第五章

第五章(1)

 翌日月曜日の放課後、僕は生徒会室を訪れた。交霊会と春日さんについての話し合いなら昼休みに済ませた。しかし僕にはまだ話すべき人がいる。現生徒会長である八尾静香さんだ。今回は既にアポイントを取っている。最初に生徒会室で話し合った時に連絡先を交換していた。昨日の内に約束をしていたのだ。だからなのか、今日の生徒会室には会長しかいない。この間みたいに正面に立たれるとやりにくい、と会長が言うので、今回は隣に座ることにした。

 まずは踊りの真相を話した。踊りの正体は勿論、姉さんが霊媒であったことも、春日麻美さんの幽霊を救おうとしたことも、姉さんと春日麻美さんのやり取りも、現在判明していることは包み隠さず会長に伝えた。幽霊やウィジャボードなどという現実味のない話を、会長は非難せずに黙って聞いてくれた。

 僕が真相を話し終えると、会長はこう呟いた。


「私は、白川先輩のこと何も分かっていなかったのね……」


 そんなことはありません。とは口が裂けても言えなかった。それは会長を慰めるどころか、自分の罪から逃げることになる最も惨めな選択だ。


「先輩の理解者は、この学校では私一人だけ……そう思っていた自分が恥ずかしいわ」


 会長は僕と同じだったのだ。姉さんの本当の姿を知っているのは自分だけだと自惚れていた。確かに僕も会長も姉さんの一側面を知っていた。それで姉さんに関して他の人よりも優位に立っていた。それは否定しない。しかしそれだけで姉さんの全てを知った気になっていた。


「白川先輩は私の知らないところで、また違うことで頑張っていたのね」


 そして、僕はさらに罪深い想いを抱いていた。


「僕はそれを見ていなかった」

「それは白川先輩が隠していたからでしょ」


 会長のフォローを、僕は首を横に振ることで拒絶した。


「いえ、僕は姉さんのそういう頑張りをちゃんと見ようとしていなかったんです」


 何を悩んでいるのかを姉さんに訊いたことならいくらでもあるが、何を頑張っているのかを訊いたことは一度もなかった。前者も大事だろうが、後者をもっと大事にするべきではなかっただろうか。しかし僕は目を逸らしていた。


「姉さんが春日麻美さんの幽霊を救おうとしていることを、高瀬さんから聞いた時、僕こう返したんです。姉さんはそんなことをする人じゃないって。臆病者だって決めつけていました」


 あの時高瀬さんは優しく諭してくれたが、軽蔑されてもおかしくはなかっただろう。僕は好きな人の努力を蔑ろにしていたのだ。


「どうしてだか分かります? だって、姉さんには臆病者のままでいてもらわないと、僕は姉さんを助けることができなくなるからですよ」


 結局僕は姉さんを助ける自分に酔い痴れていただけだった。


「僕は姉さんにとっての王子様になりたかった。けどそうなる前に、姉さんに頑張られて、あの性格を克服されでもしたら、僕はもう姉さんの王子様になれない。それでは困るんです」


 僕は王子様になれた気分に浸っていたかっただけだ。僕は姉さんのことが好きなだけで、最初から姉さんの王子様ではなかったのだ。


「きっと僕がこんなだから、姉さんは大切なことを打ち明けてくれなかったんです」


 僕は姉さんの王子様には相応しくなかった。高瀬さんと津島さんに出会ってようやくそれに気づくことができたが、それはあまりにも遅過ぎた。後悔しても無駄だ。だから――。


「会長、お願いがあります」


 会長の方を向き、彼女と視線を合わせる。


「ええ、私にできることなら」

「まず一つ。近いうちに僕は高瀬さんに協力してもらって、もう一度交霊会を行います。そこで去年姉さんができなかったことをします。春日麻美さんを救うことです。ただ見ているだけでいいので、会長にも参加してほしいのですが、どうでしょうか?」

「ええ、喜んで参加させていただくわ」


 このお願いはただの招待だ。大切なのはこの次だ。


「それともう一つ。僕はその交霊会で、おそらく姉さんとも話すことになります。その前に少しでも姉さんのことを知りたい。今度は姉さんと本気で向き合いたいんです」


 もう目を逸らさない。自分は変わると宣言したのだ。確かに姉さんの王子様にはもうなることができない。それでも姉さんに対して本気にならなければならないと思う。


「だから、姉さんの話を聞かせてもらえませんか?」


 おそらく会長はこの学校で一番姉さんと接してきた人間だ。時間的な意味もそうだが、精神的な距離の点でもそうだ。僕と比較しても、前者は当然なのだが、後者も会長は僕よりも数段上にいるかもしれない。


