オレオ殺人事件

小林稲穂

導入編

導入編

 猛烈な吹雪により山奥のロッジ『コーナーリバー』に閉じ込められたのは、七人のスキー客とこのロッジの管理人、そしてひとつの死体だった。


 真夜中の争うような物音に心配した管理人が合鍵で部屋に入ると、泊まり客のひとり、人気小説家の折尾一樹おれおかずきが変わり果てた姿で発見された。部屋は血の海。うつ伏せに横たわる折尾の背中には、包丁がまっすぐ突き立っている。そばには返り血を浴びた雨合羽が脱ぎ捨てられていた。窓はガムテープを貼ってから割られており、誰かがそこから錠をあけて侵入したと思われた。


「遺体はまだ温かい。血痕の乾き具合から見ても、殺害されてからそれほど時間は経っていないようです」

 医師であると名乗りでた石川倫太郎いしかわりんたろうは、折尾の遺体を調べると落ち着いた声でそう言った。

「警察への連絡はできたんですか?」

 農学科に通う大学生だという木之本楓きのもとかえでは、心配そうにそう訊いた。

「それが、どなたの携帯電話も繋がらないそうで。どうしたんでしょうか」

 このロッジの管理人である菅谷守すがやまもるという老人が答える。

「きっと付近の基地局のアンテナが、この大雪で埋もれたか倒壊したんでしょう。ここは随分な山奥ですから、電波も届きにくいでしょうし」

 探偵を自称する金田耕一かねだこういちは、顎に手を当て考えながらそう言った。

「そんな都合のいい話があるか! 犯人だ……犯人のしわざだ……! アンテナを壊しやがったんだ……。俺達をこの山荘に閉じ込めて、ひとりづつ殺していくつもりなんだ! 帰りてえよお……帰りてえよお……」

 プロスノーボーダーとしてそこそこ名が知られている滑川尊なめかわたけるは、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「しかし、クルマは全部雪に埋もれちまってるし、外に出たら数十分と持たないで凍え死んじまう。犯人は一体どこへ行ったっていうんだ?」

 自動車のディーラー、車田光男くるまだみつおが不機嫌そうに言う。

「まさか……それじゃあ……」 

「ええ、犯人は、この中にいると考えるのが自然でしょうね」

 金田はそう言って一同をちらりと見回した。誰もが不安そうにしている。ただ、石川にしろ金田にしろ、運良くこのような状況に慣れた者が山荘に泊まっていて幸いだった。惨殺死体を目の前にして平静でいられる人間など、そう多くはない。これが素人だけなら、突然の惨事に誰がどうなっていたかわからない。 

「あいつは……折尾はとにかく目立ちたがり屋だったからな。どこに行ってもとにかく一番に目立ってた。それに随分な皮肉屋だから、恨みを買うことも多かった。でも悪い奴じゃなかったんだよ……」

 折尾と一緒にスキーに来たという友人の友田真也ともだしんやは、ぼろぼろと涙をこぼしながらそう言った。

「みなさん、見てください。これは文字じゃないでしょうか」

 遺体を調べていた石川が指差した先の床には、ただの血痕とは言いがたい、人工的な痕跡が残されていた。つまり——血文字である。文字はあまりにひどく震えていて読み取りづらいが、なんとか次のように読めた。


——オレオ


 誰もが、すっと息を呑んだ。殺された折尾が、死に際に残したメッセージに間違いない。よく見ると、遺体の人差し指にもべったりと血糊が付着しているのがわかった。

「『オレオ』……『折尾おれお』か。今際いまわきわだというのに、なぜこの男は自分の名前を書いたんだ?」

「自殺ってこと?」

「まさか。背中に包丁が刺さってるんだぜ。それに自殺でダイイングメッセージを残す奴がどこにいるんだよ。遺書を書けばいい話だ」

「そういう名前の菓子もありますよね。あれのことかも知れませんよ」

「なんでだよ。こういう場合、普通犯人を指し示す手がかりを残すだろう? なんで菓子の名前なんて書くんだよ」

「死に際の人間の思考なんて知るものか。食べたいものがたまたま最後に思い浮かんだだけじゃないのか。誰かあとで仏壇にでも供えてやれよ」

「てめえ、人が死んでるんだぞ。ふざけるなよ」

「帰りてえ……もう帰りてえよお……」

 

「……そうか、わかった。わかったぞ! 犯人は、あなたです!」

 探偵は、この中のひとりを指し示した。



——————



※メッセージは被害者本人によって書かれたということが間違いないものとすると、犯人はいったい誰でしょうか? 通常、ダイイングメッセージというのは犯人特定の決定的証拠にはなり得ません。したがって、偶然やこじつけではない範囲で、その場にいる人間の誰もが納得するに足るだけの根拠を示せれば正解という扱いになります。

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