―64― 襲撃(8)~鳥~

「異常なし」

 船の見張り台。

 2人の若き航海士は、静かに――そして、昨日となんら変わることなく波打ち続ける波の音に包まれ、この上なく美しく煌めく水平線の彼方をそれぞれの双眼鏡で確認した。


 どちらも20代後半のまだ若き航海士の2人の名は、ジャイルズ・エリス・マードックとマルコム・イアン・ムーディー。

 この2人は、”希望の光を運ぶ者たち”を軸としたこの旅路において、今日というこの日までそれほど深く関わることはなく、そして……”これからも”深く関わってくる者たちではなかった。

 だが、彼らは”この時”確かに生きていたのだ。



「……なあ、お前……スミス船長のドラ息子の話聞いたか?」

 マードックがムーディーに向き直り、聞く。

「ああ、耳に入ってきたぜ。あのドラ息子、飯の席で”例の奴ら”にちょっかいかけようとしたんだろ。ほんと……スミス船長もストレスマックスって感じだったし。自分の手に負えん息子なら、アドリアナ王国にポンと置いてくりゃ良かったのに」

 ムーディーが失笑する。

 

 仕事中の私語。

 それも、自分たちのボスである船長ソロモン・カイル・スミスの息子バーニー・ソロモン・スミスについての噂話。

 海の男の世界もまた、縦社会ではある。だが、このマードックとムーディーにおいては、どちらも同い年であり、乗船経験も同程度で、幾度も同じ船で乗船経験を積んだこともある。幸運にも互いに気が合い、友人であるが同僚、同僚であるが友人といった関係であった。



「しっかしよぉ、いくら親が立派でも子供がそうとは限らないってことのいい例をこうも間近で見ることができるとは……仮に俺があのドラ息子みたいな恵まれた環境に生まれていたとしたら、子供の頃より海の男としての英才教育をたっぷり受けて、まっすぐに父親の背中を追うのに」

 そう言ったマードックの顔には、”ばかだねえ。じつにばかだね”と描いてあるようであった。

「んでもって、あのドラ息子と懇意にしているらしいガイガーも、金と博打がからむと世間一般のアホ以上にアホなわけだし」



 彼らの私語の焦点は、船医ハドリー・フィル・ガイガーへと移った。

 ムーディーが口を開く。 

「ホントだよな。人間、努力すればなんでもできるっていうのは昔からよく聞くけど、やっぱり人間は皆、能力値もそのベクトルも違ってて……どんだけ努力したって、ここまでが限界っていうラインは確かにある。あのガイガーは、勉学においては凡人が苦労して到達するラインに、事もなげににサクッと到達しまくってる。一切打つな(博打をするな)ってわけじゃないけど、私生活も品行方正にしてりゃあ、スミス船長からの受けも良かったのに」

 恵まれた環境、ならびに生まれ持った能力(知能)を自らの手で台無しにし、周りからの評価を壮絶に下げまくっている、バーニー・ソロモン・スミスとハドリー・フィル・ガイガー。



 潮と太陽の匂いをふんだんに含んだ風が、マードックとムーディーの間を吹き抜けていった。

 どこか懐かしさを感じさせる、心地よい風に、彼らはともに目を細めた。

 海の男の必需品である双眼鏡のハンドル部分を握ったムーディーが、再び船の”進行方向を”確認する。

「……進行方向より船が一隻。肉眼では握りこぶしぐらいの大きさでしか確認できず、双眼鏡を使用しても”ぼやけたようで”様子は不鮮明だ。だが、あの大きさから推測すると中型船と見られる。本船からの船間距離は存分にあり、現段階において、衝突の危険性は極めて低い」

 航海士モードに口調が戻りつつあるムーディーも、そして無言で頷いたマードックも、同じことを考えていた。


 自分たちはこの海において、他の船と幾度も行き会ったことがある。

 二隻の船がそれぞれ真向いに行き会う時、やはり衝突の恐れというのは避けられない。そういった場合、互いに相手の船の左舷側を通過するように舵を取ることになっている。

 広大な海において、人間が作ったルール。今までにマードックとムーディーが行き会った船たちが、このルールを守らなかったことなど一度もなかった。



「後方の船との船間距離にも問題なし。というか……あの船は確か、港に停泊していた船であり……どっからどう見てもエマヌエーレ国の貴族サマが乗るような船であるわけで、海賊船である可能性は皆無」

