第13話

 

「でもさ」

 デパートの裏道を並んで歩きながら、マキナが口を開く。

「あんたにアイツの兄貴が違う説明してんなら、それが真実かもしんないよね」

「どういうこと?」

「あたしの元父親が嘘ついてるって可能性ね」

「それは・・・」

 口を開きかけて、確かにそうだなって納得してしまう。その可能性だってゼロとは言えない。ただ、そうじゃないことをなぜか祈りたい気分だ。

「・・・きっとお前の父親のほうが正しいんじゃね」

「ふーん」

 つまらなさそうな返事を返したあとで、

「父親じゃなくて元父親ね。今は違うから」

「あ、わりぃ」

 乾いたコンクリートに、謝罪の声が響く。空虚にも思える残響は、すぐに消えた。

「つーかどこ向かってんの?」

「あたしの好きな場所向かってんの」

「だからどこだよ」

「着けばわかるって」

 渋谷には何度も行ってるけど、こんな場所には行ったことがない。完全に、未知の場所へと足を踏み入れてる。いろんな店が立ち並ぶ通りに出ると、マキナは直進する。

 すれ違う人の多さで、この通りを知らない自分は世界が狭いんだって感じる。日本人だけじゃなく、アジア系の人や西洋人にも数多く遭遇した。

「知らないな」

「なにが?」

「この道も、この場所もさ」

「来たことないの?」

「全っ然」

「そっか」

 なんだか嬉しそうに返された。マキナの足取りは軽い。鬱陶しい人の流れに乗って、彼女は煌めく星になって見えた。後ろ姿がさらに魅力的だ。

「なに考えてんの」

「いや・・・」

 不意に振り向かれて、言葉に詰まった。そんな姿もダイヤモンドのように眩い。

「あのさ、」

 マキナが切り出す。

「最近読んでるネット小説にさ、面白いのがあったんだよね」

「ネット小説?」

「あたし好きなんだよね、そーゆーの。なんかガチな小説家が書くのと違って、未熟だけど生き生きしてっから。素人のほうがよっぽど面白いんだよ、小説って」

 案外マキナはものを深く考えて動く人間なんだって、少し意外だ。実は頭使ってるみたいだ。本人に言ったら確実に殺されるだろうけど。

「それでさ、タイトルは・・・えっと、あー、全然思い出せない!」

「まあタイトルはいいや、それがどうした?」

「まあその話がさ、それぞれなんらかの黒歴史を抱えた5人の高校生が、恋模様描きながらいろんなことして前に進んでくの。あんたその主人公みたい」

 その主人公がどんな人間なのかは分かんないけど、なにかを抱えて生きてるのは俺と同じだ。その黒歴史の程度の差はあれど、きっと前に進みながら恋をして、その先にハッピーエンドが待ってるんだろう。俺もそうだって是非とも信じたい。

