第15話
「ユキ・・・」
あとからあとから止めどなく流れ落ちる涙を拭おうともせずに、ユキはひたすら涙を流す。静かに、だけど今まで抱えてた苦悩を雄弁に物語るかのように、ただただ涙を流し続けた。
悔しさ、理不尽さ、苦悩、怒り-今まで隠してきたものを全部、溜め込んだままずっと放置してきたんだろう。ユキは拭う間もなく泣き続け、声を発することもなく唇を噛み締めるだけだったが、その姿からはコイツなりの長きに渡る葛藤の痕跡が感じ取れた。なによりも、それを解ってやれなかった俺自身に、今この瞬間もなにもしてやれない俺自身に、無性に腹が立つ。
どれくらいのときが流れたか分からないくらいに長かった。沈黙が続き、奇妙な感覚で狂いそうになった。思わず声を上げたのは、俺だった。
「ユキ・・・」
「すまん」
さっきよりもだいぶ落ち着いたようだ。目元に涙こそ残してはいても、しっかりした口調で謝罪する姿は、いつものユキとなんら変わりなかった。
「なんかさ、思い出したらいろいろ悲しくなったわ」
無理にでも作り笑いを見せるその姿は、実に儚げだった。
「悲しかったらさ、今みたいに素直に泣けばいいじゃん。別になにが悪いんだよ」
「いや・・・」
少し躊躇する姿勢を見せたあと、
「シュンにはこーゆーとこ見せたくなかったなって思ってさ。ほら、お前心配するから」
「んなこといいんだよ、だって俺ら親友だろ?違うか?」
「だからだろ」
「は?」
「だから余計に弱いとこ見せたくねぇだろ」
そういうことか。ユキのことが少し解った。
コイツは、自分の悲しみや苦悩を周りに悟られるのが怖いんだ。だからこそ弱いとこを見せるのが嫌だって思うんだ。
「なあユキ」
出来るだけ優しく、声を掛ける。今の俺にはそれしかできないけど、それでユキが少しでも救われるなら、それだけでもいいって信じてたい。
「親友ってのはさ、弱いとこも全部見せればいいんじゃね?そうやってどんどん近づければ、もっと相手のことを理解出来るようになるんだよ。だけど今のお前にすぐそうしろって言えないよ。だってそりゃ、無茶な話だって思うもん」
そこで言葉を切る。再び目を反らしたユキだが、言葉はきちんと届いてるようだ。
「だからさ、少しずつでいい。少しずつでもいいから、お前の裏側も見せてほしい。それは俺がユキを親友として認めてるからこそ言ってる」
反応はないが、確かにユキは聞いてる。俺の言いたいことは、伝えた。そして伝わった。
答えなんてすぐにはいらない。少し冷静になって、それから答えを自分で出せばいい。
俺は思う。ユキは決して嘘を吐いてない。この涙も絶対に嘘ではない。となると、マキナの父親のほうが嘘を吹聴してることになる。今の俺には手が出せる領域じゃない。
「ユキ」
「ああ?」
「マキナと話す気はあるか?話して、お互いに誤解を解くつもりはないか?」
ユキの逡巡を読み取りながら、俺は心の中で邪悪な願いをかけてた。
-頼むユキ、NOって言ってくれ!
