ー4ー 未来から投げつけられた幾つもの欠片(1)

 首都シャノンの城内に、春の訪れを告げる柔らかな風が吹き抜けていった。

 そして、その柔らかな風は城内の庭の片隅にて、フレディ相手に剣の稽古をするルーク、ディラン、トレヴァーの3人の汗と熱でほてり、若さに満ち溢れた肌をも撫で上げていく。


 ここ数日、春の訪れを顕著に感じられるようになっていた。

 もうしばらくすれば、小鳥はさえずり空高く飛び、花は匂い立ち咲き誇るであろう。今までのルークたちなら、道端にひっそりと咲く、名も無き花の美しさに目を留めていたに違いない。

 けれども、今の彼らは、これから自分たちが進む道――つまりは未来に対する不安により、花を愛でる余裕など持てるはずがなく、ただ何かを打ち消すように剣を奮い続けていた。


 鋭い音を立て、交わっていた剣の音は終わりを告げた。

「……フレディ、お前、すげえな」

 ルークは、荒い息を吐き、剣を下ろした。

 同じく、荒い息を吐き、手の内の剣を下ろしたディランとトレヴァーも、顔を見合わせてルークの言葉に頷いた。


 事実、フレデリック・ジーン・ロゴは、極めて素晴らしい剣の使い手であった。約200年前に、白髪頭の悪しき魔導士に彼が6人の仲間とともに氷漬けになどされることがなければ、彼は戦場にて武勲をあげていたに違いない剣技の持ち主であった。


「いや……俺は単にお前らと比べて、剣を握っていた時間が長いだけだ。俺がガキのころから、すでにアドリアナ王国は侵略や内乱で不安定だったからな。俺のように身分も学もない男は、将来は兵となるしか道はなかった」

 フレディは、腕を褒められたにも関わらず、表情を変えることなく、フッと息を吐き出した。

 彼の吐き出したその息は熱を持たず、その肌も若者らしいハリはあるものの、相変わらずどこか無機質なものであるようにルークたちには感じられた。


「……お前らだって、基礎体力は培われているし、要は慣れと恐れを克服することだ。まあ……それは俺らがこれから対峙する相手が剣が通じる相手であればの話だがな……」

 フレディが言い放った、ネガティブでありながらも最もなその意見にルーク、ディラン、トレヴァーは一様にして、苦い顔をせずにはいられなかった。


 今現在、自分たちが知る限り、あの悪しき者たちの大半は魔導士なのだ。

 底知れぬ力を持つ不気味なフランシスを筆頭に、超絶にムカつくガキのネイサン、訳が分からないがとりあえず人の命を奪うことには躊躇しない”少女”・ヘレン、そして未だに姿を見せることのないサミュエル・メイナード・ヘルキャット。

 自分たちが精一杯、剣を振り回したとしても、あの魔導士たちはおそらく数秒から数十秒のうちに、自分たちを抹殺することができるだろう。あの魔導士たちの手にかかってしまった自分たちの死体は、生前の面差しを残している確率も極めて低いだろうということも……


 今、こうして自分たちが命を紡いでいるのは、悪しき魔導士たちの気まぐれで見逃されたからでもあり、彼らと同じく魔導士の力を持つアダムの手によって救われたからである。

 正直、”普通の人間”は、とても戦えない相手なのだ。そもそも、最初から、同じ土俵に立つことすらできないのだから……


 残る悪しき者たちの仲間は、オーガストとマリア王女、そしてローズマリーである。

 あの細身で線が細く、女命――正確に言うと”マリア王女命”と愛一直線といった感じの青年・オーガスト。彼は自分たちへの敵意というよりも、マリア王女の魂を救いたいがために、フランシスたちと行動をともにしている。

