―27― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(9)~だが、事件の前にアダムの過去の一場面へと~

 堤防が人の手――いや、巨人の手によってによって、ほじくり返されたように……

 ジェニーも、そしてアダムも巨人などは実際に見たことがない。

 けれども、アダムの記憶の中では、町境の堤防は人間とは思えない大きな手のごときものにほじくり返されたような惨状であったと……



「おじいちゃん……もしかして、悪い魔導士たちの誰かが、おじいちゃんを神人さんたちから引き離すために、堤防を決壊させたのかも……ってことよね」

 ジェニーが問う声に、アダムは頷いた。

 今のアダムの話より、しっかりと2つの悲劇の因果関係を読み取っているジェニー。

 悪しき魔導士たちが、神人の居場所を突き止め、襲撃を企む。

 だが、そのためには神人とともにいるアダムは邪魔でしかない。なんとか物理的に(アダムならすぐに瞬間移動で駆け付けられるが)アダムを神人たちから離し、彼が川の水に流された無力な者たちの気を懸命に探している間、自分たちは神人を……



「お前に話した通り、”魔導士”とひとくくりにしても、その力の強さや種類は様々じゃ……魔導士の数だけ、気の使い方や力の出し方があるといってもいい。今、神人の船の乗っている魔導士の中には、生じた影より人体を溶かす気を発することができる者もおると……それに、気を発することは得意でなくとも、目の前の人物から流れてくる未来の気を掴むことに優れている者も中にはいるだろう。自分の魔導士としての特性に気づけず、その生涯を閉じることとなる魔導士だって中にはいるはずじゃ……わしがセレストの町で見た、食欲で保ち続けているであろう魔導士の力は、一見大したことがないように思えた……だが、あの者がその力を放出した時――自分の”肉体からは離れた場所”で”気”を生じさせることができるのでは……あの者が堤防を決壊させ、その間にサミュエルたちが……」

 ”神人たちを襲ったんじゃろう”と、アダムは続けたかったに違いない。



「あの……おじいちゃん。私、今の話を聞いていて、一つだけ疑問があるんだけど……」

 アダムはジェニーの瞳をそっと優しく見返した。

 やはり、ジェニーは賢すぎはしないが、決して馬鹿ではない。

「その川の堤防が決壊した現場に、おじいちゃんは駆け付けたわけよね。堤防にはまるで巨人の爪痕とも思える痕跡が残っていたと……でも……それが太った魔導士の人の仕業だとすれば、堤防にその魔導士の気は残ってはいなかったの? おじいちゃんほどの魔導士が……」

 ”気を読み取れないなんてこと、あるとは思えないわ”と、ジェニーは続けたかったに違いない。



 アダムは首を縦に振った。

「……まあ、そのことはわしの魔導士としての力不足もあっただろう。だが、あの決壊した川の現場では、数多く者の悲鳴や絶望と恐怖の気が飛び交い続け、わしが”元からそう強くはない”その魔導士の気を”はっきりと”感じ取ることはできなかったのかもしれぬ」


 川の堤防の決壊。

 現場はまさにパニック状態だっただろう。家族を流され絶叫していた者、そして自分自身が流され、土砂の中で苦しさに喘ぎあえぎながら、生への希望を――いや、生を渇望していた者、阿鼻叫喚のその現場に駆け付けた者たち、そして何よりも何事かが起こったと瞬間移動で駆け付けたアダム自身も、土砂の中に取り残された者たちの気を感じ取ることに精神を統一していたため、堤防を決壊させて者が残留させた気を感じ取れなかったのかもしれない――



「サミュエルが今現在、行動をともにしている者の中には、あの太った魔導士は入っていないはずじゃ……けれども、今までの話を聞いた限り(もちろんサミュエルからも聞いた話も含むが)神人の”力を手に入れた者”はあいつ以外にもいる。どこに残りの者たちが転がっているのかは分からない。でも、これから先、わしがともにいれば、お前を――いや、お前たちを守る……」


 ジェニーは涙が滲んだ瞳で、アダムの手を握った。そして、アダムもジェニーの手を握り返した。

 言葉に出さなくても、祖父には自分の思いが伝わっているだろう。そして、自分にも祖父の思いは伝わっているのだから……



 だが、ここでもアダムはジェニーを全てを話はしなかった。

 自分の推測も含む”全て”を話していたなら、自分たちが家族を”殺された事故”にも、共通点があることがジェニーにも分かっていただろう。



「神人殺人事件」より43年後――

 その運命の日は、連日の大雨が降り続いていた。

 そして、”またしても”アダムは家を空けていた。

 隣町で、”またしても”発生した川の堤防の決壊のために――

 阿鼻叫喚のなか、魔導士としての力はまだまだ残っているが、さすがに体力には少しかげりが見えていたアダムが、自分と隣町の者たちとともに必死で救出活動を行っていた時――

 

