第四章

第四章(1)

 日曜日の朝、僕は家の近くにある公園に来た。前日の夜に高瀬さんから電話があり、DVDに関する報告がしたいということで会う約束をしたのだ。家に呼べば事足りるのだが、僕の方から見てほしいものがあったので、公園を集合場所に選ばせてもらった。

 ここにいるのは僕と高瀬さんだけではない。津島さんもいる。高瀬さんと会う約束をしてからすぐに津島さんも誘ったのだ。その時点では高瀬さんと会うことを話していなかった。

 そういうことで、僕の目の前には今、見えない火花が散っている。高瀬さんと津島さんは僕に正面を向けているが、半眼で睨み合っている。


「堤君。どうしてこの女が来たのかな?」

「ええ、そのことについて納得のいく説明を期待するわ」


 まずい。視線と怒りの矛先が僕に変わった。しかし怯まずに僕は告げる。


「理由が三つある。一つは、二人が協力すればこれからのことが上手くいくと思うから」


 高瀬さんが意地悪そうに微笑む。


「へぇ……その根拠は?」

「高瀬さんの知識と津島さんの洞察力があれば、何とかなりそう」


 真剣にそう思うのだが、やはり二人は納得してくれないようだ。


「論理的じゃないよ」


 生憎、人類みんなが高瀬さんのように論理に拘るわけではないのだ。同じことを津島さんも思っているのだろうか、半眼で高瀬さんを見やりながら言う。


「相変わらず、見た目は軽そうなのに頭の固い女ね」


 いや、そこまで酷いことは考えてなかった。対する高瀬さんも横へガンを飛ばす。


「そういうあんたは、清楚そうに見えて考えてることは適当だよね」

「二人とも! こんなところで喧嘩しないで」


 これ以上場が険悪になる前に、何とか二人を牽制した。その結果二人は、隣の相手に注意を配りながらも、主に僕を見てくれるようになった。


「なら、理由の二つ目。二人ともお互いに謝って」


 こう言った瞬間、二人とも理解不能だとでも言いたそうに眉を顰めたが、すぐに思い当たることがあったようで、視線を落とした。僕は当然の如く追い打ちをかける。


「二人とも相手に謝りたいって、僕に言ってくれたよね」

「それ、言わないでよ!」

「どうして今それを言うのよ!」


 二人とも急に顔を上げて叫んだと思ったら、隣の人と見つめ合い、そしてまた俯いてしまった。この二人、本当に可愛らしい。


「いつまでそんな意地を張っているの? 少しは素直になったら。別に今すぐ仲良くなれとは言っていない。謝るだけでいいから」


 自分が言いたいことを言えばいいのだ。それも、相手のためにもなることならば尚更だ。プライドなんて一度投げ捨ててしまえばいい。自分の立場など知ったことか。僕は今までずっとそうしてきた。僕みたいに暴走しろとは言わない。ただ二人には、もう少し自分に対して正直になってほしい。


「「ごめん……なさい……」」


 二人とも俯いたまま、ただ呟いただけだった。


「大きな声で、相手の方を向いて!」


 僕がそう言うとやっと二人は姿勢を正して、同時に頭を下げた。


「「ごめんなさいっ!」」


 それから、二人は頭を上げてこちらを向いた。口を開いたのは津島さんだ。


「これで満足かしら?」


 少し怒っているように見えるが、悔しがっているようにも見える。高瀬さんも少し顔を逸らしている。そうだ。そういう想いを噛みしめさせてまでも、二人には和解してほしかった。僕の想いを伝えるために。


「うん。とりあえずは」


 それでも二人にはもっと仲良くなってほしい。とはいえ欲張り過ぎるのはよくないので、そろそろ本題に移ろう。僕は後ろに下がった。


「三つ目の理由。二人には僕の踊りを見てほしい」


 高瀬さんに対しては、直に見ることで踊りの正体を見極めてほしいという意図もある。とはいえ一番大事なことは、この二人に僕という人間を披露することだ。僕がどういう人間か、どういうことをしたのか、何を考えて生きているのか、そういうことを踊りから感じ取ってほしい。勿論、そういう話をこれから二人にしていくつもりではあるが、口で言う前に動きで表現したい。上手く伝えられないかもしれないが、ありのままの僕を見てもらいたい。


