―101― 襲撃(45)~「引き上げろ!!!」~

「――――引き上げろ!!!」

 響き渡ったジムの怒声であり、海賊たちに対する指示。


 それを聞いたのは、奴とやりあっている最中であったフレディとディランだけではなかった。


 ヴィンセントも、兵士隊長パトリックも、そして目を真っ赤に腫らしたまま、”操舵室から甲板へと駆け戻り”剣を振るい始めていたバーニー・ソロモン・スミスもしっかりと聞いた。

 海賊どもの手によって、船長である父ソロモン・カイル・スミスを殺されたバーニー。彼はそのまま父の亡骸の横で、哀しみに囚われ泣き続けていたわけではなかった。

 戦いはまだ続いている。だから、自分の持ち場へと戻る。

 涙をぬぐったバーニーは操舵室を飛び出し、階段をドスドスと駆けあがり、負傷したアダムたちの治療に渾身していた船医ハドリー・フィル・ガイガーの隣を猛スピードで走り抜け、甲板へと続く扉を開け、血の渦の中へと剣を手に戻ってきたのだ。

 父は最期まで船長として、操舵室でその命を終えた。

 だから、自分もアドリアナ王国の兵士として、甲板で戦い抜く。そして、囮にしてしまう形となったあの赤毛の超色男・スクリムジョーへの助けがどうか間に合うようにと、祈りながら……


 ヴィンセントとバーニーの瞳は、生者である互いの姿をとらえることができた。

――ご無事でしたか……

――無事だったんだな……

 言葉には出さず、彼ら2人は頷きあった。

 ヴィンセントの瞳に映るバーニーは、泣き腫らした顔であることは遠目でも見れ取れた。操舵室で何かがあったことには間違いない。けれども、ここに彼が戻ってきているということは、あの海賊3人の操舵室から先への襲撃は彼が防ぎきったということと同義である。

 バーニーの瞳に映るヴィンセントは、手足の至るところに血を滲ませ、あの美しい顔にまで傷をつけられているようであり、ことさらに左腕が赤く染まっていた。

 だが、1対3の戦い(嬲り殺し)という窮地へと取り残されていたヴィンセントは、重傷を負いながらも持ちこたえていたのだ。彼のすぐ近くに、剣の腕なら間違いなくピカイチの兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーの救いのごとき姿もあった。

 しかも、たった今、あのリーダー格っぽい黒髪の海賊より、”引き上げろ”という言葉が発せられた。

 海賊どもはこの船より撤退する気だ。

 まだ、完全に決着が着いていないこの戦いより、自分たちからけしかけてきて引っ掻き回すだけ引っ掻き回して退却する気なのだ。


 そして、ジムの怒声を聞いたのは、ルークはもちろんのこと、ルイージもであった。

 ”引き上げろ”。

 結成以来、無敵無敗を誇っていたはずのペイン海賊団初期メンバのルイージにとっても、その言葉は”あってはならない言葉”であった。

 ジムのみならず、ルイージ自身も”獲物との決着が完全に着いていない状態”において、他の野郎どもに一度だって発したことのない言葉だ。

 唇を噛みしめ、眉間にグッと皺を寄せたルイージは、遅ればせながら甲板を横目でサッと見渡した。

「!」

 ジムとほぼ同レベルの状況把握力を持っているルイージも気づいた。

 ジムに退却を後押しさせたのと同じ者の物言わぬ死体を。

――あいつ……ロジャーまでもが、殺(や)られちまっている……! それに、うちの他の野郎どもも今まで以上に……



「――お前ら! 引き上げろ!!!」

 ジムの怒声を引き継ぐかのように、ルークと対戦中のルイージの声も血の渦の中よりゴオッと巻きあがるかのごとく、響き渡った。


「なあ、ルーク……お前らとの決着はまた今度にしておくわ。特にお前とディラン、あの筋肉野郎は3人セットでまとめて6倍返しぐらいで潰してやるわ。俺ら、ペイン海賊団をあんま舐めんじゃねえぞ。俺らには”俺たち専門の魔導士”がついてンだからよ」

 悔しさと怒りで頬をピクピクさせているルイージは、榛色の瞳に闘志を燃やし続けているルークへと捨て台詞を吐いた。

 だが、ルイージは、ルークもトレヴァーも、そしてディラン(ジムとはやりあっていたも)の誰一人として現時点では倒せていない。そのうえ、”中途半端なまま”獲物の船より引き上げる。これで舐めるなと言われても……



 ペイン海賊団の退却。


 けれども……

 けれどもだ。

 奴らペイン海賊団が、襲撃半ばでの退却――まだ獲物たちの半数以上が生者である状態で”引き上げる”のは初めてなのだ。

 ジムとルイージが、「引き上げろ!!!」と言ってもどうやって引き上げろというのか? 