「最終的にどうなるんだよ」

「それがさー・・・」

 空を仰ぐ。昼下がりの青い空だ。

「まだ完結してないんだよね」

「ん?」

「連載中でさ。まだ先が分かんない」

「あー、なるほど」

 なんとなく、未来のことが解らない俺の境遇と重なって見えた。

 たとえ過去に黒いものがあっても恋はできる。それがどんな黒歴史だとしても。マキナにしても、苦い過去が渦巻いてるわけだし、ユキだってそうだ。

「アラはどう思う?」

「なにが?」

「続き。ハッピーエンドだと思う?」

「そうだな・・・」

 俺によく似た主人公がバッドエンドを迎えるのは心苦しい。そのまま自分もバッドエンドを迎える気がするから。

「ハッピーエンドだろうな、きっと」

「単純なやつ」

 悪態を吐きながらも、表情はどこか嬉しそうだった。


 ※


「香水?」

「そう。あたしマジ好きでさあ」

「へぇ・・・」

 スペイン坂なんて名前のとても細い坂を少しだけ登ると、マキナの目的地に辿り着いた。そこは格安であらゆる香水を売ってる店らしい。

 俺は香水にほとんど興味がない人間だ。第一男がつけるものだって思わないし、もっと言えば元カノがつけてたから余計に使いたくない。

「駅から・・・結構遠いな」

 どうしていいか解らないので、とりあえず話題を作る。

「いい店は駅から遠くにある。これはあたしの独自の理論!」

「それお前が見つけた理論?」

「あったりまえじゃんか!この宮路真希波様が見つけた素晴らしい理論に決まってんじゃん!」

「すげーな」

 素で感心した。マキナはやっぱいろいろ考えて行動してるんだ。

 小ぢんまりとした店の中に入ると、外観とは裏腹に、所狭しと驚くほど豊富なバリエーションの香水が並んでた。俺ですら一度は聞いたことのあるブランドはもちろん、マキナでさえ、「あたしコレ知らなーい」ってものまで揃ってる。しかも安い。俺の記憶が正しければ、香水ってもっと高いはずだ。

「いらっしゃいませ」

 後ろからいきなり声を掛けられ、慌てて振り向くと、20代前半と思われる女性店員が立ってた。やや明るい茶髪のロングヘアを店内のライトで輝かせながら緩やかな笑顔を見せる彼女の声を、どこかで聞いたことがあるような気がした。自分の記憶を探る間に、

「あー、新しいの入ったんだねー」

 嬉しそうにマキナがはしゃいでた。

「あ、マキナちゃん」

 俺の後ろにマキナの姿を捉えた店員が、親しげに呼び掛ける。

「やっほー」

 この二人は顔見知りのようだ。確かにこの店の常連なら、そうなっても不思議じゃない。

 再会を喜びながら、

「今日はどんな感じのが欲しいの?」

「うーん、あのね、今使ってるやつからちょっとタイプ違うやつにしよっかなって」

「今使ってるのって・・・コレだよね」

「そうそうそうそう、この前買ったやつ」

「んー、じゃあちょっと待ってね」

 楽しそうな二人の会話を聞きながら、棚に並ぶカラフルな香水の箱を漫然と眺めてた。そういやケイは昔このオレンジ色の箱のを使ってたな、幼馴染みのアイツはこのブルーのやつだったっけ、あーあれは・・・なんて遠い昔の記憶を辿っていくうちに、一番思い出したくない香水が目に入ってきた。

 -フェラガモ、あの青い箱・・・

 まさに元カノがつけてたものだ。記憶の奥底にしまい込んでたものが引っ掛かり、嫌な過去がフラッシュバックした。

「アラ・・・?」

 よっぽど深刻な顔をしてたんだろう。マキナが心配そうに声を掛ける。

「大丈夫」

 気丈に返した。

「あ、そうだ」

 思い付いたように店員を振り返って、

「せっかくだし、アラに合う香水、ないかな?」

「いや俺は・・・」

「いいから、ほら」

 否応なしに引っ張られたので、仕方なく無抵抗のまま従う。にこやかに眺めてる店員の顔を以前どこで見たのか、まだ思い出せない。

「香水、使ったことありますか?」

「いえ・・・まだないです」

「そしたら・・・」

 棚から一つ、小さい箱を取り出した。表面に「SAMOURAI」の英文字がプリントされてる。

「初心者向けの香水って言うと、これですね」

「サムライ・・・」

 名前を聞いたことはあるが、実物を知らない。店員から手渡されたテスターを試しに虚空に吹き掛けると、予想よりも爽快な香りが広がった。一気に憂いが吹き飛ぶような何かに、思わず心が揺れる。