「それって去年の踊りなの?」


 津島さんが素朴に訊くので僕は首肯した。それ以外の踊りを僕の身体は知らない。


「そうだけど、元は二人用だから。一人で踊る時をピックアップしてアレンジしたもの」

「でもジャージなのね」


 この質問も首肯で返した。去年自分が着たドレスは持ち帰って、大切に自室に保管している。本当はそのドレスを着たかったが、砂で汚したくはないので止めておいた。周りに見られるのが恥ずかしいというわけでは決してない。


「まあ、でも衣装は関係ないから」


 少なくともこの舞台では、飾りは重要ではない。


「堤君……本気なの……?」


 吞気であるどころかどこか楽しみにしていそうな津島さんとは対照的に、高瀬さんはすごく心配そうに僕を見る。おそらく踊りのDVDを確認して、この正体を知ったのだろう。僕はまだこの踊りが何なのかは知らないが、高瀬さんの反応から、僕にとって何かよくないものがあることくらいは察せられる。


「うん。踊るよ」


 それでも僕は、自分を表現したいのだ。


「この踊りは、今までの僕の全てだから」


 今までの人生の中で、最も頑張ったことを挙げろと言われれば、去年の踊りを選ぶ他にない。姉さんのために尽くそうと全力で踊りに挑んだ。今まで死に物狂いで姉さんに相応しい人間になろうとしてきた自分の集大成とも言える出来事だっただろう。


「だから見ていてほしい」


 そこまで言うと高瀬さんも押し黙った。


「それでは、ご覧あれ」


 僕は両手で透明のスカートをつまみ上げて、深々とお辞儀をした。二人が拍手をしてくれた。

 さあ、開演だ。

 軽やかにステップを踏む。滑らかに風を切る。

 久しぶりに踊ったのだが、中々出来るものだ。身体にこの踊りが染みついているのだろう。

 いや、縛られていると言った方が正しい。

 僕はこの踊りを忘れない。これは姉さんと過ごした証だから、忘れるわけにはいかない。

 この踊りを失えば、僕の全てがなくなってしまう。

 姉さんとの思い出を。

 手が虚空を切る。かつて姉さんと手を取った場面だ。

 しかしそこに姉さんはいない。彼女は行ってしまった。

 僕はここで鎖に繋がれている。

 そしていつの間にか、僕の意識は失っていた。

 目を覚ました時、目の前には高瀬さんと津島さんがいた。


「ねえ、堤君。大丈夫?」「よかった。無事なのね」


 ちゃんと両足で立っている。身体も口も動く。それを確認すると、僕はすぐに行動した。


「ねえ、高瀬さん。この踊りの正体を教えて」


 高瀬さんもすぐに首肯で応じてくれた。


「この踊りはずばり……交霊術だよ」


 交霊術。霊と交信する術。それが踊りの正体だって言うのか――。つまり、姉さんが何らかの霊と交信していたということか――。だとすると――。


「じゃあ、姉さんは……」

「うん。彼女は霊能力者だよ」


 姉さんには大きな秘密がある。それは分かっていた。それは心霊現象に関係することも何となく察しはついていた。だから突拍子のない事実だとは思わない。しかし信じられない。