 船の後方に双眼鏡をサッとかざしたマードックも、ムーディーにつられたのか語尾をややキリッとさせていた。


 吹き抜ける風とともにこの船を追い上げているかのような、後ろの豪奢な船も適度な船間距離を保っての航行中だ。あの船に乗っているであろうエマヌエーレ国の貴族たちは、おそらく自国に戻るため、偶然にも自分たちと同じ航路を辿っているだけであるのだ。



「異常なし」

 マードックとムーディーは、同じ言葉を再度、繰り返した。

 船の内部では、いろいろと問題が――いや、人が幾人も集まれば絶対に何かはあるわけだし、”皆仲良し、無問題”というわけにはいかないの当たり前だが、この船そのものは平和な海をあらかじめ定められた航路を外れることなく、気候、風の強さ、波の高さなどには恵まれ過ぎているほど、順調に進んでいる。

 

 仮に、何か緊急事態が発生した場合――

 この見張り台に備え付けられている銅鑼を鳴らし、皆に異常を知らせることとなっている。

 出港の合図にも使われている銅鑼は、緊急事態(海賊の襲撃など)を知らせる役割をも担っており、この見張り台だけではなく、甲板にも備え付けられ、また各船室フロアにも備え付けられている。

 この船にいる全ての者が異常事態の知らせを聞き逃さないように……武力を磨き上げている兵士の男たちは甲板へと、自分たち航海士も含む武力とは異なる力で船を守る男たちそれぞれの持ち場へと、そして女たちは避難もしくは脱出のための隠し部屋へと一直線に(今ごろ、あの長身で長髪の兵士隊長が女性陣を集めて、避難訓練の指揮をとっているだろう)といった、緊急事態に対するそれぞれの”初動に遅れを取らさせない”ための銅鑼なのだ。




 マードックとムーディーの目が合う。

 仕事中の私語の再開。

 彼らの噂話の次なる標的は”例の奴ら”――すなわち”希望の光を運ぶ者たち”であった。


「ムーディー、俺たちはあの例の7人とは全くカテゴリー違いの航海士なわけで、それほど強烈な嫉妬心っての湧き上がってはこないが、ヒラ兵士たちにとっちゃ、面白くないのってのは分かる」

「……まさに”名も無き平民の成り上がり物語”ってやつだからな。それをリアルタイムで眺めることになるとは、一体どういう結末になるのか、正直、興味はあるな」

 ムーディーの口から出た”名も無き平民の成り上がり物語”という表現。

 それは確かに的を得ていた。

 ただ、マードックとムーディーがともに、その物語を”リアルタイムで最後まで”見ることができる運命の船に乗っているかは、また別の話である。

 


「でもなあ……マードック、俺は正直……いや、本当に言っちゃいかんことで、ここだけの話にしてほしいんだが……あの魔導士のじいさんはかなり年いってるだろ。もう、ユーフェミア国を救おうとしたりやら、なんやかんやしているうちに、寿命の方が先に尽きてしまう可能性が高い気がするんだが……」


 苦々しい顔をしたムーディーの言葉を受けたマードックは「確かにな」と頷き、続けた。

「年寄りでも長生きする人は、とことん長生きするわけだが……俺のじいさんは74才で数年前に死んだし、あの魔導士のじいさんの年は、おそらくもっと上だろ? ……俺らがじいさんになるのは”実際のところ、まだまだ先の話”だから、年寄りの体力ってのは想像でしかないが、他の若い奴らと比べて相当厳しいと思うぜ」



