏一体となっているストレス、そして、ダニエル・コーディ・ホワイトを自分たち女の囮にしてしまったという罪悪感によって、ついにレイナ・アン・リバーフォローズは”壊れて”しまったのではと……



 けれども、1人だけレイナの手を握ってくれた者がいた。


「……分かったよ、レイナ。私も一緒に行く」

 ジェニーだ。


 女たちの中で抜きん出て年若い2人が外に出る――つまりは彼女たちが見せた戦闘意志に、他の女たちは真っ暗な部屋で”息を潜めながら”もどよめいた。


「レイナ1人で行かせられないよ。ダニエルさんだけじゃない。上ではおじいちゃんやルークさんたちもきっと戦ってる……だから、私も……」

 ジェニーはレイナの手をより強く握った。その手は、レイナと同じく震えていた。

 しかし、彼女たちはその震える手を繋ぎ合ったまま、立ち上がった。


「あんたら……!」

 侍女長のその声は、命知らずの勝手な行動に怒っているようでもあり、2人の若い娘が自らの命を投げ打つことになっても戦うことに感服したようでもあった。


 そのうえ、その時――


「えっ?!」

「あ……?!」


 レイナ以外の者たちが皆、何かに驚いたようであった。

 もちろん、レイナの隣にいるジェニーもだ。


「……ヴィンセントさん? ヴィンセントさんの声が聞こえてきたわ」とジェニー。

「ええ、私にも聞こえたわ。この声って……あのスクリムジョーさんの声よね」と侍女の1人。

「……そうだよ。この声はきっと、あの超色男の声に間違いないさ。でも、今、上(甲板)にいるはずじゃ……!」と侍女長。


 今度はレイナは何も聞こえてこなかったが、レイナ以外の全員が、ヴィンセントと瓜二つとしか思えない声を各々の魂で聞いているらしかったのだ。


「”この船は守られる”? それと”自分はヴィンセントではない”って……?」

 彼女たちの魂へと語り掛けてきた声の主が伝えてきたことを、侍女長が親切にも(?)反芻してくれた。



 そして、声の主は、次はレイナの魂にだけ語り掛けてきたのだ。


――レイナ……たった1人に私の声を届けるのと、ここにいる皆が私の声を届けるのとでは、大きく流れが違ってきますね。今より数刻後、私は海中において、”私の兄といえる”ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーと、雄々しき兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーを救うこととなるはずです。その時も、今のように周りの者にも私の声を……


「!?!」


――この声の主は、ヴィンセントさんの弟ということ? 確か、ヴィンセントさんは”木のゆりかごに乗せられた状態で海岸へと打ち上げられて、養父である教師に拾われて……それに、海中において、ヴィンセントさんと兵士隊長さんを救うことになると……まさか2人が海に落とされることにでもなるというの……! そして、このヴィンセントさんの弟は海の中に住んでいるとでも……?!


 今から戦闘に向かうという緊張と恐怖に包まれていたレイナの全身の毛穴から、ドッと汗が噴き出た。

 何がなんだか分からないし、船内だけでなくルークたちがいる甲板もやはり相当に危険な状態になっているのだろう。


 いや、ここで立ち止まって考えるよりも、今は――!


「あ、ありがとうございます。今から上へと向かいます」

 今度は心の中ではなく、レイナは直接、声に出して礼を伝えた。

 ジェニーとともにダニエルを助けに行く。

 今の状況なら、まだ、ダニエルへの助けは間に合うのだから。


 互いに手を握りしめ、頷きあったレイナとジェニーは梯子へと向かう。

 その彼女たちの背中に――


「待ちな! 私らも行くよ」

 侍女長たちだ。

 彼女たちも一緒に上に来てくれるというのだ。


「え、でも……っ」

 レイナとジェニーの驚きがハモる。

「”でも”じゃないよ! あんたらみたいな若くてか弱い娘たち2人だけで行くなんて、危険極まりないよ。どんな奴らがこの船を襲ってきたのか知らないけど、”木を隠すなら森の中”っていうだろ」

 侍女長が言う。


 木(レイナとジェニー)を隠すなら、森(侍女長たち)の中と……

 なんか違うような気もするが、これも侍女長なりの気遣いであるのだろう。


「さあ、行くよ!」

 皆を鼓舞する侍女長の掛け声に、他の者たちも頷いた。


 レイナが先陣を切らんがごとく、ダニエルがいる上へと続く梯に手と足をかけた。

 手も足も震えていた。けれども、レイナは上へと向かう。

 ダニエルを救わんために。

 自らも戦うために。

 魂へと響いてきた不思議な声、そして自分とともに上へと向かってくれるジェニーと侍女長たちの思いに、その背を後押しされ……



 身体能力も戦闘経験も差があり過ぎるダニエル vs レナートの戦いが繰り広げられている現場へと向かうレイナたち。

 なお、レイナは先ほど自分だけに響いてきたヴィンセントの弟の”最後の言葉”をスルーしてしまっていたが、彼はこう言っていた。


――私は海中において、”私の兄といえる”ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーと、雄々しき兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーを救うこととなるはずです。その時も、今のように周りの者にも私の声を……


 ”その時も、今のように周りの者にも私の声を……”。

 そう、レイナが直接、その場面を見ることはないが、今より数刻後、甲板には不気味で巨大な黄金の瞳付きの手が出現する。

 そのオカルトな手は、ヴィンセントとパトリックを海へとはたき落とす。

 彼ら2人を助けんと、何人かの兵士が海へと飛び込もうとする。

 そのうちの1人が、”希望の光を運ぶ者たち”のフレデリック・ジーン・ロゴだ。

 ヴィンセントの弟は、フレディだけでなく、彼とともに船べりへと立った他の兵士たち――水泳大得意の兵士イライジャ・ダリル・フィッシュバーンなどにも、自らの声を届け、彼らの身をこれ以上の危険に晒すことを防ごうとしてくれるのだ。

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