【R15】人生は彼女の物語のなかに(今風タイトル:生真面目JKの魂が異世界の絶世の美人王女の肉体に?!運命の恋?逆ハーレム?それどころじゃありません!)
ー11ー サミュエル・メイナード・ヘルキャット(3)
ー11ー サミュエル・メイナード・ヘルキャット(3)
青き月の光に照らされた白亜の壁を思わせる宿は、激しく揺れた。
だが、この港町全体が地震に見舞われたのではなく、レイナたちがいる宿だけがある1人の魔導士の力によって、脅しをかけるがごとく揺さぶられたのだ。
「!!!」
トレヴァーの背にティモシーよりかばわれているレイナは、上下に激しく揺れ定まらぬ視界と、半開きの部屋の扉より聞こえてくる悲鳴(おそらくこの宿で働く女性たちのものか)に震えあがった。いや、正確に言うとレイナを震えがらせたのは、この地響きと引き起こされるパニックの恐怖だけではなかった。
先ほど、この部屋の空気は一瞬で変わった。
何の力も持ってはいない自分の肌すらも、ぞおっと鳥肌だたせた”次なる”襲撃者の気配。
その襲撃者とは――
フランシス一味の魔導士であり、アダムの昔馴染みの魔導士。レイナが永遠に自分たちの前に姿を見せないでいてほしいと願っていた魔導士サミュエル・メイナード・ヘルキャットが、ついにやってくるのだ――
不意に揺れは止まった。
レイナは一時的な安堵の息を漏らしてしまったが、それは嵐の前の静寂でしかなかった。
その時――
「……っ……う……」
ティモシーに鳩尾を殴られ、床に倒れていた魔導士ミザリーがその瞳を開けたのだ。
気を失っていた彼女も、先ほどまでの地響きとそれを引き起こした襲撃者の迫りくる気配を強く感じ取らずにはいられなかったのだろう。
「ミザリーさん!」
レイナはミザリーに駆け寄り、顔をしかめて鳩尾を押さえながら、立ち上がろうとする彼女に肩を貸した。
目を覚ましたミザリーもまだ霞む瞳に映る光景に、自分が気を失っている間、この部屋で繰り広げられていたことを理解し始めた。
浮浪者のような”第一の襲撃者”の男が押し入ってきた。いや、ミザリー自身は、自分が男の侵入を許してしまったのだと思わずにはいられなかった。そして、男はレイナに襲い掛かったが、間一髪のところで、トレヴァーとアダムが助けに来てくれたのだということを。
そして――
ミザリーは、迫り来る”第二の襲撃者”の気配を、底知れぬ恐ろしさを秘め、なお燃え上がる炎を思わせる魔導士がこちらへ向かってきているのだということも――
「わしが一人で受けて立つ! お前らは早く宿の外へと……皆で連れだって避難しろ! どうか……ジェニーを頼む!」
アダムが叫んだ。
「ですが、この気は……!」
「で、でも……おじいさんっ!」
ミザリーとトレヴァーの声が重なった。
「駄目だ! 早く行くんじゃ! あいつはとても、お前らの手に負えるような奴じゃない! 早く! こうしてる間もないぞ!」
再びアダムが叫んだ。
頑固そうではあるが、ジェニーだけでなく自分たちにも優しい笑顔を時折見せ、目じりを下げていることが多いアダムの、今の表情はレイナもトレヴァーも見たことがないくらい険しいものであった。そのうえ、彼の額には脂汗まで浮かんでいた。
恐ろしい魔導士。
サミュエル・メイナード・ヘルキャットとは、アダムをこのような表情にさせるほどの魔導士なのだ。
その時だった。
「待て、淫売!! お前はここに残れ! そして、俺に殺されろ!」
この宿を震わせる魔力にやはり驚かずにはいられなかった普通の人間であり、なおこの夜の”第一の襲撃者”であるティモシーが”レイナ”に向かって、その両手を伸ばしてきた。彼は先ほど殺し損ねた”マリア王女”を逃す気などはないのだ。
「やめろ!!」
トレヴァーがティモシーを押さえつけようと、彼の前に躍り出た。
ティモシーも立派な成人男性の体格の持ち主ではあったが、大男とも形容できるトレヴァーと取っ組みあうと、やや押され気味となった。
「レイナ! ミザリーさんと一緒に、ジェニーも連れて早く逃げろ!!」
トレヴァーも叫んだ。
「お前……あの淫売の名はレイナじゃなくて、マリアだろ!」
「だから、中にいる魂は別人だって言ってるだろ! ちゃんと人の話を聞け!!」
どちらも一歩も退かないトレヴァーとティモシーは、派手な音を立てて、床を転がり合った。
「……そんなことをしておる場合か!」
今度は、アダムが喚くように叫んだ。
彼の顔はさらに険しくなっていた。アダムは苛立つ感情を押さえるように、ティモシーに言う。
