―61― 砕け散った鏡(7)

「顔は赤いけど……熱はねえみたいだな」

 ディランの額に自身の手をそっと置いたルークが言った。


「……ほら、ディラン」

 トレヴァーが水の入ったカップをディランに手渡す。

「ありがとう」とそれを受け取ったディランは、過去の惨劇を鮮明なまでに現在の自分へと届けてきた悪夢による不快感と”なぜか込み上げてくる不安”によって乾ききっていた喉を潤した。


「ルークはよく寝言でむにゃむにゃ言ってるけど、お前がそれほど夢にとわられてうなされるなんて、珍しいな」

 フレディが言う。

 確かにフレディの言う通り、”普段のディラン”は寝相が悪いわけでもなく、鼾が豪快なわけでもなく、普段の温厚な彼の性格通りの安定した睡眠状態であった。


 今日の夢はいつもと違う。なんだか、今日はいつもと違う。


「みんな……ごめん。起こしちゃって……」

 ディランは皆に――といっても穏やかな波の音と呼応するかのように、相変わらず規則正しい寝息を立てている魔導士ピーター以外の者たちを起こしてしまったことを詫びた。

 首筋と背中にかいている汗が、またじんわりと滲み出てきたような気がする。

 水を飲み干したカップを枕元にそっと置いたディランとルークの目が合った。


 口には出さないものの、ルークのその瞳は、”お前、様子がおかしいぞ。大丈夫か?”とディランに問いかけていた。

 皆に心配を――いや、何よりもルークに心配をかけている。

 適当にはぐらかすことにした方がいいか、何でもかんでも皆に言えばいいってもんじゃない、という考えがディランの脳裏をよぎっていった。

 けれども……

 この日のディランは、自分がうなされていた悪夢(過去)について、ここにいる者たちに話すことを選択した。





 悪夢の粗筋、というか実際に今から約5年前に起こった事実(事件)を聞いていた皆の顔は、ディランの想像通り曇っていった。


「おっ……お、お話に聞いていた以上のお二人ですね……っ」

 それほど血色の良くない唇の血色をさらに、青に近づけたダニエル。

 2日ほど前、娼館好きの不良兵士バーニー・ソロモン・スミスに絡まれた夕食時に、ジムとルイージについては「気が荒い」と一言だけ話していたが、ジムたちはダニエルの想像以上であったのだ。

 貴族として多数の者から”敬われる立場に”生まれていたダニエルは、年上の少年からの虐めに遭ったことなどあるはずもなかった。



 トレヴァーも、ダニエルに頷いた。

「……気が荒い奴って言うのはどこにでもいるけど、そいつら2人は気が荒いってレベルじゃないな。俺も今まで、いろんな奴らに出会ったけど、正直、そこまで酷い奴らには出会わなかったからな」

 この中でアドリアナ王国の地理に一番詳しい、すなわちアドリアナ王国内の移動回数が飛び抜けて多く、それに応じて自分と同じ年頃の少年たちを多数見てきたトレヴァーでさえ、ジムとルイージは「酷い」と感じている。


 ダニエルにも、トレヴァーにも頷いたヴィンセントが口を開く。

「しかし……親方さんも信じられませんね。お会いしたこともなれければ、言葉を交わしたこともない人を悪く言うのは気が引けますが、いくら子供といっても……いえ、もう16才と言えば、完全に分別のついている年齢ではありますが……数々の恐喝と暴力を繰り返し、そのうえ殺人未遂事件まで起こした2人に対して、軽い口頭注意だけで済ませるなんて……」