 ペイン海賊団本船は、もはや親指ほどの大きさとなり、青き海の遥か彼方に姿が見せているだけであるというのに……


 ピイっと口笛が響いた。

 エルドレッドだ。

 その口笛に間髪入れず、上空を大きな影がザアッと横切った。

 鳥の形をした影。

 あのギャアギャア喚くように喋るオウムではなく、ペイン海賊団が飼い慣らしているらしい規格外に大きく、壮絶なまでに獣臭く+血生臭いあの黒い鳥の方だ。

 エルドレッドが鳥を呼んだのだ。あの”キャリーバード”を。

 ここにペイン海賊団の頭数を補充しに来ていたあの鳥の背に乗って、だいぶ減ってしまったペイン海賊団の者は本船に戻るつもりなのだろう。



 なんと、漆黒の巨大な両翼を最大限に広げたあの黒鳥は、甲板上空ではなく自分たちの背丈すれすれを幾度となく往復してきた。

「……ぅえっ!」

「ぐあ……っ!」

 吐き気を催す悪臭。ルークたちにとっては、かつてないほど近いところで巻き起こされる悪臭。

 敵も味方も、”甲板にいる”全ての者の視界が遮られ、目の粘膜や鼻孔だけでなく、咥内までもが蹂躙され、咳き込むことを余儀なくされる。斬りつけられた傷口にも悪臭が吹き付け、痛みと気色悪さを増大させ、生きながらにして傷口から腐ってしまうがごとき、恐怖すら抱かせる臭い……

 そうアドリアナ王国の兵士だけでなく、海賊どもの傷口すら、あの怪鳥は容赦なく嬲っていた。


 だが、海賊どもはあの怪鳥が自分の背丈すれすれを飛ぶタイミングを見計らって、その背へと飛び乗らなければならない。

 飛び乗ることができなかったドンくさい野郎は置いて行かれる。

 タイミングを見誤るな。

 もし飛び乗れなかったら……このまま甲板に取り残されてしまったら、アドリアナ王国の奴らに袋叩きにあうだけじゃ到底すまないのは明白だ――



 しかし、アドリアナ王国の兵士たちも、悪臭で目の粘膜や口内や傷口まで汚されてつつあっても、悪しき海賊どもをこうして「はい、さよなら」と、臭い鳥の背に飛び乗らせてそのまま帰すわけなどない。

 このまま、海賊どもの退却を許すほど、俺たちは馬鹿でもないし、甘ちゃんでもない。

 俺たちの仲間を殺しやがった野郎どもを、過去に数多の罪なき人々を殺め人生を狂わせてきた野郎どもを、このまま逃がしたらさらに多くの罪なき人々を殺めるであろう野郎どもを、誰がこのまま逃がすものか!!!


 ルークも、ディランも、トレヴァーも、ヴィンセントも、フレディも、パトリックも、バーニーも、そう全ての者が、この海賊どもをこの船より”生者”として帰すものか、と剣を振りかざさんと勇んだその時――



「!?!」


 一瞬で、風が消えた。いや、あの黒い鳥が自分たちの頭上よりフッと消失したのだ。

 今、青き空の下にあるこの船の甲板に漂っているのは、あの悪臭の残り香だけである。しかも、それだけではない。


「!!!!!」


 この場の”空気”までもが、サッと変わった。

 良い方に変わったのではない。

 悪い方に、より不吉な方に変わったのだ。背筋をゾッとさせるような、”何かすごく恐ろしいもの”に肌を撫でられ、ふうっと息を吹きかけられ、舐めあげられている(!)ような、生理的嫌悪感。

 正直、あの悪臭にまみれた怪鳥よりも、さらにタチが悪いものであることは誰もが――”ペイン海賊団の者ですら”本能で感じ取れた。

 例えるなら、まるで1つの絵画の中よりこの甲板の光景が描かれている箇所だけが強引に破り取られ、全く別の絵画へと乱雑にコラージュされ、大切にされることもなく汚水に水浸しにされてしまった不吉さと気持ち悪さの中へと、瞬時に引き入れられたかのような……



 さらに、そのうえ――

 この不吉な空間へと切り替えられた甲板にいる者たち”全ての”武器が宙へとヒュンヒュンと甲板上空へと飛んでいったのだ。

 ”全ての者の手”から、武器が離れた!?