 そして、ローズマリー。

 悪しき者たちの中で、自分たちと同じく、剣を握るのは彼女ただ1人である。

 あのアレクシスの町で、自分たちをしばき回したローズマリー。おそらく、彼女は今後も殺る気満々で自分たちに向かって、両手にある2本の剣を振り回してくるだろう。

 だが、果たして、”彼女に対して自分たちも殺る気で剣を振るうことができるか”と問われれば、彼女に散々に痛めつけられ、流血したにも関わらず、やはり躊躇してしまう。



「……いくら考えても、分からないね。あの悪しき者たち7人の半分以上は魔導士だってのに、俺たち側の7人で魔導士としての力を持っているのは、ジェニーのおじいさんただ1人だけし」

 ディランが言う。

「でも、何の力も持っていない俺らだからこそ、できることがあるのかもしれない……ユーフェミア国の民を救うのに、必要なのは魔力ではなく、別のものかもしれないぞ」

 ルーク、ディラン、フレディの頭上で、トレヴァーのその言葉がやけに力強く響いた。


「そうだね。何の意味もないのに、アポストルからの使いであるゲイブが3回も俺たちの前に現れるわけがないしね」

 ディランは、自分自身に言い聞かせるように、そっと瞳を閉じた。 

 ディランだけでなく、この場にいる全員の胸の中で、アダムが読み上げた、アポストルからの啓示の一説が蘇る。



※※※


 物語の英雄は、全員揃った。

 この手紙によって、進むべき道は開かれることになる。


 暗黒に包まれし民たちを、

 わたしの愛しき者たちを救うために、

 ”希望の光を運ぶ者たち”よ、ユーフェミア国へと向かえ。


※※※



 英雄――”希望の光を運ぶ者たち”は、自分たちであることには間違いない。だが、涙を流していたゲイブの様子といい、明らかにおかしな時間軸といい、手紙にちりばめられていた数々の謎……今までよりもさらに謎の数が増えており、ルーク、ディラン、トレヴァーの混乱は、さらにあおられただけであったのだ。

 これからの未来――自分たちが歩む、または船を漕ぎゆき進む路に散らばっている欠片の幾つかが、今という現在に投げつけれたような……


 そして、その欠片をかき集めているうちに、やがて物語の結末に辿り着くであろう。

 自分たちが、暗黒に包まれしユーフェミア国の民たちを救い、”最後には”必ず悪しきも者たちに必ず勝つという……

 だが――


「……あんのキモ魔導士の野郎、最悪な置き土産を残していきやがって!!」

 ルークの腹立たし気な声。

 城にネイサンとともに不法侵入し、ベラベラと喋りつくしたフランシスが残した最悪の置き土産。それは、自分たち7名の中のうちの3名がこの世界で生を紡ぐ姿が見えないとのフランシス自身も何者から聞いた”予言”であった。


 7分の4の生者。7分の3の死者。

 後者となるのが、自分なのか? それとも、今、自分の隣にいる友や、城内にいる友の誰かなのか?

 あのフランシスから伝えられた言葉は、これから自分たちが歩む未来に対してひっかき傷を残していった。

 この世に生まれた者は、誰もが死を迎える。だが、その死は何十年か後ではなくて、今というこの時より5年以内に自分たちを迎えに来るかもしれないのだ。


 それに、ルーク、ディラン、トレヴァーの3人は、思い出していた。

 この世を守る大きな存在となった、女性魔導士・アンバーもゲイブに「最後には必ず悪しき者たちに勝つ。だから今は力強く進め」と言われたことを。

 そう、”最後には”という言葉。

 人間としてのアンバーが命を落とし、アポストルとなった後も、ゲイブがもらたす啓示によるこの物語はまだ続いている。

 ”希望の光を運ぶ者たち”のうち3人が死んだとしても、残った者たちが遺志を受け継ぎ、最後には悪しき者たちに勝つということなのか?


