ー3ー 道は開かれた(3)
現れた2人の悪しき者たち。
荘厳であり、限られた者しか入ることができないこの空間に、こうもやすやすと彼らは入り込んできた。
だが、そのうちの1人、魔導士フランシスは”嵐を引き起こす気など毛頭ございません”といった澄み切った静かな海を思わせる表情を相変わらずたたえていた。
そして、フランシスは視線の先のジョセフに向かって、さらにもう一度頭を深々と下げた。
「お久しゅうございます。ジョセフ王子。おや……少しお痩せになられたようでございますね。けれども、思っていたよりも顔色も良いので、安心いたしましたよ」
上品な物言いではあるが、フランシスは唇の両端にニッと嫌な笑いを浮かべ、ジョセフを見た。
ジョセフは何も答えなかった。
ただフランシスを睨みつけたまま、剣を突き付けていた。ジョセフの両端のカールとダリオ、複数の衛兵たちは、主君を守るために身構えていた。
「よっ!」
穏やかさを前面に出して現れたフランシスとは対照的に、彼の手下である少年魔導士ネイサンはニヤニヤとしたまま、ルーク、ディラン、トレヴァーの3人の青年に向かって手を振った。いや、彼の場合はルークたちを挑発したと表現した方がいいだろう。
「お前……!!」
旧知の友人との久々の再会であるかのようなその態度に、ルークだけでなく、ディランとトレヴァーの顔も、みるみるうちに険しくなっていった。
あのアレクシスの町で、自分たちを本気で殺そうとしたあのムカつく野郎が、また俺たちをおちょくっているのだ、と。
ルークたちのその表情をものともせず、ネイサンは赤毛の男・ヴィンセントと黒髪の男・ダニエルとともに、孫娘・ジェニーと”マリア王女”の盾になるかのように身構えている老人・アダムへとスイっと視線を移した。
「あの~タウンゼントさん、その節はすいませんでした。一応、謝っときます」
首だけでヒョコッと会釈するように頭を下げたネイサン。
彼が本気で謝罪をする気などないのは、明らかだ。アダムとジェニーの家を破壊し、そして多数に対する殺人未遂までもやってのけた彼は、罪の意識など持つことなく、こうしてどこまでも軽いままであった。
アダムは渋い顔をしたまま、ネイサンに何も答えなかった。
この人間とは思えない若者に、怒りを抑えているのか、あきれ果てているのか、そのどちらもであるだろう。
「ヴィンセント、ダニエル、あいつらが仕掛けてきた時に後ろの扉からレイナとジェニーを連れて逃げろ」
アダムが極めて低い声で呟いた。フランシスとネイサンの最初の攻撃によって、生じる隙をアダムを狙っているに違いない。
そのアダムの小声が聞こえたのか、聞こえなかったのかは分からないが、フランシスがスッと右手を上げた。
そして――
「!!!」
一瞬。
そう、ほんの一瞬で、フランシスの魔力によって、この部屋の全ての扉も窓もビシッと厚く硬い氷によって、閉ざされてしまったのだ。
脱出口は完全に閉ざされた。
ククク、とフランシスは抑えた笑い声を出し、ルーク、ディラン、そしてレイナをゆっくりと見やった。
「ルーク、ディラン、レイナ……覚えておりますか? これは、あなたたちと初めて出会ったデブラの町にて、そこのトレヴァーの窓からの侵入を防ぐためにしたものと同じです。こうして、魔術をパターン化しておくと、余計な労力を省けて便利なのですよ。しかし、春に近づいておりますので、いささか涼しくなり過ぎるかもしれませんがね。でも、私の話が終わるまでは、この領域に余計な者は入れたくはないのです」
そのフランシスのゾッとするような微笑みと、氷の魔術により早くも漂い始めた冷気に、レイナは身を震わせた。レイナもジェニーの手を握り、ジェニーもレイナの手をさらに強く握り返した。
「おやおや、何だか私ばかり、喋っているみたいですね。皆さん、怖い顔をしたまま、私たちをそんなに睨み付けて……まあ、実際にお会いするのは初めての方もいらっしゃいますので、自己紹介をしておきましょう」
フランシスは、優雅な仕草で頭を深々と下げた。
「私は魔導士フランシスと申します。改めて、よろしくお願い申し上げます」
丁寧ではあるが、やはりどこか馬鹿にしたような彼のその物言い。