 大半が成人男性である者たちの握力によって握られていたはずの剣が、いとに簡単に手から離れて、鳥のように自由に空へと飛んでいった?!

 いや、”誰かによって”鳥を消失させられ、武器を取り上げられたのだ。


 まさか(何やら不思議な力を持っているらしい)弓矢使い・エルドレッドの仕業か……? 

 いや、仮にそうであるとしたなら、彼自身の(弓矢)まで手から放す必要はないだろう。

 そもそも、彼は”一応”ペイン海賊団側にいるのだ。アドリアナ王国の兵士の剣だけでなく、自分の仲間までの剣を取り上げる必要なんてない。

 エルドレッド自身も、全く予期せぬことであったらしいことは、彼のその表情を見れば明らかであった。

 だが、彼がかすかに呟いた「クリスティーナ……?」という言葉は、誰にも聞こえることはなかった。

 



 武器は消えた。

 取り上げられた。

 つまりは全員、丸腰。誰もが身一つで、この場にいる。

 だが、だからといって、戦いはまだ終わってやしないし、終わらせない。

 甲板が不吉な空間に変わってしまった不気味さに慄くよりも、自分たちの剣がどこへ行ってしまったかなんてことを考えるよりも先にやらなければならないことがあるのだ。

 絶対にこのまま奴らを逃がしはしない――!!!



 フレディの背に守られていたディランが、バッとジムへと躍り出た。

 ジムの目潰し+怪鳥の目の粘膜を蹂躙する悪臭によって、ディランの視界はいまだに不鮮明であった。

 しかし、かろうじてジムの立ち位置は分かる。倒さなければいけないあいつの位置だけはしっかりと分かる。見誤るものか!


「!!!」

 ディランのタックルを正面から喰らったジムは、ドサッと甲板にディランと重なり合うようにして倒れ込んだ。

「てめっ……!!」


 即座に起き上がろうとしたジムを、フレディがディランに加勢し、さらに押さえつけた!

 剣技はいくら彼ら2人より上であっても、男2人の力で押さえつけられ、暴れ狂うジム。


「離せ! おい!! そこはさわんじゃねえ!!!」

 ディランとフレディのどちらかが、おそらくジムの”男には触れては欲しくない箇所(おそらく性器などに)”うっかり触れてしまったのだろう。

 ディランかフレディかのどちらかも触りたくて触ったわけではないし、ジムはディランのタマを残酷に潰そうとしたのに、自身のタマについては非常にデリケートであった。

 2対1で敵を取り押さえる。

 ごく普通の子供同士の取っ組み合いの喧嘩であるなら、これは卑怯だと非難されることであるのかもしれない。けれども、今は違う。卑怯だのなんだのといっている場合じゃない。

 各々の命を懸けた戦いであり、その相手は、倒さなければならない海賊、ジェームス・ハーヴェイ・アトキンスなのだから。




 人数は違えど、トレヴァーとあの”エクスタシー海賊”も同じ状況にあった。


 ”エクスタシー海賊”――その名をボールドウィン・ニール・アッカーソンというやけにかっこいい名前である22才のこの海賊は、襲撃終盤まで生きのこり、なお、エルドレッドとルイージの助太刀までできるのだから、おそらく固定された上位メンバーの1人ではあるだろう。

 不思議なことに奴は、ジムはじめ悪人面が圧倒的多数であるペイン海賊団の中にいたらペイン海賊団構成員に見えるが、もし仮にアドリアナ王国兵士軍団の中にいたら”ちょっと荒んだ感じの”アドリアナ王国の兵士にも見えるであろうという、”朱に交われば赤くなる”といった感じを具現化した珍しいタイプでもあった。

 それほど際立った外見の特徴がないのも、その一因であるだろう。エクスタシー海賊は、身長もそう高くはなく、また低くもなく、美男でもなければ醜男でもない。ルイージのそばかすやひょろ長い体型、ロジャーのギョロギョロした目とがさついた肌、レナートの身長に不釣り合いなほどに盛り上がった両肩の筋肉のような特徴なども保持しているわけではない。

