【R15】人生は彼女の物語のなかに(今風タイトル:生真面目JKの魂が異世界の絶世の美人王女の肉体に?!運命の恋?逆ハーレム?それどころじゃありません!)
ー13ー サミュエル・メイナード・ヘルキャット(5)
ー13ー サミュエル・メイナード・ヘルキャット(5)
燃えさかる炎は消えた。いや、一瞬で氷漬けにされた。
レイナはダニエルとともに、苦し気に喘ぎ続けている魔導士ミザリーを両側から支え、なんとか立ち上がった。
――何? まさか……これは……!
炎に包まれていた宿が、こうして不気味な冷気が漂う氷の宿と姿を変えた現象は、おそらく魔導士フランシスの仕業であるのだとレイナは思わずにはいられなかった。
そう、魔導士サミュエル・メイナード・ヘルキャットの炎を押さえ込み、一瞬で氷漬けにできる魔導士など、他にいないだろう。
だが、氷が発する冷気とは異なるサミュエルの妖しい薬による冷気は、風に運ばれながらも、まだこの場に重々しく沈殿し、レイナたちの視界に黒い靄をかけていた。
皆、無事であるのか?
ルーク、ディラン、トレヴァーの3人は、苦痛に顔を歪めながらも剣を手に立ち上がっていた。ヴィンセントとフレディは、魔導士ピーターに肩を貸し、彼を両側から支えていた。アドリアナ王国からやってきていた数人の兵士たち、そしてこんな災難としか言えないことに巻き込まれてしまった宿の従業員たちも、なんとか立ち上がり始めていた。
オーガストとティモシーの2人は床に座り込んだまま、ただ宙を見上げていた。
「!!」
彼らの視線の先を見たレイナも驚愕した。
座り込んだ――いや、へたり込んだままと言えるオーガストとティモシーのわずか数メートル頭上にて、崩れ落ちた天井の一部が氷漬けにされていたのだから。
思い返してみると、確かにわずか前、炎が立てる轟音と宿の外の安全地帯にいる祭客たちの悲鳴が入り混じり、混乱と恐怖のなかにあるレイナ自身も、何かが大きく崩れ落ちる音を聞いたような気がした。
フランシスが彼らを助けたのか。それとも、あれは単なる偶然なのか。
だが、冷たい氷が宿を覆いつくすのが、あと数秒遅ければ、彼らは間違いなく、天井の下敷きとなり、命亡き者となっていただろう。
レイナの息が白く、宙を舞った。その季節外れの白い息には、恐怖と困惑がなおも入り混じり続けていた。
ジェニーとアダムは、どこにいる?
そして、今宵の襲撃者サミュエル・メイナード・ヘルキャットは、この広間の宙には浮かんではいない。あの魔導士は、自分だけは、この手足を痺れさせる自作の薬を吸い込むまいと避難したままなのか?
いや――
レイナは見た。
黒い靄が晴れゆこうとしている冷たい海のなか、孫娘ジェニーをその身にかばいながら立ち上がっているアダムと、腰を押さえ、そのアダムと睨み合っているサミュエル・メイナード・ヘルキャットの姿を。
サミュエルは、ゴホゴホと苦し気に咳き込んでいた。
暗黒の冷たい海に自分たちを浸した堕天使のごとき美しさを持つ魔導士は足元をすくわれ、彼もまた自らの海で溺れつつあった。
「……アダム、てめえ……腰打っちまったじゃねえか」
咳き込み、荒い息を吐きながら、ユラリと立ち上がったサミュエルは、アダムをギロリと睨んだ。
彼のその口調は、甘やかで上品な顔立ちならび、彼の本当の年齢に似つかわしくないものであった。
「……腰のことなど、気にしている場合じゃなかろう……」
アダムの口調は、見た目とその年齢にピッタリと合致していた。
アダムにかばわれながら、震える脚でかろうじて立っているジェニーが「おじいちゃん……っ……」とアダムにしがみついた。
「……お前たち! 早く皆で宿の外へと行くんじゃ! ジェニーを頼む!」
「嫌よ! おじいちゃん! おじいちゃんを置いてなんて……っ!」
ジェニーのその声は、まるで悲鳴のように悲痛なものであった。
「いいから……早く行くんじゃ!」
アダムは、孫娘の華奢な肩にその日焼けした分厚い手をガッと置いた。