「堤君、大丈夫? ショックだったかもしれないけど……」


 本当に、とんでもなくショックだ。どうやら顔に表れていたらしい。しかしその意味は高瀬さんが想定しているようなものではないだろう。


「大丈夫、続けて」


 ここで逃げるわけにはいかない。姉さんを知るのだ。僕にはその義務がある。


「あの踊りの中に堤君の覚えていない踊りがあって、堤君が覚えてるよりも長い時間踊ってたってことだったよね。実際堤君はその時トランス状態になってたよ」


 僕はある条件でトランス状態になることができる。トランス状態になって、無意識の状態になって、自分の身体に幽霊を乗り移らせることができると――。


「しかもこの踊りでは、堤君に乗り移る霊を呼んでいたんだよ。霊の振動数が急激に低くなってすぐに堤君に霊が乗り移ってた。それで間違いないよ」

「霊が上から降りてきたりしたのかな?」


 そう訊くと、高瀬さんは嘲笑うかのように息を吹いた。


「堤君、認識甘い。実際は、堤君の傍に一瞬だけ現れて、堤君に入ったって感じ」


 漫画はあまり読まないが、読み過ぎだと思われても仕方ないほど陳腐な質問をしてしまったのだろう。反省しよう。と思っている間に、高瀬さんは真剣な表情に戻っていた。


「それで、堤君に霊が乗り移って、堤君が知らない踊りを踊ってたってわけ」


 一つの疑問はこれで解消された。なら、もう一つの疑問を提示しよう。


「じゃあ、どうしてあんな横に動いていたりしてたのかな?」


 会長に指摘されて、自分も確認した疑問点だ。今の高瀬さんなら答えてくれるだろう。


「それは後でまとめて話すよ。あれを見ながら話した方が分かりやすいと思うから」


 どうやら気が焦っていたようだ。踊りの詳細は家でDVDを見ながら解説してくれる手筈になっていたのを忘れていた。とりあえず気持ちを落ち着かせるためにも、感想を述べよう。


「まあ、西洋風な踊りだし、そういうオカルトな面があるのは……」

「こらっ」頷ける……、と言おうとしたあたりで、高瀬さんに制止された。


「堤君はまだ認識が甘いよ。まあ、でも、仕方ないか……」


 そうだ。専門家ではないので軽率な発言があっても許してほしいものだ。


「踊りのことを話す前に、今堤君がしてしまった二つの間違いを正すよ」


 高瀬さんは人差し指を伸ばした右手を顔のあたりまで上げる。


「一つ目。心霊科学はオカルトではありません。少なくとも心霊主義者はそう思ってる」


 言っている意味が分らなさ過ぎて少し戸惑ったが、そこでふと昨日の出来事を思い出した。


「そう言えば昨日、綱敷姉妹がオカルトを趣味にしてたことに疑問を持ってたよね」

「おっ、堤君良い指摘」


 高瀬さんは伸ばしていた人差し指を一瞬僕に向けてから手を下げた。


「オカルトってね、一般的には超自然現象だから、そういう意味では心霊はオカルトになるよ。けどオカルトにとって大事なのは秘匿性なの。つまり隠されることだよ。もし、この世界に魔法があるのなら、それがオカルトに当てはまるかな。誰も魔法が使えますだなって言わないでしょ。けど、心霊科学は違うよ。科学として研究されて、霊能者が交霊会を開いてその能力を発揮してる。そこには秘匿性なんてない。まあ、そういうのが盛んだったのはちょっと昔の話だし、日本だと馴染みがないから分からない感覚だよね。その点、綱敷姉妹は素人だったみたいだね。幽霊をオカルトだって認識してる時点でね」


 八年上の大先輩に対して厳しい指摘だ。しかし、幽霊に関することなら高瀬さんの方が大先輩なのだろう。

 次に高瀬さんはブイサインを頭の高さまで掲げた。


「二つ目。西洋舞踊に霊的な意味があるわけではないよ。何となくそういうイメージがあるのは分からないでもないけど……。どちらかと言うと、霊的な意味は東洋の舞踊に多いよ。インドネシアのバリ島の踊りが代表的かな」

「でも今回は西洋風の踊りじゃないか」


 高瀬さんが手を下げた。


「そうだね。けど、霊的な意味がある西洋の踊りが少ないっていうだけだよ。この踊りのように単調なリズムを刻み続けていたら、堤君のような踊りとの相性が良い霊媒はトランス状態になれるよ。そこに踊りに種類は関係ない。要は、踊り子をトランス状態にするためだけに踊ることが必要だったわけだよ」