「未来が見える者だか何だか知らないけど、あいつのハッタリってこともあると思う。こうやってメンタルに打撃を与えて、ただの平民でしかない俺たちを怖気づかせようとしたんだと……」

 そのディランの言葉に、トレヴァーが頷いた。

「まあ、そうかもしれないな。傷ついた心をチクチクと刺してくる陰険で性格の悪い魔導士だしな」

 ここにいる誰もが、今は亡きアンバーの名前を出された時の、王子・ジョセフの怒りを必死で押さえようとし、また彼の心に深く刻みつけられた傷より血が滲みだしたかのような表情を思い出していた。


「……確か、フランシスが言ってたアンバーっていう女は、確かアリスの町での戦いで死んだ魔導士のことだよな?」

 フレディがルークたちに問う。

 この4人のなかでただ1人、アンバーと直接の面識がないフレディは、これまでの話をアダムや他の者からの耳で聞いただけであった。

「そうだよ。生きていたら、恐らく、カールさんやダリオさんと並んで、あの場に立っていたはずの人だよ」

 ディランが言う。そして、ジョセフ王子の思い人であったという説明は、あの状況よりフレディも予測することができたため、あえて続けなかった。

「……身分はそう高くなさそうだったけど、魔導士の制服? みたいなのを着てなきゃ、貴族の姫だって言われても違和感がないほどで、一言でいうと隙がない感じの美人だった」

 トレヴァーの言葉に続くように、ルークが言う。

「あの人が死んじまってアポストルとなったことは、ジョセフ王子だけでなく、カールさんやダリオさんにとっても、すごくつらいことであったと思う。それに……この世界に来てまだ時間が浅いレイナの落ち込みようも見ていられなかった。皆にとって大切な女だったに違いねえよ」



「”大切な女”か……」

 フレディがポツリと呟き、目を伏せた。

 そうだ。このフレディにだって大切な女はいたはずに違いなかったのだ。

「……す、すまん。つらいこと、思い出させちまったな」

 慌てたルークに、フレディがゆっくりと首を横に振った。

「いや……俺は決まった恋人がいたわけでもないし、母親も物心つく前に俺を置いて金持ちの家の妾となったらしいから、もう顔も思い出せやしない。けれども……俺が戦場へと赴く前、仲間とともに娼館に行ったんだ。その娼館で出会った女のことが今でも忘れられない。俺は単なる客の1人でしかなかったがな」

 

 約200年前――

 戦乱の世において、明日をも知れぬ運命の道へと立たされていたフレディは、仲間に連れられて、娼館へと向かった。筆おろしのためか、それとも癒しとぬくもりを求めてか、その両方であったのかもしれないが……


「……俺を導いてくれたのは、ナディアという名の女だった。俺より少しだけ年上のようで、典型的な美人というわけでもなかったが、アッシュブロンドを腰まで垂らした、まるで妖精のような不思議な存在感のある女だった。あのナディアの顔や肌は今でも……この凍てついた肉体でもありありと思い出すことができる。あの夜、俺が何度、焦りで求めてもナディアは優しく受け入れてくれた……」

 どこか遠い瞳をしたままのフレディは、淡々とした感じで言葉を続けていた。

 彼の話を黙って聞いているルーク、ディラン、トレヴァーの方が赤面しつつあった。フレディの羞恥心のポイントは、ルークたちとはどこか違うところにあるらしい。


 そのナディアという名の娼婦は、フレディにとって今もなお、慈愛に満ちた女神のような存在なのだろう。

 だが、彼女も流れる時という運命によって、もうこの世にはいない。

 死ぬまで娼婦業に携わっていたのか、引退して誰かと所帯を持ったのか、もしくは荒れ狂う戦火の犠牲となったのかは、名も無き民である彼女についての記録を調べることなどは不可能だろう。彼女の魂は今も冥海にあるのか、それとも魂が生まれ変わるとしたなら、誰か別の人間となって、今というこの時に人生を紡いでいるのかは分からない。


