―5― 風の棺に運ばれし者(2)

「離して! 離してってば! お兄様の人でなし!」

 ジョセフに羽交い締めにされたマリアは、金切声で喚きながら暴れ続けていた。

 マリアの白く細いその首に、背後より自身の右腕をグッと回したジョセフは、自分の顎の下のマリアに問う。

「人でなしだと……! じゃあ、お前に聞くが、お前は一度だって、目の前にいる者を自分と同じ人間として扱ったことがあるのか? いや、自分と縁があって出会った人間として、目の前の者を思ったことがあるのか?!」

 マリアを押さえ込んでいるジョセフには、彼女の冷たい体の感触が伝わってくる。今のマリアの体は、オーガストが作った人形であるから、体温を持たないのは当然である。だが、その冷たい感触や、臓器が入っていないその空虚な人形は、人として大切なものを持たずに生まれてきたマリアの心そのものを表しているかのようであった。

 当のマリアは、まさに絶体絶命ともいえる状況にいたが、ジョセフから発せられた自分に対しての問いに、何かが吹っ切れたようにニヤリと笑みを浮かべた。


 彼女たちのその様子を、今にも腰を抜かしそうになりながらガタガタと震えて、見ているしかないレイナにとって、自身の危機が迫っているのに、急に余裕を醸し出したマリアのその様子は不気味でしかなかった。彼女は絶対に自分が殺されるはずなんてないとの自信があるのだろう。

 マリアは上目遣いで、ジョセフに対して甘やかな声を出した。

「お兄様……お兄様はこのアドリアナ王国の第一王子として、生を受けましたがゆえに、いつも自らを窮屈な檻の中に閉じ込めて、いつも民のことを考えて、あるべき姿を取り繕おうとしておりましたわよね。私はお兄様とは違う生き方をしたいと物心ついた時から、常々思っておりましたのよ……」

「……違う生き方とは何だ?! お前の場合は、残虐で異常な変態性欲を満たす生き方だろう?」

「いやだ、変態だなんて……性欲はお兄様にだってあるはずですし、私の場合は弑逆心が人より”少しだけ”強いだけですわ。私はただ、何にもとらわれず自由に生きたかっただけです。自分に正直に……それに私は、この上ない高貴な身分と絶世の美貌を神から授かって、この世に生を受けたのですよ。何も持たない名も無き者どもとは違う存在ですわ」

 マリア王女が神から授かったと自負している身分と美しさ。だが、それはむしろ、地獄でほくそえむ悪魔からの贈り物であったのかもしれない。人の心を持たない残酷な獣を、この世界で好き勝手に振る舞わせるために――

 ジョセフがワナワナと震えながら言う。

「マリア……高貴な身分の者は、それ相応の義務と責任を果たさなければならない。お前はそんなことも分からない……いや、分かろうとする心自体ないのだろうな。そもそも、お前が平民であったとしても、お前の生き方は絶対に赦されることではない……!!」

「まあ、赦すとか赦さないだとか、神でもないお兄様にそんなことを決める権利などありませんわ……それにフランシスが言うように、お兄様やアンバーたちは、自分たちこそ正義だと思い込んでいるのでしょうね。でも、正義だとか悪だとかは人間が作った勝手な線引きですわ。ただ、力の強い者が勝つ。そして、勝者は歴史に刻まれるけれど、敗者は忘れ去られる……これがこの世の真実かと。お兄様、私が神より授かった他のプレゼントは、魔導士・フランシスとの出会いですわ。この世界で最強の力を持つ魔導士、そして私に身も心も奪われた男……」

「黙れ!!」

 ジョセフはマリアの首に回している腕に、さらにグッと力を込めた。

 人形の肉体ではあるものの、息苦しさを感じたのか、マリアは苦し気にそのピンク色の唇を喘がせた。そして、少しの歓びも彼女の表情から感じ取れた。そのうえ、彼女はなおも、ジョセフを挑発するように続ける。