 他の若い奴ら。

 あと6人の希望の光を運ぶ者たち。

「俺たちは、ダニエル・コーディ・ホワイトとしか、直接話をしたことはないけど……あいつは元貴族にしては腰が低くて、感じがいいな。貴族っていえば、ツンケンしてお高く止まっていそうなのが大半だったから、新鮮な感じだ。でも、たまに背中をバシッと叩いて、あいつの丸まった背筋をピシッと伸ばしてやりたい衝動にかられる……いや、本当に叩きはしないけど」

 マードックは自分の言葉に、自分で突っ込みを入れた。

 少し声のトーンを落としたムーディーが、囁くように言う。

「あいつ……”あの”ケネス・ヒューゴー・ヤードリー将軍の孫にあたるらしい。で、母親はかつて王妃候補にもなっていたと」

「!! ……え? 俺らでも名前を聞いたことがある、あの有名な将軍の孫なのか? でも、確か、ヤードリー家の血筋の男たちは、まさに戦闘のために生まれ鍛え上げたかのようなマッチョ揃いって噂も聞いたことあるんだが……」

 彼らが風の噂で聞いているヤードリー家の血筋の男たちの肉体の発達具合と、彼らが実際に目にしているダニエルの肉体の発達具合は、見事なまでに一致していなかった。



「あの例の奴らの中で、一番のムキムキマッチョと言えば、ガルシアだろ。廊下ですれ違った時、あいつの迫力は正直、ビビった。背が高いのもあるけど、まとっている筋肉の鎧がハンパねえ。あいつの顔自体は、筋肉量に反比例(?)して、人が良さそうだけど……あの見事なまでのガチムチ具合には男として少し憧れはするな」

「ムーディー、俺もここだけの話をしたいんだが……あのガルシア……あんだけ立派な体してりゃあ、きっとナニも立派に違いないよな?」

「馬鹿、それは実際に見てみないと分からねえよ」

 マードックの口から発された、シモの話。

 ともに揃って笑い声を上げたマードックとムーディーは、慌てて口を押えた。

 今の笑い声(仕事中にあるまじき私語)が、操舵室にいるボス(スミス船長)や品行方正な副ボス(副船長ブロック・ダン・アンドリュース)には、聞こえていないことを願いつつ……

 当のトレヴァー・モーリス・ガルシアは、自分の性器が話のネタにされているなど思いもせず、下の訓練場で懸命に剣を振るっているのだろう。



 マードックが口元にまだ残留している笑いをぬぐうように、唇を拳で軽くこすった。

「……あと、あン中じゃ、スクリムジョーって奴もかなり目立つな」

「ああ……あのスクリムジョーは、滅多にいないほどのいい男だ。年齢もおそらく……俺らと同じ20代後半ぐらいか? 俺、2年ぐらい前に公務で町にいらっしゃったジョセフ王子のお姿を拝見したことが一度だけあるんだが……ジョセフ王子の美しさにも決して劣ってはいないし、むしろ色気という点ではスクリムジョーが圧倒的だ。超美形の男が並んだところ見てみたいな……ま、身分が違うから並ぶことなんて絶対にないだろうけど」

 王子ジョセフ・エドワードとヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョー。

 高貴さと色気。美しさの方向性は違うが、ともに際だって美しい2人の男は並ぶどころか、一度、同じベッドで寝ていたことがあったことなど彼らが知っているはずがなかった。



 そして――

 マードックとムーディーの私語の焦点は、残る3人へと移ろうとしていた。

 ルーク・ノア・ロビンソン、ディラン・ニール・ハドソン、フレデリック・ジーン・ロゴ。

 年齢も同じぐらいなら、背丈もほぼ同じぐらい。だが、それぞれの顔立ちや雰囲気は三者三様といった感じに異なっている3人へと。


「聞いた話じゃ、あのロゴって奴は、今から200年前に一度死んでいて……あの魔導士のじいさんが”甦らせた”んだと……」

 フレディの名を口にしたムーディーと、フレディの名を聞いたマードックの頬は、少し引き攣る。

 魔導士の力を持たずに生まれた彼らは、未知なる魔導士の力の証明であるフレディの存在に少しばかり恐怖も感じているのだろう。



「……あいつ、それほど喜怒哀楽が激しいタイプでもないみたいだし、何考えているか全く分からないから正直ちょっと不気味(苦笑)。それにあいつのまとっているオーラは、何か他の奴らとは違っている気がして、大勢の兵士たちの中にいてもか目立つンだよな。イケメンって括りには入ることは入るんだろうけど、際立った美形ってほどでもないのに……」