 その時――

「おや、皆さん。今は休憩時間ですか?」

 ちょうど女の話をしていた時に、女に関しては百戦錬磨であると思われるヴィンセントが真新しい剣を片手に颯爽と現れた。

 高く昇った陽は、ヴィンセントの燃えるような赤毛とこげ茶色の瞳をよりキラキラと輝かせていた。

 ヴィンセントの手にある剣もルークたちと同じく、それほど年季が入っていないものであった。彼はルークたちの剣稽古に、こうして後から合流することとなっていた。


 ”希望の光を運ぶ者たち”7人をあえて、2つのグループに分けるとすると、「頭脳派」と「肉体派」になる。

 ダニエルと魔導士のアダムは「頭脳派」、そしてルーク、ディラン、トレヴァー、フレディは、剣を手にし武力を持って立ち向かおうとしている「肉体派」だ。


 剣を握らせるとへっぴり腰になってしまうダニエルであったが、彼は非常に頭が良いようであった。国王とジョセフ王子含む城の重鎮たちによる慎重な審議が続けられているこの数日間は、与えられた城の一室にて、アダム、レイナ、ジェニーとともに、旅に必要な知識を吸収しているはずだ。


 だが、自分たちの目の前に立っている、このヴィンセントは「肉体派」と「頭脳派」のどちらにも属している人物だ。

 彼を昔から知っているらしいダニエルが言う通り、剣を握らせても素晴らしく、また教養だって身に着け、少し不思議な力まで持っているようでもある。

 一を聞いて十を知るとは、彼のことを指すのかもしれない。

 オールマイティに何でもこなせ、そのことを奢ることなども一切なく、人当りも非常に良い。それに加え、この美貌と色気。このヴィンセントは、絶対に不可能だと思うことも、もしかしたら成し遂げることができるのでは、と思わせる男である。

 女好きであるという、彼のたった1つの好ましくない点を覗いては、このヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーこそ、物語のヒーローに抜擢されるような人物であるだろう。それなのに、なぜ、あのアポストルからの使いは、最初からヴィンセントのところには行かず、自分たちのところにやって来たのだろう、とルーク、ディラン、トレヴァーの3人は考えずにはいられなかった。

  

「どうかされましたか? そんなに深刻そうで、少し赤い顔もして、ひょっとして女性の話でもしていたのですか?」

 ルークたちの間に漂っている空気をこうも敏感に感じ取ったヴィンセントは、聞いていないはずなのに彼らの直前の話題までもピッタリ当てた。

「……まあ、当たりってとこかな。確かに君の言う通り、女についての話をしていたんだ」

 ディランが苦笑いをして、ヴィンセントに答えた。

「女ですか……皆さんは、これから私たちが出会う”女たち”についてはどう思われますか?」

 そう、あの啓示には、”これから出会う”女たちについても記されていた。

 


※※※


 陸地にては過去に縁を紡いだ者に出会い、

 海にては伝説の美しき女たちに出会い、

 隣り合う世界からの勇ましい男たちにも出会い、

 そして、最後には悪しき者たちに必ず勝つ。


※※※



 伝説の美しき女たち――

「まあ……女は顔じゃないってことは、頭では分かってるし、マリア王女の真実の姿を知った後は、それは身に染みて実感しているけどさ……やっぱり、”美人”や”可愛い”なんて聞いたら、気にはなるよな」

「そうだね」とディランも、「そうだな」とトレヴァーも頷いた。

 そして、ヴィンセントもにっこり微笑んで、フレディもポーカーフェイスのままであったが頷いた。

 

 男たちは、これから自分たちが出会う”女たち”について、思い描こうとした。

 だが、顔かたちの詳細まで脳内で絵のように描くことはなかなか難しく、薄い桃色の柔らかな靄のようなものしか想像できなかった。


「……美しき女”たち”ってことは、複数の女と出会うということか?」

 トレヴァーが言う。

「俺たちの要請が通れば、船でユーフェミア国があった方向へと向かうが、途中のエマヌエーレ国で一時下船することになるんだろう。そのエマヌエーレ国で、鍵となる複数の女に出会うと……」とフレディ。