だが、そんなフランシスとは、対照的にネイサンは落ち着きなくせわしなげに自分たちに対峙する者たちをジロジロと舐めまわすように眺めつづけていた。
「同じ魔導士といたしまして、アダム・ポール・タウンゼント……特にあなたには、直接お会いしたいと思っておりました。サミュエルからも話を聞いていたこともありますし、いやはや、あなたのその姿こそ、正しい年の取り方でございましょうね」
そのフランシスの挑発を含んだ優雅な物言いにも、アダムは渋い顔をしたまま、何も答えなかった。
彼はその背中に守るべき者たちがいる。美しいが邪悪そのものといった魔導士に、この部屋は一瞬で密室状態とされてしまった。だが、何とか隙を見つけて逃がさなければ――この魔導士・フランシスにはまともにやりあって勝てる相手ではないということは、アダム自身の長年の魔導士としての経験により分かっていた。
「ほら、ネイサン、あなたもご挨拶を」
フランシスに背中をつつかれたネイサンは、”はいはい”と言った感じで頭を下げた。
「どうも、俺はネイサンって言います。フランシスさんの部下の1人です。よろしく」
ネイサンは”部下の1人”といったところを強調して、さらにその表情をにやけさせた。
「……そう、ネイサンの言う通り、本来はここには私たちの他の仲間もアドリアナ王国の王子殿下たちにご挨拶にうかがう予定だったんですけどね……サミュエルとヘレンは”別にどうでもいい”ということでしてね。全く……どちらもいい年だっていうのに、何十年も前から協調性のない困った2人です。あと、ローズマリーは日課の筋トレ中で、オーガストはマリア王女と2人だけの愛の時間を紡いでおりましたゆえに、邪魔をするのは無粋かと思いまして、私とネイサンだかけでお邪魔した次第でございます」
ニヤニヤとしていたネイサンであったが、ジョセフ王子とその両端で以前として身構えたままのカールとダリオを見て、フンと鼻を鳴らしてその口を開いた。
「……へえ、あれが本物のジョセフ王子か。やっぱり、あのイカレ王女とは一目で兄妹だって分かるな。それに、両端がカールとダリオ……本当に生で見ると気持ち悪いぐらいそっくり過ぎだろ」
無礼にも程があるネイサンのその言葉に、ジョセフも、そしてカールもダリオも、眉をグッと吊り上げた。
一国の王子を”あれ”呼ばわりし、その側近の容姿の瓜二つさについても”気持ち悪い”と言い放ったネイサン。
このネイサンの無礼さには、フランシスもさすがに苦い顔をして彼をたしなめた。
「ネイサン……言葉はよく考えてから、口に出しなさい。カルダリに対してならともかく、ジョセフ王子に対してはあなたは不敬罪に問われるのかもしれませんよ。あなたは実家も割れているようですし、もしご両親に咎が及ぶことになったらどうするのですか?」
「ふん、関係ねえよ、あんな奴ら」
「おやおや、あなたの身の上話を聞いた限り、何不自由なく育ててもらったようですのに、親不孝でございますね」
フランシスがため息交じりに吐き出した言葉も、ネイサンは意に介することなく、魔導士のアダム、剣を構えているルーク、ディラン、トレヴァー、そして前に見た時は死体にしか見えなかったフレディへと視線を移した。
彼にとっては、自分の両親などよりも、これから自分たちが引き起こす嵐の方がより大切で、興味を引くようであった。
カールとダリオは、アダムとジェニーの家をあそこまで破壊した、この少年魔導士・ネイサンに厳しい視線を向けた。
このネイサンは、おそらく数年前にこの城の魔導士たちがスカウトした少年だろう。首都シャノンにまで、生まれ持った魔力の強さが噂となって届いていた、もしかしたら自分たちの同僚となっていたかもしれないこの少年魔導士はフランシスの傘下に自ら入り、今、敵として対峙しているのだ。
ネイサンは自分を射抜くようなカールとダリオの視線に気づいたらしく、またしてもフンと鼻を鳴らした。
「王族のお抱えの魔導士っていっても、そんなに大したことないよな。単にごますりがうまい奴らってだけで」
「!!」
この明らかな挑発に、カールとダリオがさらに険しい顔をしたのを見たフランシスがネイサンを諌めた。
