第五章(3)

 日曜日の六時、日中ここで練習していたバスケ部の人達が帰った後、僕と高瀬さんと津島さんと会長と黒田先生と春日さんと長田君の七人が体育館に集まった。時間外における体育館の利用許可は黒田先生が取ってくれた。保健の実習かなんかで適当に誤魔化したらしい。

 僕と高瀬さんは去年と同じドレスを着ている。姉さんのドレスはずっと生徒会室に保管されていたので、高瀬さんがそれを使っている。高瀬さんは高身長なので腰の位置が少しズレていたが、細身なので着る分には問題はなかった。最初は体操服でもいいと高瀬さんに言われたのだが、ドレスを着て踊りたいと僕が願ったのでそうなった。言ってはいないが、高瀬さんのドレス姿を拝みたいというのもある。高瀬さんは姉さんの霊を自分に憑依させて、僕と一緒に踊る。姉さんの協力を仰ぐとはこのことだ。僕がトランス状態になるために踊るにあたって、姉さんと踊った方が踊りやすいだろうと高瀬さんが配慮してくれたようだ。それに、春日麻美さんの招霊にあたって、監督役となる高級霊を呼ぶことが必要とのことらしい。過去にこの交霊術を行った姉さんが適任だとして、彼女の霊がその監督役に選ばれた。

 因みに、黒田先生はいつもの服装であり、他の皆は制服である。

 交霊会の準備として、皆でステージに文字盤を並べた。文字盤はA3サイズのコピー用紙で作られたものだ。アルファベットと数字は一文字につき一枚の用紙が使われていて、文字は縦向きの用紙に限界まで大きく、そしてかなり太く書かれている。他に『YES』と『NO』と『GOOD BYE』を示す盤があり、これらの単語はそれぞれ用紙一枚ずつ割り当てられている。また単語の用紙は横向きで、文字は出来るだけ大きく太く書かれている。ステージの手前から、一行目に『YES』と『NO』の文字盤が、二行目にAからMが、三行目にNからZが、四行目に数字が、等間隔に並べた。そして一番奥である五行目に『GOOD BYE』の文字盤を置いた。それぞれの文字盤は踏んでも動かないように、また後で剥がしやすいように四隅をビニールテープで止めた。


「はーい。皆さん下に集まって下さい」


 文字盤を張る作業を終えると、高瀬さんが声を掛けた。先にステージを降りた高瀬さんはさらにステージから少し離れて振り返った。他全員はステージを降りてすぐの所で立ち止まり、高瀬さんに注目した。


「今日は集まっていただきまして、誠にありがとうございます」


 大層丁寧な挨拶から、高瀬さんの説明が始まった。


「今日行うのは交霊会及び招霊です。今堤君に憑いてる春日麻美さんの霊を霊界へと導きます。それにあたり堤君は春日麻美さんの霊を、あたしは白川一魅さんの霊を自分に取り憑かせます」


 そこで会長が手を挙げた。恥ずかしいのか肘が約九十度に曲がっている。


「ちょっと気になることがあるの……といっても、何だかくだらない質問かもしれないけど、いいかな?」

「どうぞ。いいですよ」

「交霊会……っていうのをやって大丈夫なの? その……呪いとかは本当にないの?」


 ものすごく陳腐な質問がやってきた。とはいえ、去年の交霊術の後に姉さんが死んだということがあったので、交霊から呪いを連想してしまうのは仕方のないことだろう。しかし当然、高瀬さんは首を横に振った。


「大丈夫です。呪術なんて高等な技術を使う人なんてここにはいないし、霊を使って物を動かす物理霊媒もいません。あたしも堤君も霊を自分に憑依させるタイプの霊媒なので、外に影響するようなことはありません。呪いや心霊現象は、霊だけじゃできませんから。そういう能力を持ってる生きた人間が必要です。だから心配は要りません」