「……ご安心くだいませ、お兄様。次に日が昇った後のアドリアナ王国は、私とフランシス……そして、私がオーガストに飽きるまでは彼との3人で、”永遠に”栄えさせていきますわ。お兄様を気が狂うまで苦しめ、人間として使い物にならなくするのと平行して、お兄様の愛しいアンバーも死ぬほどいやらしい×××にして……アドリアナ王国の民も、適度な数を私の様々な”試み”のために存分に役立たせていこうと考えておりますし……」

 ブルブルと怒りで震えながら、マリアの話を黙って聞いていたジョセフが、その青き瞳をついにカッと見開いた。

「……これ以上、お前を生かしてはおけん!!」

 今度はマリアが、彼と同じ青き瞳を、驚愕によりカッと見開く番であった。

 ジョセフは、マリアが声をあげる隙も与えず、彼女の首を腕でググッと締め上げた。マリアの足が宙へと浮き、苦し気にバタバタともがきはじめ――


 やがて……

 首が折れるゴキッという音とともに、マリアの動きはついに止まり、両腕がダラリと垂れ下がった。

 漆黒のドレスに身を包んだマリアは、純白の雪の上にドサリと落ちた。

 まるで、操る糸が切れたように手足を四方に投げ出し、輝きを失った青い瞳は月無き夜空のはるか上空にある星を映し出していた。まだ、生々しい色を保っている唇は、ほんの少し――彼女自身が絶頂に達する直前のごとく開いていた。


 マリアの命の火は、たった今、消えたようであった。

 彼女自身の兄の手によって―― 


 荒い息のまま、その自らが殺めたマリアの姿を見つめているジョセフと、今の一連の光景より震えながらも、目を離すことができなかったレイナに、わずかに離れた場所になぎ倒されずに残っていた松明の火がパチパチと燃え続ける音が、やけに大きく響いてきた。

 ジョセフは自らの手でマリアに対して決着をつけることは、レイナの魂をこの世界に誘うことになる以前から覚悟はしていた。

 だが、実際に今、自身の手で妹を殺めてしまった。

 血のつながった肉親を殺してしまった。明確な理由があるとはいえ、自身のこの手で――

「くっ……」

 苦し気に重い息を吐いたジョセフは、自らの額を両手で覆った。


 けれども……

 ジョセフにも、レイナにも聞こえてきた。たった今、事切れたはずのマリアのウフフという笑い声が――!

「お兄様ったら……残念で・し・た」

 自らの頭を抑えながら、マリアがゆらりと立ち上がった。彼女の漆黒のドレスについていた雪が、まるで湯気が立ち上がるように宙に舞った。

 マリアはジョセフに折られたその首より、頭が落ちないように押さえながら、勝ち誇ったように言う。

「生身の肉体ならまだしも、私の今の体はオーガストに作ってもらった人形ですもの。魔導士ならともかく、ただの人間が首を折ったぐらいで殺せるはずありませんわ。案外、お馬鹿なんですね、お兄様ったら……」

「貴様……!」

 ジョセフが、マリアに掴みかかろうとした。

「あらん、次は私をどうなさるおつもりですの? 何回、私に襲い掛かっても同じことですわ。それに……アンバーはとっくにフランシスの手に落ちているようですし……アンバーって堅物そうな顔をしていますけど、すっごく胸が大きいのですよ。お兄様、嫉妬という感情は自らの手でご自分を慰める時、最高の素材となりますわ」

 マリアはニッコリと笑った。生も死も、過去も未来も、善も悪も、何もかも意味をなさなくなるような、ただこの世の美としか形容できない笑顔を、ジョセフとレイナに見せたその時であった。


「!」

 突如、ビュッと冷たい風が吹き抜けた。

 レイナ、ジョセフ、マリアの金色の髪をたなびかせるほどの強い風であった。

 思わず自身の白いローブを手で押さえたレイナは見た。この冷たい風が吹いてくる先――青き月が隠れし夜空を背景とした空間に、ピシッと生じた亀裂。


 そして、その亀裂より、雪の上へとドサッと転がり落ちてきたのは――


「アンバー!」

「アンバーさん!」

 ジョセフとレイナは、同時に叫んだ。

「……ジョセフ王子! レイナ……!」

 よろけながらもすぐに立ち上がったアンバーは、息を整えるかのように胸を押さえ、白いその息を吐き出した。

 アンバーの瞳にはジョセフとレイナが、ジョセフとレイナの瞳にはアンバーがしっかりと映っていた。悪しき者たちに切り裂かれ、もう二度と会えないかとも思っていた存在に、3人ともが再び会うことができたのだ。