「ネイサン……あなたは少しの間、黙って下がっていなさい。それにカールとダリオですが、彼らは彼らで優れた魔導士でございますよ。ただ、対峙する相手が私であったために華々しい活躍もできずにいますがね」
フランシスはコホンと咳払いをして、続けた。
そして、フランシスはルークたちを改めて見た。
「しかし、あなた方7人……その正装姿はそれなりに品格があり、英雄らしく見えますよ。中には、貴族の生まれの方も、大変な美貌に恵まれている方もいらっしゃいますが……やはり、身なりを整えるということは大切でございますね。特に、このような高貴な方々が集まる場所ではね」
「……フランシス! 貴様、相変わらず、話の長い奴だ。一体、何の用だ!?」
いつもながらに話の長く、その話の到着点が見えないフランシスに、剣を突き付けたままのジョセフがついに声を荒げた。
フランシスはそのジョセフの顔を見て、フッと乾いた笑いを漏らした。
「……何をそんなにお怒りになっていらっしゃるのですか。それに私は空気をきちんと読みまして、あなた様が忠実なる側近やその若者たちをねぎらっている場面にはお邪魔しなかったんですよ。それに、”私は”アドリアナ王国にちょっかいをかけるのをしばらく控えておく、という自分自身の誓いをきちんと守っております」
確かにフランシスはあのアリスの町の麓での戦いの後に自らがジョセフに宣言した、”アドリアナ王国にちょっかいをかけるのは控えておく”ことは守っていた。手下を使って、”希望の光を運ぶ者たち”にちょっかいをかけたり、魔術を使っての覗き見は時たま行っていたものの――
「王子サマを怒らせて、縛り首になったらどうするんですか、フランシスさん? 青筋たってますよ、あの王子サマ」
ネイサンが口元を押さえて、プククと笑った。
「ネイサン……あなたは、”黙って下がって”いなさい」
クルッとネイサンに振り向いたフランシスは、声のトーンを数段落とし、ネイサンに言い放った。
少しむくれたネイサンであったが、「はいはい」と素直に従った。このフランシスの堪忍袋の尾を切れさせたことにより、魂のひとかけらだけにされた王女がいるのだから。
「さて、私が本日、ここにお邪魔いたしましたのは、暗黒に包まれし国・ユーフェミア国を救わんとする皆様のお話に、私も加えていただきたいと思ったからでございます。ただ、お話をするだけでございますよ。……それに、考えてもごらんなさいな。私が本当にあなた方を亡き者にしたいと考えているなら、それこそ数秒のうちにあなた方全員、冥海へと旅立っておりましたよ。極端な例をあげますと、ジョセフ王子、私はあなた様が眠るベッドの中にまで潜り込むことも可能なのです。このような城の厳重な警備など何の意味もございません。まあ……私はどちらかというと、女性と眠る方が好みですので、そんなことはしませんけどね。それにもう、この城内にはアンバーも、そして”好き者な方のマリア王女”もいないことですし……今、そちらにいらっしゃる”マリア王女”は完全に毒気が抜けた、ただの絶世の美人でしかないですもの」
そう言ったフランシスは、”レイナ”をチラリと見やった。
確かにフランシス自身のいう通り、この魔導士・フランシスは、自分たちに直接的な危害を加える気は、今はないらしい。彼が自分たちを殺す気なら、とうの昔に彼はそうしていただろうとレイナも理解した。
けれどもフランシスは、喋りたがりなその口を止めることはできないらしく、なおも流暢に喋り続けるつもりらしい。
コホン、と軽く咳払いをしたフランシスは、自分たちを敵意のこもった目で睨み付けている一同をグルリと見渡した。
「……いささか、私の話で尺を取り過ぎてしまいましたね。この部屋の空気も、比喩ではなく実際に段々と冷たくなってきているわけですし……さて、そろそろ、本題に入るといたしますか。あなたたちは、あのアレクシスの町で少年・ゲイブよりアポストルからの啓示を受けたましたが、ちょうど同時刻、私たちは遥か上空であなたたちのあの啓示のワンシーンを覗き見させていただいていたんですよ」
※※※
アレクシスの町にて――
”希望の光を運ぶ者たち”7人の強い意志の集結。
レイナの助言は見事に役立ち、あの光――少年・ゲイブが現れる光がパアッと現れた。
どこか切なく、懐かしさを感じさせるその光。
