第5話

 

 駅での別れ際に、会ってみるか?連絡しといてやるよ、というケイの誘い文句で、明日の昼休みにトシと会うことになった。とてもじゃないが、トシとはどんな顔をして会えばいいんだろうかと今から不安になる。

「まあ気楽にやるんだな。それが一番だ」

 なんとも投げやりとしか思えないアドバイスを口にしながらも、ケイは不安そうな顔を隠そうとしなかった。何も知らないユキでさえも分かるように、波乱が待ち受けているのは間違いない。なにも怖いのは俺だけじゃない。

「シュンよお」

 ユキが心配そうに俺の顔を覗き込む。ゆっくりと、しかし実に落ち着いた声音で、

「何も問題はないさ」

「でもお前、今のところ顔色最悪だぜ?」

 もうすぐ汐留に着こうとしているゆりかもめは、多くの人に溢れて騒がしい。

「まあな。それよか、お前は帰ったら兄貴に怒られるんじゃないの?いいの?」

「うっ・・・」

 まるで図星だと言わんばかりの苦さと、今後のことを想定した苦さと、二重の意味で苦い顔を示した。

「お前の方が心配だよ、俺は。兄貴、かなりヤバいんだろ?」

「お、俺はいいんだよ!それよりシュンが一番ヤバいだろうが。明日どーするつもりだよ」

 汐留の駅も車内と同じように混雑してる。会社帰りの人も少なくはない。

 いったい、明日はどうやって乗り切ればいいんだろうか。あまりというより全く喜ばしい再会じゃないから困ってる。ただ、ケイがわざわざ手引きしてくれた以上、行かざるを得ない。逃げることは許されない。

「なあユキ」

「あん?」

「あのさ・・・明日、一緒に来てくんない?」

「・・・はい?」

「さすがに一人では「ヤダよなんでだよ俺じゃなくてもいいだろ」わざわざ早口で即答しなくてもいいだろ別に!最後まで聞けよ!」

 ユキが嫌がるのも当然だろう。本人のいないところでもあんなに空気が凍るのに、本人がいれば壮絶な修羅場になることは間違いない。そう考えると、誰も行きたがらないくらいは納得できる。だからと言って即答されたくもなかったが。