 会長は不安そうな顔をしながらも小さく頷いた。一応、納得はしたようだ。


「けど、あたしと堤君は霊に身を預けます。憑依の経験が多くて高級霊を憑依させるあたしはまず心配ないと思いますが、堤君は経験がほとんどない上に、今から憑依させるのは低級霊です。多少危険があると思います。万が一のことがあればすぐに交霊会を中止します。その時はすぐに堤君を保健室、最悪の場合は病院へ。って言っても、曲がりなりにもあたしは霊媒としてはプロで、この交霊会は安全であると判断した上で行ってますのであまり心配ありません。ただ、成功した場合も堤君はしばらく意識を失ったままになります。もしかしたら堤君を保健室に送るかもしれませんが、成功の場合は心配ありません」


 今度は春日さんが手を挙げた。これまた腕が直角に曲がっている。


「質問いいかな?」

「どうぞ」高瀬さんが首肯した。春日さんが手を下ろした。


「この前訊きそびれたんだけど、白川先輩がお姉ちゃんに言われた『首がほしい』っていうのは結局何だったの?」


 春日さんが不安そうに訊くが、高瀬さんは何でもないように表情を変えない。それは当然だ。その件はすでに解決したのだから。高瀬さんは僕の方を向いた。


「堤君。見せてあげて」


 僕は首肯してから、春日さんの方を向いた。そしてポケットからある物を取り出して、それを握ったまま手を前に出した。皆が僕の拳に注目する。僕はその物の一部を摘まんで、残りの部分を下にぶら下げた。それは――。


「ペンダント……? ああっ」


 春日さんが不思議そうに呟いた。それも束の間、大きく口を開けて叫んだ。


「ネックレス」


 高瀬さんや津島さんがどうかは知らないが、僕は忘れていたわけではない。ただ話すとしたら交霊会の時だと思っていた。春日さんに質問されていなければ、自分から話していた。


「そう。ネックレスと打とうとしたら、途中で切れてしまったっていうこと。このネックレスは春日麻美さんが姉さんに託したものらしい。ロケットには『TERUMI』っていう文字が彫られている。つまり君のためのものだよ」

「そのペンダントは、あの旅行の時に麻美が買ったものなの」


 そう補足したのは黒田先生だ。しかし彼女は首を傾げた。


「でも、どうして麻美のネックレスを、白川さんが……?」


 さすがにそれは分からない。そこで高瀬さんが口を挟んだ。


「それは今から訊きましょう」


 今から僕達は春日麻美さんと交信するから焦る必要はない。黒田先生も納得した。


「ということだから、春日さん、もうしばらくこれを借りるけど、いい?」

「うん……いいよ」


 許可が下りたので、僕はそのネックレスを首にかけた。


「他に何か質問はありませんか?」


 高瀬さんは訊くが、誰も手を挙げない。


「じゃあ、説明を再開します。さっき言った通り、あたしと堤君はこの交霊会にあたり、トランス状態つまり無意識の状態になって、霊を自分に憑依させます。あたしはなりたいと思えば自由にトランス状態になれますので、まず踊る前にあたしがトランス状態になって白川一魅さんの霊を憑依させます。そうしないとあたしは踊れませんしね。次に堤君ですが、去年と同じ踊りをすることでトランス状態になります。実は、他に堤君がトランス状態になる方法はあるんですが、去年の踊りをする方が雰囲気出ますし、春日麻美さんも交霊会のイメージを持ちやすいですからね。それで堤君がトランス状態になって、春日麻美さんの霊が彼に憑依した時点で、交信を開始します。その際は去年と違って踊りません。ただ文字盤を移動してもらいます。堤君がトランス状態になれば踊る必要はありませんし、堤君は霊能者として未熟ですから出来るだけ体力を温存しなければいけないからです。それと霊能者であるあたしと手を繋いでいれば、エクトプラズムを堤君に分けられる、つまりトランス状態を長く維持できます。交霊会の説明は以上です。何か質問はありませんか?」