「……お前は”あいつ”に利用されているだけだ。”あいつ”はお前が失った家族や、お前の悲しみに寄り添って手を貸したわけではない。お前は単なる手駒の1つにしか、過ぎないんだ。この先、お前もただではすまないことになる……!」
トレヴァーと取っ組み合った体勢のまま、床に転がっているティモシーは、アダムのその言葉に口元を歪ませて笑った。
「利用されていようがいまいが、もう俺にとっちゃそんなことどうでもいいんだ。俺の大切な者たちは、皆、冥海へと逝ってしまった。俺の人間としての心も一緒にな。何よりも、自分の欲望のためなら人の命すら利用し、弄んでもいいってことを、そこの王女殿下が平民の俺に教えてくれたんだからな!!」
ティモシーが再び、憎悪の炎が燃え上がった瞳で震える”レイナ”を射抜いた、まさにその時――
「ワイズ……一旦、お預けだ」
どこからか、はっきりとした男の声が響いてきた。
レイナは、この低い男の声を、ほんの少し前に聞いたことがあるような気がした。
「!?」という表情を見せた”第一の襲撃者”ティモシー・ロバート・ワイズは、シュッという音とともに消失した。あまりにも突然に消えたため、バランスを崩したトレヴァーは床にドサッと倒れ込んだ。
彼はねっとりとした黒い靄に包まれて消えたのではない。
空気がわずかに歪んだかと感じられた次の瞬間、彼はこの部屋より掻き消えたのだ。
フランシスのように自分の靄が作り出す雰囲気を楽しみ、余韻を残すでもなく、時間の無駄を嫌う合理主義者による魔術によってであった。
「タウンゼントさん、とにかく部屋の外へ出ましょう! ジェニーさんの無事も確かめなければ……!」
ミザリーに頷いたアダム、そしてレイナとトレヴァーは部屋の外へと出た。
一歩を踏み出したと同時に、横に伸びている長い廊下の先より「おじいちゃんっ!!」とまだ酒が抜けきっておらず、ほてった赤い顔をしたジェニーも駆けてきた。
いくら眠りが深い体質のジェニーとはいえ、先ほどの激しい揺れに目を覚まさないわけがなかった。
このまま1階へ、そして宿の外へと全員で脱出できれば……
だが、仮に宿の外へと脱出できたとしても、先ほど”一旦”引き上げさせられたティモシーの憎悪の炎はまだくすぶっているし、サミュエル・メイナード・ヘルキャットが放っている恐ろしい気配は、より強くこの宿全体を覆いつくしているかのようであった。
それだけでない。
レイナは、フランシスのエメラルドグリーンの2つの瞳が、サミュエルの襲撃の手から逃げようとしている自分たちの姿を、遠くから見ているのではないかと感じていた。
木の階段の手すりを掴みながら、レイナはなんとか1階へと続く階段を下りきることができた。階段を下りている途中で、再び襲ってくるのでないかと思っていた、あの激しい揺さぶりは襲ってはこなかった。
レイナが胸を撫で下ろしたのと同時に、同じく階段を下りきったジェニーとミザリーが安堵の息を吐いた。
玄関に面し、吹き抜けとなったこの広間。
玄関と対角線上に位置している大部屋の扉からは、ルーク、ディラン、ヴィンセント、ダニエル、フレディ、ピーターがすでにその姿を見せていた。近くの部屋にいた、首都シャノンからの兵士たち数人も集まってきていた。
「トレヴァー!」
ルークが手に持っていたトレヴァーの剣を投げてよこし、トレヴァーもまた見事に剣をキャッチした。
”希望の光を運ぶ者たち”は頷きあい、それぞれの手の剣を強く握りしめた。
そして、2人の魔導士、ミザリーとピーターも頷きあった。
「皆さん、私たちで戦います! 早く宿の外へと避難してください!」
ミザリーが叫んだ。
彼女たちの全身からは、これからやってくる魔導士を迎え撃つ強い闘志が発せられていた。
いつもはやる気なさげなピーターであったが、今、レイナたちの目の前にいるピーターは、髪には寝癖がつき無精ひげは伸び放題であるもの、レイナたちがこの一週間程度の間に見ていたピーターとは別人といえる表情を見せていた。
「いや、お前たち2人も早く宿の外へと行け! どうか、ジェニーとレイナを頼む!」とアダムが大声を出した。
「で、ですが……!」
そういったミザリーの額にも脂汗が浮かんでいた。
襲撃者の気は、おそらく自分たちよりかは”十数段”上のランクに位置しているだろうし、この高名な魔導士アダム・ポール・タウンゼントよりわずかに勝ってもいるように感じられるのだから。
いや、勝っているというよりも、妙に若々しい気なのだ。時の流れとともに老成されているようでもあるのに、勢いに満ち溢れ、炎のように燃え上がっているこの気。
その燃え上がっている気からは、何か悲鳴のような声まで混じり合って聞こえてくるような……