サミュエルは、自分が作り上げた黒い冷気にこれ以上、ダメージを受けないようにと口元を押さえ、バッと上昇した。
そして、アダムにしがみついたままのジェニーと、体がまだ重い痺れにとらわれつつも自分に向かって剣を構えているルーク、ディラン、トレヴァーの3人、肉体的には全くノーダメージのまま自分に厳しい視線を向けているヴィンセントとフレディを見下ろし、チッと大きな舌打ちをした。
「……お前らアホガキがしゃしゃりでる場じゃねえぞ。少し場所を変えさせてもらうぜ」
サミュエルはパチンと開いた方の手を鳴らした。
瞬間――
サミュエルは余韻を残すことなく、この場から掻き消えた。ほぼ同時に、アダムまでも――
アダムが連れ去られた。
ジェニーの悲痛な悲鳴が響き渡った。
「ジェニー! 落ち着け!」
ルークが叫んだ。
だが、ジェニーは――たった一人の家族を、先ほどまですぐ隣にいた家族を失ったジェニーは、胡桃色の瞳から大粒の涙を流し泣き叫んだ。祖父を呼びながら、誰もいない宙へと、彼女は手を伸ばし――
「早く外へ!」
誰かの声がした。兵士の一人の声であったのか、それとも宿の従業員の声であったのかもしれない。
ルークたちも、これは絶対”あいつ”の仕業だと思っていた。あのフランシスがどういうつもりで自分の仲間であるサミュエルの炎を消したのか分からない。だが、いつ、この氷が崩れてくるかは分からないのだ。
”まず”この宿の外へと出るべきだという声に、皆、頷きあい――
炎にも氷にも犯されていない空気が、レイナたちの肌を撫でた。
青い月の光が、氷漬けの宿を見上げるレイナたちを照らし出した。
ダニエルが自分の上着を脱ぎ、苦し気に喘いでいるミザリーを上着の上にそっと横たわらせた。
魔導士であるピーターとミザリーは、誰かの助けを借りなければ到底起き上がれないような状態にある。
なおも苦しみ続けている彼らとは反比例するように、レイナたち――魔導士の力を持たない人間たちの体の自由は徐々に戻りかけてきていた。
万全の体制に戻るまではまだまだ時間がかかりそうではあるが、視界のぐらつきはマシになり、両手足の肉離れを思わせる痛みも薄まりかけ、なお胃のムカつきもおさまりかけているようだ。
確かにサミュエルは言っていた。
この薬はそう長く苦しむわけではないと。
対象者を死にまで至らせるほどの薬ではないのだ。
そして、”運が良ければ”火だるまになりながらも逃げることができるかもしれないぜ、とも。
彼が言っていた運とは、魔導士の力を持って生まれたか、そうではなかったのということであろう。ピーターとミザリーは、魔導士に生まれついたことによって、普通の人間よりも激しく重々しい苦痛のなかに今もいるのだ。
だが、その苦痛のなかにあっても、ピーターは狙いは外したたもののサミュエルの肉体を一時的に切り裂き、ミザリーは燃えさかる壁を破壊し、突破口を作ってくれたのだ。
「おじいちゃん……」
祖父を呼び、しゃくりあげるジェニーをレイナはただ、細い両腕で抱きしめることしかできなかった。ジェニーの背中は熱くなり、震えていた。レイナの肩に彼女の熱い涙が伝わってきた。
ルークが「ちくしょう……」と呻くように息を吐き出した。
剣をその手に握りしめたまま、どうすればいいのか分からない”希望の光を運ぶ者たち”は、皆、悔し気に唇を噛んでいた。
アダムはサミュエルに連れ去られ、おそらくもうすでにフランシスのところにいるのだろう。
アダムを奪還したくとも、どうすることもできないのだ。
自分たちはサミュエルやフランシスと同じフィールドで戦える力は持っていない。連れ去られてしまったアダムの気を探すことすらできないのだ。
美しく青い月の光は、歯痒さに喘ぐ彼らを冷たい絶望の底に突き落さんとする冷たい青の光にも思えた。
その時――
ヴィンセントがハッとして、顔を上げた。
「……あそこだ! 上にいる!」