 踊りとトランス状態の関連性は分かった。しかしトランス状態に関しては大きな疑問点を残している。今僕が直面している問題だ。


「でも、どうしてバスケと反復横跳びで同じことが起こったの?」


 踊り以外の運動でもトランス状態になってしまうことだ。厳密な原因が判明したのならば、トランス状態になることを予防するためにも、是非知っておきたい。

 しかし高瀬さんはこのことに関しては自信がないらしい。彼女の表情を見てすぐに悟った。


「ごめん。そのことにはまだ根拠が」

「いいよ。今の高瀬さんの考えを教えて」


 絶対の根拠がなくてもいいこともある。高瀬さんはそろそろそれを学ぶべきだ。そういう想いを視線に乗せると、高瀬さんはゆっくりだが頷いてくれた。


「ステップだと思う。バスケでも反復横跳びもステップが大事でしょ。リズムに合わせてステップを踏むことが踊りに似ていた……と思うよ」


 バスケでは大抵、ドリブルの後二歩歩いてパスやシュートでボールを放つ。その時にリズムを意識してステップを踏んでいただろう。確か、バスケで意識を失ったのはシュートを打つ前だった。反復横跳びは、リズムをとってステップを繰り返している。逆に言うと、単に走る行為であるマラソンでは、リズムもステップも認識されず、トランス状態にならなかったということだろう。僕は陸上部員でもないのでそういう認識は薄かったのかもしれない。

 さて、ここで明かしておく問題はあと二つだ。


「それで、霊の正体は誰?」


 実はもう予想はついていて、その人以外は考えられない。根拠も一応説明できる。しかし高瀬さんの口から聞いた方がよさそうだ。彼女の視線には揺らぎがない。


「春日麻美さんだよ」


 八年前の火災で姉さんは春日麻美さんと出会っていた。そしてどういうわけか春日麻美さんが持っていた例のペンダントを姉さんが手に入れた。姉さんと春日麻美さんには何か因縁があり、姉さんが春日麻美さんを降霊することになった。そういうシナリオを考えていた。

 僕はペンダントだけでそのシナリオを構築したのだが、踊りの正体を看破した高瀬さんならもっと多くの根拠を握っているだろう。


「春日麻美さんのことも後の方がいい?」

「うん。そうだね」


 ならばあと一つだ。訊くまでもないことだが、それでも念を押しておきたい。


「姉さんは、僕が霊能力者であることを知っていたの?」

「うん。間違いなく」


 もうここで高瀬さんに訊くことはない。一度話を打ち切ることを提案しようとしたが、代わりに僕の口から出たのは違う言葉だった。


「馬鹿……」


 姉さんは馬鹿だ。姉さんが霊能力者であったことなんて些細なことだ。僕もそうであることなど尚更だ。許せないのはそんなつまらないことを今まで黙っていたことだ。打ち明けてくれれば少しは力になれたかもしれない。それでも、知られたら僕に嫌われるとでも思ったのだろうか、姉さんは臆病風に吹かれたらしい。所詮、姉さんにとって僕はその程度の存在だったのだろうか。

 そこで今まで黙っていた津島さんが口を開いた。


「ねえ、堤君の性格って白川さんの影響かしら?」


 さすがにあれだけ話していれば、見破られるのも無理はないか。とはいえ、津島さんの洞察力は評価に値する。ますます彼女に興味が湧いてきた。


「よく分かったね。折角だからどうしてそう考えたのかも教えて」

「ええ、まずあなたは自分が思っていることをありのまま話すことにすごく拘っていたわ。本当に歪な程にね。一方、白川さんは自分のありのままの姿を隠す人間だったようね。彼女の性格を好ましく思わなかったから、あなたはそうなったのではないかしら」


 少し違うが、お見事だと言ってもいいだろう。


「そうだね。少し訂正すると姉さんのあの性格は、あれはあれで良かったと僕は思っていた。けど、姉さんは自分の性格をすごく嫌っていた。臆病者の自分がね。なら、その姉さんの性格が直せるようにと、僕は正直者になることにした」


 話していく内に、姉さんのことがいろいろ頭を過る。


「姉さんはね八年前までは、本当に優等生だった。小学生にしては利口だった。けど、おそらく八年前の火災を機に変わったと思う。その後姉さんが引っ越して、まあこの二つはあまり関係ないんだけどね。……それで、引っ越した後でも結構会って話をしたけど、引っ越してすぐくらいからはもう臆病者になっていた。表面上では優等生に変わりなかったらしいけど、それでも周りからの期待に応えることしか考えられなくて、周りの反対を押し切ってまで自分の意思を通すことができなくなった。ありのままの自分でいられなくなったって、姉さんはすごく嘆いていた」