「マードック、それは多分、1つの時代に吹いていた風ってモンをあいつがまとっているからだろ。あいつは、俺らとは違う時代に生きるはずだった奴だから……」


 やはり、同性である彼らも、フレディの研ぎ澄まされた存在感をしっかりと感じていたのだ。

 フレデリック・ジーン・ロゴは、明日の運命も知れぬ、戦火の中で生きていた。

 この船にいる兵士たちが皆、タルタルに緩みきった顔つきであるわけではないが、彼らはそれぞれそれなりに引き締まった顔つきのなかに、どこか”平和感”も漂わせているのだから……


「で、残るロビンソンとハドソンのことだが……」

 ついに、ルークとディランの話に彼らが切り替わろうとした時であった。



「!!!!!」


 口火を切り始めたマードックも、次なる話題に彼とともに移ろうとしたムーディーも、ハッとした。



「風向きが……」

「……変わった?!」


 彼らは同時に、同じ異変を感じ取った。

 一瞬で風向きが変わった。

 後方より、緩やかに追い風のように吹いていた風が、いまや船の前方――進行方向から吹いてきている。

 こんなにほんの一瞬で風向きがこれほど変わるなど、今まで一度だって経験したことがない。


 しかも――

 この船が進みゆく方向から吹いてくる風が含んでいるのは、潮と太陽の匂いではない。

 人間が本能的に恐怖を感じる2つの臭いを、その風はふんだんに含んでいた。

 生臭い血の臭い。そして、その生臭く真っ赤な血を口元から滴らせているかのような、獣の臭いを……!!



――ま、まさか、あの船は――?!


「ムーディー! ここは俺が引き受ける! お前は甲板の銅鑼を鳴らせ!」

 マードックが叫ぶ。


 ムーディーは、目にも止まらぬ速さで見張り台から飛び降り、甲板の銅鑼へと駆けた。


 マードックが鳴らす銅鑼の音に、ムーディーが鳴らし始めた銅鑼の音が重なった。

 緊急事態を知らせる銅鑼の音。

 悪意と欲望を持った者たちが”船の前方から”やってくることを、2人の航海士がこの船に乗るすべての者たちに知らせようとする銅鑼の音。



 今日はいささか私語は過ぎたものの、ジャイルズ・エリス・マードックとマルコム・イアン・ムーディーは、優秀な航海士たちであった。

 彼らはこの船に迫り来る悪意と欲望、そして”得体のしれない力”にもいち早く気づいたのだから。


 マードックとムーディーは海の男として、”海の悪党”からの襲撃記録も頭にきちんと叩き込んでいた。

 ごく普通の海賊(海賊に普通も普通でないもないが)とは、異なる”襲撃の翼を広げて獲物へと向かってくる”海賊団がいると――

 何の力も持たない、”普通の人間が起こせるはずのない事象”を起こす海賊団が1つだけいると――!!



――あれは……あの船は絶対に……!!



 銅鑼を鳴らし続けるマードックとムーディーの額には、早くも脂汗が滲み始めていた。

 彼らの滲む脂汗にさらに熱まで加えるかのように、前方の船より、ゆらりと黒い煙のような”何か”があがった。

 

 黒い煙は、瞬く間にその姿を整える。

 鳥だ。

 双眼鏡越しではなく、肉眼でもはっきりと分かるほどの鳥。

 足元の船など、その片方の翼にやすやすと隠すことができるほどの巨大な黒い鳥。




「一体、何事だ!?」

「何があった?!」

 緊急事態を知らせる銅鑼の音を聞き、いち早く甲板へと駆け付けた幾人かの兵士たち。

 彼らは皆、すでに鞘から剣を抜き、身構えていた。


 マードックとムーディーは同時に叫んだ。 


「……海賊だ!! ペイン海賊団だ!!!」

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