―54― 襲撃(6)~囚われの船~
「で、ランディー……てめえはまごうことなき役立たずだから、俺らの打ち合わせに出席する権利はねえ。今夜はこのおっさんの見張りでもしとけ。この部屋を出ることは許さねえぞ」
ジムの刃物のごとき鋭い眼光と言葉に、ランディーもゴッティと同じく、すくみ上がった。
”生意気に俺らを止めようとした(邪魔しやがった)てめえは、明日の襲撃後の宴会の催し物として顔から火が出るほど恥ずかしい思いをするのはもちろんだがよ。それ以外でも、少し罰を与えねえとな…”というように、ジムはクッと喉を短く鳴らした。
「ランディー”坊や”が、おっさんと一夜をともに過ごすって、他の野郎どもに言っとくか」
ルイージもまた、ジムに乗っかるかのように、悪意を持ってランディーをおちょくあった。
ジムが再び口を開く。
「なあ、ランディー……現実は、カンゼンチョーアク(勧善懲悪)っつう、ややこしい言葉で表現されるような物語とは違うんだぜ。明日、繰り広げられるのは、てめえの”かつての英雄たち”が、俺たち海賊にコテンパンにボコられ、最終的には生首にされる現実だ。それに、おっさん……てめえが”望んでいる英雄”もてめえら家族を助けてはくれねえよ。しかも、明日はこの船にいる俺らと”本船”にいる親方や”すかした絵描き気取り(エルドレッド)”たちと獲物を挟み撃ちといくんだよ。俺たちと”俺たちの鳥”に目をつけられた時点で、てめえらの命運は尽きちまったとしか言えねえしなぁ」
完全にすくみ上がっているランディーとゴッティを、さらに追い詰めすくみ上がらせようとするジム。
彼は、殴る蹴るといった肉体への暴力だけでなく、口から発する剣でもランディーたちの希望を容赦なく切り裂こうとしている。そして、ルイージは相変わらずニヤニヤとしながら、さらに血の気を失っていくランディーたちの顔を交互に眺めていた。
ランディーの”かつての英雄たち”――ランディーがなついていたルークとディランも、ペイン海賊団に殺され、首を切断され晒しものにされる……
ゴッティの”望んでいる英雄”――誉れが高いことは間違いないと思われるアドリアナ王国直属の兵士たちも、ペイン海賊団に殺され、囚われの身のゴッティたちはペイン海賊団から逃れることはできない……
言いたいことを言って、つまりは自分が満足するまで彼らを脅したことに気が済んだのか、ジムはランディーとゴッティに背を向けた。
まだ、その頬と口元に笑いを残留させていたルイージも背を向け、ジムへと続いた。
「なあ、ジム。酒はまだ残ってンだし、野郎どもと飲み直しながら打ち合わせしようぜ」
「……やめとけ。明日に響くぞ。今日は早く寝ろ」
「ンだよ……お前、妙なところで真面目チャンだな」
酒を飲み直しながらの打ち合わせを持ちかけるルイージに、ジムは”明日の襲撃に備えて睡眠をとりコンディションを整えておけ”と返している。
ジムとルイージの話し声は、徐々に遠くなっていった。
2人の恐ろしい海賊たちは、”とりあえず”この部屋からは去った。
そう、とりあえず、今夜だけは――
この部屋に残らざるを得なくなったランディーと、引き続きこの部屋に監禁され続けるゴッティの間に、外の暗黒の海より聞こえてくる、やけに規則正しい波の音が満ちていった。
「……水を……飲ませてもらえないか?」
ゴッティの粘ついた喉から発せられたかすれきった声に、ランディーは弾かれたようであった。
ランディーがさっとを見回すと、先ほどジムかルイージのどちらかが持ってきたであろう水差しが床に転がっていた。
左脚を引きずりながら、水差しの元に駆け寄ったランディーは、水差しの中にまだ三分の一ぐほど腐ってはいない新鮮な水が残っていることに安堵した。