 外見以外での奴の特徴と言えば、まさに性交中の絶頂を思わせるような掛け声だけであった。


 もちろん、褐色の肌に素晴らしい全身ガチムチという2つもの際立った特徴を有しているトレヴァーとは圧倒的な体格差がある。

 素手での戦いにおいては、エクスタシー海賊は間違いなく劣勢だ。

 普段のトレヴァーなら、自分より明らかに体格が劣る――格闘技でいうなら重量級が違う”無害な人間”を取り押さえようとはしない。だが、今は違う。

「んのおおおおおおお!!!」

 あがくエクスタシー海賊の絶叫が、血生臭い獣の臭いの残り香とともに甲板を震わせた。



 ルークとルイージは、すでに思いっきり殴り合っていた。

 今は、ともに丸腰となった彼らの肉弾戦は、今この甲板の至るところで繰り広げられている素手での戦いにおいては一番派手なものであった。

「がああああああああああ!!」

 目を血走らせ、がなりあう2人。

 互いが互いを相手を制そうとし、拳と拳でぶつかり合う。

 ルークの鼻より吹き出た血はすでに彼の口にまで伝い、錆びた匂いとともに流れ込んでいたが、ルイージの鼻より吹き出た血もすでに奴の口にまで伝い、錆びた匂いとともに流れ込んできていた。



 ルークとルイージほど派手にやりあってはいなくとも、甲板の至るところで怒鳴り声や殴打音があがっていた。

「そっちだ、早く縛れ!!」

「何しやがんだ、ゴラアアアア!」

「大人しくしろ!!」

「てめーら、マジで殺すぞ!!」

 先ほどまでガチでの殺し合いをしていたというのに、海賊の”マジで殺す”という言葉は今さらだ。

「お前ら! ここで壊滅させてやる!!」

 父を失った――いや、ペイン海賊団によって父を失わされたバーニー・ソロモン・スミスの慟哭のごとき絶叫も聞こえた。


 ついに、悪名高きペイン海賊団が、正義にもとづくアドリアナ王国の兵士たちによって討伐される日がやってきたのか?

 無敵を誇るペイン海賊団が壊滅し、”永遠に活動停止”となる日がやってきたのか?



 そして――

 エルドレッドは、自分へと迫り来る2人の男から後ずさった。

 2人の兵士。

 いや、兵士隊長とその部下といったところか?


 若くもなく、容貌自体も抜きん出て美しいわけではないが、古の時代に描かれた絵画の中から抜き出てきたとしても納得できるような、どこか懐古的な雰囲気でありつつも、引き締まり鍛え上げられた体つきをした、”おそらく”兵士隊長であるダークブロンドの長髪の男。

 同僚のロジャーには、明らかな力の差が”見える”から「やめとけ」と言って忠告したにもかかわらず、案の定、目立ちたがりで面白がりのロジャーはこの男に即返り討ちに遭って、あの世へと逝ってしまった。


 もう1人は、まるで命を吹き込まれた彫刻のごとき際立った美貌で、男でも胸焼けしてくるような濃厚な色気を醸し出し、燃えるような赤毛とこげ茶色の瞳の”兵士”――というよりも、貴族の嫡男と言われても納得できるような、戦いの場にはやや場違いな感じの超美男。

 この男は、自分の弓矢からあの”太り気味の兵士”を間一髪助けたが、その後、うちの本船待機組の奴らがやってきて……あの太り気味兵士を操舵室へと向かわせるために囮となっていたらしかったが、傷は負っているもまだ生きていたのか……



 兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーと、”希望の光を運ぶ者たち”の1人、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョー。


「――大人しく投降しろ」

 パトリックは、すでにエルドレッドへ向かって(押さえつけるための飛びの体勢で)身構えていた。


 

 ペイン海賊団における”上位メンバーの戦闘員”であるというのに、弓矢を手にしていても、いなくても、文化系のオーラをいまだに漂わせているエルドレッド。

 彼を今から取り押さえんとするのは、外見もその精神も生粋の(きちんと管理された)体育会系であるパトリックと、(左腕は負傷して右手のみしか使えないが)濃厚なフェロモン系であり長身のヴィンセントの2人だ。

 数刻後に明示されるであろう勝敗の結末は、今のこの構図を見る限り、明らかなものであった。

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