仮に二人が話をして、誤解を解いたら。そのときマキナは心変わりするかもしれない。復縁って選択肢が、俺にはあまりにも怖い。
表現できないような、さっきとは違う緊張が場を支配する中、ユキが重々しく口を開いた。
「今は、まだいい」
「・・・今は?」
「ああ、今は誤解を解こうなんて思えない。マキナとはもう理解しあうことなんてできないだろ」
「でもさ、復縁、したいんだろ?」
「そりゃな」
泣いたあとの笑顔はわりと清々しい。彼には彼なりの考えがある。時間が欲しいって言うなら、それを尊重したい。そして願わくは、その時間が永久になることを。
「シュン」
多少目は赤いが、もう涙はそこになかった。
「この話、絶対マキナにはすんなよ」
「解ってるって」
「したら、マジで殺すからな」
「ああ、解ってる」
自分で地雷を踏もうなんて、誰も好き好んでやりゃしない。今日のことは墓の下まででも持っていこうと決心した。
※
結局お兄さんは現れないまま、俺はユキの家を後にした。出来ればお兄さんの話も聞きたかったけど、ユキ本人の話を聞いたらそれで十分な気もした。
翌朝学校に来ても、ユキは至って普通だった。いつものようにクラスメイトと駄弁り、いつものように笑顔を見せ、いつものように振る舞ってた。
「荒神!」
不意に呼ばれて振り向くと、声の主は隣の席の福満だった。
「ケータイ、鳴ってるけど」
「ああ、サンキュ」
「机の上にケータイ放置するな」
「はいはいすんませんねー」
「はいは一回!」
「うーい」
「ったくもう・・・」
毒づきながら遠ざかる福満の背中を見送ると、ケータイを確認する。LINEの新着メッセージの通知は、ケイからの連絡を告げてた。
『放課後、緊急ミーティング。お台場のスタバ集合で!』
疑問符を浮かべながらユキのほうを見ると、教室の向こう側で談笑しながらケータイをいじってたユキが硬直した。振り向いたユキと目がバッチリ合う。
「お台場だってさ」
「お台場だってな」
「どーすんだよ」
「行くしかねぇって」
「バンドか?」
「さあ?」
答えはすぐに出た。
「おい!」
教室のドアが急に開いて、トシがバタバタと現れた。教室が一気に静まり返る。
「どーゆーことだよこれは!お台場ってどこだよ!なあ!」
「知らんがな!俺らだって訳わかんねぇんだから訊きに来んな!ハゲ!」
「ハゲじゃねぇよ!俺ロン毛だろうが!ふっさふさだろうが!」
「どーでもいいだろハゲ!どーせテメェは将来ハゲんだよ!」
「わーかった、わかったから二人ともとにかく落ち着け」
教室中がドン引きする中、俺は二人を静める。
「とりあえず、ケイの言う通り、放課後お台場まで出向いてやろう。話はそれからでいいだろ」
「ああ」
「そうだな。それよかお台場ってあのお台場?」
「他にいったいなにがあんだよ!」
とりあえず納得した二人を尻目に、俺はある予感が頭をよぎった。
-見つけたか、ケイ。
そう、俺らが探し求めてた、5人目のメンバーにしてギターってラストピースを。
そう考えると、全ての授業に集中できなかった。
果たしてどんなヤツなんだろう。ケイのことだし、きっと上手いヤツを見つけたんだろう。早く会ってみたい。いや、今すぐにでも教室を抜け出してセッションしたい。
時間が経つのがこんなに遅いとは夢にも思わなかった。授業中、アディショナルタイムを確認するサッカー選手の如く時計を見まくった。秒針の動きがあまりにももどかしい。やっと三時間目、ああ昼休みだ、まだ五時間目・・・ってカウントしながら、やっと六時間目の終了の鐘を聞いた。
終礼が終わるや否や、俺は教室を飛び出した。後ろで福満がなにか叫んでたが、聞いてなんかいられない。追うようにしてユキが駆け出した。顔を見合わせて笑う。きっと気付いてるんだろう。今のコイツも同じ思い、いや、俺以上に違いない。
「シュン!」
風を切り裂きながら、ユキが叫ぶ。
「なんだよ!」
「ケイのヤツ、やっと見つけたんだろ!」
「たぶんな!違ったら泣くしかないな!」
「違ったらお前ぶっ殺すからな!」
「俺かよ!」
「ああ!つーか早くセッションしてぇな!」
「なんで俺と同じこと考えてんだよ!バーカ!」
「知るかバーカ!」
すれ違う人々に奇異の目で見られながらも、大声で罵倒し合い、新橋駅まで全速力で走る。表現できない爽快感が、いつになく俺らを興奮させる。
