―60― 砕け散った鏡(6)
ジムとルイージがこの部屋に、姿を現した。
背骨すら溶けてしまうのではと思われるほどの高熱によって、歪みぼやけるディランの視界に映るのは、憮然とした表情のジムと薄笑いを浮かべているルイージであった。
彼ら2人の様子を見る限り、自発的にというわけではなく、おそらく”親方に言われて”この部屋にやって来たのだろう。
「お前ら」
親方が再度、ジムとルイージをうながした。
”お前ら、今、高熱でウンウン唸っているこいつら3人に言わなければならないことがあるだろう?”と言うかのように――
親方の視線を受けた本件の”実行犯”ルイージが、口を開いた。
「……俺たち、”一緒に遊んでいた”ら、エルドレッドに”ぶつかって”しまって……エルドレッドが凄い勢いで流されていったんで、町に大人を呼びにいっていたんです。本当に無事で良かったです」
ルイージは、唇を震わせて俯いた。
だが、彼は溢れ出しそうな涙を堪えているのではない。溢れ出しそうな”笑いを”堪えているのだと、ディランにはすぐに分かった。
この状況で何を笑うことがある?! 何が笑えるのか?!
ルイージの口から流暢に吐き出されていった先ほどの言葉は、嘘八百だ。
いや、その中には真実がたった1つだけ含まれていた。”エルドレッドが物凄い勢いで流されていった”という真実だけが。
第一、ルイージはエルドレッドに対する謝罪ではなく、親方に対する言い訳を述べている。
対するジムは、”てめえら、絶対に余計なこと喋んじゃねえぞ”と、この部屋にいる少年たちを――中でも目撃者であり、被害者でもあるランディーを――その鋭い瞳でギッと睨み付け、牽制していた。
ジムの”無言の脅し”を受けたランディー含む少年たちは、蛇に睨まれた蛙のように、すくみ上がってしまっていた。
もし、この場で彼らに立てつこう(というよりも、真実を告発しよう)ものなら、後でジムとルイージにどんな目に遭わされるものか分からない……
張りつめた空気のなか、沈黙が続いた。
その沈黙に、親方の重いため息が重なり合った。
親方は、ジムとルイージの顔を交互に見ている。
親方は分かっている。
親方は大人だ。自分たちの少年の2倍以上の時間を生き、世間という荒波にもまれてきた大人なのだから……
ルイージがバレバレの嘘を言い、笑いをこらえていることも、そして、ジムが目撃者であるランディーとランディーに加勢しかねない少年たちにメンチを切り、口封じをしていることも……
ジムとルイージも、親方の吐いた重いため息と自分たち2人に注がれている視線に、段々と顔が曇り始めていた。
”今回の件ばかりは”親方もスルーしてくれないのでは……と、焦り初めているのだろう。
親方が一歩を踏み出した時、自分たち二人が”強烈に”喰らうのは、親方の怒声か、拳か、それとも蹴りか?
さすがに苦々しい顔をして俯いたジムとルイージであったが……
「……お前ら、ちょっとやり過ぎだぞ」
親方から発されたのは、ぶっ飛ばされる覚悟をし始めたジムとルイージだけでなく、ディランにとっても、そしてランディーたちにとっても全くの予想外の言葉であった。
”ちょっと”やり過ぎ。
今回の件は、そんな言葉で締めくくることなどできない。というよりも、そんな言葉で締めくくってはいけない。
悪意によって引き起こされた、れっきとした傷害であり、なお殺人未遂だ。
そのうえ、ジムとルイージの2人の口からは「謝罪」の言葉は、一言も発されていない。謝られて済む話ではないが、加害者2人には反省の色すら見えない。それは、親方だって分かっているはずなのに。
毛布の中のディランの手が、今度は怒りで震え始めていた。
普段はすこぶる温厚なディランであるが、さすがに今回ばかりは、体の自由がきくなら、すぐさま”彼ら3人に”掴みかかっていっただろう。
高熱と怒りで煮えたぎった拳を、ディランがグッと握りしめた時――
右隣のベッドで風が立ち上がった。
いや、風が立ち上がったのではない。自分やエルドレッドと同じく、高熱でうなされているルークがガバッと起き上ったのだ!