 崖からの落石がタウンゼント家だけを襲ったのだ。まるで、タウンゼント家だけをピンポイントで狙ったように……


 単に不運で不幸な事故が重なり合っただけと言えたことであったかもしれない。


 けれども、本来の出港前夜であったあの夜に、サミュエルから聞かされたことがアダムの脳裏に、サミュエルの声が響くように蘇ってきた……


※※※


「……お前が、孫娘以外の家族を全て失った十数年前のあの”天災”のことだ。昔から人の根本は”善”だと信じようとしていたお前のことだから、今でもあれはただの事故だったと思ってんだろ? だが、違うんだよなぁ」


「一人の魔導士の仕業とだけ言っとく。一緒に神人の肉を喰った奴らのうちの一人だけど、今はもう付き合いはねえからから、お前の家族を襲撃した理由については知らねえし。今はエマヌエーレ国にいるらしい”そいつ”だけど、俺ももうあんまり関わりたくねえんだ。昔から大した理由も計画もなく、思い付きでとんでもないことする奴だし。あんな毒薬を身近に抱えておくのは、精神衛生上良くないからな」


「なみに、そいつだが、大して実力もないのに自分こそは優れた存在だと思い込んでいる大勘違い野郎さ。物語のなかの悪役になれそうにもない奴ってわけ。自分が描いている自分の姿と、他者から見た自分の姿が違うってことに、気づこうともしていないし、相当に哀れな奴だぜ」


※※※


 そして、59年前――

 セレストの町にて、サミュエルがあの異様な雰囲気を醸し出している巨漢魔導士について自分に言ったこと――


※※※


「”食欲を満たすことが第一なのは仕方ない”として、他のことにも思い込みと自惚れで”考えるといったことをせず”猪突猛進といったメガトンデブより、お前の方がまだ”普通に話はできる”しな」


※※※



 サミュエルからの人物評を聞いた限り、巨漢魔導士と”自分たちの家族を殺した魔導士”は、同一人物の可能性が高いだろう。


 「神人殺人事件」の際、大きな川の堤防を決壊させることで、”うまくいった”からまたしても……というワンパターンな行動を43年後もとったのではと。



 だが、アダムは家族を――それも、魔導士でもない家族を殺される理由など、心当たりなどがあるはずはない。


 けれども、この世の中には自身の正義の物差しでは測れぬ者がいる。

 今、マリア王女の肉体にはレイナという名の善良な娘の魂が入っているが、本来のマリア王女は、自身の欲望と快楽のままに生きる、まるで悪魔のごとき残酷で淫蕩な魂であったと聞いている。


 そして、サミュエルも、自身が誰よりも優れた存在でありたい、そして神人の力を手に入れたいという欲望のために、他者を踏みつけ利用し、その手を血に染め、ただ自己のためだけに生きてきた。

 貴族の生まれ(かもしれない)であり、良識的なヘルキャット夫妻に育てられたサミュエル・メイナード・ヘルキャット。

 治安を守る役人たちからの要請を受け、神人たちの捜索に協力していたヘルキャット夫妻が、「神人殺人事件」の血の海の現場に残されていた教え子(子供)の気を感じ取った時の嘆き悲しみようは、アダムは見ていられなかった。


「神人殺人事件」より十数年も、アダムは必死でサミュエルたちの行方を探していた。

 元の世界に戻ることができなかったトーマスたちと、年端もいかない子供・オリーままでも”殺したであろう”サミュエル。


 だが、すっかりこの世界から消失してしまったかのように、サミュエルの気は掴めなかった。

 まさか、何があったかは分からないが、すでにあいつも死んでいるというのか……?


 けれども、アダムは調査と捜索を続けた。

 サミュエルを捕まえたところで、トーマスたち神人の命が戻ってくることはないと理解はしていたが……

 首都シャノンにいた時は、城直属の魔導士のスカウトを断り、様々な町を通り抜け続け、ある町に辿り着いた時は、すでにアダムは30代後半に入っていた。

 定住もせずに、その日暮らしをしながら、調査をしていた疲れがたたったのだろうか。

 30代後半ともなれば、体も若い頃のままの回復力というわけにはいかず、アダムは柄にもなく高熱にうなされ続け、かなり長期間、ある宿で寝込むこととなった。


 その時に、彼を優しく看病してくれたのが、その宿の娘であった。

 20代後半で、最初はややとっつきにくそうな雰囲気の娘であったが、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。


 そして――

 数か月後、宿の娘がアダムの子を懐妊していることが分かった。

 当時としては晩婚に該当する年齢であった娘の懐妊に、宿の老夫婦は涙を流さんばかりに喜び、娘をアダムの嫁にすることに全く難色は示さなかった。

 一見すると、魔導士とはいえ、そして目的があるとはいえ、定住地を持たないアダムは頼りない流れ者であったが、夫婦もアダムの人柄に触れるうちに、娘を任せる気になったのだろう。


 30代後半にて、初めて家庭を持ったアダム。

 10才ほど年下の妻は見かけどおり勝気な性格であったが、たまに可愛い一面も見せ(今の若い奴らの言葉で言うとツンデレと言ったところか)、彼らの間には娘と息子が1人ずつ生まれた。

