―108― ダニエル vs レナート(2)

――おいおい、”今日も”初っ端から楽勝ってとこかよ。


 両手の磨き抜かれた鋭い鉤爪をこれでもかと光らせていたレナートは、本日の第一の獲物である”ヒョロヒョロ野郎”を見て、思わずブハッと吹き出しそうになった。


 彼らの――ダニエルとレナートの間には、まだ距離があった。

 レナートが遠目から見ても、自分より獲物であるダニエルの方が上背があるのも分かった。しかし、筋肉の発達具合(特に三角筋と上腕三頭筋の筋肉)については、どう見てもレナートに軍配があがり、骨ばった軟弱な肩をしているダニエルなど話にならない。


 そのうえ、侵入者である自分の姿に、”ビッックゥゥッ!”と飛びあがるほどにビビっているうえ、役立たずの棒切れでしかないであろう箒を両手で握りしめ、へっぴり腰で身構えているダニエルが戦闘馴れしていないことも、レナートは一目で見て取れた。


――今日の俺の鉤爪のお食事第一号は、肩慣らしってとこだな。ルイージがバルコニーにいた、航海士っぽいおっさんをサクッと殺(や)ったように、俺もあの女みてえに白い肌をしたヒョロヒョロ野郎をサクッと肩慣らしに殺(や)るとするか。透けるような白い肌の女には用はあるけど、透けるような白い肌の野郎になんて用はねえしよ。


 レナートの足元の床がギッと音を立てた。

 勝利が確実に約束されている&数秒でその勝利を実感できるであろう戦闘に今から臨むレナートは、両腕の鉤爪をダニエルへの威嚇のごとく、ガシャンとわざと音を立てて、体の両横で光らせた。

 まさに物語の悪役(ヒール)ごとき、そのレナートの動作は第三者から見ればやけにカッコよいものであった。

 しかし、今まさにレナートと奴の鉤爪に狙いを定められた当事者であるダニエルにとっては、死神の鎌と同様、自分の人生を生と死に分断しようとするがごとき”恐怖の小道具”でしかなかった。


 けれども、ダニエルは逃げなかった。

 彼は両手で箒を握りしめ、震える脚でレナートへ向かって真っ直ぐに身構えていた。

 

――見るからにチキンっぽい割には、死に急いでるアンバランスな野郎だな。今のうちに逃げりゃいいのに。ま、逃げたら逃げたで、この俺サマが追いかけて、後ろからザッシュザッシュやるだけだけだけど。しかし、お掃除道具じゃなくて、せめて剣を握りしめて震えてろよ(笑)。箒でこの俺に歯向かうなんて、あまりにも役不足(※ちなみに本来の「役不足」の意味での使用ではない。これはレナートの誤用)ってモンだろ。


 

 獲物への狙い(殺意)をさらに確固たるものにしたレナートが舌なめずりした。

 そして、ついに奴はダッと駆け出した。

 速い――!

 両手に鉤爪を装着しているとはいえ、短距離走もレナートはかなりのタイムで走る身体能力だって保有している。

 レナートとダニエルの距離が縮まる。

 レナートの鉤爪とダニエルの箒との距離が縮まる。

 レナートの猛禽類のごとく光る瞳と、ダニエルの重い前髪の下で怯える瞳との距離が縮まる。

 みるみるうちに、縮まっていく――


 ”このままであったら”、レナートの鉤爪は、青白い顔&へっぴり腰で震え続けているダニエルの喉元をザシュッと、一瞬のうちに掻っ捌いていたであろう。

 だが、そうはいかなかった。


「……をわっ!!!」

 レナートは、ズルッと足を滑らせた。足元が滑った。

 床から離れたレナートの体は、加速がついていた分だけ、勢いよく床へと叩きつけられた!