「ユキぃ!ー」
「シューン!」
だいぶ頭がイカれたヤツみたいに思われただろうけど、そんなことはお構い無しだ。
ゆりかもめの改札口を抜けると、既に電車は駅に止まってた。二人して飛び乗るとすぐ、ドアが閉まった。
「はあ・・・はあ・・・おいユキ」
「・・・んだ、よ」
「心臓が・・・マジ痛いんだけど・・・」
「・・・知る、か、はあ、はあ・・・俺だって・・・脚が・・・凄まじく痛ぇ」
「はは・・・俺ら、走りすぎたな、はあ」
「新記録だろ・・・はあ・・・」
「もう、無理、はあ」
呆れ返った表情を見せながらも、ユキは苦痛に表情を歪めてた。体育ですら、こんなに全力疾走なんてしたことがない。窓の外では照りつける5月下旬の太陽が海を煌めかせ、水面を彩る。この太陽が沈むとき、本物の夏がやって来るんだ。期待と高揚感が身を包む。
「ギター、二本あれば、シュンの、言う通り、はあ、幅、広がるな、たぶん、はあ」
「つーかさ、はあ、バンドの、リーダー、はあ、ケイで、はあ、いんじゃね?俺、はあ、ぜんっぜん、なにも」
「んなわけ、ねぇだろ、はあ、お前こそ、真の、はあ、リーダー、はあ、だろうが」
息を切らしながら会話する。一駅分で回復できないほど走った。
「おい・・・シュン」
「な、んだ、よ」
「お台場まで・・・喋んの、やめ、ようぜ、余計に、疲れる」
「そう、するか、はあ、はあ・・・」
結局お台場まで一言も口を開かなかったことが功を奏し、お台場のホームに降りたときにはすっかり回復してた。
「もう走りたくない」
「ああ俺もだよ」
「フツーに歩くか」
「むしろ走るって選択肢があったお前をリスペクトしたいよユキ」
スタバまで行く道が遥か遠く感じられたのは、全力疾走したあとだからだろう。人の波の中をゆっくり進みながら、自由の女神像をぼんやり眺めてるうちに、目的地にたどり着いた。店に入ると、既にケイは5人分の席を陣取り、どっしり構えてた。そのドヤ顔こそウザいものの、自信に満ち溢れた表情は安心感を与えてくれる。きっといい報告に違いない。
注文したドリンクを受け取ると、ケイの確保した席につく。
「よお」
「よおじゃねぇだろ。随分と荒い召集令だったじゃねぇかよ」
「まあまあ、悪かったけどさ、実は“あるヤツ”の都合もあったからさ」
「見つけたんだな」
「ああ、自信持ってメンバーに出来る」
「誰だ?」
「まあ待てよ。彼女はもうすぐ到着するから」
-彼女?
隣にいたユキも違和感を感じたんだろう。すかさず食いついた。
「彼女って、まさか女なのか?」
「ああ」
「おいおいマジかよ。腕はどんななんだよ」
「かなり。小学生の頃からずっと弾いてたらしいからね。実際聴かせてもらってさ、マジ感動的だったわ。いやー、他がスカウトする前に確保できて良かったわー」
「え、そんなに凄いのかよ!」
「ああ、マジ凄い」
そうこうするうちにトシが現れた。右手にはアイスのエスプレッソの入ったプラスチックカップを持ってる。
「なんの騒ぎだよ、ったく」
「見つけたってさ、メンバー」
「おお、マジか!で、誰だよ!」
「それがさあ」
ユキが今しがたケイの話したことを繰り返す。屋上で一触即発になったのは、いったいいつのことだっただろう。
当然、トシの反応は懐疑的なものだった。
「女?」
性差別に当たるからあんま宜しくないけど、そんな反応も理解できなくはない。
「ケイ、そいつの技術カスだったら処刑すんぞ」
「彼女を?」
「テメェだよバカ」
「はいはいわーった」
「んで、彼女はいつ来んの?」
「ああ、もう少しじゃね?たぶん」
退屈しのぎに窓の外へ目を向けると、うちの制服を来た女子生徒が歩いてくるのが見えた。よくよく目を凝らすと、それはエリカだった。
「おいユキ、エリカ来てんだけど」
「マジか、バレたらやベーな」
「いや、大丈夫だろ」
「おいケイ、あいつの性格知ってんのか!あの女はな・・・」
「うん、俺だからさ、呼んだの」
「あーそれなら別にいいけどさ・・・って、は!?」
「ケイ!?」
「だってさ、」
何食わぬ顔でケイは続ける。
「彼女だから、新しいメンバーは」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます