第2話 冒険者デビュー

 キャスリースはよほど腹が減っていたらしく、エルフ特有の秀でた眉目と美しい白金髪に似合わず、がつがつとロールキャベツを頬張っていた。

『ああ……そんなに急ぐと喉に詰まるぞ。おかわりもあるから、ゆっくり食え』

 私が幼い頃使っていたベビーチェアに座り、零しながらロールキャベツ風野菜スープを流しこむキャスリースに、エルフ語で言い聞かせながらテーブルを拭いて世話をする私を、ディレミーンは興味深そうな顔で見詰めていた。

「……何だ?」

 その視線に気が付いて問うと、ディレミーンは頬杖をついて眺めていた姿勢を正し、

「いや。何でもない」

 と自分も食べ出した。

 一口んで、

「……旨い!」

 とディレミーンが目を丸くする。

「世辞はいらない。余りもので作ったんだ」

 賞賛を期待していない私は、無表情に返した。

 そんな私の横顔をマジマジと見詰めてから、ディレミーンは言葉を探る。

 嫌悪や恐怖の視線には慣れていたが、何だか得体の知れないこの男の視線は、私を落ち着かない気分にさせた。

「……もしかして、誰にも食わせた事がないのか? 下手な酒場の飯なんかより、よっぽど旨いぞ。仕事を探す為に酒場に行く予定だったが、仕事と旨い飯をいっぺんに手に入れた。今日は運がいい」

 ディレミーンは人好きがするというのか、常ににこやかな印象だったが、その言葉から特に上機嫌である事が窺える。訊いてもいないのに、昔受けた浮気調査の依頼の笑い話や、いつかうたに残るような冒険をするんだという夢を語った。

 誰かと食卓を囲んで世間話をするなんて人間的な事は久しぶりで、どう話したら良いか分からず、気のない相づちばかりになってしまったが、幸いディレミーンはそれを気にしていないようだった。

「今日はもう遅いから、キャスリースはゴーストの家に泊めてやってくれ。俺は宿屋に泊まる。明日の朝、迎えに来るから、頼む」

「ああ」

 そう言って、ディレミーンは夕食代として銅貨を何枚か置いていった。自分の作った食事が金に化けるなんて、やはり不思議な気分だった。 

 後片付けを済ませて振り返ると、幼いキャスリースはソファでうとうととしていて、その日はそのまま暖かいベッドで眠ったのだった。


「おはよう、ゴースト」

「あ……ああ。おはよう、ディレミーン」

 普通の人間なら日常の、挨拶を交わすのも久しぶりで、どうにも調子が狂って私は戸惑いを隠せない。

 この男……何が目的なんだろう。辛酸を舐めてきた身としては、そんな風に思ってしまう。

 そんな私を知ってか知らずか、ディレミーンは爽やかな笑顔を向けてきた。きっとこいつは、道でオークに会ったって、笑顔で挨拶するに違いない。

「キャスリースはぐずらなかったか?」

「ああ、夜中に少し泣いたが、物語を聞かせてやったらすぐに眠った。泣き疲れたのもあるだろう」

「どんな物語だ?」

 まさかそこに食いつかれるとは思いもよらず、私は一瞬口篭った。

「……精霊たちの物語だ」

「ああ、エルフの子供には興味のある話だな。いい選択だ」

 そう言って、すぐに踵を返して歩き出す。

 えっ? まさか。

「あ……ディレミーン!」

「ん?」

「その……今、行くのか?」

「そうだが、何か問題でも?」

 琥珀色の肌で、顔が急激に赤くなるのが分からないのが、せめてもの救いだと思った。

「私は……この見てくれだから、ゴーストと呼ばれているんだ。出発は、夜じゃ駄目か?」

「そんなもの、言いたい奴には言わせておけばいい。夜に出るから、ゴーストなんだろう? 朝に出ればゴーストじゃなくなるさ。それに親が心配しているだろう、行くぞ」

 再び歩き出すディレミーンの広い背を、私は慌ててキャスリースの手を引いて追いかけた。


 宿屋を兼ねた酒場には、街の者が四割、仕事を探す冒険者が六割、朝からとぐろを巻いていた。私はフードを被って尖った耳を隠し、俯いてディレミーンの後を着いていく。

「親父、エルフから迷子の依頼はきてないか?」

「ああ、昨日の夜中、エルフが来たが……噂にゃ聞いてたが……綺麗なもんだな、エルフってぇのは」

 エルフは普段深い森の奥に住んでいて、必要以上に人前に姿を晒す事がない。

 まるで恋する乙女のようにぽうっとなった酒場の店主は意に介さず、ディレミーンは端的に言った。

「その依頼を受ける。剣士ディレミーンと、通訳としてゴーストが」

「ゴースト?」

 だがその名を聞くと、惚けていた店主の顔が、罵声でも浴びせられたように急に冷え切って顰められた。

「ゴーストって……後ろにいるのは、あの、、ゴーストか? こんな朝っぱらから?」

「そのゴーストだ。すぐに請負書を作ってくれ。あと……もう一人、援護に弓使いか魔法使いが連れに欲しい。森の中には、怪物モンスターもいるからな」

「あ……」

 その時初めて、私は声を発した。

「ん? 何だ、ゴースト」

「弓なら、使える。精霊魔法も、ほんの少しなら……」

「えっ」

驚きの声を上げたのは、店主の方だった。

「お前、今まで通訳と翻訳だけで、冒険の仕事なんか請け負った事ないだろう」

「冒険者になろうと思って……ここ何年か、街外れで独学してた」

 ディレミーンが一つ、指をパチンと鳴らした。

「決まりだ。剣士ディレミーンと、魔法弓士にして通訳のゴーストが、この仕事を請け負った」

 ギルドの依頼は、肩書きが多いほど高収入を望める。

 ディレミーンは蒼い瞳で肩越しにウインクをして、私の冒険者デビューに華を添えたのだった。こいつはきっと、鶏に卵が生まれても、ウインクでそれを寿いでやるのだろう。

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