「はわわわっ!!!」

 ”この機を逃さん”と、掛け声らしきものを発したダニエルは、手の箒を、まずはレナートの右手に狙いを定め、ブンと振った。


 そう、せっかくのこの機を逃すわけにはいかない。

 先ほど、ダニエルが本当にわずかな時間内において、即席で作っておいた”廊下のトラップ”に目の前の侵入者は見事なまでに、ひっかかったのだから。

 あの時、ダニエルが真に探していたものは、この箒ではなかった。

 彼は蝋燭とランプを探していたのだ。

 蝋燭を素早く火で溶かし、蝋を廊下に広げておいたのだ。

 しかし、蝋が乾いてしまい足元を滑らす効力を無くした後に侵入者と鉢合せをしたとしたなら、もしくは侵入者が足元に広げられた蝋に気づくほどに冷静な観察眼を持った者であったら、彼のトラップは無駄なものとなっていたであろう。

 これは駆けであった。

 生と死が表裏一体となった駆け。そして、一度「死」が自分に突き付けられたなら、二度と挽回することはできない駆け。

 

 ダニエルのトラップは成功した。

 駆けの第一段階では「生」が突き付けられた。

 そして、この機を逃さんと、”第二段階で”自分は侵入者の殺戮道具(侵入者は、あの恐ろしいローズマリーのように剣を手にしているのではと思っていたダニエルであったが、この侵入者の殺戮道具は見慣れないものだ)を侵入者の手から遠ざけ――



「!?!」

 箒でレナートの右手の鉤爪を弾き飛ばそうとしたダニエルであったが、鉤爪は奴の右手から外れはしなかった。

 ダニエルとレナートの間に吹いていた風向きは、そう簡単には変わりはしなかった。

 仮に、奴の武器が剣や鉈や斧であったとしたなら、ダニエルの狙い通り、レナートの手から殺戮道具は離れていただろう。けれども、レナートの両手に鉤爪を持っているのではなく、しっかりと装着していたのだから。



「てめえ……っ!」

 無様に床に叩きつけられたうえ、右手を箒でしばかれたレナートの全身より、怒りの炎がゴオッと立ち昇った。

 足元のレナートの怒りを感じ取り、背筋をゾッと凍らせたダニエルであったが――

 何を思ったかダニエルは、箒からパッと投げ捨て、そのままレナートへとダイブした。


「ぐえっ……!」

 ダニエルの全身の体重が、レナートへとのしかかった。

 ダニエルとレナートの肉体は、上下逆さのまま、重なり合う。

 手の殺戮道具が奪えないなら、せめて脚の自由だけでも――と、ダニエルはレナートの両脚を抱え込むようにして、押さえつけようとした。

 


「……っ……この野郎!!」

 もちろん、ビキッと青筋を立てないはずがないレナートが、自分の両脚にしがみついてくるダニエルを振り落とそうともがいた。

 身体能力は、レナート>>>ダニエルであることには変わらない。

 しかし、ダニエルも男として、この世に性を受けた。肉体の土台の種類は、レナートと同じだ。

 必死で、レナートの発達し引き締まった両脚をガッと抱え込み、起き上がらせまいとするダニエル。


 当のレナートも、こう両脚の自由を奪われてしまっては、自分の上にいる”ヒョロヒョロ野郎”――それも、自分をこんな屈辱な目に遭わせた、いや遭わせ続けている野郎の喉元を一気に掻っ捌くことは現時点では不可能だ。

 戦いは戦いではあるも、2人の男の”妙な戦い”が一番下の船室フロアで繰り広げら得ていた。


「てめえ!! クソが!! 殺すぞ!! ゴルアア!!」

 口ぎたない罵声であり怒声を発しながら、レナートは後ろ手で両の鉤爪をしっちゃかめっちゃかに振り回した。

 2つの鉤爪はダニエルの脚を――主に、彼のふくらはぎから太腿の裏にかけて、何度もザクザクと重ね斬りするかのごとく、切り裂いた。


「……つぅ……!!」

 歯を食いしばったダニエルの口から、苦痛の声が漏れる。

 ダニエルの切り裂かれた傷から溢れた真っ赤な血が、レナートの背中までも濡らしていく。

 けれども、ダニエルはレナートの両脚を抱え込み、離そうとはしなかった。

 ここでこの侵入者を起き上がらせたら、全て”無”となってしまう。引くわけにはいかない。ここで自分が食い止めるしかない。

 たとえ、自分の両脚が使い物にならなくなっても、そして、”この状態”をいつまで保つことができるか、定かでなくとも――!