 アダムは、神人の子供オリーを抱っこしながらセレストの町の雑踏を歩いていた時に願った通り、娘と息子を得たのだ。

 時には妻と喧嘩をし、反抗期の娘や息子とぶつかり合い、だが彼らの家庭の大半は笑い声が満ちつつ、時は穏やかに過ぎていった。

 娘もまた母親と同じく20代後半にて、婿を見つけ、2人の子を産み、アダムと妻は孫を持つ祖父と祖母になった。


 この世に生を受けた大多数の平民が思い描くであろう幸せを得たアダムであったが、神人たちのことも、サミュエルのことも決して忘れたり、匙を投げだしたりしたわけではなかった。

 魔導士として町の者の手助けをしながら、不穏な気を感じた時は、時には広大なアドリアナ王国を瞬間移動し、少しでも手掛かりがつかめるものはないかと……



 

 けれども、その日々は終わりを告げた。

 事故の知らせを聞き、血相を変え、自宅へと戻ったアダムが見た光景は、無残に押しつぶされた家と、次々と運び出されていく家族たちの遺体であった。その遺体の中には、たった2才の孫娘(ジェニーの姉)の小さな遺体もあった。

まだ雨が冷たく降りしきるなか、犠牲となったアダムの家族5人の遺体が並べられていった。


 酸素と、何よりも自分の助けを求めていたにちがいない家族たちの大半は、苦悶の表情のまま、死んでいた。

 助けに来た者も、そしてアダム自身も顔を背けるほどの惨たらしい遺体のなかで、特に酷い状態であったのは、娘と息子であった。

 血だらけの娘の片腕は衝撃によって、千切れ、骨が飛び出ており、息子の顔半分は、無くなっていた。


 

 先に死ぬはずがなかった者たちが、死んでしまった。

 守ることができたはずであった者たちを、守ることができなかった。

 守ることができる力を授けられて、この世に生を受けたにも関わらず……



 それから、魂の大半を削り取られたようになったアダムは、ジェニーとともにアレクシスの町でひっそりと暮らしていた。

 真っ当に、日々明るく素直に育っていくジェニーの姿に、アダムの魂にも希望の光が再び宿り始めてきた。

 そんななか、彼は山間でフレデリック・ジーン・ロゴたち7人の”凍った騎士”を発見した。

 これは、自分が授けられた力で行うべき、最後のことかもしれないとアダムは感じずにはいられなかった。

 数年をかけ、陰険で残酷な呪いを紐解き、そしてとうとう最後の1人となった、フレディにかけられた術を解いていた時、悪しき魔導士(しかもジェニーとそう年の変わらぬ子供)の奇襲に遭い……



 そして、サミュエルとの再会。

 そのうえ、神人の船の忌まわしき秘密。

 アダム自身、正直、もう80才を超えた今になって、人智を超えた存在からの啓示を受け、孫ほど年の違う若者たちとともに、こうして船に乗っているということなど想像だにしなかった。

 だが、今というこの時は、すでに終盤に差し掛かっていることは明らかな自分の人生のなかにあることなのだ。


 命あるものはいずれ死ぬ。

 流れ続ける時の中でしばしの間、生を紡ぐ単なる命の一つでしかない。

 それは魔導士としての力を持って授かった者でもそれは変わりない。

 ヘルキャット夫妻もとうの昔に亡くなり、アダムに名を授けてくれた「子渡し人」(アダムは彼の名を最後まで知ることはできかった)も、もうこの世にはいないはずだ。

 ともに孤児院で育った者たちも、今はゆっくりと隠居生活をしているか、もしくは自分より”一足先に”冥海へと向かったのだろう。

 


 自分の肉体に残されている時間は、きっとあの希望の光を運ぶ者たちの中では、一番短いであろう。

 あの魔導士フランシスが、首都シャノンで残した嫌な置き土産だが自分と”あの者”に関しては、あながち間違いではないかもしれない。

 だが、”あの者”も自分も、この命が”保てる”限りはと……



 今、穏やかな波に揺られるこの船は、最初にエマヌエーレ国へと向かう。

 サミュエルは、今はエマヌエーレ国に、自分たちの家族を殺した魔導士がいると言っていた。

 たった1人の家族である孫娘・ジェニーを、家族の仇であり得体の知れない者が息づく大地へと下りたたせることなど、普通に考えたら正気の沙汰ではないだろう。

 けれども、愛する者、守るべき者たちから自分が一時的に離れたことによって、その者たちが殺された結果につながったのだとしたら、絶対に孫娘の側を離れることなく、孫娘とこの船の乗る者たちを守り抜くのだと……



 命の恵みのごとき陽の光に包まれし船、母の囁きのごとき穏やかな波の音に抱かれし船の一室にて、祖父から孫へと確かに血が受け継がれている胡桃色の瞳は……そう、ともに涙に濡れた瞳は、互いに目の前の大切な者を見つめ返した。

 アダムは、ジェニーが年頃の娘であるため、いくら家族とはいえ、抱き寄せることはしなかった。

 けれどもそのゴツゴツとした無骨な手で、なめらかで小さなジェニーの手を、もう一度強く握り返した。

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