「アンバーさん……!」

 レイナはアンバーに駆け寄り、しがみついていた。

 直前まで、吹き荒れる吹雪の中にいたらしきアンバーの体は冷たかった。彼女の黒衣も、その肩で綺麗に切りそろえられた茶色がかった髪も、全身が雪にまみれていた。彼女の白い頬も、より一層、透きとおるほどに白くなっていた。

「レイナ……」

 アンバーもレイナを抱き返した。レイナは、彼女の今はまだ冷たい肉体の中の脈打つ心臓の鼓動を確かに感じることができたのだ。


 そして、アンバーは「ジョセフ王子、遅くなりました」と頭を下げた。

「……けれども、フランシスとの決着はまだついておりません」

 続く戦い。続く緊張状態。

 レイナは、それに対するアンバーの意志の強さと決意を、彼女の瞳と引き締まった唇から感じた。

 無事にフランシスの手から逃れ、またきちんと黒衣を身に着けていたアンバーの姿に安堵し、彼女に向かって頷いたジョセフとは正反対に、マリアはグッと悔しそうな顔で唇を噛んでいた。


 一時的にではあるが、フランシスの手の内から逃れることができたアンバー。

 ここよりわずかに離れたところで、アンバーの気の行方を必死で探していたカールやダリオ、そしてその他の魔導士たちも、アンバーの気をはっきりと掴むことができた。

 それは、この青き月が隠れし夜に、差し込んできた一筋の確かな光であった。

 そして、さらに光は差し込んできたのだ。

 不気味なジョセフ人形を倒したルーク・ディラン・トレヴァーの3人の若者の瞳に、雪崩の音に気づき救援のために馬を走らせてくるアリスの城の無数の兵の姿が映ったのだから――



 逆転しつつある形勢。

 だが、アンバーはハッとして、上空を見上げた。

 レイナにも、ジョセフにも、自分たちの上空に浮かんでいるフランシスの姿が見えた。

 何の魔力も持っていないレイナにも、翼も持たないのに空に悠然と浮かんでいるフランシスのその姿から、邪悪なオーラを感じた。いや、レイナが感じたのは、邪悪なオーラなどではなく、彼が今にも爆発せんとさせている静かな憤怒であったのかもしれない。

 レイナとは正反対に、マリアの瞳は輝き始めていた。

 自分の男であり、味方であり、そして自分の命が決して奪われるはずがないとの自信の源となっているフランシスが到着したという喜びに。


 フランシスは、滑らかな下降線を一本線で描くがごとく、スーッと下りてきた。

 彼の純白の白衣の裾が、足元の純白の雪に触れた。


「遅いわ。フランシス」

「申し訳ございませんでした。マリア王女」

 フランシスが頬を膨らませ、むくれているマリアに向かって、恭しく一礼をし、辺りを見回した。

「ひとまず兄妹喧嘩は終わったようですね。ちなみに、オーガストはどちらに?」

「お兄様に殴られて伸びているわ」

「……愛する女1人、満足に守れないとは情けない男ですね。全く」

 フランシスは、口からフッと笑みとも取れる白い息を漏らした。

 そして、彼は一度は捕らえたものの逃がしてしまった獲物――アンバーへと、その視線をごくゆっくりと仕留めるように向けた。

 自分に向けて構えているアンバーの姿を映し出した、彼のそのエメラルドグリーンの瞳は、ギラリと強い光を放った――


「ジョセフ王子、レイナ、ここは私が何とか食い止めます。隙を見つけてお逃げください。他の魔導士たちの保護の元へと」

 レイナたちをその背にかばい、フランシスに向かって身構えたままのアンバーが小声で囁いた。

 勇敢にもアンバーはたった1人で、自分の命にかえてもレイナとジョセフを守ろうとしている。

 どこからかは分からないがこの決着の場に戻ってきたフランシスに、カールやダリオ、他の魔導士たちも気づき、駆け付けてくるだろう。その時間は、1分もかからないかもしれない。だが、フランシスは、このアドリアナ王国の傑出した力を持つ、魔導士ですら反撃もできないほどの力を持っている。時間や人数などは勝敗には影響せず、ただ双方の持っている力のみが、勝敗を決定するのだ。