 そして、自分のことも思い浮かんでくる。


「最初は、姉さんが何を悩んでいるかよく分からなかったけど、ってまあ、小学校低学年だったからね。……でも、小学六年生かな――そのくらいになったあたりで段々分かってきた。なかなか会えないけど、何とかしてあげたいと思ったんだ。それで、ありのままの姿を見せるのはどういうことなのかを知って、姉さんにそれを教えようとした。いろいろと無茶なことになった。けど、やっている内にこれだけのことをこう伝えればいいだっていうのが分かって来て、常識的な範囲で自分を曝け出すことを覚えた。まあ少しマシになった程度ってだけで、周りから煙たがられたことに変わりはなかった。それでもとにかくその話を姉さんに会う度にしていた。けど、あまり効果はなくて、やっぱり姉さんは臆病者のままだった。そうして、姉さんが高校生になった頃に、姉さんと同じ高校に入ればいいんだって思いついた。一年だけだけど、姉さんと同じ学校にいて、姉さんの傍で自分のあり方を見せれば、きっと姉さんは変わってくれるって思っていた。けど、結局そうはならなかった……」


 高瀬さんと津島さんが相手だからだろうか。つい、安心して自分のことを話してしまった。


「馬鹿馬鹿しい発想だということは自分でも分かっている。けど、僕にはこうするより他になかったから。姉さんのために……こうするしかなかった……」

「……せね……」


 津島さんが何かを呟いたが、声が小さかったので聞き取ることができなかった。


「ごめん、何か言った?」

「枷……と言ったのよ」


 枷。言い得て妙だ。津島さんは本当に奥ゆかしい人だ。どうしてこうも、僕の心を引くようなことを次々に言ってくれるのだろうか。


「白川さんはもう亡くなっているのよ。なら、あなたがその性格でいる必要はないわ。なのに、そのままでい続けるということは、白川さんに縛られているということよ」

「そうかも……」


 津島さんの言う通りだ。僕は姉さんに縛られ続けている。しかし――。


「それでもいい」

「よくないわっ!」


 津島さんがすかさず叫んだ。僕が驚いて津島さんをしっかり見据えたころには、彼女はいつもの真顔に戻っていた。


「怒鳴ってごめんなさい。でも、あなたが白川さんに縛られているなんて許せないわ」

「どうして?」


 そう訊くと、津島さんは唖然として僕を見つめる。


「どうして……って……」

「だって、僕は別にそれが嫌だとは思ってない。この性格だって今は馴染んでいるし、不都合なんてない。春日さんみたいな人に嫌われることは多いかもしれないけど、僕にとってはどうでもいいことだ。なのに、津島さんはこの性格を矯正しろと言うの?」


 津島さんの眼から、真剣味が戻る。


「ええ、そうよ。仮にあなたの意志が生前の白川さんにとって為になるものであったとしても、白川さんが亡くなってからは、その意志は無意味なものよ」

「ああ、自己満足だってことは分かっている。姉さんが生きていた時だって、無駄だったのかもしれないしね」


 こんなことをしても無駄だということくらい、姉さんの為にならないことくらい、痛いくらいに理解している。しかし、胸を張って、堂々と答えるべきだろう。

「けど、これが今の僕の姿だ」


 異常なまでにありのままでいることを拘ることも、相手に辛辣なことを言うことを厭わないことも、興味のある人には進んで傍にいようとすることも、姉さんに縛られていることも、姉さんの為になろうとして結局自己満足に陥っただけということも、そうだ。

 ――全て僕の姿だ。


「だから、僕はこの姿を貫きたい」

「そう……」


 津島さんが呟く。その陰からは、微笑みが見えるような気がする。


「あなたって、それ程までに白川さんのことが好きだったのね?」


 流石津島さん――いや、これだけアピールすれば誰だって分かるだろう。


「今でも大好きだよ」


 僕は空を見上げる。柄にもない行為だということは分かり切っている。


「僕、去年のダンスが無事に終わったら姉さんに告白しようとしていた。大好きだって。けど、いろいろあってそれが駄目になって、挙句の果てに姉さんが死んじゃって。なら、この気持ちをどこにぶつければいいだろう、って」


 空を見上げたのは死んだ姉さんのことを思ったからだ。しかし、霊が空にいるとはまだ安直な考えだ。高瀬さんに知られたらまた「その認識は甘いよ」と指摘されるだろう。それでも、何となく空を見上げたくなった。