彼の指が指す方向。それは氷の宿と化した宿の屋上であった。
平たい屋上。
それは、レイナの世界の基準でいうと、おおよそ4階建てぐらいの高さをだと思われる宿の屋上部分であった。
レイナの青き瞳にも、そしてジェニーの涙に濡れた胡桃色の瞳にも、その屋上で、自分たちと同じく青き月に照らされた2つの人影が映った――
冷たい氷に覆われた宿の屋上。
「……サミュエル……一体、何が目的だ……?」
ぜいぜいと息を吐きながら、アダムは目の前のサミュエルに問う。
自分の足元からも、自分と一直線上に立ち睨み合っているサミュエルの足元からも、身を凍らせるような冷たい冷気が立ち上ってきていた。
「ふん……今夜はお前を”とある船”に招待したかっただけの話だってのに……」
そう答えたサミュエルも、荒い息を吐いていた。自分が作った薬であり、吸い込むのはわずかな時間であったとはいえ、彼自身にもしっかり効いているのだ。
「人生とは思うままにならないものだろう……特に他人がからむとな……」
「しっかしアダム、俺の瞬間移動を妨害するとは、やはりジジイになった今も力は健在ということか。お前の孫娘たちからは、もっと見えないところでお前を手に入れたかったんだがな。だが、あの威勢のいいガキたちは、何もできやしない。魔導士の力というのは、生まれ持ったモンだからさ。せいぜい下で喚いてりゃあいいさ」
チラリと地上に目線をやったサミュエルはクッと笑った。
「……俺は今夜はお前さえいればいい。んでもって、お前を手に入れた後は、あの赤毛だけはとりあえず殺して帰ることにするさ。他の奴らは、その気になればいつでも殺せるしな。体調も万全でないのに、雑魚にまで無駄な力は使いたくないからな」
「たわけが……!」
アダムの胡桃色の瞳が、月明かりの下で光った。
「……サミュエル……お前の後ろにいる、あのフランシスという魔導士は一体何なんだ? まるで何人もの魔導士が束になったような――あの禍々しい男は……」
アダムが最後まで言い終わらないうちに、サミュエルがクククッと笑った。
「さすがだな。あいつ――フランシスのことまで見破るとは、俺が認めた魔導士のうちの1人だ。そのとーり。あいつの正体については、お前が今言ったことがすこぶるいい線いってるぜ。本人の話じゃ、あのフランシスは今から約160年ほど前に、このアドリアナ王国に生を受けた、”ただの平民”であったんだと……あいつが”魔導士の力を手に入れた”経緯についてまでは、お前に話す義理はない。でも、俺たちの計画は、俺やお前が生まれる前からすでに下ごしらえに入っていたんだよ。まあ、その一つがあの”凍った騎士”たちだけどな」
サミュエルの話を聞いたアダムの顔はさらに険しくなっていく――
「……一つだけ、お前に問いたい……お前、”トーマスたち”に一体、何をしたんだ?」
ゼエゼエと荒い息を吐きながら、重々しい声で自分に問うアダムの頬が怒りで震えているのを見たサミュエルは、フンと鼻から軽く息を漏らした。
おおよそ今から59年前、このアドリアナ王国に集団で現れた神人たち――翼もないのに空を飛べ、尾びれもないのに水のなかを自由に浮かべ、揃いも揃って美しく、その肉体の一か所に「護る者」や「導く者」などといった刻印が入った神人たち。
その頃は、まだ23かそこらであり、胡桃色の髪はたっぷりとして艶々と輝き、そこそこの男前であったアダムは、そのなかで特に”トーマス”という名の神人の男と気が合っていたということを、サミュエルはハッキリと思い出した。
「……何をしたのかって、その様子じゃ、お前もう分かってんだろ? 言わせたいのか? なら、はっきり言ってやるよ」
サミュエルは花の色を思わせるような紫色の瞳が、月明かりの下、キラリと光った。
「今から……59年、いやもうすぐ60周年となるか。俺たちの前に現れた、あの神人たちをちょっとこの身に”取り込ませてもらった”んだ」
取り込ませてもらった?
それは……?!
アダムの日焼けした頬が、月明かりの下でも分かるほど青くなっているのを見たサミュエルは、歪んだ笑みを浮かべ言葉を続ける。
「まあ……一言でいうと”喰った”んだよ」
神人の肉を食べた。
サミュエルの不老の外見――神人と同じく、全く歳をとっていないサミュエルの外見。これは神人との性交(そもそも59年前に、この世界に連れだって現れたトーマス含む神人たちは皆、男であった)によって、彼は神人の力(特性)を手に入れたわけではなかった。
「おいおい、何だよ、その顔。わざとらしいぞ。あいつらは優れた魔導士の礎として、この世界に現れ、そして”死んだ”だけだよ。あの時、一般人も幾人か巻き添えにはしちまったが…… それにある意味、化け物の一種だろ、あの神人たちは。それと、お前を安心させるために、言っておくけど……ちゃんと殺してから、喰ったからな。生きたまま喰ったわけじぇねえ。さすがにアドリアナ王国の王女殿下みたいな常軌を逸したサディストではないからな」
アダムは何も答えなかった。
彼は、その肉体に自分の薬が重く沈殿しているのか、それとも猟奇的なことを聞かされたためか、脂汗を浮かべ、苦し気に息を吐いたまま、なんとかその場に立ち続けようと――
サミュエルは、そんな彼を挑発するかのように、また口を開いた。そう、まるでフランシスのように。
「正直よぉ、神人の肉ってのは生臭くて、酸味も強くて、旨いと言えるもんじゃなかったぜ。もう、二度と喰いたくないぐらいの下等な肉だった。あいつらの中に女が一人でもいりゃあ、ひっかけて手早くベッドインで、実験すりゃよかっただけの話だけど、男しかいなかったし仕方ねえよな。不味い肉だったけど、その効果は今の俺を見れば分かるとおり、絶大だろ。一緒に神人の肉を喰った仲間の男のなかに、小児性愛者がいてよ。そいつは、俺たちから、自分の取り分以上の神人の肉を盗んで、お気に入りの”子供”に喰わせて、幼い姿のままにしようとしたなんて、気色の悪い使い方をしていたぜ。俺たち人間が神人の肉を喰うと、神人の奴らみたいに肉体が全盛期のままを保つのではなく、喰った時のまま肉体の時間が止まるんだってことが、その肉を喰わされた”女”と長年一緒にいて、はっきりと分かったしな」
人食。カニバリズム。
抑えきれぬ嫌悪か、それとも恐怖か。サミュエルの薬によって与えられ続けている苦痛がついに限界点を越えたのかのか、ついにアダムはその場に立つこともできなくなり、膝を折ち、苦し気に崩れ落ちた。
「ジジイ……無様なもんだな。どんだけ、戦闘の意志を燃え滾らさせていても、体力の衰えには逆らえないってわけか。俺は、自然や時の流れに逆らって、この世で生き続けてやるぜ。あ、そうだ、神人の奴らの残った骨は、俺たちが作った船にリサイクルさせてもらったぜ。おかげでお空に浮かぶ船が一隻出来上がりだ」
神人の船。呪われた船。
あの船は、その名の通り”神人”でできていた。
悪しき魔導士たちに食され、その残った骨すらも埋葬されることもなく、命の尊厳など微塵もないまま、悪しき魔導士の道具として今もなお利用され続け――
空という大海原に浮かぶあの船からは、風を斬る音ともに、神人たちの断末魔の悲鳴が聞こえてくるのだろう。
アダムは、魔導士ネイサンが乗っていたあの木の板から、神人たちの無念の思いをしっかりと感じとっていたのだ。
「…………オリーも……殺したのか?」
膝を突いたまま、瀕死間際のような息を吐き(ひょっとして、そのままぽっくり逝っちまう気がしないでもないが)ながら、自分に問うアダムに、サミュエルは鼻を鳴らし、答える。
「……オリー? ……ああ、トーマスのガキのことか。ンなこと、俺が知るわけないだろ。まあ、俺たちの最初の攻撃で軽~く吹っ飛んでいったんじぇねえの? まだ3才ぐらいのガキだったし、単に肉も骨も残らなかっただけだろ」
アダムの”お前は子供すら、その手に平気でかけたのか?”と問いたげな厳しい視線を逸らすことなく、サミュエルは再びアダムに向かって、にやつきながら口を開いた。
「さてと……おじいさん、そろそろ、その神人の船へと参りますか? フランシスをはじめとして、いろいろと灰汁が強いガキや女たちが出迎えてくれますし、最終的には”とある棺”へと迎えいれてあげますよ」
わざとアダムを馬鹿にした丁寧な口調で、サミュエルは言った。
「……ふざけるな……っ……」
その場に膝を折ったまま、立ち上がることだけではなく、もはや言葉を紡ぐことすら、アダムは厳しい状態へと入りつつあった。
サミュエルは下に――自分と同じフィールドに立つことすらできない奴らが、何やら喚いているらしい地上へと目をやった。青い月の光の下、地上で動いている黒く小さな影が幾つも見える。
