第2話10,000年まえ
ある日、私は村の掟に異を唱えた。理由は単純なものだった。その根拠がわからないから。ただそれだけだった。
だが、長老たちは私を追放した。あるいは追放せざるをえなかった。村人は口々に様々なことを言った。呪われろとも呪われているとも。
村の境界まで付き添って来た一人の長老が、一言だけ口にした。
「言い伝えはあるんだ。呪われた者の。稀にしか現われない」
そう言うと長老は私の顔をじっと見据えた。
「君が呪われていないことを祈るよ」
そうして私は村を追放された。
近くの村々を訪ね、しばらくは滞在することもあった。だが、長く留まることはできなかった。いくつかの村に滞在し、何人かの妻を娶った。そして看取った。いつの頃からか気付いていた。あの長老の祈りは届かなかった。いや、祈りは関係ないのだろう。ただ、私はそうなのだ。
もう近くにはいられなかった。どの村も私を受け入れてはくれない。私のことは、周辺のどの村でも知られていた。
私はあてどなく彷徨った。ただ西で生まれたから、そこから逃れるように東へと。時には村に10年ほど滞在することもあった。それでも結局は少しずつ東へと逃げて行った。
何年経った頃だろう。ある村に滞在していた時のことだった。既に数年滞在しており、住人とも打ち解けた頃だった。祭の酒宴で山に住む魔法使いの話を聞いた。なんでもそれを話した人の曾祖父の頃から山に住んでいるという。
日が昇ると、私はその山へと向った。これまでにもこういうことがなかったわけではない。だが、今度こそ仲間かもしれない。そう思いはしたが、それを祈ったわけではない。長老が言った、「稀にしか現われない」という言葉はおそらく本当なのだろう。実際に私がいる。それならば、私だけとは限らないだろう。希望でもなんでもなく、ただそう考えて山へと向かった。
山に入ると、細い道を進みながら声を上げた。向こうから見付けてくれると助かる。そうでないと、見付けるのは手間がかかる。
山の中腹に来ると、少し開けた場所に出た。洞窟の入口もある。そこの少し奥には火が残っていた。柴も少し離れた所に集められている。洞窟の中に少し入り呼びかけてみる。だが応えはない。私は、時々柴を火にくべながら、住人が戻って来るのを待つことにした。
太陽が傾きかけた頃、木々の中から下生えのガサゴソという音が聞こえた。その音は次第に近づいてくる。そして一人の男が姿を現わした。
その男は、髪も伸ばし、毛皮で作った服を着ている。驚いた様子で草むらから一歩出た所で立ち止まり、こちらをじっと見ている。
「なぁんのよおだあ?」
しばらく互いに観察した後、やっとその男が口を開いた。その言葉にはおかしな訛りがあった。
「用というか。少しあんたと話をしたいんだ」
男は私の顔から視線を落した。
「あんたあが、くべえといてくれたあのか?」
私は目の前の火を見て、うなずいた。
「そおかあ。じゃあすこおしはごちそうしてえやろおなああ」
男はこちらへと近づき、腰に巻いてある紐からぶら下げていた兎を引き抜いた。
洞窟に入ると、男は石の包丁を使って兎を捌きはじめた。
「あんた、ちょっと訛ってるが、どこの出なんだい?」
「訛ってない方が好みなら、そうするよ」
男は捌く手を止めずにあっさり答えた。
驚いた。てっきり、ただの山の住人だと思っていた。
「あんた、いつごろからここに住んでいるんだ?」
少し西の言葉で尋ねてみる。
「百年てとこかな?」
男も私と同じ言葉で答えた。
「何でこんなとこに住んでいるんだ?」
もっと西の言葉で尋ねた。
「人の中では暮し難いからね」
男も、やはり私と同じ言葉で答えた。
「あんた、生まれたのはいつ頃だ?」
さらに西の言葉で尋ねた。
男は手を止め、こちらを振り向いた。じっと私の顔を見る。それからまた作業に戻った。
「それはわからないな。数えてないから」
男はダンと包丁を打ち下し、兎の後ろ足の一本を切り落した。
「だけど…… 洞窟の壁に絵を描いたのは覚えてる」
もう一度ダンと、兎の後ろ足を切り落した。
男は兎の体と足を持って私の横に座った。脇にある柴から太めのものを選び、兎に突き刺すと火の近くの地面に刺した。
「お前さんが生まれたのは?」
「私は、300年くらい前だ」
男はまたじっと私の顔を見る。
「嘘ってわけじゃなさそうだな」
「なぜわかる?」
「そうだな。目かな」
男は焼いている兎を少し回した。
「他にもいるのか?」
「いるとか、いたという噂は聞いたことがある。だが実際に会ったのはお前さんが二人めだ」
男はぼんやりと火を見ている。
「どうやって生きていけばいいんだ? 昔、何人も妻を看取った。これは何かの呪いなのか?」
「いや、どっちの質問もわからないな。ただ違うんだ」
男はまた兎を回しながら答えた。
私は少し気落ちしたが、さっきの言葉が気になった。
「二人めだって言ったよな。その人はどうなったんだ?」
「死んだよ。年を取ってね。俺よりずっと若かったはずだが」
「年を取って? だけど私たちは……」
「あぁ。だが実際に年を取って死んだ」
男はまた兎を回した。
「俺も死にたいがね。死は褒美だよ。救いだよ」
男は兎の足の一本を取り、私に差し出した。
「死ねるのか」
私はそれを受け取った。
「あぁ。どうなればなのかはわからないが」
男も兎の足を取り、齧り付いた。
「なぁ、私と一緒に旅をしないか?」
私も齧り付き、飲み込んでから尋ねた。
男はまた私をじっと見る。
「まぁ、一人で死ぬのは寂しいかもな」
そう言って男はもう一口齧り付いた。
「私はヤー」
「俺はハーム」
2、3年経ってから、私たちはこの地を離れた。東へ。そして時々南へ。
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