異質であり、禍々しくもある襲撃者。
「……駄目だ! 早く行くんじゃ! あいつの狙いはわし1人だ!」
「そのとーり」
低い声が響き渡った。
宿のどこから聞こえてきたのか、分からないその声。
そして、先ほどティモシーを消失させた時に聞こえてきたのと同じ声。身を震わせる、襲撃者の声。
それは――
レイナたちの眼前で、空気は揺らめき波打った。
襲撃者”たち”が現れた。
フランシスのように不気味な余韻を残すことなく、本当にあっさりと彼らは自分たちの前に現れたのだ。
2人の男。
うち1人は、マリア王女に身も心も奪われ、悪魔にとらわれた愛の海で今もなお溺れ続けている人形職人のオーガストであった。
その彼の傍らにいる1人の男、いやオーガストこそがその男にここへと連れてこられ、男の傍らに控えているのだろう。
甘やかな顔立ちをした1人の男。
軽い癖のついた、柔らかそうなアッシュベージュの髪、そして花の色を思わせる紫色の瞳、いかにも優し気で甘やかな顔立ちの一見善良な者にしか見えない男がオーガストとともに立っていた。
「!」
その男の顔をレイナはしっかりと思い出した。
つい数十分ほど前、青い月あかりのもとで、そして祭りの喧噪の中で、出会った男性であった。
”不意に”宙に飛ばされた自分のストールを拾ってくれたあの男性。ジェニーが魔導士じゃないかと予測を付けていた男性が、サミュエル・メイナード・ヘルキャットであったのだ。
サミュエルは吹き抜けとなっている広間をグルリと見回した後、アダムにその優し気に視線を定め、ゆっくりと口を開いた。
「アダム、お前……ずいぶん老けちまったなあ。若い頃はそこそこ男前だったのによ。何十年もの時の流れってのは残酷なもんだな。髪もそんなに薄くなっちまって、今じゃどっからどうみても純然たるジジイにしか見えねえよ」
サミュエルの挑発に、アダムは何も答えなかった。ただ、厳しい顔をして、何十年ぶりに顔を合わすこととなったサミュエルを見返していた。
1階の大広間にいて、一連の流れを知らないルークたちは面食らった。
突如現れた、おそらく魔導士であろうこの男は、アダムの若い頃、おそらく自分たちぐらいだったころも知っている。
だが、この男はどう見ても25才前後にしか見えないのだ。
ルーク、ディラン、フレディ、ダニエルよりは年上であるだろうし、男の色気に満ち溢れ20代後半にも見えるヴィンセントなどと比べると、やや年下にも思えるのだから。
つまり、この男もフランシスと同じなのだ。
その外見以上の年月を生きてきた魔導士。そして、アダムと何やら深い因縁があるに違いないということは、この魔導士こそ、自分たちが何度も名前だけは聞いていたサミュエル・メイナード・ヘルキャットに違いない。
サミュエルは、その見た目と比例するように、口調は若者のまま(今も外見上は若いが)であった。
そして、数十年ぶりの再会であるにも関わらず、サミュエルはアダムの”ずいぶん老けちまった”姿を見ても、すぐにアダムだと分かったのだ。
サミュエルは、再びこの広間に集まっている一同をグルリと見回して、フッと笑った。
「……俺とこいつと、あともう1人でこの宿にお邪魔させてもらったんだが、これだけの敵意のこもった視線を受けるのも、何十年ぶりのことになることやら。まあ、その敵意もいつまで持つか知らんけど」
そう言ったサミュエルは、傍らのオーガストの背を叩いた。
「ほら、オーガスト。先にワイズをこの宿へと潜り込ませたけど、今からの時間はお前のターンだ」
サミュエルの手と声に弾かれたように、オーガストはバッと飛び出した。そして、”レイナ”へ向かって――
マリア王女の肉体を自分の保護下へと置く、それが今の彼の一番の望みなのだろう。策を弄するわけでもなく、あまりにも直情的で直球的な彼のその行動。
「!!!」
焦りと愛しさにとらわれ、まっすぐに両手を伸ばしてきたオーガストに、レイナはハッと身をすくませた。
レイナのすぐ近くにいたダニエルが咄嗟にレイナを守ろうとし、彼女の華奢な両肩をグイッと引き寄せた。
「”マリア王女”に触れるな!!!」
”愛する女”の肉体に、自分以外の男が触れた。
オーガストは即座に頬を紅潮させ、ダニエルに掴みかかってきた。
「なっ……な、な、なんなんですか?! あなた?!」
ダニエルも声を荒げ、そして周りの者たちもオーガストを押さえようとした時――
「悪魔女め! 殺してやる!!」
広間の窓の1つがけたたましく割れる音とともに、先ほどサミュエルに宿の一室より消失させられたティモシーまでが再び、この宿の中へと乗り込んできた!!