レイナは、この光を見るのは4度目ではあった。1回目はデブラの町で、2回目はアンバーがアポストルとなった時に、そして3回目はアンバーを失い、悲しみに沈むなか、突如、現れたこの光……
この時のレイナには、その光の出現に心構えができていた。
いや、心構えができているというよりも、ルークたちだけでなく、自分自身の進む道が開かれることを望んでいた。自分の魂がこの世界へと呼び寄せられたのは、選ばれたわけでもなく、単なる偶然でしかない。そのうえ、自分は何の力も持っていないし、”希望の光を運ぶ者たち”の中にも自分は含まれていはいない。ただ、彼らの活躍を舞台袖から見ることしかできないが、志半ばで死んだアンバーのことを思い、こんな自分でも何か役に立つことができるならと――
レイナの澄み切った青き瞳に映る光は、徐々に大きく、さらに輝いていく。
その光から目を離すことができなかったレイナの頬に、一筋の涙がツウっと流れた。
光の眩しさに思わず涙が出てしまったわけではない。どこか切なく、懐かしさを感じさせる、その光に何か”別のもの”がレイナの魂に流れ込んできたのだ。
悲しみ。
たった一言で表現するとしたら、そのような感情が流れ込んできたと言えるだろう。でも、その光がもたらした”悲しみ”は、一言では到底表すことができなかった。
何かを守ろうとし、何かを今にも失わんとしている悲しみ。それだけではない。その光はレイナに、元の世界の家族のことを強く感じさせた。もう二度と戻ることができない、元の世界への架け橋のようにも思えた。
周りの者を見ると、涙を流しているのはレイナただ1人であった。
ルークたち”希望の光を運ぶ者たち”はもちろんのこと、カールとダリオ、そしてジェニーも、ただその荘厳であり、美しい光に見とれていただけであったのだから。
この場でただ1人、この世界ではない異世界から呼び寄せられた魂である自分だけが感じたことなのかもしれなかった。
この部屋に打ち寄せる波のように広がっていった美しい光は、さざめく波のようにスウッと引いていった。
光の中から現れたのは、やはりゲイブであった。
だが――
そのゲイブには、今までの2回の登場時における天真爛漫な無邪気さはなかった。相変わらず、彼のその顔立ちは天使のように可愛らしい。このまま、彼がその愛らしさを崩すことなく、順調に成長していったとしたなら、数年後には甘さと清廉さを合わせもった美少年になるだろう。
そんな今のゲイブの瞼は腫れ、その柔らかそうなぷっくりした頬には幾度も涙の跡がつき、赤くなっていた。そして、彼はその小さな白い手に手紙を握りしめていた。握りしめられた手紙は、グシャグシャに潰れていた。
これは一体……?
レイナだけでなく、今までの全ての啓示の場にいたルーク、ディラン、トレヴァー、そしてカールとダリオも、不思議に思った。
”今までとは違うゲイブ”が現れた。
何があった? 何が起こった? まさか、彼の住むユーフェミア国が……と。
けれども、ユーフェミア国が闇へと消えたのは、今より59年前である。今というこの時代に起こったことではない。
涙を含んでいる黄金色の瞳をごしっとぬぐったゲイブは、自分の周りのルーク、ディラン、トレヴァー、アダム、ヴィンセント、ダニエル、フレディを、その愛らしい瞳でしっかりと見回した。
そして、手の中でしわしわになった手紙を、スッと”ルークに”差し出した。
腰をかがめ、その手紙を受け取ったルークはゲイブに問いかけた。
「ゲイブ、何があったんだ? お前の国がどうかしちまったのか?」
ルークのその問いかけに、ゲイブはコクリと頷いた。その頷きと同時に、ゲイブの瞳からはポロポロと涙がこぼれた。
やはり、彼の国・ユーフェミア国が暗黒に飲まれてしまった。
だが、時間軸がおかしい。まさか、このゲイブは過去からの来訪者とでもいうのか。
手紙を受け取ったルークであったが、彼は字が読めない。でも、この手紙には、ゲイブの国を救うための重要な啓示が書かれているのだ。
「……すまん、誰か読んでくれないか?」
そう言ってルークは、近くにいた文字が読めるアダム、ヴィンセント、ダニエルを見た。