「いや、もしかしたら……あの啓示は、本当に言葉通りの意味かもしれないよ」

 顎に手を当てたまま、ディランが呟いた。

「……どういうことだ??」と、ルークが不思議そうに彼に問う。



 顔を上げたディランは、いつものように自分の目をまっすぐに見つめるルークと、その彼の傍らで、黙って自分の言葉に同意するように頷いたヴィンセントを見た。

「多分、ヴィンセントは俺と同じことを考えていると思う」

 ディランから、ヴィンセントへのアイコンタクト。

 ヴィンセントは、その蠱惑的な唇を開き、ディランより話のバトンを受け取った。


「言葉通り、”海で”伝説の女たちに出会うということです。それはつまり……今のこの時代にも伝説として語り継がれている”ニーナレーン”のことではないかと……」


 ニーナレーン。

 1000年前に、アポストルとなった神殿の巫女。いわば、今もなお語り継がれている”伝説の女”だ。

 海の上で追い詰められ殺された神殿の巫女・ニーナレーンはアポストルとなり、この世界で数多の命が生まれいづる冥海を守るようになった。アンバーと同じく殺人被害者である1人の女性が、この世界を守る大きな存在という伝説。


「私とフレディは、アポストルとなられたアンバーさんという女性には面識はございませんが、あなたたち3人は実際にアンバーさんがアポストルとなった、その瞬間を遠くからとはいえ、しっかりと目撃したのでしょう? いわば、この世を守る大きな存在となったうちの1人との縁をすでに紡いでいるということです。これは私個人の考えですが、アポストルたちはアポストルたちで1つのネットワークを持っていると思うのです。アンバーさんでもなく、ゲイブちゃんに手紙を託した者だけでなく、他のアポストルが私たちの前に何か伝えたいことがあって、現れる可能性は非常に高いでしょう」

 ヴィンセントの言葉に、ディランは黙って頷いた。

 彼の考えは自分とほぼ同一であったからだ。

 だが、ディランは、なぜヴィンセントが、”アポストルたちはアポストルたちで1つのネットワークを持っている”とごく自然なことのように考えられるのかは分からなかったが。


「そうか、お前とディランの考えが正しければ、その女たちとは”アポストルたち”ってことだよな?」

 ルークは素直に彼らの推理を受け入れ、うんうんと上下に首を振った。

「ニーナレーンの伝説か……俺がガキの頃にも聞いたことがある」と、フレディが遠い時の彼方に思いをはせるように、そのグレーの瞳をさざめかせた。

 彼がまだ子供だった約200年以上昔にも、彼女の伝説は平民たちの間に広まっていたのだ。いわば、超有名人ともいえる女である。


「俺も何度も聞いたことがある。でも、伝聞でしか聞いたことがなかったからな。そのニーナレーンがどんな女かってところまでは、よく知らないんだ」とトレヴァー。

 文字の読み書きができないルーク、ディラン、トレヴァー、フレディの4人は、幼き頃に周りにいた大人たちからの口から聞いたニーナレーンの話をうっすらと覚えているだけであろう。


「……私が昔、ダニエルと一緒に読んだ本によりますと、ニーナレーンという女性の容姿を簡潔に表現するとしたなら『成熟した妖艶な美女』といったとこですね」

 ヴィンセントが言う。

 素晴らしい記憶力だ。彼は単に女性が好きであるから、件の伝説の女――ニーナレーンの容姿に関する詳細な記述を覚えていただけなのかもしれないが……


 ”成熟”や”妖艶”という言葉より、思い浮かべてしまうのは、出るところははちきれんばかりにしっかりと出た、魅惑的な肉体の色っぽい美女である。

 彼らの頭の中で思い描く、薄い桃色の靄は先ほどよりもさらに濃くたちこめ、さらになまめかしい色へと変化していった。

 彼ら全員とも非童貞であり、程度の違いはあれど女の肉体を知っている。即座に陰茎が硬くなるというわけではなかったが、そのニーナレーンの存在は、雄としての彼らを揺り動かすのに充分であった。


 なまめかしい桃色の世界から、一番最初に戻ってくることができたらしいヴィンセントが口を開いた。

「これもまた、私の個人の意見なのですが……母の顔を知らない私にとって、ニーナレーンという名は、魅力的な女性でもあると同時に、どこか懐かしく母を思わせるものなのです……」