 

 ジョセフが腰の剣を引き抜き、ザッとアンバーの前に出た。

 フランシスが自分に向かって身構えているジョセフを見て、ククッと笑った。

「おやおや、勇ましいですねえ、ジョセフ王子。でも、どいていただけませんか? あなたの背にアンバーが隠れて見えないんですよ。あなたをからかって遊ぶのは、マリア王女と同じく、非常に面白かったんですけど、私の最優先事項はあなたではないんです」

「何だと……!」

 フランシスを睨み付けたジョセフを見たマリアは、フフッと笑った。


「いけません、ジョセフ王子」

 アンバーがジョセフをかばい、前へと出た。

「早くお逃げください。あなた様はこのアドリアナ王国に必要なお方です。こんなところで……!」

 アンバーですら、言葉を続けることができなかった。

 ジョセフの命を守りたい、いや守らなければという思いであり使命。それをビリビリと痺れさせ、震わせる強烈な”殺気”がフランシスから発せられていたのだから。 


 フランシスは静かに諭すように、口を開いた。

「もうすぐ、大勢の”不要物”がここに集まってくるでしょうから、手短にいいましょう。アンバー……私があなた伝えたいのは2件のみです。私のあの世界を一時的にせよ、破ったあなたをますます欲しくなったということ。そして、これはもう、獣を調教するように、あなたに体で分からせるしかなくなったということですね」

 そして、フランシスは一歩ほど歩み出た。

 彼が足元の雪を踏むザクッと深く鋭い音に、レイナは飛びあがって後ずさり、マリアは「フランシスったら、手短に話すこともできるのね」と呟いた。

 アンバーとジョセフは、フランシスに向かって身構えたその体勢を崩さなかった。そう、自分たちの”正面から向かってくる”フランシスへの攻撃に向けての――


 彼女たちのその様子を見たフランシスは呆れたように言った。

「あなた方の背中にも目がついていれば、よかったですねえ」


「!!!」

 背後から聞こえたボコボコッという、マグマのように雪が盛り上がった音に、アンバー、ジョセフ、レイナが振り返ったのと、ほぼ同時であった。

 その盛り上がった雪より、2本の深紫の邪悪な手は目にも止まらぬ速さで、グワッと襲い掛かってきたのだ!

「レイナ!!」

 アンバーとジョセフがレイナを守ろうとする間もなく、その邪悪な1本の手がレイナと――そして、アンバーを一緒くたにしてガシッと掴んだ。そして、もう1本の手はジョセフではなく、面白そうに笑みを浮かべてこの光景を見ていたマリアをガシッと掴んだのだ。

「!?」

 マリアが驚愕により、その瞳と唇をハッと見開いた。


「場所を変えるといたしますか」

 そう呟いたフランシスは、スウウウッと滑らかな線を描くように宙へと浮かび上がった。彼の後を追うように、2本の邪悪な手も獲物たちを掴んだままググッと宙へと浮かんだ。

「さて、行きましょうか」

「待て! フランシス!」

 背を向けたフランシスに、彼の足元にいるジョセフが怒鳴った。クルッと振り向いたフランシスは、ジョセフのその剣幕を見て、フッと鼻から息を吐き出した。

「誰が待ちますか。アンバーは当初の予定どおり、私がいただきますので……愛する女を守れる力も持たずに生まれたご自身の運命を嘆いてくださいませ。それではごきげんよう」