おそらく宿のすぐ外へと移動させられていたであろう、ティモシーの憎悪の炎は変わることなく、一層強く、激しく、燃え上がっていた。
窓を割った時に負傷したためであろう血が、そこかしこに滲み始めている彼もまた、”マリア王女”へと向かってまっすぐに床を蹴り、まっすぐにその両手を伸ばしてきたのだ。
「お前!!」
オーガストがティモシーの前へと躍り出た。
「邪魔をするな!! 誰だ、お前は!?」
「お前こそ、誰だ!? ”マリア王女”を傷つけさせやしない!」
取っ組み合う2人の男は、床を転がり合った。
体格は幾分かティモシーの方が勝っていたが、細身で線の細いオーガストも決して彼には負けていなかった。
オーガストと突如、この場に乗り込んできた浮浪者のような男――ティモシーのその様子を見て、一連の事情を知らないルークたちはまたしても面食らった。
アダムの昔馴染みだと名言している”若い”魔導士がやってきた。彼は自分も含め3人でこの宿にお邪魔したと匂わせていた。
だが、彼以外の2人は、1人の女を巡っての愛と憎しみ、相反するものに突き動かされていた。そのうえ、そもそも2人は今、この場で初めて顔を合わせたようでもある。
「キ××イ××コめ! 絶対にこの手で娘の仇を取ってやるからな!」
オーガストと取っ組み合いながら、”憎い女”を横目で睨みつけたティモシーが喚いた。
彼の口から発せられた、下品であり、また卑猥で直球的な単語にルーク、ディラン、ヴィンセント、フレディ、ピーターはギョッとし、レイナを引き寄せたままのダニエルはその青白い頬を即座にカアッと赤く染めた。
ジェニーとミザリーは、混乱と恐怖で引き攣った顔をしながらも、ドン引きしていた。
ティモシーはわざと、皆の前で”マリア王女”を侮辱しようとしたのだろう。
「”マリア王女”に向かって、××コとはなんだ!?」
オーガストも下品で卑猥な言葉を喚きながら、”愛しい女”を決して傷つけさせまいと、ティモシーと床をゴロゴロと転がり合った。
サミュエルは、そんな2人の様子を見て「やれやれ」といった感じで溜息をついた。
「おい、にいちゃん、連れだってやってきたのはいいけど、全く統率とれてないじゃねえか。あいつら、一体、何しにきたんだよ?!」
ルークがサミュエルに声を荒げた。
サミュエルはルークにゆっくりと視線を移した。
「……威勢のいいガキだな。”希望の光を運ぶ者たち”なんていうこっぱずかしいネーミングのお前たちの外見の特徴は、フランシスから聞いていたさ。フランシスは、お前たちの外見はそれぞれ見分けが付きやすいとも言っていたし。お前の……榛色の瞳にくすんだ金髪……お前がカークという奴か」
「カークじゃなくて、ルークだよ! 人の名前、間違えんな!」
「これは失礼」
サミュエルはフッと笑った。
もしかしたら、彼はわざとルークの名前を間違えたのかもしれない。彼の今宵の大本命であるアダム以外の者は別にどうでもいいというように。
「やっぱり、俺は1人で動く方が仕事がしやすいな。まあ……今宵は同じ目的地に向かう船に乗っていた3人がそれぞれ違う方向を見ていただけの話だ。船が目的地へと着いた後は、それぞれの勝手だ。あいつらの目的を果たそうが果たせまいが、俺の知ったこっちゃない。俺は自分の目的をこうして果たすだけなんだからよ」
そう言ったサミュエルは、アダムを見た。
ジェニーを背にかばい険しい顔をしたままのアダムは、やはり彼に何も答えなかった。
困惑や溢れ出る憎しみ、そして何十年という時の彼方から今もなお、アダムの心を痛みをともない疼かせる悲しみを必死で押さえ込んでいるのだ。
だが、今のサミュエルの言葉が耳に入ったらしい、オーガストとティモシーは床の上で取っ組み合っていたその動きをピタリと止めた。
愛と憎しみ、1人の女を巡っての相反する感情で、我を失っていた2人。
オーガストは、目の前の眼光が鋭く、個性的な3つの黒子が左頬に並んでいるこの男が、フランシスとサミュエルが言っていた協力者”ティモシー・ロバート・ワイズ”だと理解した。
ティモシーは、目の前の線が細く、どこか儚げで文学青年風情のこの男が、2人の美しい魔導士より聞かされていた”今宵の協力者”だと理解した。
それぞれ、聞かされていたことが違う。
オーガストはマリア王女の肉体の保護が目的であり、ティモシーはマリア王女の肉体の殺害が目的であり、サミュエルはじいさん魔導士との再会におけるちょっかいが目的であった。
「サミュエルさん、これは一体どういうことだよ?!」