一番の年長者であるアダムが代表するように、ルークの手からその手紙を受け取った。子供のゲイブの握力でクシャクシャに握りしめられていたその手紙。その手紙に書かれていたことは――
「物語の英雄は、全員揃った。
この手紙によって、進むべき道は開かれることになる。
暗黒に包まれし民たちを、
わたしの愛しき者たちを救うために、
”希望の光を運ぶ者たち”よ、ユーフェミア国へと向かえ。
陸地にては過去に縁を紡いだ者に出会い、
海にては伝説の美しき女たちに出会い、
隣り合う世界からの勇ましい男たちにも出会い、
そして、最後には悪しき者たちに必ず勝つ。
私はすべてを知っている。
私は紡がれているすべてに目を通したのだから。
ともに船を漕ぎゆき進め。
お前たちにしか、私の愛しき者は救えない」
アダムが手紙を読み上げた途端、彼の日焼けした節くれだった手の中にあった手紙は、ボロボロと崩れ落ちるように消失した。
それと同じくして、赤い目をしたままのゲイブもパアッと光につつまれた。今日の彼には、いつものような場を去る時の名残惜しさは感じられなかった。
ただ、涙を流すことしかできない自分をこれ以上、見られたくないといったように、彼は消えゆこうと――
「ゲイブ!」
ルークが消えゆくゲイブに向かって手を伸ばしたが、ゲイブを包む光はルークの呼びかけに答えるように一瞬のきらめきを見せただけであった。
静寂。
もたらされたアポストルからの3回目の啓示。
道は開かれた。
彼らが行くべき地と果たすべき使命は、ここに来て、やっと明らかとなった。
暗黒に包まれしユーフェミア国の民たちを救うという使命。そのユーフェミア国の民のなかには、手紙をゲイブに託した者の愛しい者も含まれている。
そして、またしても断言されし勝利。
だが――
今の啓示により、幾つもの謎も発生した。それを問うこともできないまま、アポストルからの使いの少年は、今回は極めて短い時間でこの場を去ってしまったのだ。
※※※
「……というわけなのでしたね。”今までとは明らかに違う”あの少年が現れ、あなた方がこれから歩む道はついに開かれたというわけです。その進むべき道のまず第一歩として、あなた方はジョセフ王子、そして国王陛下の元へと……さてさて、あなた方はやっとスタート地点の一歩手前まで来ました。あなた方が海にて船を漕ぎ、ユーフェミア国に向かうなら、私たちも空という大海原にて船を進めさせてもらいます。さて、どちらが早くユーフェミア国に着くでしょうね」
クスッと笑ったフランシスに同調するように、ネイサンがプククと笑った。
「そんなこと言っちゃだめですよ、フランシスさん。分かりきったこと聞いても、恥かかせるだけでかわいそうじゃないですか」
彼は依然として、ニヤニヤと笑いを浮かべていた。
ジョセフ王子に伝えるべき、大切な啓示内容を、まさかこの2人の悪しき者たちとともに回想することになるとは、誰も想像はしていなかった。
「何なんだよ、一体、何がしたいんだよ、お前ら!」
ルークがついに声を荒げた。
「おやおや、私たちはご挨拶にうかがっただけでございますよ。それに……あなた方の方こそ、この城へとやって来ましたのは、下品な言い方をすればジョセフ王子への金の無心であるというのに」
途端に、空気はさらに凍りついた。
自分たちは、ユーフェミア国の民たちを助けに行こうとしている。だが、そのためには、海を渡らなければいけない。自分たちの財力では到底賄うことなどできないレベルの船と人手が必要となるのだ。
仮に自分たちで小さな筏を作り、それぞれの手で漕いで行ったとしても、数週間のうちに食料もつき、干からびて遭難するだけであるだろう。
「……でも、私はあなたたちの活躍を応援してもいるんです。私もいわば、社会の底辺で生まれた者でございまして、肉体労働ではなく、芸と、そしてお恥ずかしい話、時々”色”でも生計を立てておりました。ですから、美にも頭にも身分にも恵まれたジョセフ王子や、そこの2人の生え抜きのエリート魔導士さんたちよりも、あなたたちの方にずっとシンパシーを感じているんですよ」
そう言ったフランシスは、”希望の光を運ぶ者たち”のうちの特に、ルーク、ディラン、トレヴァーを見た。
「……そんなこと、言われてもうれしくないね」
ディランが吐き捨てるように言った。