「なあユキ」

「ヤダ。絶対ヤダ」

「いいからよく聞け。今日兄貴に怒られたら、俺が無理矢理連れ回したことにしていい。なんなら今から俺が付いていって証言してやってもいい」

「ヤダ・・・ってお前なに言ってんの!?自分の言ってること分かってんのか!?」

「ああ、実によく分かってる」

 ユキの目は大きく見開かれてる。当然だろう、俺は自ら爆心地に飛び込むようなことをしようと言ってるんだから。

「さっきから、頭、大丈夫か?」

「まあな、元からおかしいさ。ちょうど一回くらいはお前の兄貴にも会ってみたかったんだ」

「・・・本気で言ってんのか?」

「わざわざ嘘なんか言わないさ。ただしな」

 言葉を切って、ユキの目をじっと見据える。ユキが身構えた。

「明日、必ず一緒に来てくれ。俺一人ではあまりにも不安なんだよ」

 爆心地に突っ込むんだから、それくらいは頼まれてほしい。そういう切実な交換条件だった。

 ゆっくり時間が流れ、いつの間にかゆりかもめは新橋駅へと滑り込んでいた。ドアというドアから、少しずつ乗客がホームへ吐き出される。

「・・・ここからうちまでかなり時間かかるけどよ、お前がそれでも大丈夫なら来い」

「ああ、そういや知らなかったな。お前んちって何処なの?」

「蒲田」

 新橋からは京浜東北線で一本とはいえ、それなりに距離はある。

「行くよ、今から」

 それでも即答した。

「だから頼む!」

「ああ分かった。行ってやるよ、明日。親友の誘いなら絶対に断れねぇからな!」

 今しがた即答で断ったのはいったい誰だ、とは言わなかった。当然、黙ってユキに付いてくことにした。


 ※


 想像を越えて、ユキの家は広かった。どっかの名家なんじゃないかと思うくらいだ。

「親父がこの辺一帯の土地の地主なのよ。だからこんなにバカデカい家が建てれたってわけだ」

「すげーな・・・」

 なんとなく、ユキの父親を想像してみる。地主ってくらいだから、きっと頑固で厳格だろう。なのにどうしてユキなんかが生まれたんだろう。

「ん、今なんか考えたか?」

「いやなにも?」

 頭の中はまだ疑問符だらけのままだ。

 和風の門を入ると、庭が見える。池まであるのは驚きだ。その畔に、一人の青年が立って、魚のエサか何かをバラ撒いているのが見えた。普通に撒いてるのではない。オーバースローで野球ボールでも投げるかのように撒いてる。

「・・・あれ、何?」

 俺はおずおずとユキに尋ねる。ユキはなに食わぬ顔で、

「あれ兄貴」

「そうなんだ・・・いやそうじゃなくてなんなのあの投げ方!エサやりだよな!」

「兄貴は高校の野球部でピッチャーやってっから、その練習らしいぜ。まああんなんでも意外と練習になるんだってよ。よく分からんけど」

 とはいえ、魚のエサやりは・・・普通はオーバースローでなんかやらないと思うけど。随分変わった人だな。

「兄貴ー、帰ったぞコラー!」

 ユキが庭に向かって叫ぶ。兄貴に向かってもコラなんて言うのは驚くしかない。

 すると庭から、にこやかな顔でこっちを伺ってきた。なんだ、とても穏やかないいお兄さんじゃないかと思ったその瞬間、

「今何時だと思ってんだよコラァ!」

 まさかにこやかな青年の口から笑顔でそんな暴言が飛ぶなんて思いもしなかった。

「いや、あの聞いてくれ・・・」

「言い訳はいいからぶっ殺すぞ!」

「シュンあと頼む!」

「は!?」

 あとってなに?頼むってなに?って振り向いた時には既にユキは消えていた。庭から猛スピードでお兄さんが走ってきた。俺の横を駆け抜けて、少し走って諦めたように止まった。

「チッ、あのバカ、さらに逃げ足早くなったな・・・」

 独り言を毒づいたあとで、振り返った。

「んで、君誰?」

 さっきケイがユキを怒らせたんだけどね、その言葉で。

「あのユキ・・・雪晴の友達です」

 雪晴なんて呼んだのは初めてだ。微妙に声が震えているのが自分でも分かる。

「・・・そうか」

 改めて見ると、お兄さんはユキより10センチは高いだろう。一見何処にでもいそうな爽やかな青年だが、俺を見下ろす視線が非常に怖い。

「名前は」

 無愛想ではない。威圧感がハンパないんだ。

「荒神・・・荒神舜です」

 なんとか噛まずに言えた。しかし緊張しすぎて舌が痺れているように感じる。

「荒神・・・もしかして、君がシュンか!」

 突然お兄さんが相好を崩した。

「シュン!君の話は 雪晴あのバカから毎日聞いてるよ!うち上がってくかい?」

 再び、優しいお兄さんへと戻る。せっかくの機会だから、遠慮せず家に上がらせてもらうことにした。

「お邪魔しまーす」

 広々とした玄関を抜けると、いくつもの部屋があった。俺なら家の中で迷いそうだ。

「ユキの部屋、突き当たりを右ね。僕はお茶持ってくるから」

「あ、ありがとうございます」

 お兄さんはすぐ右の部屋へと入っていった。残された俺は、言われた通りに突き当たりまで進み、部屋に入った。

 ドアを開けた途端、ある程度は予想していたものの、衝撃を受けた。床一面に服が散らばり、折れたドラムスティックは放置され、CDが何枚も積み上げられている。乱雑このうえない。そこに来て部屋の隅には練習用のドラムセットまであるんだから、座る場所なんてあるわけがなかった。

 仕方なく、ベッドの端にスッと腰掛ける。居心地は最悪なまでに悪いのに、なんだか初めて来たようには感じられない。

 ふと目に入ったCDをよく見てみると、ジャズだった。全く聞いたことのないジャズシンガーの歌だ。

 -あいつがジャズ?

