第一章 二つの『夢』

第1話 お化けと呼ばれる少女

「やーい、お化けゴースト!」

「ゴーストが出たぞ。もう家に帰る時間だ」

「ゴーストが出るまで遊んでたなんて、母ちゃんに怒られちゃう!」

 子供たちが口々にはやしたて、私とすれ違っていった。

 子供というのは残酷だと、何処か他人事でつくづく思う。

 いつもの事だったから黙殺して顔も上げない私だったが、

シャイン、、、、

 そう呼ばれて、懐かしさに思わず振り向くと、フードの奥の額にコツリと小石が当たった。

 きゃーっと悲鳴を上げて、子供たちは駆け去っていく。

 いけない。私が『シャイン』と呼ばれる事はもうない筈なのに、身体が無意識に反応してしまう。

 瘤の出来た額を押さえて、私はまた俯いてノロノロと、店じまいを始める頃の市場に向かった。

 外出は、日が暮れてからと決めていた。

 長命なエルフの血を引く私は明日でちょうど七十歳だったが、見かけは十七~八歳の少女のそれだった。育ての親も、後見人だった長老もみまかって代替わりし、からかう時以外、もう誰も私を『シャイン』とは呼ばなかった。

 もちろん、明日が誕生日だからといって、祝ってくれる相手も居ない。

 琥珀の肌が目立たぬよう人より華奢な肢体を黒装束で覆い、日暮れと共に活動を始める私が暗に『お化けゴースト』と呼ばれるようになったのは、いつからだったろう。

 大人たちは私の尖った耳を恐れ、「悪さをする子はゴーストにさらわれて、食われてしまうよ」と、子供たちに言い含めていた。

 毎日店じまいの頃に訪ねて余りものを買う私は、店にとっては上客だったろうが、店主たちはそんな事はおくびにも出さずに迷惑そうな顔で品を売る。

 私は育ての親の勧めで、エルフ語とドワーフ語を学んで、その通訳・翻訳で生計を立てているのだった。だからその辺の男たちよりも、よほど稼ぎは良い。

 それを知っていて、店主たちは余りものを高く売りつけるのだが、私はそれを甘んじて受けていた。『不愉快料』とでもいうべきか、いつしか私にはそれが当たり前になっていた。

 

 家に帰って、余りものをキッチンに並べる。毎日手に入るものは違ったから、いつの間にか料理のレパートリーだけは豊富になっていた。

 食べさせる相手はいないけれど。

「キャベツと玉葱と……肉と、野菜くず。ロールキャベツ風野菜スープにしよう」

 家の中では饒舌な私は、ハキハキと独りごちると、手早く調理を始める。

 作業に邪魔な長い黒髪を麻の紐で結わえ、黒装束の上から、染み一つない明るい水色のエプロンをして、鼻歌を歌う。

 子供の頃育ての親が子守歌に歌ってくれた、有名な吟遊詩人のうただった。歌詞は忘れてしまったが、いつまでも心に残る旋律だけを口ずさむ。『ゴースト』と呼ばれるようになってからは、家に独りの時が、唯一のびのびと過ごせる時間だった。

 剥いたキャベツの葉を鍋で茹で、その間に肉をミンチに、玉葱をみじん切りにする。細かくした肉と玉葱と、削いだキャベツの芯を混ぜて捏ね、それを、茹でて柔らかくなったキャベツの葉で巻いていく。食材が多めだったので、作り置きしようと決めて、私は大鍋に手際よくロールキャベツを並べる。取っておいた、キャベツの葉を茹でた湯と野菜くずをそこに入れ、塩コショウで味を調えた。仕上げに、隠し味でオリーヴオイルを垂らすと出来上がりだ。

 美味しそうな匂いが立ち込める頃、だが不意に私の至福の時間は、ノックによって破られたのだった。

「ゴースト! いるか!」

 たまに直接仕事を運んでくる、冒険者ギルドのノーマンの声だった。

 乱暴にドアがノックされる。私は慌ててエプロンを外し髪をおろして、ドアを開けた。

 そこには、ノーマンの後ろに、銀色の部分鎧と蒼いマントに身を包んだこげ茶色の巻き毛の長身な青年と、彼に手を引かれたまだ幼い三歳くらいのエルフの子供が立っていた。青年は、二十代半ばといった所か。

「ゴースト、仕事だ。このエルフの子供を家まで送り返して欲しいそうだ」

 エルフ!

 私は、ミスリル銀の取り引きの際、通訳の私をいつまでも嫌悪の色で眺め回しているエルフの視線を思い出して、戸惑いの声を上げた。

「あ……ああ。だけどその子、私を恐がらないか」

 くだんの子供に視線が集まったが、彼はまだ本当に幼いようで、私を見ても言葉の通じない不安の表情以外に恐れは見せていなかった。

「よろしく頼む。ディレミーンだ」

 ディレミーンが、籠手代わりに布を巻きつけた逞しい腕を差し出す。それが握手を求めているのだと気付くのに、たっぷり五秒はかかった。私に触れようとする者など、ここ十年はいなかったからだ。

 ハッとしてミニスカートで手を拭い握手を交わすと、私は咄嗟に言った。

「よろしく。ゴーストだ」

お化けゴースト? 変わった名前だな」

 ディレミーンは思った事は口に出すタイプらしくて、単刀直入に疑問を口にする。

「ああ、えーと、通り名だ。仕事を引き受ける時の」

 私は説明するのも面倒で、そう言って茶を濁す。彼は、納得したようだった。

「旅の途中でこの村に寄ったんだが、村の入り口の手前の森で泣いているこの子を見つけてな。まだ小さくて、エルフ語しか話せない。困り果てて、ギルドに行ったって訳だ」

 その時、エルフの子供が何事か呟いて、べそべそと泣きだした。

「ああ……」

 私はしゃがみ込んで、エルフの子と黒瞳を合わせると、優しい音色でエルフ語を操る。

『もうすぐ料理が出来るから、大丈夫だ。名前は?』

『……キャスリース』

『じゃあキャスリース、食事をするか?』

『うん!』

 ディレミーンは、自分と繋いでいた手を離して、今度は私の手を握るキャスリースに驚いて、切れ長の蒼い瞳をやや丸くした。

「何て言ったんだ?」

「お腹が空いているらしい。今ちょうど、料理を作っている所だから、食べるかと聞いたんだ。彼の名はキャスリース」

「そうか……夕飯は、沢山あるのか?」

「ん? 何でだ?」

「金は払う。もしよければ、俺も夕飯を摂りたい。昼も食ってないんだ」

「ああ、良いが……私の作ったものなんかで良いのか?」

 長年独りで居る事が当たり前だった私は、卑屈ではなく、あっけらかんと訊いていた。

「旨そうな匂いがする。もしよければ」

 ディレミーンは繰り返す。

「ああ。もうすぐ出来る。入ってくれ」

 この家に来客があった事など、生まれてから一度もなかった。

 私は、不思議な心地で、だけど冷静にそう言って一人と半分を家に迎え入れた。

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