 高瀬さんはしばらく待ったが、皆周りを見回すだけで手を挙げない。


「では、始めます」


 僕と高瀬さんと津島さんはステージに向かい、他の人はステージから距離を取る。津島さんがステージに上がるのは書記を行うからだ。具体的に言うと、僕に春日麻美さんが憑依した際、僕が踏んだ文字盤を記録して、それによって示された文章を綴ることがこの交霊会における書記の仕事だ。津島さんはステージの上手端に立つ。

 僕もステージに上がろうとしたが、ある一人の面持ちが気になった。長田君だ。単純に表現すると浮かない顔をしている。想像を含めて表現すると、本当にこれでよかったのだろうかと考えていそうな顔をしている。今でもあまり気が乗らないのだろう。しかし、津島さんの説得によってこうしてこの場に来た。ならばこの交霊会が春日さんのためになると思ったはずだ。


「高瀬さん。ごめん、少し時間をくれない?」


 ステージに上がる階段の真ん中で、僕は立ち止った。先にステージに上がっていた高瀬さんが振り返る。当然、高瀬さんは怪訝そうに僕を見る。


「いいけど……どうして? もしかしてトイレ行きたいとかじゃないよね?」

「いや、そうじゃなくて……」


 そんな間抜けな理由ではない。


「長田君と少し話がしたい」


 口にして、どうしてそんなことを思うのだろうと思う。津島さんには長田君と仲良くなるように言われたし、僕もそれは悪くないと思っているが、長田君の人格に対して興味が湧かないのは以前と変わらない。ただ、彼に伝えたいことがある。


「うん。いいよ」


 高瀬さんは笑顔で了解してくれた。僕は踵を返した。あまり長い間待たせるわけにはいかないので、駆け足で彼の元に向かった。


「長田君。ちょっと来て」

「ちょ……何だよ……?」


 僕は駆け足のまま、長田君の手首を掴んで彼を引っ張った。そして、体育館の隅へ移動した。長田君は抵抗しないものの「一体何だよ?」と何度か訊いてきた。

 しばらくして隅に辿り着いた。僕は長田君と向かい合う。


「長田君。君って春日さんのこと好きだよね?」


 長田君の表情が固まった。見事に動かない――。と思いきや、「ちょ」という声が発せられると同時に、彼の両手が右往左往した。確かに自分の好きな人を言い当てられたら慌てるだろうが、この反応はあからさま過ぎないだろうか。


「ちょ……ちょっと待てよ……お前どうしてそれを……?」


 長田君の大声が体育館に響き渡った。


「いや……見てたら分かるから……」


 あれ程過剰に春日さんのことを気遣う態度を見せられたら、気付かない方が難しい。


「それより落ち着いたらどうかな。皆に悟られるよ」


 僕は目線でステージを指した。案の定皆がこっちを注目している。おそらく津島さんあたりは察しているだろうとはいえ、長田君にとって知られると恥ずかしいことを話すためにわざわざここまで長田君を連れてきたのだ。長田君が動揺したら、折角の僕の厚意が無駄になる。


「ああ……そうだな……」


 とにかく、長田君は落ち着いてくれたようだ。


「それで、気になることがあるんだけど、長田君って春日さんのこと過剰に心配してない? 俺がいないとあいつは駄目だ、とか思ってない?」


 長田君はすぐに俯いた。図星のようだ。というか分かりやす過ぎる。


「ああ……お前の言う通りだ……」


 今までの彼を見ていたら分かる。長田君は春日さんにとって害になるものをすかさず遠ざけようとしていた。僕の皮肉を非難したのは当然だったにしても、幽霊関係の話に対する抵抗も強かったように思える。それ程春日さんのことが心配なのだろう。そして――。