「…………あなた……っ……フランシス一味ではありませんね……っ?」

 激痛に顔をしかめ、荒い息を吐いたダニエルは、レナートに問う。

 途端に、レナートの両の鉤爪は、ピタリとその動きを止めた。

 ”上のクソ野郎は、教育をしっかりと受けているいかにもお上品な知的階級らしく、侵入者の俺にも敬語を使っていやがる”と、レナートは鼻を鳴らす。


「はああ? フランシス? そいつが男か女かは知らねーけど、ンな気取った名前の奴、”俺らが”知るワケねえだろ!」

 フランシスというのは、男の名前でもあり、女の名前でもある。

 いや、今、問題なのは、レナートがダニエルの話に乗りかかっているということだ。

 やはり、レナートも今、甲板にて戦っているペイン海賊団の奴らの例にもれず、戦闘中であっても倒すべき敵の話に乗りかかり、戦闘中の綻びを獲物であるダニエルに見せ始めていた。



「今……あなた……”俺ら”とおっしゃいましたね。まさか……」

 青白い顔に脂汗を浮かべ、歯を食いしばり、レナートの両脚を抱え込むようにして押さえつけるダニエル。

 聡い彼はこの侵入者の正体について、すでに察し始めていた。

 この鉤爪の侵入者が放っている雰囲気は、フランシス一味が醸し出している、不気味で禍々しくもどこか一種の美しさも感じさせる雰囲気とは違っている。

 野蛮で荒々しい犯罪者集団の一員のようにしか見えない。

 それに、ダニエルは前日に、兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーとともに、悪名高き海賊たちの人相書きを確認した。

 その人相書きの中に、この侵入者に非常によく似た風貌の者が描かれていたような記憶があった。確か、そこには元・軽業師の鉤爪使いということが、メモ書きされていたとも……



「そう。その”まさか”だっての」

 口元をニヤリと歪めた得意気なレナートは――これから、自分の正体を名乗れば、俺の両脚を必死で抑えている、こいつもビビるに違いないと踏んだ浅慮な思考のレナートは、さらに続けた。


「……俺らは海賊だ。海賊の恐ろしさ、舐めんじゃねえぞ。今、甲板でてめえのお仲間たちは、俺のお仲間たちにコテンパンにしばかれてるってわけよ。しかも、”うちのツートップの知り合い”がこの船に乗っているらしいしよ。あいつら(ジムとルイージ)も、いつもよりテンション高い襲撃に違いねえっての。……しかも、俺らはただの海賊じゃねえ。聞いて驚け! 俺らはあの……」


 レナートの言葉は、”俺らはあのペイン海賊団だ”とビシッと脅し文句を決める前に中断された。

 なぜなら――


「――ダニエルさん!!」

 重なり合う2人の若い娘の声が――レイナとジェニーの声、いや悲鳴が廊下に響いたのだ。

 隠し部屋に身を潜めているはずの、彼女たちの声が――野蛮で荒々しい海賊になど絶対見つかってはいけない若い娘たちの声がした。

 しかも、それだけではない。

 彼女たちの声に間髪入れず、頼もしい女たちの声も、相次いでダニエルとレナートの耳へと飛び込んできたのだ!


「あんたら! 若い子は下がってな! うちらが行く!!」

「女を舐めんじゃないよ!!」

「今、行くよ! ホワイトさん!!」


 うつ伏せの体勢で重なり合ったままのダニエルとレナートは、廊下がドドドドと揺れているのが分かった。

 揺れる廊下。

 そう、まるでひとかたまりの肉弾丸のごとく、侍女長含む女性たちが、ダニエルと助けんと駆け出そうとしたうら若き乙女(レイナとジェニー)を制し、自分たちがダニエルの助太刀をせんと、めいめいの全速力で駆けてきたのだ。


「!!!」

 バッと瞬く間に手足を何人もの力で押さえつけられた、レナートの目が驚愕によって、見開かれた。

 女たちだ。

 レナートが探していた女たち。

 ペイン海賊団の同胞とレナート自身が楽しむために探し出して、確保するはずであった女たちが、あろうことか自分たちから姿を見せた。


 けれども、レナートは女たちを自身の鉤爪で脅すこともできず、その女たち――しかも、レナートの性的守備範囲を逸脱した年かさと体型の女たち10名弱に、上から手足を押さえつけられてしまったのだ。


「ちょ……おい! 何しやがんだ、ババアども!! 離しやがれ!! ババアァ――!! こんのクソババアどもぉ――!!」

 レナートが狂犬のごとく吠えた。

 奴から浴びせられた、”三文字ならび五文字の禁句”は、年齢が気になる女性たちにとって、その怒りを持ってして奴の手足を押さえる力を強めるのに、充分な役割を果たすこととなった。