「今の性格を貫いているのもその所為かもしれない。姉さんへの好意を、姉さんが死んだことで、どこにやればいいのか分からない感じだ」


 けど、空にいるであろう、もとい振動数が高い世界にいるであろう姉さんにこの気持ちを届けようとしても駄目だ。届かせるにはこの世界は低すぎる。

 僕は正面に向き直り津島さんを見つめる。津島さんも僕に視線を合わせる。


「出来ることなら、姉さんにもう一度会いたい。会って、この気持ちを伝えたい」


 自分が幽霊と交信できる存在だと知って、願ったことは姉さんと話すことだ。だから、自分に憑いている幽霊は姉さんだと思い込もうとしていたのかもしれない。


「けど、僕に憑いている幽霊、姉さんじゃなかったんだね」


 この呟きに反応したのは高瀬さんだった。


「憑いてる霊が白川さんじゃなくて……残念かな?」

「そうだね。幽霊でもいいから、姉さんに会って話したかった……」


 そう言うと、高瀬さんの表情が一気に曇った。この様子だと、次の言葉も経験及び予測済みであるようだ。しかし、僕は迷わずに言葉を続けた。僕のありのままの願いを高瀬さんに知ってもらうために――。


「ねえ、高瀬さん。もし良かったら、姉さんと話させてくれないかな?」

「ダメだよ!」


 怒鳴られるとまでは思わなかったが、案の定反対されてしまった。


「どうして?」

「霊能力はそんなことのための能力じゃないからだよ。まあ、確かに交霊会にあたって親族や知り合いの霊を降ろすこともあるけど、それでも本来の目的は霊的真理を教えてもらうことだよ。だから、単にその人に会いたいだけで霊を呼ぶのはダメ。それは霊にも失礼なことだし、霊能力はそんな慰みの道具じゃないよ。分かった?」


 高瀬さんなりの価値観があるのだろうが、何か納得がいかない――。


「わ・か・り・ま・し・た・か?」


 もの凄い剣幕で睨まれてしまった。霊能力に関して主導権を握っているのは高瀬さんなのだ。強く言われてしまえば、僕は彼女に逆らうことなんてできない。


「分かりました」


 僕が答えると、高瀬さんは睨みを解いてくれた。


「じゃあ、そろそろ行こうか」


 そして優しく微笑みかけてくれる。僕も自然と気持が和らいだ。


「どこに行くと言うのよ?」


 津島さんは怪訝そうに訊く。そう言えば、今後の予定を津島さんに伝えていなかった。とはいえ、どうぜ公園で会うのだから伝えてなくても問題はなかった。


「僕の家に。踊りのDVDを見ながら解説したいって高瀬さんが言うから」


 僕の家はこの公園から歩いて十分くらいの所にある。この公園を踊りの舞台に選んだのは、家から近いからだ。


「また心霊現象がどうたらこうたらと話すのね……。私はもう遠慮しておくわ。春日さんのためになることがあったら明日教えて頂戴。じゃあ、また明日」


 津島さんはついてくる気がないそうで、踵を返して歩き出す。それは僕としては困る。高瀬さんだけではなく津島さんも招待するつもりでいたのだ。なにせ――。


「確か、親は夕方には帰ってくるけど、それまではいない」


 そこで津島さんの足が止まった。さあ、詰みだ。


「高瀬さんと僕の部屋で二人っきりだね」


 勿論、だからと言って高瀬さんと男女のいかがわしい行為に及ぶことは考えていない。しかし僕と高瀬さんだってお年頃だ。部屋で二人きりという状況を意識せざるを得ないし、傍から見ればその状況を放置することが躊躇われることもあるだろう。


「分かったわよ。来ればいいんでしょ」


 案の定津島さんはこちらに向き直った。そこで今度は高瀬さんが不満の声を上げる。


「堤君。わざわざ津島さんを呼ぶのはどうして?」


 これ以上津島さんといたくないのだろうか。それとも本当に僕と二人きりになりたいのだろうか。確かに高瀬さんと二人きりになるという状況は魅力的だ。しかし――。


「津島さんも家に招待したいから」


 そんな単純な理由だ。今は高瀬さんとも津島さんとも一緒に多くの時間を過ごしたい。

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