「そんなに、春日さんのことが弱く見えるの?」


 相手のことを見下してしまっている。守るべき対象としか見えなくなっている。中々厳しい指摘をしたが、長田君は怒ることなく、むしろ素直に首肯した。


「ああ……よく分かるよな、そんなこと……」

「僕もそんな感じだったから……」


 そこで長田君が顔を上げて、不思議そうに口を開けた。見事なまでの間抜け面である。


「僕も、大好きな人のことでそう思うしかできなかった」


 僕は、姉さんの王子様になることしか考えられなかった。姉さんを導くことしか考えられなかった。彼女の姿をしっかりと見てはいなかった。


「その人はもうこの世にいないけどね……」

「堤……」長田君が憐れむように僕を見つめる。


「悪いけど、同情はいらない。それより……」


 同じような人だから、伝えたいことがある。


「もうちょっと、春日さんのことを、好きな人のことを信じてあげた方がいい」


 それは僕ができなかったことだ。しかし長田君にならできるはずだ。春日さんはまだ生きているのだから。長田君の目の前にいるのだから。それに春日さんは強くなろうとしている。姉さんのことでかなり混乱していたにもかかわらず、今では瞳に決意が宿っている。真実を受け入れようと前に進んでいる。ならば過保護になる必要はないのではないか。

 しばらく真剣な面持ちで僕を見つめていた長田君だが、ふと笑いを漏らした。


「驚いたぜ。捻くれ者のお前が月並みなこと言うんだな」


 長田君の皮肉に対して、僕は鼻で笑って応えた。


「何を言っているの。僕はただ素直なだけ」


 そう答えると、長田君が「ははは」と笑った。僕の口からもさらに笑い声が出る。

 長田君は微笑みを浮かべたまま、僕を見た。


「とにかく、お前の言う通りだな。肝に銘じておくぜ」


 その返答に対して、僕も笑みをもって応えた。


「ああ、期待している」


 そして僕と長田君は右手でハイタッチを交わした。良い関係を築くことができた証だ。互いの手を打つ音は他の皆の耳にも心地よく響いたことだろう。

 僕と長田君は駆け足で皆の元に戻った。長田君は春日さんの隣に立った。もう不安そうな表情は浮かべていない。僕は安心してステージに上った。


「友達になれたようね」


 同じくステージ上に立つ津島さんが声を掛けてきた。彼女も嬉しそうに微笑んでいる。


「ばっちりだよ」


 津島さんに笑顔を返してから、僕はステージ中央に向かった。そこで高瀬さんが待っている。彼女は一応笑顔だが、事情はよく分かっていないのか首を傾げていた。


「準備はいいかな?」


 高瀬さんの顔から笑みが消えた。僕も真剣な面持ちでそれに応える。


「ああ、オーケー」


 そして高瀬さんの目の前に立つ。二人の間は足一つ分も離れていない。


「では、交霊会を始めます」


 そう高瀬さんが宣言すると、彼女はすぐに僕の両手を取りそれを持ちあげた。そして僕の手を引いてステージ上を歩き始めた。すでにトランス状態になって姉さんの霊を憑依させたのだろうか。とにかく、踊りはもう始まっている。

 初めはゆっくりと踊る。ただし、それはほんの数十秒程度だ。すぐに僕は高瀬さんの手から離れたり再び彼女の手に戻ったりと忙しくなり、同時に身振り手振りも激しくなった。去年の踊りと同じだ。

 呼吸が上手くできない。足が縺れそう。しかし止まらない。

 その感じも去年と同じだ。綱敷姉妹はとんでもない踊りを考案してくれたものだ。

 意識を失う前から、すでに意識が遠のいているように感じる。しかし止まらない。

 目の前に姉さん――いや、今僕と踊っているのは高瀬さんだ。しかし、彼女が高瀬さんのように思えない。確かに高瀬さんは姉さんを憑依させているが、見た目は高瀬さんのままだ。しかし、彼女が高瀬さんのように見えず、姉さんに見える。

 見た目だけではない。ステップの音、腰の動き、手の感触までもが姉さんを物語っているのだ。最初の二つに関しては高瀬さんが姉さんの真似をしていると考えればいいだろう。しかし三つ目はどうだろう。手の感触までもが、懐かしいあの感触と同じなのはどうしてだろう。高瀬さんが姉さんを真似ているからだとは思えない。姉さんが目の前にいるとしか思えない。

 姉さんの手を握り、僕はその感触に浸りながら意識を失った。

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