 ジョセフに恭しく頭を下げたフランシスは、クルッと踵を返し、上空へと――


「アンバー! レイナ!」

 フランシスのその手に強く掴まれたまま、アンバーとともに上空へ向かって”さらに”浮かび上がったレイナに、ジョセフの叫びが聞こえた。

 だが、レイナが浮かび上がったと感じたのは一瞬だけであった。

 次の瞬間――

 どこかへと向かうらしいフランシスの背に引っ張られるように、猛スピードで――それこそレイナが元の世界で乗ったことがあるジェットコースターと同じぐらいではないかと思われるスピードで――邪悪な手に掴まれたまま、冷たい夜空を風で切り裂くがごとく、飛んでいたのだから。


「きゃああ!」

 レイナは遥か下に見えている”暗い銀世界”から目を離すことができなかった。ここからの転落の恐怖と、これからフランシスに連れていく先で待ちかまえている恐怖。それらが混じり合い、レイナが身に着けている下着をわずかにジワッと濡らした。

「レイナ! 落ち着いて!」

 レイナと向かい合うようにこの邪悪な手に掴まれているアンバーが、自分たちを乗せているこの風に負けじと叫んだ。そして、アンバーはレイナの手をギュっと握った。重なり合っている肉体とその手に伝わるアンバーの温かさに、レイナは目に涙をためながらも、コクンと頷いた。

 

「きゃああああ! フランシス! お願いだから、もっと丁寧に扱って!」

 自分たちの横を同じく、邪悪な手と風に乗って誘われているマリアの甲高い悲鳴が聞こえてきた。マリアは両手で、ジョセフに折られたその首が落ちないように必死で支えながら、喚き続けていた。


 フランシスが一体どこへ向かっているのか、彼女たちの誰一人として分からなかった。

 だが、アンバーは、彼がこれから自分たちを連れていく先は、彼だけのあのユートピアではないことだけは分かっていた。遡った時の中にあるような荘厳な教会に、血膿のような色の棺。その棺の中に錆びた一本の剣と棺の中から”生えている”ような漆黒の手枷と足枷が用意されている、彼だけの世界などでは――

 この現実世界のどこかで、自分とマリア王女、そしてレイナという、必要な3人の女を揃えて、当初の目的を達成するつもりなのだと――



 夜空を切り裂いていた風はわずかにゆるみはじめた。

 それと比例し、レイナがその身に吹き付けてくるがごとく感じていた風も緩やかなものとなってきた。

 フランシスの目的地への到着は近い。それはレイナ自身の迫りくる死、迫りくる最期が近いことと同義であった。


 そして――

 ついに、とある場所へと到着した。

 フランシスが操る邪悪な深紫の手より、アンバーとともに転がり出るように、飛び出したレイナが足元に感じたのは、依然として冷たい雪の感触であった。今のこの場所がただ鬱蒼とした木々に囲まれている場所、どこか別の山の中であるらしいということだけはレイナにも分かった。

 その鬱蒼とした木々の中にフランシスらしきシルエットが見えたのだ。

「レイナ、絶対に私から離れないで!」

 蛇が舌なめずりをしているかのごとく、キラリと光る目でこちらをじっと見ているフランシスに、アンバーが素早く、自分の背にレイナをかばった。


「フランシス! 私をこんな目に遭わせるなんて、無礼にも程があるわよ!」

 同じく深紫の手より転がり出たマリアが、頭を押さえたまま、よろよろとよろけながら、フランシスに詰め寄った。

 そのマリアをフランシスは「まあまあ」と手で制した。

「手荒な真似をいたしまして、申し訳ございませんでした。マリア王女。”不要物”がいない場所で手っ取り早く”事を済ませたい”と思いまして、ここに連れてきた次第でございます」

「じゃあ、ついに私の魂を元の肉体へと戻してくれるのね?!」

「ええ、勿論でございます。大変にお待たせいたしました」


 そう言ってフランシスは、アンバーとそのアンバーが背に隠しているレイナに向かって、足元の雪をザクッと踏み込んだ。

「!!」

 近づいてくる死、今回ばかりはフランシスの手から逃れることができる可能性は0に近いことを理解し、震えあがったレイナに、マリアの華やいだ声が聞こえてきた。

「ねぇん、フランシス。暗くて視界が明瞭でないのよ。魔術で灯りをともしてほしいわ。アンバーとその子供が絶望の底に落ちていく様子をしっかりと見たいのよ」

 マリアの残酷なその言葉に、フランシスは「はいはい」と呆れたように答えながらも、パッと右手をかざした。


 フランシスによるマリアのための灯りは、アンバーとレイナを中心として、グルリと円形に灯された。その幾多の灯りの内側には、無論、フランシスとマリアもいた。

 静かに雪を踏みながら、こちらへと向かってくるフランシスと、これから起こることにこの上ない歓びを隠せなくなっているマリアの姿も、レイナはぐらつく視界でしっかりととらえることができた。彼らの背景に浮かぶ幾多の灯りは、レイナにはまるで元の世界のTV映像で見た「灯篭流し」を思わせた。