”ルーク”と名を呼ぼうとしたディランであったが、痛む喉元からはかすれた声しか発することができなかった。
毛布を跳ね除け、上体を起こしているルークは、目は完全にすわり、真っ赤な顔でフーフーと荒い息を吐きだしていた。
上体は今にも寝台に倒れ込まんばかりにふらついていたが、彼のその榛色の両の瞳は、まっすぐに親方を射抜いた。
「……おい、おっさん! やり過ぎじゃねえーだろ!! 何言ってんだよ、あんた?! こいつらは、もう少しで本当に死ぬところだったんだぞ!!」
ルークの怒り。
ランディーたちが「ダメだよ、ルーク!」と彼を安静にさせようと、そして”親方に逆らうなんてまずいよ”と慌てて駆け寄っていった。
どさくさに紛れて、ジムが「うるせーよ、馬鹿」と吐き捨てていた。
「お前……!!」
親方の語気に怒りを存分に含んだ野太い声が、ディランにも聞こえた。
その怒りは、なぜか、加害者でありながら反省の色も見えない言葉を吐いたジムや再びニヤニヤし始めたルイージではなく、正義を問う叫び声を上げた被害者のルークへと向かっていた。
――ルーク……!!
熱で朦朧としているディランの視界が、親方の頑強な拳がルークに向かって、炸裂”したかのように”チカチカと点滅し始めた……
「……ディラン! おい、ディラン!」
眩しい光の点滅の中で聞こえてきたルークの声。
ルークの声を認識すると同時に、ディランは強い力で両肩を揺さぶられた。
ハッと”目を覚ました”ディランの眼前には、心配そうな顔をして自分を覗き込んでいる”18才のルーク”の顔があった。
夢であった。
目が覚めた。
途中までは自分が夢を見ている――過去への回想の道筋をたどっていることをしっかりと自覚していたディランであったが、彼はその夢にいつの間にか飲み込まれてしまっていた。
ルークは、隣でうなされている自分を起こしてくれたのだ。
ディランの口の中はカラカラに乾き、首筋と背筋にはじっとりと汗をかいている。夢の中でも、そしてこの現実においても、まだ瞼は重たい。
悪夢の残滓は――川の冷たさや高熱の苦しみまで――しっかりとこの身に残ってもいる。
「ルーク」
ディランは、友の名を――”あの時”自身も死の一歩手前に追いやられ高熱で苦しんでいたにも関わらず、エルドレッドと自分のことを思い、事なかれ主義の親方に正義を問うたルークの名を呼んだ。
「どうした?」
ディランがどんな夢を見ていたのかなど、もちろん知らないルークは”?”と、ディランの顔を見つめ返した。
先ほどの悪夢――いや、恐ろしい過去のなかで、ルークが親方にガチギレしたのは事実だ。
だが、チカチカと点滅し始めた悪夢の終わりにおいて、親方の頑強な拳がルークに向かって炸裂したかようにディランには見えたが、”実際の親方は”あの後、ルークに拳を上げたりはしていなかった。
さすがの親方も、高熱を出し苦しんでいる少年・ルークに、止めをするような暴力を振るってなどはいなかった。
「ごめん、ちょっと怖い夢、見ててさ……怖い夢というか、実際に酷い目にあった時のことを、まるで再体験させられたかのような最悪な夢だったけど……」
「……大丈夫か? 酷い目にあった時って……やっぱりナルシストのフランシスとやり合った時のことか? それとも、じいさんの昔の知り合いのヘルキャットとかいう余裕こいている魔導士が現れた夜のことか?」
「……それよりも、ずっと昔の話だよ」
ルークの問いにディランは、黙って首を横に振った。
「ディラン、少し水でも飲むか」
トレヴァーの声に、ディランはハッとした。
どうやら、トレヴァーも起こしてしまっていたらしい。
いや、トレヴァーだけではない。
ヴィンセントも、ダニエルも、フレディも、まだ薄暗い寝床から起き上がって、心配そうに自分とルークを見ていたのだから……
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