 女たちの戦闘意志のボルテージもみるみるうちに高まっていく。



 喚き吠えるレナートにとって、今の状態は、奴の海賊生活においての初体験であった。

 獲物の船に忍び込んだ自分が、まだ獲物の1人の喉元も裂かないうちに、いかにも弱っちそうなヒョロヒョロ野郎のトラップに引っ掛かり、妙な体勢で(レナートが上向きであったなら、まさに69の体勢で)押さえ込まれ、あろうことか”おばちゃんズ”にも押さえつけられているという、無様な今の状態。


「ババアァ――!! てめえら、絶対に裏娼館に売り飛ばしてやっぞ!! マ×コだって、今以上にユル×ンになっぞ! ”俺ら”を誰だと思っていやがる!! 俺らは、あのペイン海賊団だ!!」

 卑猥で下品な暴言を吐き、自らの所属を明かしたレナート。

 

 しかし、このタイミングでなぜ名乗る?

 しかも、レナートの狙い通り、”ペイン海賊団”の名を聞いた、大半のババアたちの顔は恐怖で引き攣ったわけではなかった。

 侍女長をはじめとする女性たちの顔は、引き攣ったのは事実だ。

 だが、彼女たちの顔は恐怖ではなく、湧き上がった怒りと忘れ得ぬ哀しみによって引き攣ったのだ。


「…………あんたら! よくも”私の弟”を殺したね!!」

 侍女長の、涙交じりの絶叫が廊下にこだました。

「私の従兄もよ!!」

「私の伯父さんだって!!」

 慟哭のごとき、絶叫が数名の侍女たちから次々にあがる。

 まるで、仇のうちの1人であるレナートに、上から鋭く突き刺さる剣であるがごとく……


 殺して奪え、奪って殺せの残酷無慈悲なスローガンを掲げているペイン海賊団によって、かけがえのない命を無惨に散らされた者の遺族たちがこの船に乗っていた。

 彼女たちが、船内の侍女として従事しているということは、彼女たちの親類縁者も同様の船舶関係の仕事に”就いていた”確率は、コネ(血筋や親の職業)がものを言うこの社会において非常に高いものであった。

 この侍女長たちだけでなく、もしかしたら、甲板で戦う兵士たちの中にも遺族がいるのやもしれなかった。

 


 こうして、かつてない窮地に追い込まれていても、レナートは聞くに堪えない汚い言葉を喚きながら吠え続けることをやめなかった。

 ダニエルは両脚を血に染めたまま、侍女長たちは涙目で歯を喰いしばったまま、レナートを押さえつけていた。


「その変な爪みたいなの、外しちゃいな!!」

 侍女長の声に頷いた侍女2人が、それぞれレナートの左右の鉤爪へと手を伸ばした。


「ババアァァ――!!」

 レナートの大絶叫も虚しく、ガシャン!という音とともに、奴の殺戮道具である鉤爪はあっけなく、奴の両手から離れた。

 

 一番下の船室フロアに繰り広げている戦闘における風向きは、明らかにダニエルたちに追い風を吹かせ始めた。

 ダニエルの知恵と女たちの憤怒の勝利となるに違いない。


 仮に、侵入者がこのレナート・ヴァンニ・ムーロ一人でなかったら、正直、このような事態にはならなかったであろう。

 だが、幸運なことにレナートは単体で、この船の中に忍び込んできた。


 今日というこの日まで、百戦錬磨でしかなかった今までに戦闘に慣れきっていたレナートであり、その他のペイン海賊団構成員たちの慢心が、今のこの事態へとつながったのだ。

 まさか、弱いはずの獲物に牙たちを向かれて、その牙を交わすこともできずに、あるいはへし折り砕くこともできずに、押さえ込まれる事態になるとは、レナートにとって想定外であった。



 そして、そもそも隠し部屋にて身を潜めていたはずの女性たちが、廊下に出てきたのはなぜであるのか?

 彼女たちは何も、ただ1人、自ら囮となろうとしたダニエルの思いを無駄にしようとして、隠し部屋から出てきたのではない。

 つい先刻、レイナ、ジェニー、そして侍女長たちは、潮の匂いと波の音に満ちた、あの隠し部屋において、不思議な体験をしたのだ。

 彼女たちは、隠し部屋にいないはずの者の声であり助言をしっかりと聞いたのだ。

 それも、このダニエル・コーディ・ホワイトが「お兄さん」と呼ぶ者と同一人物としか思えない、濃厚な色気に満ちたテノールを――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る