「それはいいけど、私も君と同じよ」


 何が同じなのかはすぐに察した。


「私も白川先輩のことを下に見ていたと思う。完璧じゃない人だと知って、先輩に頼られることで優越感に浸っていたわ。そんな私の話でも聞きたいの?」


 会長も僕のような愚か者だった。おそらく僕と会長は同類だったのではないだろうかと思っていたので驚かない。それを責めもしない。


「はい。だからこそ聞きたいです。お願いします」


 たとえ僕と同類でも、会長は僕よりも姉さんと長い時を過ごしたはずだ。だから僕よりも姉さんのことで知り得たことが多いはずなのだ。どんな小さなことでもいい。僕は姉さんがどういう学校生活を送ってきたのかを知りたい。悩んでいたことだけではない、頑張っていたことも含めて、姉さんを見つめ直したい。


「そうね。クラス委員会で白川先輩とは交流があったの。白川先輩は皆が憧れるような立派な生徒会長だったんだけど、私は彼女が無理しているように見えていたの。本当はあまり期待されたくないんじゃないかって。ある時、白川先輩に言ったの『あまり頑張らないで下さい』って、周りの人達には怒られたけど、白川先輩はあとでゆっくり話をしましょうって声をかけてくれた。その時から私と白川先輩はよく話すようになったわ。そうしている内に白川先輩は自分の本心を話すようになったの。本当はプレッシャーを感じるとか、自分は尊敬されるような人間じゃないとか、そして……」


 ここまでは僕が知っている姉さんだ。


「白川先輩が一番嫌っていたのは、自分の意思で行動しないことだったわ」


 しかしこれは初耳だ。似たようなことならば何回も聞いたが、その悩みが一番であることをはっきりと聞いた覚えはない。


「親や先生が言うから勉強してきたし、クラスや生徒会が推薦するから生徒会長になった。皆の期待を裏切るのが怖かったから今までその通りにやってきた。でも、自分の意志で頑張ろうとしたことが一度もなかったって言っていたわ」


 思惑通り、会長から貴重な話を聞くことができたが、これはこれで奇妙だ。


「僕はそんなことを打ち明けられたことがありません」


 その程度の悩みならば僕に話してくれてもよかっただろう。しかし姉さんはそうしなかった。僕と会長にどういう違いがあると言うのだろうか。


「気を落とさないで。堤君がダメだから、白川先輩は話さなかったんじゃないわ。その逆よ」


 いつの間にか僕は会長から視線を外していた。気を取り直して彼女を見つめる。


「白川先輩はね、君に憧れていたの。って、これは話したかな……。でもどう憧れていたかまでは言っていなかったよね」

「ええ、是非聞かせてください」

「君は白川先輩のために頑張ってくれるって。別に頼んだわけでもないのに、誰かに命令されたわけでもないのに、自分の意思で行動しているって。自分もそういう人間になりたいって、私に話してくれたわ。それを君に言うのは照れ臭かったようね」


 僕の想いはちゃんと姉さんに届いていたようだ。それが他の人の口から聞けて良かった。少し意図していたこととは違うが、それでも姉さんが自分を変えようとしていたと知ることができた。同時に、その姉さんの悩みを察することができなかったことが悔やまれる。


「そういう機会は中々現れなかったのだけど、私は見つけたの。あの踊りを」


 なるほど――あれが、自分の意思でしたいことだったのか。


「踊りの振り付けを見つけて、一緒に踊りましょうって白川先輩に提案したの。気休めだったかもしれないけど、文化祭で踊りを企画したら、それは自分の意思で頑張ったことにはならないかなと思って。話した時は、先輩は乗り気じゃなかったわ。踊りで人がどう変わるとも思えないし、やっぱり無駄だと私も思った。でもこの間話した通り、DVDを観てから先輩の様子が変わって、それからしばらくして提案を受け入れてくれたわ」