まるで”人がゴミのようだ”と言いたくなったサミュエルであったが、あの影のどれか一つがアダム・ポール・タウンゼントが何よりも守りたいであろう家族なのだと予測をつけた。
「お前、孫娘のことが気がかりなのか。他の家族を全て失ったお前にとっては、あの娘が唯一の”希望の光”といったところか。でも、一応分別がつく年頃まで育て上げたんだし、お前がいなくなったあと、どう生きるかはあの孫娘の自己責任だろ。でもよ、孫が優れた魔導士でもなければ、抜きん出た武力を持った男でもなく、どっかの男の嫁になって平凡で温かな家庭を築ければ上出来といった感じの娘だもんな。残していくのが心配になるのも、分かるさ」
サミュエルは、ハハッと笑った。
「俺は家族なんてもんは、手枷足枷にしか思えないから、持たなかったんだ。どんな奴が生まれるか分からない博打になんて、最初から手を出さないのが賢明ってもんだろ。生まれた子供が、この理不尽で”残酷な世界”を楽しむという保証もできないしさ」
そのサミュエルの言葉が終わらないうちに、アダムはついに冷たい氷の”地面”へとドサリとうつ伏せに倒れた。
「大丈夫かよ……でもよ、俺の薬はよく効くだろ。少しは耐性がついていてるこの俺も、神人の船に帰った後は、絶対に数日は寝込むと思うが、熱に浮かされながらも自分の力に酔いしれる時間でもあるというわけさ」
倒れ伏したアダムは、サミュエルの言葉には答えることもできず――ただ、彼の苦し気な息が冷たい2人だけの世界に響いていた。
「アダム……そのまま、お前に死なれたら困るから、お前を生の淵へと留める話をしてやるよ。……お前が、孫娘以外の家族を全て失った十数年前のあの”天災”のことだ。昔から人の根本は”善”だと信じようとしていたお前のことだから、今でもあれはただの事故だったと思ってんだろ? だが、違うんだよなぁ」
瞬間、うつ伏せになって、苦しみ喘ぎ続けていたアダムの瞳がカッと見開かれた。
「……お、お前が……ッ……!?」
”お前がわしの妻や娘や息子、そして孫まで殺したのか?!”と問いたかったらしいアダムに、サミュエルは”やれやれ”といった感じで首を横に振った。
「ンなわけねーだろ。俺はお前の家族なんかに、興味はねーよ。一人の魔導士の仕業とだけ言っとく。一緒に神人の肉を喰った奴らのうちの一人だけど、今はもう付き合いはねえからから、お前の家族を襲撃した理由については知らねえし。今はエマヌエーレ国にいるらしい”そいつ”だけど、俺ももうあんまり関わりたくねえんだ。昔から大した理由も計画もなく、思い付きでとんでもないことする奴だし。あんな毒薬を身近に抱えておくのは、精神衛生上良くないからな」
このサミュエルにすら、”あまり関わりたくない”と言わせるほどの魔導士。
そんな魔導士の”思い付き”で、何の関係もない自分の家族までを殺されたのだ。アダム自身、”あれは天災であった”と自分に言い聞かせ続けていたあの悲劇が、まさか殺人であったとは……
「……ちなみに、そいつだが、大して実力もないのに自分こそは優れた存在だと思い込んでいる大勘違い野郎さ。物語のなかの悪役になれそうにもない奴ってわけ。自分が描いている自分の姿と、他者から見た自分の姿が違うってことに、気づこうともしていないし、相当に哀れな奴だぜ。俺と同じ神人の船に乗っている男のガキも、それはそれで自惚れが強く、目立ちたがり屋だけど、あいつはそれなりの力を持って生まれてきているし、頭自体はそう悪くないから、まだマシだ」
サミュエルはクッと笑った。
「さて、そろそろ、お前を連れてここから引き上げるとするか。何十年もフランシスといたから、クドクドと喋る癖が移っちまった。それに余計なことまで、喋る癖もな」
そう言ったサミュエルは、うつ伏せになり”死体のように”動かなくなったアダムへと一歩を踏み出した。
冷たい氷の上で、サミュエルの靴が立てるコツンという音が響いた。
だが、次の瞬間――
「!!!」
自身の背後から発せられた”気”に感じたサミュエルは、咄嗟に身をよじった。
真っ直ぐに、そして強く鋭く発せられた、その”気”はサミュエルの右胸を貫いた。
彼の右胸より吹き出た真っ赤な血が、氷の上に飛び散ったのだ。
「うぐ……っ!!」
血が吹きだした右胸の傷口を押さえ、サミュエルはその場に崩れ落ちた。少しの間、この神人の力を手に入れた肉体にも生じる痛みに喘ぎながら、彼は自分のその気が発せられた方向を見た。
そこに立って、いや膝を突きながらも自分に対して鋭い気を瞬時に練り上げ、飛ばしたのは――
「アダム、てめえ……!!」
サミュエルがギロリとその紫色の瞳を光らせ、彼を睨みつけた。
それと同時に、サミュエルの眼前で”死体のように”動かなかったアダムが風に運ばれるようにフッと掻き消えた。
サミュエルは、自身の右手を血で染めながら、歯をくいしばり、その場にゆらりと立ち上がった。