「アンバー、それに後ろの”あなた”……強い力に決して屈しないというその態度は立派なものです。でも、それは時と場合によるのですよ。追い詰められた小さなネズミが猫に噛みつくように、時には異常な力を発揮し、反撃ができる場合もあるでしょう。でも、あなたたちが今、対峙しているこの私は猫などではありません。いわば、危機を感じて逃げるネズミを、暗黒の中に飲み込もうとしている海のごとき力を持つ魔導士なのですよ」

 わざとゆっくりと足元の雪を踏みしめながら、向かってくるフランシスのその姿は、レイナには本当に自分たちを”死”へと飲み込もうとしている邪悪で逃れられない暗黒へと誘う海に思えた。

 だが、レイナの前にいるアンバーは、なおもフランシスをグッと睨み、その手を構えたままであった。

 圧倒的な力の差は理解している。だが、彼女のどんな時にあっても、揺るぐことのない強い意志がその黒衣に包まれた華奢な背中、いや全身より発しだされていた。


「……仕方ありませんねえ、体で分からせましょうか?」

 アンバーの揺るぐことのない闘志に、フランシスがパチンと指を鳴らした。


 この場に漂う、冷たく緊迫した空気が歪み始めた。

 それはレイナがこの世界に誘われてから何度も目にしている、空間の歪みであった。

 歪みはフランシスのちょうど右、自分たちから見て左の空間に集中していた。

 グニャグニャと歪むその空間から姿を出したのは――


 血膿を思わせるような色の棺が、まるで目的の者を迎え入れるように、縦に立っていた。

 蜘蛛の巣のようなヒビが幾多も入った、今にも崩れ落ちそうなほど古びた棺。その棺の中には、錆びた一本の剣と棺の中から”生えている”ような漆黒の手枷と足枷があった。


 アンバーがフランシスが創り上げた世界で見た棺。そして、レイナとマリアは初めて目にするその棺。

 レイナはその異様で不気味な風体に今にも絶叫せんばかりであったが、マリアはその得体の知れない棺の登場にワクワクとしているようであった。


「アンバー、あなたにはこの中に入っていてもらいますね」

 棺の中から錆びた剣を取り出したスッと取り出したフランシスが、再度、パチンと指を鳴らすと同時に、アンバーの肉体は反撃の間もなく、まるで磁石に引きつけられるようにバンッ! と棺の内側へとその背を叩きつけられた。

 だが、それだけではなかった。

「!!!」

 棺の中に備え付けられていた手枷と足枷がまるで生き物のごとく、アンバーの四肢を狭い棺の中で大の字を描かせるようにガシッと固定したのだ。


「ざまあないわねえ、アンバー。いつもは”私は誰よりも強くて、清廉潔白な魔導士です”みたいな顔をしていたのに。そんないやらしいポーズで固定されるなんて……そして、そこの子供1人満足に守れないなんで、ただの役立たずでしかないじゃない。あなたは、そこで大人しくしていなさいな。けれども、私が元の肉体に戻るのを、ちゃんと最初から最後まで見ておくことよ。お兄様とあなたたちが”あの夜”にしたことは、何の意味もなかったということをね」

 マリアはぐらつく首を両手で抑えながら、フランシスにすり寄り、しなだれかかった。

「ねえ、フランシス。早くぅん……」

 そのマリアの甘やかな催促に、フランシスは頷いた。

 幾多の灯りが照らし上げる雪の上に取り残されたレイナへと、残酷な悪しき者たちの4つの瞳はギラリと光った――

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