 そのDVDに映った幽霊を姉さんは見た。そして踊りのことを調べて、春日麻美さんとの関係やウィジャボードという踊りの正体を知ったのだろう。

 そして姉さんは見つけた。春日麻美さんを救うこと。本人から頼まれたわけでもなく、他の誰からも命令されたわけでもない、ただその人のために自分の意思で行動すること。僕が姉さんに対してしたようなことを、姉さんは春日麻美さんに対して実行しようとしたのだ。


「それで、これもこの前話した通り、私はダンサーをクビにされた」


 その時期に、僕が踊りに必要であることを姉さんは知ったのだろう。


「それでも以前と同じように、白川先輩と私は仲良くしていたわ。先輩が踊りの相手に君を選んだことも聞いていたよ」


 そこで会長は一度僕から顔を背けた。数秒後、何かを決意したかのように彼女は僕の方を向き直る。今から言うことはそれ程大切なことなのだろうか。


「堤君、よく聞いて」

「はい」忠告されなくてもそのつもりだ。


「白川先輩は、踊りが成功したら君に告白する、って私に話していたの」

「えっ?」僕は姉さんの王子様に相応しくなかったのではないか。自分がそう思い込んでいただけであるが、姉さんの頑張りに目を向けてやれなかった自分が姉さんに好かれるはずはないとは思っていた。確かに僕は姉さんのことが好きだ。その姉さんに好かれることは名誉なことであるはずだ。それなのに嬉しいという感情が湧いてこない。


「堤君……大丈夫?」

「ええ…………」


 会長の言うことを疑うのは止めよう。とにかく、姉さんは僕のことが好きだったのだ。あの踊りが成功すれば、姉さんは僕に告白していたのだ。そして――。


「僕も同じことを考えていました。踊りが終わったら姉さんに告白しようって」


 しかし僕も姉さんもそれができなかった。それを自分の所為だとは思わない。ただの自虐に逃げるつもりはもうない。自分の無力さを嘆いたところでもう仕方がないのだ。それで姉さんが生き返るわけではない。

 高瀬さんは昨日こう言った。


『幻に惑わされないで。真実だけを目指して』


 そして、彼女はこうも言っていた。


『真実は――人よりも高みにある』


 これは僕の勝手な解釈だが、人間は皆何かしらの幻に惑わされて生きている。僕が姉さんを弱い人間だとしか思わなかったように、春日さんが姉さんを強い人間だとしか思わなかったように。高瀬さんにとって、幽霊がいないと思うことは、人間を惑わす幻の一つなのだろう。幽霊のことはひとまず置いておくとしても、それぞれを悩ませる幻に打ち勝って、高みに存在する真実に辿り着くことが人間の使命なのではないだろうか。

 そして津島さんはこう言っていた。


『信じていることはその人にとっては全てになる』


 だからそれで良いというわけではない。全てになってしまう、という意味も含まれている。姉さんは弱い人間だ。そう信じていることが、今までは僕にとっての全てだった。全てになってしまっていたのだ。しかし今は違う。姉さんの頑張りは、今の僕の全ての中に加わった。

 よく考えてみれば、この二つの考えはそれ程違いがないのではないだろうか。高瀬さんと津島さんが正反対だと思えなくなってきた。いや、あの二人は気が合うのではないかと思っていたが、もしかしたらそれ以上かもしれない。少なくとも、あの二人が手を組めば、僕は二人に勝てる気がしない。

 それはともかく、僕はこの二人の言葉をこれからも大切にしていきたい。僕を導いてくれた二人の言葉なのだ。この言葉を胸に刻んで、いつかあの二人のどちらかに相応しい王子様になる。姉さんの時のような過ちを犯さない。


「あの……堤君……」


 いけない。会長をずっと放っていたようだ。


「大丈夫です。やるべきことは分かっていますから」


 そう。今すべきことははっきりしている。


「僕達はあの踊りを終わらせていません。だから終わらせます。交霊会を必ず成功させます」


 よく考えてみれば、この交霊会の第一の目的は、春日麻美さんの幽霊を僕から離して僕の身体を治すことだった。しかし、もうそれだけではなくなった。これは過去の清算だ。去年やり残したことを、今度の交霊会でやり遂げる。

 そして、もしも願いが叶ったら――。


「だから会長も見届けてください」


 そのこと会長に話すのは野暮だろう。


「ええ、楽しみにしているわ」


 とにかく進むだけだ。誰かの王子様になるという高みへ。

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