「……俺と喋りながらも、分身を作り上げ、即座に俺の背後に本体を移動させるとは……さすが、俺が認めた魔導士のうちの1人だ。やっぱり、そうこなくちゃな」
アダムはサミュエルと喋っていたというよりも、ほとんどサミュエルが喋り続けていたのだが、サミュエルのその語気に燃え上がる炎のような怒りが含まれていた。
「でもよぉ、お前、やっぱりボケが来てるだろ。俺は神人の力を手に入れてんだよ。こんな傷、あとおそらく5秒もすれば、ふさがるンだよ!!」
声を荒げたサミュエルは、アダムにツカツカと歩み寄り、彼の腹に真正面からドカッと蹴りを入れた。
呻き声をあげたアダムは、後ろにドッと倒れた。
サミュエルは、お構いなしにアダムの薄くなった頭髪を掴んで彼を起こし、自身の血に染まった右の拳で彼の顔を殴りつけた。
今度はアダムの鼻血が氷の上に飛び散った。
アダムの胸倉を掴み、顔を近づけたサミュエルは、喉を鳴らし、笑った。
「ガキの頃はよく他愛もないことで掴み合いの喧嘩をしたもんだけど、なんだか今は単に老人を殴りつける若者みたいな構図になっているな。でもよ、お前が悪いんだぜ。先に俺の肉体を傷つけたのは、お前だからな」
アダムは鼻血を流しながらも、サミュエルの顔をまっすぐに見返した。
「……昔から変わっておらんのう……自分のペースが狂わされるとキレて、自分が仕掛けてきたにも関わらず他者に責任転嫁するところもな……」
「俺は普段は温厚で人に暴力を奮ったりはしねえよ。少なくとも、ここ数十年はな。それに人間だから、キレるのは当たり前じぇねえか」
サミュエルはアダムを馬鹿にしたように、フンと鼻を鳴らした。
「……人間だからと言う割には、お前は人間らしく生きてこなかったろう。他者を踏みつけ、利用し、その手を血に染め、ただ自己のためだけに生きてきた……」
「ジジイ……今は道徳についてお前から教えられる時間じぇねえんだよ。同い年なのに、見た目が俺より五十年以上老けてるからって、人生の先輩風を吹かせるのはやめてほしいもんだぜ」
アダムの胸倉を掴んだまま、青筋を立てたサミュエルは、アダムを屋上の縁にまで引きずっていった。
アダムのかかとが屋上の縁に触れた。彼があと一歩後ろに下がれば、いや、サミュエルが自分の胸倉を掴む手を放せば、アダムは地面へと――彼の身を案じる者たちがなすすべもなく立って喚いている地面へと叩きつけられるだろう。
鼻血を流し、打撃の痛みと薬の苦しみにゼエゼエ喘ぐアダムは、その胡桃色の瞳でサミュエルを見返した。
「サミュエル……わしもお前も、流れ続ける時の中でしばしの間、生を紡ぐ単なる命の一つでしかないんじゃ……悪しき者たちに傾倒し、その手を血に染めてまで、限りある人生に逆らうような真似は……っ……」
「ふん……俺は、いや俺たちは下にいる凡人みたいな単なる命なんかじゃねえだろ。規格外の力を天から授けられたって魔導士だってのに。自分が特別な人間だってことに、そう謙虚になるなよ。それに人生とは、自分で選択して、作り上げていくもんだろ。自分で人生の長さの限界点を決めるなんて、ダサいことする気はねえよ……しかも、この後に及んで、この俺を挑発するなんていい度胸だな!」
サミュエルのアダムの胸倉を掴む手に力が入った。
アダムは、自分がサミュエルに負わせたあの気の一撃が、とうにふさがっていることは理解していた。そして、自分の鼻血はまだ止まらず、口の中にまで流れ込んでいることも――
スッと目を閉じたアダム。
「……やっと、観念しやがったか?」
サミュエルが勝ち誇ったように笑った。その彼の様子から、自分に屈したのだと思ったのだろう。
目を閉じたまま、アダムは何かを小声を呟いた。
「あン、何だって?」
アダムの口元に耳を近づけたサミュエルは、彼が何を呟いたのかを理解して、即座に青くなった。
それは――
「てめ……っ」
アダムから急いでその身を離そうとしたサミュエルであったが――遅かった。
瞬間、白目を剥いた――アダムの魔術によって、一時的に魂を肉体から抜かれたサミュエルの肉体は、そのまま宙を舞った。
アダムが息も絶え絶えの状態で使ったこの魔術は、その魂を肉体から”完全に切り離す”「星呼びの術」とは違い、本当に”一時的に”肉体から魂を抜くだけものであった。この場合、肉体と魂は一本のコードのようなものでかろうじてつながっており、そのコードをたどっていけば魂は元の肉体に戻ることができる。魔導士の力を持っているサミュエルにとっては、自分の肉体に戻ることなど、造作もないことであろう。
けれども――
宙を舞ったサミュエルの肉体は、あと数秒で地面へと――
彼の魂が自身の肉体に戻り、神人の力によって宙に浮かぶのが早いか、それとも彼の魂が肉体という戻る器を”亡くす”のが早いか――!!