 黙って皆の話を聞いていたフレディが、ディランとルークに向き直った。

「今聞いたお前の話から推測すると、親方はジムとルイージって奴らを役場に突き出してもいないし、”クビにもしていない”のだろう?」


 フレディのその推測は見事に当たっていた。

 渋い顔をしたルークが答える。

「……まあ、あいつらをクビにしなかった理由については、親方本人に聞いてみないと分からないけれどよ。親方は事なかれ主義っつうか……単に、親方自身もガキの頃はジムやルイージに近い立ち位置にいたんだと思うぜ。体でけェし、顔怖すぎだしよ……あいつらみたいに、虐めや暴力は奮ってはいなくても、自分より強い奴らに暴力を受けた者が助けを求めている気持ちなんて分からないんだろう。むしろ、”なんで、やりかえさないんだ?”って思ってそうだったし……」


 加害者側に立つ者は、被害者側の気持ちなんて分からない。分かろうとしていなかった。


「俺もたぶん、そうだとは思うけどね……でも、親方は”親方”という立場にいるんだし、ジムとルイージを指導できる存在であり大人であるのに……」

 子供にとって、大人とは絶対的な存在であった。

 それは当時13才当時のルークとディランだけでなく、自分たち3年早く大人へと近づいている16才のジムやルイージにとっても、同じであっただろう。

 人を1人――いや、巻き添えで3人殺しそうな事件を起こした。

 だが、一番近くにいた大人が許した。

 だから、全て許されたのだ。そういった考えも、当時のジムとルイージは持ってしまったのかもしれない。



 荒れ狂う冷たい冬の川から何とか這い上がることができた後――

 ランディーたちが手配してれくれた薬は届いたものの、エルドレッドとともにルークもディランも揃って、それからさらに数日間寝込み続けた。

 徐々に回復に向かっていく枕元で、ランディーや他の少年たちがかわるがわる看病をしてくれたのはしっかりと覚えているが、親方が看病にくること(いや、むしろ来ないでほしいが)は一度もなく、一日に一回程度、死んでないかを確認しにくるだけであった。

 しつこい熱は完全に去り、幸運にも誰一人として後遺症や合併症を引き起こすことはなかった。

 仕事に復帰した時、ルークとディランも、ジムとルイージは”さすがに”解雇されたか、もしくは自分たちから辞めると言い出して、いなくなっていると思っていたが、そうではなかった。



 ジムとルイージは、確かに仕事は早かったし、体力だってあった。

 彼ら2人が抜けたとしたら、最初のうちは多少のダメージは喰らうかもしれないが、残っている少年たちでカバーしきれないほどではない。

 何より、彼らは少年たちの”和”を乱しまくっている存在だ。

 仕事のスピードや体力は彼らに劣っても、気質も穏やかで揉め事を起こさない少年たちの方が圧倒的多数であったのに。


 だが、ジムとルイージは”事件後も”今まで通り、同僚として籍を置いており(親方が籍を置くことを許しており)、それから数カ月間――親方が「解散」を発表するまで一緒に働き続けた。

 それまでの間、ルークもディランもエルドレッドも、ジムとルイージにはずっと睨まれ続けてはいたものの、表立った暴力や殺人未遂行為されることとは二度となかった。さすがに、これ以上やるのはまずいと彼らも思っていたのだろう。

 一度だけ、イライラしているジムが、仕事でミスをしたランディーの股間に軽く膝蹴りを食らわせようとしていた時があった。だが、ルークとディランが慌てて駆け付けようとすると、ジムは「冗談だっての」と地面にペッと唾を吐き、メンチを切って去っていった。言葉と行動が全く一致していなかった。

 ルーク&ディラン vs ジム&ルイージは冷戦状態が続いたまま、属していた組織そのものが解散となり、今はもう”完全に”彼らとは縁が切れていると言えるであろう。



「……ま、あん時ゃ、冷てぇ川の中であのまま死ぬかと思った。今、思い出しても、俺の人生の……いや、”俺たち”の人生の修羅場トップ5に入るな。正直、あいつらがあのまま働き続けるっていうなら、俺たちの方が辞めようかと思ってた。でも、満足な貯えもねえし、すぐに次の働き口が見つかるとも限らねえしってことで、俺もディランも、エルドレッドも、ランディーもあのまま、親方の元で働き続けるしかなかったんだよ……」

 そのルークの言葉に、ディランが”ほんと、あの時はそれしか選択肢がなかったよね”と、肯定の意のアイコンタクトを取って頷いた。


 殺されかけた被害者が、自分たちを殺そうとした加害者とともに働き続け、同じ屋根の下で寝泊まりし続ける。

 今、考えれば相当に恐ろしいことであり、異常な状況であった。

 だが、自分たちには家も親もない。そのうえ、まだ子供。完全な社会的弱者である。

 再び同じ目に遭わされる恐ろしさよりも、食い扶持がなくて飢え死にする恐ろしさの方が勝っていたのだ。


 


「でも……不思議なことに、親方が解散を唱えた時、退職金ってことで、給料の3カ月分ぐらいを”全員に”渡してくれたんだ。それで、俺もルークもなんとか、次の仕事が見つかるまで、食いつなぐことができたってわけ」

「……確か、そうだったよな。俺たちの薬代や医者代すらケチった親方にとっては、あり得ないほどの太っ腹で、なんか腑に落ちない出来事だったぜ。まあ、その金があって助かったことは事実なわけし、”腑に落ちない”なんて言うのは恩知らずだけど……」

 ルークも当時のことを――ディランの悪夢をきっかけにして、いろいろ思い出してきたらしい。


 給料の3ヵ月分ほどの退職金。

 それは、働いていた少年たちに対しての”純粋な”労わりの気持ちであったのか、それとも……


「ルーク、俺もいろいろ思い出してきたんだけど……確か、解散の1か月前ぐらいに、親方の所におかしな客人が来てただろ。結構、強烈な……」

「……? うーん、え~っと……あ! 思い出したぜ! なんか、色々ちぐはぐな感じのする奴だったよな。俺、勝手にフリーの大道芸人かと思って脳内完結してたけど、あいつが親方の”次のビジネスパートナー”で、俺らに退職金を渡したほうが丸く収まるって親方にアドバイスしたのかもしれねぇな。あいつは、貴族には到底見えなかったけど、かなり実入りのいい奴みたいなのは確実だったし」

 さらにいろいろ鮮明に思い出したてきたらしいルーク。


「あの……その”色々ちぐはぐな感じがする奴”っていうのは、一体?」

 ヴィンセントが話を聞いていた者たちの疑問を代表するように問う。


 ルークとディランは互いに顔を見合わせる。

 ”ディラン、お前、うまく説明できるか?”と”いや、自信ないけど、まずは覚えているところだけでも……”と彼ら2人はアイコンタクトを取り合い、今回はディランが先陣を切った。


「その……なんていうか、趣味が一貫していない人だったんだよ。まず、肩に”鳥を……オウムを乗せている”。そして背中には”弓矢を背負っている”。”髭は生やしっぱなし”だけど、”真っ赤な口紅を付けて、女物のスカートをはいて”いて……まるで、”一人の人間の中に幾人もの人間が同居している”ようで、その個性を制御できてないっていうか……」

「それに、女物のスカート履いてたって言っても、ジェニーみたいに膝小僧が隠れる丈のもんじゃなくて、黒いすね毛の生えている太腿丸出しなマイクロミニなやつ? そのうえ、”両手の指、10本全部にビカビカと光る高そうな指輪を付けてた”んだぜ。センスは壊滅的でも、その指輪からして、実入りが相当良かったのには間違いないから、親方はその男と組んで一攫千金狙い始めたのかもしれないけどよ」

 ルークが、様々な感情――ルーク自身も説明できない感情が入り混じっているに違いないため息をついた。


 ルークとディランの説明を聞いた、トレヴァー、ヴィンセント、ダニエル、フレディ全員とも「?!?!?!」といった表情にみるみるうちに変化していった。


 先入観を持って、人を外見で判断するのは褒められたことではない。

 でも、今の説明を聞いた限り、トレヴァーたちの脳内では”奇怪な男の姿”が描かれていかざるをえなかった。

 まあ、一言でいうなら「変人」の姿が……

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