「おやおや、あなたも言う時は言いますね。さてさて、お邪魔しました。すぐに切り上げるつもりでしたが、思っていたよりも長い滞在時間になってしまいましたね」
ククッと笑ったフランシスに、お前が喋り続けていたからだろ、と誰もが思った。
そんな思いを感じ取ったのか、フランシスは、改めて自分に対峙している一同をグルっと見回した。
「……アポストルからの啓示は、現時点で3回ございましたね。ですから、私も最後に皆さまに3つのことをお伝えいたしたく思います」
「あっれえ、あのこと言っちゃうんですか? フランシスさん」
ネイサンが笑い声をあげた。彼はとてもうれしそうであった。
「久々にお会いする方もいらっしゃるのに、皆さん、私に冷たいんですもの。少し、意地悪をしてみたくなりましてね」
フランシスは唇の端をニッと上げて、続けた。
「まずは1つ目。ジョセフ王子、あなた様は確かアリスの町で”影生者”たちを急遽、金にモノを言わせて雇われたことと思います。あなた様とマリア王女の外見バージョンを数段劣化させたような、あの兄妹たちでございますよ。まあ、あなたたちと違って非常に結束力が高い兄妹ではあったようですか……」
そう言ったフランシスは、ずっと青筋を立てたままのジョセフをチロリと見て、ニンマリと笑った。
「……あの彼らですが、今はどちらかというと”私たち側に”立っております。ですが、彼らの飼い主はこの私ではありません。ごますりが上手いといえば、まさに彼らのことでしょうね。さる有力者の元で、彼らは今、自分たちの本領を発揮しておりますよ」
後出しのような展開で存在を知ることとなった、あの持ち逃げ兄妹が悪しき者たち側に着いたらしい。このフランシスではなく、おそらく彼と同じく、悪しき心を持つに違いないまた別の者の――
「そして、2つ目。そこの黒い服のクールガイさん」
フランシスのその言葉に、フレディに視線がザアッと集まった。フレディは、グッと剣を構えたまま、表情一つ変えず、フランシスを見返していた。
「……あなたは本来ですと、私たちの計画に必要な”道具”でした。ですが、自らも棺桶に片足を突っ込んでいるアダム・ポール・タウンゼントの慈悲の心により、あなたたちをこうして解放してしまいました。あなたたちは、本当に運が良かったですね。あとの101人の”凍った騎士”たちに比べましたら、富くじを引き当てたようなものですよ」
「!!!」
フレディたちだけでなかった。
あの長き時に渡る陰険で残酷な呪いをかけられたものが、まだ101人もいるというのだ。
「おやおや、”なんて残酷なことだ”などとお思いですか? いいえ、彼らは彼らで目覚める時が来るから、そう心配することはありませんよ。200年以上前から練られていた計画に必要な道具たちは、今はまだ眠っているだけですから。しかし、アダム・ポール・タウンゼント……あなたが、”凍った騎士”たちすべてを助けるとしたなら、あと101年は生きるつもりでいなきゃいけませんね。まあ、無駄なことですけど」
自分に対峙している者たちからの、一層の敵意と憎しみを感じ取ったフランシスは、フッと鼻から息を吐き出した。
「そして、ついに……最後の3つ目。これは言おうかどうか、今でも少し迷っているのですが、開かれた冒険の道には少しばかりの緊張、いわば危険がつきものでございますね。何も起こらない冒険なんて、つまらないですもの。今から、私があなた方にお伝えするのは、確実の死を孕んだ危険でございます」
そういったフランシスは、今度は息をスウッと吸い込んで言った。
「”未来を見た者”から伝えられたことを、私はそのまま、あなた方にお伝えいたします。今から5年後、あなたたち7名の中のうちの3名がこの世界で生を紡ぐ姿が見えないと……」
「!!!」
空気は、サアッとさらに冷たく凍りついた。
7人のうち3人の生を紡ぐ姿が”見えない”。それは、すなわち”死”を意味しているだろう。
これからの旅立ちの道において、3人が死に、4人が生き残る。
仲間の死の予言。
これは、フランシスのハッタリか、それとも、本当に真実となってしまうことなのか? アダム、ヴィンセント、ダニエルに庇われているレイナの背筋に、冷たいものがスウッと走っていった。