地上にいるしかなかったレイナたちは、あの氷に覆われた屋上の上、何が繰り広げられているかは分からなかった。
鋭い閃光が一回だけ発せられたのは、レイナたちにもはっきりと見えた。そして、見えている人の影がほんの数秒、2人から3人に増え、また2人へと戻った。
その後は、若々しく引き締まった肉体の影(サミュエルか?)が、もう1つの人影に拳を振るっているようにも――
魔導士の力を使っているというよりは、肉弾戦。それも、一方がもう一方を殴りつけているように見えた。
なすすべもなく、地上にいるしかないレイナやルークたち、門のところでこちらの様子をうかがっている野次馬(祭客)たちの焦りと悲鳴はより大きくなっていった。そして、何よりもジェニーの泣き声も。
そして、恐れていた事態はついに起こった。
人影のうちの1つが宙をバッと舞ったのだ。
これは、レイナの世界にある言葉で表現すると、強制的な幽体離脱が発生させられたが故のことであったのだが、魂の持ち主を一時的に失った肉体は屋上から転落し――
「!!!!!」
だが、それだけではなかった。屋上の縁にいたもう1つの人影までもがバランスを崩し――
「……まずい!!」
ルークたちが彼らの落下地点に向かって、駆けだした。だが、とうてい間に合わないだろう。
それに仮に間に合ったとしても、ルークたちが重力とともに彼らをその身に受け止めるということは、ルークたち自身も重症を負い、最悪の場合は死ぬことになるのかもしれないことだ。
無謀であり、馬鹿ともいえる行動であった。
それに、どっちの影がアダムで、どっちの影でサミュエル・メイナード・ヘルキャットかは夜目には分からなかったが、”希望の光を運ぶ者たち”は、地を蹴り続け……
――間に合わない! このままじゃ……っ!
ルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディ、ダニエル、そして男である彼らの足に遅れを取りながらも地を蹴るレイナとジェニーの誰もが、地面に叩きつけられたアダムと悪しき魔導士の姿を――彼らの無惨の死の光景を――!!
「!!!」
けれども、その時であった。
彼らが激しく叩きつけられるはずの固い地面から、なにも風穴などが見当たらない地面から、ゴオッと突風が吹きあがった。
突如、吹きあがったその風は土埃までを運び、ルークたちは反射的に目をつぶった。
目を開けたルークたちが見た光景は、ふわりと宙に浮かび、静かにそして優しく地面へと着地させられた、アダムとサミュエル・メイナード・ヘルキャットの姿であった。
「おじいちゃあんっ!!」
後ろから駆けてきていたジェニーと、そしてレイナも彼らに追いついた。
アダムの左頬が腫れ上がり、顔の下半分が鼻血に染まっているのを見たジェニーは悲鳴を上げ、アダムに縋り付いた。
悲しみではなく、こうして負傷はしているも祖父が無事に助かったことに安堵してしゃくりあげる彼女の胡桃色の瞳からは、涙が止まることがなかった。
「ジェ…ジェニー……」
そう言って彼女の肩に優しく手を置いた、アダムの胡桃色の瞳も潤んでいた。彼も再び、自身の希望の光であったジェニーに会うことができたことを……
レイナも、ルークたちも胸を撫で下ろした。
だが、今の風は一体何だったのか。
魔導士であるピーターとミザリーは、サミュエルの薬によって今も地面に横たわっているから、とてもこんな風を起こすことなどできるわけがない。
アダムか、もしくはこのサミュエルが、渾身の力を振り絞り、自分たちの体を浮かせたのか?
魔導士フランシスが自分の仲間であるサミュエルを助ける、そのついでにアダムの命までも紡がせてしまう事態となってしまったのか?
それとも、また、何か別の”人智を越えた存在”の力によるものなのか?