 不思議に思い、CDのタワーに手を伸ばす。するとそこには、ジャズ以外のCDはほとんどなかった。

「雪晴はジャズドラムから入ったんだ」

「うわぁすいません勝手に!」

「いいんだ、驚かせてごめんよ」

 お盆の上にケーキとお茶を乗せて、お兄さんが入ってきた。なんの躊躇もなしに床の上の衣類を蹴飛ばし、強引にスペースを作り出す。そのまま空間を占拠した。この家では、勝手に弟の衣類を蹴飛ばしてもいいみたいだ。本人は絶対に許してないだろうけど。

「あいつがまだ小4のときだったかな・・・僕の父親が大のジャズ好きでね。一回僕と雪晴を連れてあるジャズのコンサートに行ったんだ」

「日本で?」

「いや、アメリカ。学校休ませてまで無理矢理ニューヨークに連れてったんだよ。全く、呆れる話だろ?」

 苦笑いしながらお兄さんは語る。それにしてもなかなか破天荒すぎるお父さんだ。学校休ませてまでアメリカにジャズのコンサートを聴きに連れて行く、そこまでの行動力は俺の両親には決してない。

「僕も雪晴も当然ジャズなんかには興味はなかったんだけどね、いざコンサートが始まると雪晴はすぐにのめり込んだんだんだ」

「すぐに・・・」

「そう。そしてね、コンサートが終わったときに叫んだんだ。『俺、あのドラム叩きたい!』ってね。さすがの父親も驚いたよ」

「そんな一面、あいつにあったんですか」

 全く想像できない。ユキのことだから、てっきりロックドラムから入ったオーソドックスなタイプだと思ってた。

「じゃあなんでジャズじゃなくてロックに移ったんですか?」

 少し思案顔になったお兄さんは、

「もともと父親の知り合いのジャズバンドに入ってたんだ。技術も上がってステージにも何回か上がった。ただ、あいつには年齢って壁があったんだ」

 -壁?

 お兄さんの顔がだんだん曇ってきた。彼もあまり乗り気ではないんだろう。

「あるレーベルから、CDを出さないかって誘いがあったんだ。まだ雪晴が中2のときだ。新井ってプロデューサーはライブハウスで見たときに、堂々と叩くユキを二十歳だと思ったそうだ。とりあえずメンバーのプロフィールを送ってくれって言われて、リーダーが全員分送ったんだ」

 お兄さんがお茶を一口啜り、視線を落とす。何かに耐えるかのような表情に、その後バッドエンドが待ち受けてることを暗示していた。

「少しして新井から、書類が届いたって連絡が来た。そのときリーダーが言われたんだ、『いくら技術があって、人を魅了できても、メンバーに未成年がいるなら、今後の活動にも少なからず支障が出る。この話をなかったことにするか、ウチで紹介するドラマーをメンバーにするか選んでくれ』ってね」

「それで、リーダーはなんて?」

「即答したんだってよ、ドラマーを替えるってね」

 あまりにも酷すぎる話だ。メジャーデビューのためだけに、ユキを切り捨てたんだ。第三者の俺が聞いても腹が立つんだから、当人のユキはさぞかし怒りを覚えただろう。

「リーダーからは父親に電話があった。当然話を聞いて、父親も怒ったさ。けど、もうどうにもできない。ユキは罪もないのに、ただ若すぎるってだけで追い出されたんだよ。いや、リーダーの欲のせいだ」

 言葉を切り、俺をじっと見据えた。

「そのバンド、どうなったんですか」

「今もなに食わぬ顔で活動してる。たまにローカル番組に出たり、ライブハウスで演奏してるんだよ、まるで雪晴なんかもとからメンバーにいなかったかのようにね」

「・・・そのバンド、なんて名前ですか」

「確か、クレイジールーモア。意味わかんないよね、クレイジーはお前らだって言いたいよ」

 お兄さんの声に混じる静かなる怒気は、俺にも理解できる。

「新井、そしてリーダー・・・あいつらがジャズドラマーとしての雪晴の命を絶ったんだ」

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