だが、この水を注ぐ清潔なカップなどは見当たらない。
ランディーは仕方なしに「すみません」と肩をすくめ、つま先立ちをして、ゴッティのひび割れた唇へと水差しの口を近づけた。
ランディーがゴッティを見上げた限り、ゴッティの顔の腫れは”監禁初日に比べると”わずかばかりおさまったように思えたが、ゴッティの顔の至るところは痣によって変色し、鼻の下や顎にも血はこびりついていた。
上流階級専用とばかりにあつらえられたに違いないシャツにも血は飛び散り、すでにその血は茶色に変色していた。
普段なら、身なりに相当、気を使っているに違いないゴッティであったが、服を着替えることも海賊に許されてはいないため、襟首にも黒い汗染みができていた。
何より、ゴッティの両の瞼の下にはくっきりと濃い隈が刻まれ……「絶望」と「恐怖」という、たった2種類の感情の波が、彼を冷たく覆いつくしていることが、ランディーには分かった。
ゴッティの喉は再び潤った。
口の中の傷とぐらついた奥歯に、水が染み込み、ゴッティは顔をしかめた。だが、与えられた潤いの方がその痛みに勝った。
ランディーは、先ほどのジムのように、自分の口の中に水差しの口を強引にねじこんできたのではない。ゴッティのペースを見ながら、水を飲ませてくれたのだから。
「…………ありがとう」
ゴッティからランディーへと言葉。
それはもちろん、今、水を飲ませてもらったということへの礼だ。だが、それと同時に、先ほどあの外道2人に肉を削がれる寸前であった自分を、酷い制裁を受けることは予測していたであろうに身を挺してかばってくれた礼も含まれていた。
「…い、いえ……」
ランディーは、ゴッティと目を合わすことができなかった。
ゴッティは、間近で見るとビックリするぐらい濃く長い睫毛を伏せた少年・ランディーを見下ろしながら考えていた。
――私はこの少年に助けられた……だが、この少年は一体、あの外道どもと、どういった関係にあるのだ?
小柄で華奢な肉体(ゴッティが見たペイン海賊団の構成員の中では一番小さい)、幼げな顔の中にあるパッチリとした澄み切った瞳、肩のあたりで切り揃えた髪といい、少年ランディーは一見すると少女のようにも見えた。
中性的で、未成熟な外見のランディーの年は12、13才といったところかと予測されるが、彼の変声期はすでに終わっているだろう。
凶悪な海賊団の一員には見えないランディーであるも、彼もペイン海賊団の一員であることは間違いない。
けれども、ゴッティの前に現れたペイン海賊団の構成員たち――ジムやルイージ、その他の構成員たちとは、明らかに異質の存在である。
先ほど自分を助けてくれたことからも、本当に大げさな表現ではなく、この漆黒の闇の中に希望の光をともしてくれた天使のごとき存在に思えた。
そして、その明らかに異質な存在であり、まだ人としての心は残っているだろうランディーが、ジムやルイージの残忍さに怯え、決して逆らえないことは伝わってきた。
だが、ランディーは、力関係で明らかに自分より上にいるとジムやルイージに対して敬語を使わず――平民風に言うなら「タメ口」で会話をしていた。
それに、誰がどう見ても、ランディーよりもジムやルイージの方が年上である。
ランディーとジムたちの年齢は10才近く離れているに違いない。特に、あの赤茶けた髪とそばかすが散った顔の長身痩躯のルイージとは10才以上離れているかもしれない。
ランディーはジムやルイージのファーストネームを呼び捨てにし、ジムやルイージも”ファーストネームを呼び捨てにされ、タメ口で話をすることについては”ごく自然に受け入れている。
――まさか、兄弟か、親戚などといった間柄なのだろうか?
いや、ゴッティが見た限り、ランディー、ジム、ルイージの髪の色や瞳の色、顔立ち、雰囲気などは、三者三様といったところだ。彼らの外見からは、明確な血のつながりが感じられる要素などは微塵も見られない。
そうなると、彼らは長年一緒に生活をしてきたということか。
誘拐された、もしくは脅されたなどで、無理やり仲間に引き入れられたとしたなら、恐ろしい海賊たちにごく普通に「タメ口」をきいたりはしないはずだ。
「ペイン海賊団」の名が悪名をとどろかせ始めたのは、ここ数年のことではあるが、それ以前から、ランディー、ジム、ルイージはともに生活をしていていたのだろう。そして、先ほど彼らの会話に出てきたロビンソンやハドソンといった者たちも……
このランディーが自分や妻たちをたった1人で救い出してくれることは力量的に無理であるのが現実だ。
左脚を引きずり、小柄でいかにも非力そうなランディー。
”人を殺める腕”は確かであることは自他ともに認め――あの口ぶりからすると、連勝し続けているペイン海賊団の初期からの生え抜きの構成員であるらしいジムとルイージには、ことさら敵うわけがないだろう。
それに何よりも、多勢に無勢だ。この囚われの船にいる海賊だけではなく、ペイン海賊団の本船にいるらしい、奴らのボスとその他の仲間たちまでいるらしいと――
――だが、もし、明日……アドリアナ王国の兵士たちが、ペイン海賊団に屈することなく、あの外道どもを討伐してくれたなら……!
ゴッティは、”これからさらに強くなっていくに違いない”恐怖と絶望のなかにありながらも、冷静にランディーとジムたちの関係を推察しつつ、明日へのかすかな希望を抱こうとしていた。
ゴッティのそれは、明日にこの海にて繰り広げられるであろう禍々しい悪夢から――自分のこの船に降りかかった、おびただしい血が流れるに違いない悪夢から、目を逸らそうとする防衛本能から来るものであったのかもしれない。
対するランディーは……
――この人は、”いずれは”ジムたちに殺されるんだ。俺がしたことは、この人を中途半端な生殺し状態のままにしただけだ……でも、ジムが”肉を削ぐ”なんて、身の毛がよだつことを言っていた時、俺は”何も聞かなかったと自分に言い聞かせて”元の部屋に戻れば良かったのか? いや、そんなことは絶対に…………明日、俺がジムやルイージに変態としか言えない性的虐めを皆の前で受けることになったとしても……
ランディーは、血が滲むほどにその柔らかな唇を噛みしめた。
事態は何一つ、解決はしていないのだ。
ゴッティや、彼の家族たちの命の保証がされたわけではない。いや、この先、命の保証がされることはないに等しい。
ジムたちの企み通りに事が運べば(何やら遠距離戦にもってこいらしい最新式の武器を手に入れれば)、ゴッティは用済みとばかりに殺され、彼の妻と娘、そして侍女たちは裏娼館へと売られる。
そのうえ――明日は……
ランディーの脳裏に、蘇ってくる。
数日前、アドリアナ王国の港町にて、(なぜか彼ら2人だけ頭に包帯を巻いていたが)他5人の男とともに、民衆に手を振っていたルークとディランの姿が……
強く噛みしめた唇の痛みと呼応するかのように、ランディーの脳裏では、さらに深い記憶の中にあるルークとディランの少年時代の笑顔までもが鮮明に蘇ってきた。
――助けてくれ、俺を”ここ”から救い出してくれ……
ペイン海賊団は――主にジムとルイージは、ランディーにとって、”光無き暗黒の海”に高くそびえる氷山のごとき存在であった。
その氷山に自分は、固い鎖で繋がれ……氷が溶けるまで、絶対に逃げ出すことができない。
だが、”光無き暗黒の海”において、その氷は永遠に溶けることはないのだ。
この暗黒の海にあたたかな希望の光が差し込む――つまりは、ランディーがペイン海賊団を離れる時は、正義を重んずる者たちにペイン海賊団が征伐された時であろう。
そう、ランディーたち海賊がその場で斬り殺されるか、捕らえられて裁きを受ける時(間違いなく全員死刑)だ。
ランディーが望む希望の光は、彼自身の死に直結していた。
だが、この暗黒の海に希望の光が差し込むことがなければ、ペイン海賊団が進める海路に浮かぶ死体の数が際限なく増え続けるであろう。
その絶望の光景の中には、ルークとディランの死体もあるのだ。
運命のコイントスだ。
明日、この光無き暗黒の海にて、運命のコインが投げられる。
表か裏か。
希望か、絶望か。
ルークとディランが生きることとなれば、自分やジムたちが死ぬ。
そして、自分やジムたちが生きることとなれば、ルークとディランが死ぬのだ……
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