「おじいちゃん、早く、手当を……」
涙をぬぐいながら、ジェニーが言った。
彼女のその声に、レイナ含む一同は頷きあった。そして、レイナたちは、同じくこの地に横たわる、もう1人の魔導士へと視線を移した。
サミュエル・メイナード・ヘルキャット。
今宵の襲撃者の1人である悪しき魔導士の彼は、瞳を閉じたまま地面に横たわり、ピクリとも動かなかった。
「まさか……ショック死したのか?」
フレディのその声に、一同が顔を見合わせた。
”いやいや、この男はとても落下の恐怖でショック死するようなタマじゃないだろ”と、誰もが、言葉を発したフレディですら思った。
だが、実際にサミュエルは、真っ白な顔をしたまま、動かない。彼のウェーブがかった柔らかそうなアッシュベージュの前髪は吹き抜けた柔らかな風にそよぐようにかすかに動いた。
「失礼します」
かがみ込んだダニエルが恐る恐るサミュエルの手首の脈を調べようとした。
「……生きてはいるようです。でも、脈は凄く弱弱しいものです」
ダニエルのその言葉に、アダム以外の者は単にサミュエルが気絶しているだけだと思った。だが、アダムは「!?」と不思議に思わずにはいられなかった。
サミュエルのことだ。わしがあの術を使ったとしても、数秒のうちに、自分の肉体へと戻ることができるだろう。だが、その途中で何かが起こった、いや”何者か”に妨害されてあいつは戻れないでいるのか? と。
「今のうちに、この男を衛所へと引き渡しましょう」
ヴィンセントが言う。
「そうだね。この男は、確か59年前の神人殺人事件の指名手配犯って聞いてるし、法の裁きを受けさせるべきだ」
ヴィンセントに同意するそのディランの言葉に、ルーク、トレヴァー、フレディ、ダニエルも頷いた。
今、こうして、サミュエル・メイナード・ヘルキャットの59年間にも及ぶ逃亡生活は、自分たちの前であっけなく、終わりを告げようとしていた。
「でもよ、魔導士を牢屋に入れて、魔術で脱獄されたりしないのか? 一体、どうすんだ?」
ルークの言葉に、ダニエルが答える。
「確か、魔導士の犯罪者は薬で眠らされ、問答無用でアドリアナ王国の離島の収容所へと幽閉されるそうです。大半の魔導士は、瞬間移動できる距離と回数には限界があり、離島に幽閉しておけば、もとの地へと戻る前に海で力尽きてしまうということまで見込んで……」
普通の魔導士は、魔術を使って飛べる距離と回数には限界がある。あのフランシスや、もしかしたら、このサミュエル・メイナード・ヘルキャットは海を越えるほどの瞬間移動もたやすいかもしれないけれども。
ルークとディランがアダムに肩を貸し立ち上がらせ、トレヴァーとヴィンセントが自身が腰に巻いていた腰ひもでサミュエルの両手首と両足首を逃走を防ぐために縛り上げた。それでも、サミュエルはまだ目を覚まさなかった。
今宵の悪しき者は、去ることなく、今、自分たちの目の前にいる。
だが、程度の違いはあれ、それぞれの肉体に苦痛の楔を残してはいるも、誰ひとりとして命を落とすことはなかった。
だが、その時――
この宿の様子を離れたところでうかがっていた野次馬、つまりは国王の生誕祭を楽しんでいたのに、予期せぬ火事や氷の害、そして転落事故を目撃することとなり、驚いていた民たちの中から騒ぎ声が聞こえてきた。
「なんだ、何やってんだ、お前ら?!」
「きゃああ、何なの?!」
「酒を盗まれた、あいつを追え!」
「うるせえ、ハゲ! 邪魔すんじゃねえ!!」
「やめろおお!」
野次馬の中より、2つの人影が飛び出してきた。
それは、片手に数本の酒瓶(おそらく祭の屋台からひっつかみ盗んだものだろう)、そしてもう片方の手には(これも祭の灯りから拝借したものらしい)松明を握りしめた、今宵の第一の襲撃者ティモシー・ロバート・ワイズであった。
「早くお逃げください! マリア王女!」
叫びながら彼の後を追ってきたのは、人形職人オーガスト・セオドア・グッドマンであった。
「おい、淫売……何、お前、人の存在、忘れてんだよ」
”レイナ”をその復讐に燃える瞳でとらえたティモシーの顔が、彼自身が握るあかあかと燃える松明に照らされていた。
普通の人間である彼らもまた、体の自由が効き始めていたのだ。
火事や氷の害を目撃した民たちの悲鳴が飛び交うなか、彼らは祭の喧噪へと紛れ、いやおそらくティモシーがマリアを殺害する道具になるものを探すために野次馬の中に飛び込み、それを防ぐためにオーガストが彼の後を追い、阻止しようとしていたのだろう。
愛と憎しみ。
1人の女をめぐる相反する感情にとらわれた、2人の男たちの炎は、消えることなくくすぶり続けていた。
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