 木のゆりかごに乗せられた状態で海岸へと打ち上げられた赤子のヴィンセント。

 普通に考えると、彼は船から捨てられた、もしくは彼が乗っていた船が難破して海へ放り出されてしまったのだろう。

 けれども、彼が心を落ち着け、そのこげ茶色の瞳を閉じると、今もなお、母の子守歌のような波の音が、彼の心と肉体がゆっくりと満たしていくのだ。

「まあ、人類の始まりの起源は海であるとも言いますからね。私にとって、海といえば、母だけでなく、魂の片割れもいると思わせる場所なのですよ……」


 ふと、ヴィンセントには珍しく、遠い瞳をしていた。

 桃色の世界から戻ってきたルークたちは、彼が言っていることの一部――魂の片割れなどといったことを、充分に理解することはできなかったが、ヴィンセントにとっては、海とは格別の思いがある場所であるということだけは理解できた。


 ヴィンセント自身も、訳が分からない自分の心情を吐露してしまい、ルークたちを困惑させてしまったことに気づいたのか、コホンと咳払いをして話題を変えた。

「皆さん……その美しき女たちのくだりに続く、”隣り合う世界からの勇ましい男たち”という一説については、どう考察いたしますか?」


 あのアポストルの手紙が真実であるとするなら、自分たちは女だけでなく、男たちに出会うこととなる。

「気になるのは、その”隣り合う世界”って表現だね」とディラン。

「レイナの魂がいた世界かと俺は思っていたけど……どうやら、レイナの魂がいた世界ではないような気がするし」とトレヴァー。


「……おそらく、私たちの前に現れるのは”神人”の男たちでしょうね」

 ディランとトレヴァーの言葉を受けたヴィンセントが、頷いて言った。


 神人。

 この神人という存在も、ニーナレーンと同じく、伝説――民たちの間で語り継がれている存在である。

 見た目は人間とそう変わりがないらしく、翼があったりするわけでもなく、下半身が馬や魚であったりするわけでもない。ただ、皆、一様にして美しい容姿の持ち主であり、翼もないのに鳥のように空を自由に飛び回れ、尾びれもないのに魚のように水の中を泳ぐことができると……

 そのうえ、彼らは病で苦しむことも、老いるということも知らない肉体の持ち主であるらしいのだ。

 そして、それだけではない。

 彼ら神人は、生まれながらに役割を定められている。彼らの右手の薬指の付け根には永久に消すことができない刻印――「護る者」や「導く者」などといった自分たちが果たすべき役割が刻まれている。


 アポストルの啓示には、”勇ましい男たち”という表現であったことから考えると、おそらく「護る者」の刻印を持つ神人たちであるだろう。

 だが、その勇ましい神人たちは、自分たちの味方となるのか、敵となるのか、それとも単に出会うという言葉通り、自分たちの旅路の過程において出会うだけであるのかは分からない。


 

 ルークが自分自身を奮いたたせるように、剣をグッと強く握りしめた。

「……なんか、この先の未来から色んな欠片が俺たちに投げつけられたみたいで、心がザワザワと波立ってしまうよな。でも、その欠片がいいことでも悪いことでも、今の俺たちにできることは、こうして剣の腕を少しでも磨くことしかねえんだ」

 ルークは握りしめたその剣を、自分の眼前へと持ってきた。鋭い輝きを放つその剣には、グッと唇を結んだルーク自身の顔が映っていた。

「俺は確かにあのフランシスの言う通り、身分も何もなく、馬小屋で生まれたようなもんだよ。でも、俺の人生を他人の言葉なんかにに任せたくはねえ。俺の魂の手綱は俺自身が握っていく」

 ルークのその言葉に、ディラン、トレヴァー、フレディ、ヴィンセントが頷いた。それは、彼ら自身もまた、それぞれの魂の手綱を自分自身で握っていくとの決意の表明でもあった。

「さてと、また始めるか!」

 トレヴァーが剣を構え、皆がそれに続いた。


 再び剣を奮い始めた希望の光を運ぶ者たち。

 交わりあう鋭い剣の音は青空へと響き、春の訪れを告げる柔らかな風は、またしても彼らの間を吹き抜けていった――

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