「おやおや、皆さま、怒りと憎しみに恐怖がブレンドされたような表情に一瞬にして、変わりましたね。確かに”死”は怖いものです。その気持ちは私も分かり過ぎるほどに、分かりますよ。ちなみに、”未来を見た者”からは予定されている3名の死者の名前について教えていただけませんでした。ただ、”彼”は非常にもったいぶった言い方で”流れゆく運命によっての死”とだけ言っておりました。まあ、あなた方も知らない方がいいでしょう。自分自身や自分の隣に立っている友の死の運命なんてことはね……それに、知らない方がこれからの旅はより緊張感が増し、スリリングなものとなるでしょうし」
そう言って、フランシスはたおやかな微笑みを見せた。
彼自身の唇から吐き出されていた、残酷な台詞とは反比例するように、慈愛に満ちた神々しさすら感じさせるその微笑み。
フランシスの後ろにいるネイサンは、底意地の悪いいじめっ子のような表情のまま、相変わらず、ニヤニヤとしてルークたちを眺めまわしていた。
「さて、ネイサン。そろそろ、本当に私たちは失礼いたすといたしましょうか?」
「え~、もう帰るんですか? やっぱり、ローズマリーも連れてくりゃあ良かったですね。あいつらが、あの暴力女1人にしばき回されるところ、また見たかったのに。傑作だよ、あの光景は」
ルークたちにチラリと目線をやって、口元を押さえ思い出し笑いをしたネイサン。
「てめえ……!」
ルークがネイサンを睨みつけた。いや、ルークだけでなく、彼の隣にいるディランとトレヴァーも同様であった。
魔導士の力を持って生まれ、またのその力に絶対の自信を持っているネイサンは、小生意気そうに尖った鼻をさらにとがらせるかのように、得意気に鼻を鳴らした。
「ほら、ネイサン。帰りましょう」
他人を挑発せずにはいられない、他人より自分が優れていることを誇示せずにはいられないネイサンに、フランシスは呆れた声で言った。
そして、フランシスは再び、この場にいる自分が敬意を払わなければならない人物――ジョセフに向かって、深々と頭を下げた。
「ジョセフ王子、大変に失礼をいたしました。私どもはこれにて、おいとまいたします。お伝えすることはお伝えいたしましたし、あなた様に関する私の心残りといえばアンバーを私のものとすることができなかったことぐらいですしね」
フランシスの言葉を聞いたジョセフは、グッと眉を吊り上げた。
彼の両端で身構えているカールとダリオは、ジョセフが溢れ出しそうな怒りを、必死で押さえようとしていることが分かった。
二度と出会うことができないジョセフの愛しい女の名前をこの場で出した。フランシス自身も、他人を挑発せずにはいられない、しかも心の傷をえぐろうとする嫌過ぎる性質を持っている男なのだ。
「……それでは、失礼いたします。ジョセフ王子、”また”お会いいたしましょう」
フランシスがパチンと指を鳴らすと同時に、扉と窓を閉ざしていた氷はガラガラと砕け散った。
間髪入れず、この広間の外で必死にフランシスが築いた領域を破ろうとしてた衛兵たちが「ジョセフ王子!」「殿下、ご無事ですか!」と飛び込んできた。
扉から流れ込んできた、あたたかな空気がジェニーと手を取り合ったままのレイナのところにまで届いてきた。
冷気から解放され、和らぐゆく空気のなか、優美な笑みをたたえているフランシスの全身はいつもの漆黒の靄に包まれ始めていた。彼の銀色の長い髪に、そして純白の衣に、漆黒の靄がねっとりと絡みついていく――
そして、フランシスは「いい加減にしなさい」と遊びを中断された子供のようにウズウズとしたままのネイサンの首根っこをつかみ、自分の方へと引き寄せた。
彼らも、彼らを包み込んだ漆黒の靄も、数秒の後にこの広間より完全に消失した。
フランシスとネイサンの退却。
今日のフランシスは、この場にいる誰の肉体も傷つけはしなかった。だが、誰もの心にひっかき傷のような爪痕を残したまま、悠然と姿を消した。
これから、”希望の光を運ぶ者たち”が進む道に、太陽の光でも消すことができそうにない暗い闇を染み込ませるがごとき、悪しき者たちの襲来であった。
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