「おー・・・」

 惹き付けられる感動のあまりに嘆息する。

「いかがですか?」

 店員の期待に満ちた目が、最後の一押しだった。

「買います、一箱」

「ありがとうございます!」

 なぜかマキナまで嬉しそうな表情だったので、とりあえずまあこれならいいやって思う。1200円ちょいの出費はさほど痛くもない。

「今回はマキナちゃんの紹介だから、二人とも20パーセントオフにしてあげるね」

「やったー!」

 店員のまさかの気の利いたサービスに、ぺこっと頭を下げた、そのとき。

『この想い抱いて私はどこを彷徨うの』

 ユキの家からの帰り道、新橋駅で聴いたあの歌声をふと思い出した。そのときの光景まで鮮明に思い出す。

『恋という名の呪縛に泣いて』

 道行く人々を引き留めてたあのバラードは、間違いない、今目の前に立ってる彼女のものだ。

『この恋はきっと明かせない』

「ほら、なにボーッとしてんのよ」

 横から茶色いビニール袋を押し付けられて振り向くと、呆れ顔のマキナが立ってた。おずおずとビニール袋を受け取ると、

「また来るねー!」

 朗らかに手を振るマキナに半ば引き摺られて店を後にした。

「ちょっと、なんであんなとこでボーッとしてんの」

 歩きながら怖い顔で問い詰められたが、ストリートミュージシャンの話をしても全く相手にされない気がして、

「いや、わりぃ、なんでもない」

「嘘つけ。なんか考えてたんでしょ」

「いやそんなことないって、マジ大丈夫だから」

「ほんとかよ・・・」

 溜め息を吐きながらも、それ以上深く追及しない優しさがあるとこは、ユキと一緒みたいだ。本人が聞いたら怒るだろうけど。

「少し疲れただけ」

「え、ごめん、あたしが振り回したせいで」

「んなことないって。充分楽しかったし」

 突然申し訳なさそうな顔になったマキナに、フォローを入れてやる。実際俺も楽しんでるから、そこは嘘じゃない。

「でもさ、」

 バッグの中に自分の戦利品をしまいながら、彼女は口を開く。

「アラって、わりとお人好しすぎるタイプなんだよね」

「なんでだよ」

 突然のマキナの一言に、俺は驚きを禁じ得ない。

「なんだろ・・・人を心配させないようにとか、人を傷つけないようにとか、そうやって他人を一番に考えすぎなんじゃね?って思うけどな」

 なるほど、マキナの言いたいことも解らなくもない。

「さっきだってさ、なんかめっちゃ悩んでんのになんでもないって言ってみたりして」

 ・・・あー、それはマキナに言うと相手にされないか厄介なことになるかのニ択だから言わなかっただけなんだよね。心配かけるかけないの次元じゃなくて。

「それはあんたのいいとこでも悪いとこでもあるから、扱いが難しいんだけどさ、あんたもうちょっとわがままになってもいいっしょ、ねぇ」

 わがままに、か。

「あんたはもっとエゴイストになれればラクになれるよ、たぶん」

 エゴイスト、ねぇ。俺にはどだい無理な話だ。

「あんたは抑えすぎなんだよ、きっと。ほんとの自分を解き放つのが怖いんだって」

「はあ・・・」

「自分をさらけ出すだけじゃん、大丈夫、あんたなら絶対できるよ」

 そう言われたら、なんとなくやる気になってはきた。一回コイツの案に乗ってみよう。変われるかもしれない。

「やってみっか」

「よっしゃ!」

 大好きなマキナのこの向日葵みたいな笑顔が見たかったんだ。もう一度この笑顔が見たいから、頑張ろうって決めた。

 たとえ険しい道が待ってたとしても、変わるために歩もう。マキナを振り向かせるために。

 けどその前に、はっきりさせなければいけないことがある。それを訊きに行く時間は、まだまだ十分に残されてる。

「マキナ」

「ん?」

「行ってくるよ、ユキの家」

「・・・は?」

「訊きたいんだ、お兄さんにも、ユキにも」

 向日葵が徐々に萎れてくように、表情が暗くなった。ふと俯いた顔が影を作り、感情を読み取れない。

「お前を疑ってはないけどさ、本人の口から聞きたいんだ」

「そっか」

 ゆっくり顔を上げたマキナは、すぐに笑顔に戻った。

「行っといで。あんたのことだし、もう腹括ってんでしょ?」

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