つい敬語を使うのも忘れ、オーガストは声を荒げた。
「……どういうことって、こういうこったよ。お前は女が絡むと我を忘れてしまうが、頭自体は救いようがない阿呆というわけでもないから分かるだろ」
顔色が青を通り越して白に近づき始めたオーガストの脳裏では、”騙された! 騙されたんだ! 俺たちは泳がされていただけだ!”とぐるぐると思考が渦巻き始めた。
サミュエルさんも、フランシスも”マリア王女”の肉体を保護してくれる気なんてなかった。そして、事前にマリア王女をヘレンに預けた時、ヘレンもおそらく彼らのこの企みを知っていただろう。だが、あの人も自分に何も言わなかった。彼らを信じてはいけなかった。あの悪しき者たちを信じること自体、間違いでしかなかったのだ。
今ごろ、フランシスは月夜に浮かぶ神人の船の中で、自分たちの様子を覗き見し、上品な口元に下卑た笑いを浮かべ、近くにいるであろうネイサンに得意気にベラベラと解説しながら喋っているに違いないと――
困惑の思考がグルグルと渦巻き始めたのは、ティモシーも同じであったらしい。
だが、ティモシーはオーガストに比べると幾分かその渦巻は弱く、すでにおさまりかけていた。彼は余裕があるような表情というよりも、何か吹っ切れたような表情を浮かべた。
あの2人の魔導士たちに、俺も目の前の男(どうやら、あの淫売悪魔女の美貌の信奉者らしい)もやっぱり担がれていたか。でもそれが何だっていうんだ。俺はあの淫売悪魔女さえ、殺すことができればいい。”その後”のことは”もう”俺の知ったこっちゃないんだから、と――
「ふっ……本来なら、この場にいる誰よりも高貴で敬われるべき王女サマが魔導士サンたちにとっちゃ、単なる添え物扱いとは笑えるな。だが、俺はちゃんと自分の目的を果たさせてもらうぜ!!」
「!!!」
ティモシーの黒々とした両の瞳に、憎悪の炎が再び着火された。
勢いをつけ、目の前のオーガストの突き飛ばしたティモシーは立ち上がり、ダニエルの背にかばわれている”レイナ”へと――
「させるかよ!!」
オーガストも負けじと立ち上がり、ティモシーの背中に後ろから蹴りを入れた。”マリア王女”を絶対に傷つけさせやしないと――
「やめろ!!」
ルークとヴィンセントがティモシーを、ディランとフレディがオーガストを押さえつけ、トレヴァーが彼らの間に立ちふさがった。
「とにかく、落ち着いて。あなたも、今はあの魔導士から避難することを考えるべきです!」
後ろからティモシーを羽交い締めにしているヴィンセントが言う。
「……俺は何もかもどうだっていいんだ! あの女の息の根をこの手で止めれさえすればな!」
ティモシーが喚く。
「あの人はマリア王女じゃないんだよ! 中にいる魂は別人なんだ!」
フレディとともに、オーガストを押さえているディランも振り向いて声を荒げた。
「お前ら……あンのこんがり筋肉野郎やハゲジジイといい、何、口裏合わせて白々しい芝居なんかしてんだよ!! 邪魔をするなら、お前らも殺すぞ!!!」
ティモシーが吠えた。
その時、黙ったままサミュエルと視線を交わらせていたアダムが一歩前に出た。
まっすぐに彼らの視線は交わっていた。何十年もの時を超えて再び混じり合う、ともに抜きん出た力を持つ、2人の魔導士の因縁に満ちたその視線……
「サミュエル……お前のことだ。狙いはこの者たちでもなければ、わしの”命”でもないだろう? もっとお前は、いや、お前たちは何かの計画のために、わしを必要としているだけだろう?」
サミュエルは軽く鼻を鳴らし、その紫色の瞳を極めて”優し気”に瞬かせた。
「……さすが、俺が認めた魔導士のうちの1人だ。それに俺のことをよく分かって”いらっしゃる”。今、この場で最も犠牲者が少なくなる選択肢は、お前が抵抗することなく、俺たちの元へと来ることであると判断したとはな」
「駄目よ! おじいちゃん!」
真っ青な顔をしたジェニーは、震えながらもアダムを止めようとした。
「下がっていろ……ジェニー」
アダムは孫娘の両肩に優しく手を置いた。
「あれから何十年と時が流れたが、お前も随分と激動の人生を送っていたらしいな。子供も孫も複数いたけど、今のお前の身内はその孫娘一人だけか。でも、まあ、年寄りが先にいなくなるのはこの世の摂理だから、その孫娘を残していくのもごく自然なことだ。それが早くなるか、遅くなるかの違いだけでな」
サミュエルが言う。
「いけません!! タウンゼントさん」
ミザリーと、そして無精ひげの中の唇をかたく結んだピーターがアダムの前へと立ち、身構えた。
このサミュエル・メイナード・ヘルキャットは、自分たち2人がかりでも勝てる見込みは、まずないだろうけれども……
「えーと、確かフランシスからは双子みたいな男の魔導士2人のことは聞いていたけど……ユーフェミア国へ向かう旅には、こうしてニューフェイスの魔導士2人が選ばれたんだな」
なおも余裕をぶっこいている――そう、フランシスのように余裕綽々であり、ネイサンのように少し軽さも感じられるサミュエルは、身の程知らずにも自分に勇んでこようとしているミザリーとピーターの顔を交互に見た。
そして、オーガストとティモシーを押さえ込みながら、自分に激しい視線を向ける”希望の光を運ぶ者たち”にも、チロリと視線を移した。
「俺は一応、指名手配中の身だから、あんまり派手なことはしたくないんだけどな。でも何十年かぶりだから、派手にやってみるか。神人のトーマス達を”この身に取り込んだ時”みたいにな」
アダムの顔色がハッと変わった。それは、トーマスという名を聞いただけではなかった。
「皆、伏せろ!」
即座にジェニーをその両腕にかばったアダムが叫んだ。
「遅えよ。やっぱり、年は取るもんじゃないな……ま、俺も中身はジジイだけど」
甘やかな顔立ちに、残酷な笑みを浮かべたサミュエルはススッと一直線に上昇した。そう、フランシスのように。
一瞬の間。
直後、ドオオンというより先ほどよりも、一段と強い地響きがこの宿だけを襲ってきた。
再び上がる幾つもの悲鳴。
しかし、今回はそれだけではなかった。
炎だ。
この宿は瞬く間にグルリと炎に囲まれたのだ。
レイナにもしっかりと見えた。メラメラと燃え上がる炎が、窓よりその姿を一瞬にして見せたのを――
そしてパチパチという、この宿が焼け焦げていく音とにおいまでも――
「早く皆、外へ出るんじゃ!」
激しい地響きの余韻に、足元をふらつかせたアダムが叫んだ。
炎の勢いがそれほどでない今なら、炎を防ぎながら、なんとか外へと出ることができるかもしれない。
「私が炎を吹き飛ばして脱出口を作ります! だから、皆さん、そこを通り抜けて……」
ミザリーが言い終わらないうちに、サミュエルは黒衣の懐から黒い塊をスッと取り出した。
レイナの世界で例えるとしたら、スマートフォンほどの大きさの黒光りしている塊であった。
「お嬢さん、残念だが、それは無理だろう。焼死ってのはすこぶる苦しいらしいぜ」
ニヤリと笑ったサミュエルは、その掌に浮かび上がらせた黒い塊にフッと息を吹きかけた。
着火音を思わせるボッという音。
その黒い塊は、サミュエルの掌の上で炎に包まれた。だが、それだけではなかった。
燃え上がる黒い塊から発せられる、まるで黒いドライアイスを思わせる冷気が自分たちがいる下へと大量に流れてきたのだから――
サミュエルは、自分はその冷気を吸い込まないように、一直線にススッとさらに上昇線を描き、レイナたちを見下ろしていた。
その黒いドライアイスの冷気を思わず、吸い込んでしまったレイナは、その場に崩れ落ちた。
瞬く間に全身の力が抜けた。そのうえ、4つの手足に肉離れのような激しい痛みが同時に走ってきた――
しかも、それはレイナだけではなかった。
アダムもジェニーも、ピーターもミザリーも、ルークたちも、そしてサミュエルと同じ”船”に乗ってここに来たはずのオーガストとティモシーも、大多数の者と同じく、顔を歪めながら苦し気に床に崩れ落ちていたのだから。
自分の唇から吐き出される息と、各々が立てる苦し気な息遣いまでが、しっかりと聞こえてきた。
「薬を使うのは反則だが、その薬はそう長時間苦しむわけじゃないからよ。まあ、”運が良けりゃ”早く薬が切れて、火だるまになりながらも宿の外に脱出することができるかもしれないぜ。オーガスト……お前とは短い付き合いだったが、あとはまあ……頑張れ。検討を祈っている。ワイズ、お前もな。で、アダム、あと数分したらお前だけを迎えに来るからな。あの世からのお迎えが来る前にちゃんとな。俺はお前が意識不明の重体になっていようが、全身に火傷を負っていようが別に構やしないからよ」
そう言い捨てたサミュエルは、自身が作った薬から自分自身も避難しようとしたが、「おや?」とその上昇する動きを止めた。
眼下にいる者たちのなか、”希望の光を運ぶ者たち”のうちの2人には、自分のこの薬が全く効いていないことが分かったのだから――
「ほうほう、盛り上がってまいりましたねえ。しかし、派手なことはしたくないといいながら、あんな大規模な火事を発生させるとはね。衛所が駆け付けるのも時間の問題でしょう。そして、首都シャノンにいるジョセフ王子たちにもこの一件は届き、私たち一味はさらにジョセフ王子に睨まれると……まあ、海がすぐ眼前にあるとはいえ、消火活動には結構な時間がかかりそうですね」
神人の船の一室において、フランシスの眼前にはいつもの覗き見のためのさざ波が展開されていた。
そして、フランシスはいつものように、極めて優雅にその口から言葉を流し続けていた。
「ティモシー・ロバート・ワイズが宿に侵入した時から一連の流れを覗き見させていただいておりましたが……1階の部屋にいた魔導士がサミュエルのことを”炎の魔導士”と表現するとは、なかなかうまいことですね。サミュエルが炎の魔導士なら、私は氷の魔導士、そしてあなたは影の魔導士といったところですかね。ヘレン?」
フランシスはただ長々と独り言を言っていたわけではない。
またしても、他人に聞かせるための独り言だ。
綺麗に整頓された部屋で、紫色のビロードのような手触りで背もたれのある椅子に背をもたせ掛け、膝の上に置いた本の頁をパラリパラリと静かにめくっていた魔導士ヘレンに向けての言葉であったのだ。
「……ネーミングなんて、どうでもいいことです」
ヘレンは小さな声で、フランシスに答えた。
「いつもながらにそっけない人ですね。しかし、あの”希望の光を運ぶ者たち”だけでなく、あの新顔の男性魔導士もなかなかキャラクターの濃い人ですね。それなりに高い潜在能力を秘めているのに、カールやダリオとは違い、全くやる気なさげなところが何ともいい味だしています。彼のことは”眠りのピーター”とでも名付けましょうか? なんだか、どこかの異世界で”眠りのなんとか”って名づけられている人いそうですよね?」
おかしそうに笑い声を漏らしたフランシスには答えず、ヘレンはその膝の上の本の頁をパラリと捲った。紙が擦れあう乾いた音がやけに大きく響いた。
「しかし、あのワイズとやら、なんと下品な男なのでしょうか。”マリア王女”に対して、キ××イや淫売、悪魔女までは頷けるのですが、表面上は仮にも一国の王女を女性器呼ばわりするとは……それに”マリア王女”は美貌はそれはもう、ずば抜けておりますけど、腕力という点では成人男性には到底かなわなかったでしょうに。ローズマリー相手だったら、ワイズも高い確率でボコボコにされていたでしょうけど……心に恨みと癒えぬ悲しみが蓄積されていたためか、ワイズは随分と長く喋り続けていましたし……そんなことをしているから娘の仇である憎い女を殺り損ねるんですよ」
「……それをあなたがいいますか?」
ヘレンが呆れ声を出した。
フランシスの話”も”長いということは、誰もが(きっとフランシス自身も)分かっていることである。
「いやはや、これは意地悪を言いますね。私はやるべき時には口を慎み、きちんとやる男でございますよ。さて……当のマリア王女は、自分の美しい肉体が爛れ、焼け焦げる危機に瀕していることも知らず、ローズマリーとネイサンと一緒にいるんでしょうね」
マリア王女の魂――オーガストが作った人形の頭部に魂のひとかけらが入った状態になっているマリア王女は、今、この神人の部屋の一室に保護されている。
フランシスが彼女の意識を明瞭にさせる応急処置をとってはいるが、自分たちは彼女に話しかけ、彼女が自我を保ち続けるための世話をオーガストに頼まれたのだ。
オーガストがいた時は、彼が睡眠時間を削り、マリア王女のなめらかな髪を撫で、美しい唇に口づけし、愛の言葉をささやいていたが、彼が地上に下りている今は、自分とローズマリー、そしてネイサンの3人の交代制でマリア王女の面倒を見ていた。
ネイサンは、オーガストのようにマリア王女の美しさに魅せられたというわけではなく、単なる好奇心からアドリアナ王国の第一王女である彼女の面倒を見たいと申し出たのだろう。
彼はマリア王女の口から語られる、首都シャノンの城にいる王族(主に彼女の兄のジョセフ王子について)や彼に仕えている優れた魔導士たちの話に目を輝かせていたのだから。
ヘレン自身は、マリア王女がオーガストと2人だけの時に「あの不気味娘はいつからあの姿なのかしら? 無表情で無機質で、どこか壊れて道端に打ち捨てられた人形で哀れなものね」「ねえ、オーガスト。あなたはあの筋肉女を抱ける? あの筋肉女が処女じゃないとしたら、あの女の処女膜を破った勇者の顔を見てみたいわ」「ネイサンって、顔も頭もそう悪くはないし、年も私と2才しか違わないけど、子供としか思えないのよね。だから、安心してオーガスト」などと話していたを聞いてしまったことがある。
あの王女はきっと、自分の周りにいる者たちのことを”男か女か”という性の物差しでしか見ていないのだろう。そう、あれから何十年もたった今も、自分の肉体に忌まわしい楔を打ち付けた”今はもうこの世にいないあの男”のように――
「……あの小生意気で怖いもの知らずのネイサンもローズマリーにはタジタジですもの。彼らは姉と弟というよりかは、母と息子みたいにも思えますよ。なかなか、いいコンビですね」
フランシスの声に、ヘレンは我に返った。
「しかし、オーガストもワイズも自分の愛しい者以外はどうでもいいといった者たちでございますね。人の話を碌に聞こうともせず、がむしゃらに突っ走って……皆、誰かの大切な人であるというのに……」
「それも、あなたが言いますか……」
「おやおや、ヘレン。”あなたが言いますか”という言葉は2回目でございますよ」
ククッと嬉しそうに笑ったフランシスに、ヘレンは妙に苛立った。
このフランシスこそ、自分の目的を達するためなら、人の命や心などどうでもいいというのに――
「あなたは……いや、あなたたちは、私たち女を、単なる道具としかとらえていないのでしょう? それなら、自分の愛する者を思いながら突っ走っている彼らの方がまだ数段ましです」
「ほう、これは手厳しい。ヘレン……今、あなたがおっしゃった”あなたたち”という言葉には、あなたをそのような姿にしてしまった彼も含まれているんでしょうね。59年前、あなたが自らの手で葬り去った彼がね……」
自分に背を向けているヘレンの顔が、即座にカアッと赤く染まったのがフランシスには分かった。
怒りだ。
ヘレンから発せられた怒りの空気に、フランシスはフッと面白そうに笑った。
だが、すぐにフランシスは、スウッと真面目な表情に戻った。
「……不愉快な思いをさせて、誠に申し訳ございません。それにあの59年前にあなたが犯した殺人なら、充分に情状酌量の余地がありますよ。地獄のような劣悪な環境に身を置かされてたうえ、自ら望んで”あれ”を食したサミュエルとは違い、あなたは自らの意志に関わらず、”あれ”をその身に取り込まされたんですものね。私があなたと同じ立場であっても、同じことをしていたと思いますもの。いくら温厚さが売りの私といえどもね」
黙りこくったまま、何も答えぬヘレンにフランシスは続ける。
ヘレンは、”あれ”をその身に取り込まされた時のことを思い出したのか、吐き気をこらえているかのように、その小さな唇を押さえていた。
「しかし、あの現場に駆け付けた私もサミュエルも、あなたに殺された彼とは違って、青すぎる果実を嗜む趣味がございませんでしたもの。私はせいぜい10代後半ぐらいからがストライクゾーンの始まりで、サミュエルは熟女ごのみで特に人妻とのスリル溢れるアバンチュールを最も好んでおりますし……」
さりげなくサミュエルの性的嗜好までもばらしたフランシスは、なおも喋り続ける。
「ユーフェミア国に関する計画が成功したら、あなたは何をなさいます? その呪われた肉体を解き放ち、本来の流れゆく時に沿った肉体を手に入れますか? 少女から娘へと、そして女性となるあなたの姿を私も見てみたく思います。ユーフェミア国の民と同じく、59年間もあなたの場合はその幼き肉体という牢獄に閉じ込められているのですものね」
ヘレンは黙って、席を立った。
部屋を出ていくヘレンの小さな足音、そして痛々しいほど細くて小さい彼女の背中を見ていたフランシスは、ゆっくりと目の前の覗き見のさざ波へと再び視線を移した。
――さて、ヘレンにも一緒にこの画面を見ていただければとおもったんですがね……どうやら、サミュエルの薬が効かない”希望の光を運ぶ者”が約2名いるようですし。彼らについては、このことは少しだけ予測していたのですが、さて、これからどうなるんでしょうか?
口の端にニッと笑みを浮かべたフランシス。
彼のエメラルドグリーンの美しい両の瞳には、同士サミュエル・メイナード・ヘルキャットによる赤々と燃え上がる炎と、大多数の者がその場に崩れ落ちているにも関わらず、変わることなくサミュエルに厳しい視線を向けている2人の”希望の光を運ぶ者たち”の姿が映っていた。
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