7
思い過ごしだ――。
そう納得しようとしたが、こんな誰も来ないような時間に、こんなものを購入するなんて。しかもこんな場所で。
思い浮かぶのは不吉な二文字。
俺の掌はだんだんと汗ばんでくる。
ビニール紐と、カッターナイフ。
カッターは勿論、紐を切る為に。じゃあ、紐は……?
樹の枝に括りつけられて、時折風に揺れていたボロボロのビニール紐の輪っか。
八雲と樹海に乗り込んだ時に俺が見たもの。
一生のうちに見なくてもいい、人がそこで死んだという証。
八雲は顔色すら変えなかったが、俺にはこれ以上なくショッキングなものだった。
この人……。なんで、こんなもの……。
一体なにを考えてこんなものを、何に使う気だ……。不審が徐々に募っていく。
レジには合計金額。
袋にも詰めないで棒立ちしている俺を怪しく思ったのだろう女性は、少し睨むような顔で俺を見上げていた。
いけない――。放っておけばどんどん一人歩きして止まらなくなりそうな想像を俺は中断させた。冷静になれ。確かに違和感を感じるが思い込み過ぎかも。
一人でパニックになってどうすんだよ。
「11320円になります」
思い込み……思い込み……、思い込み……、過ぎだろうか。
手を何度も止めそうになりながら俺はデカいレジ袋にひたすら菓子パンを詰めていく。
何故か一つ袋に入れる度に、いけないことをしている気になってくる。
俺、今……。こんなことじゃなくて、何かしなきゃいけないんじゃないか。何か、言わなきゃいけないんじゃないのか。
「あ……こんな夜中まで、仕事大変ですよね……」
なんて……。
「はあ」
精一杯の笑顔はあっさり女性にはじき落とされた。
相手の反応が見たくてなんとなく口にしたが、いきなり話し掛けた俺に女性は愛想笑いもせず、うざったそうに相槌を返した。
そらそうですよね、お前に関係あるかって話だもんな。
「このへんは街灯少ないから、気をつけた方がいいですよ」
「はあ……」
気の無い返事が返ってくる。見た通り、相当疲れているのか女性は俺に目もくれず、心底鬱陶しそうな様子だ。構うなってことか。
このままお釣りを渡して早々に帰してやりたいところだが。どうにも先程の不可思議な行動が引っ掛かり、このまま何もせずに帰してはいけない気になって、俺は失礼を承知でこう口にした。
「あの。失礼なことを申しますが、これ…………、何に、使われるんでしょうか」
内心迷った、が……。もしものことを想定して賭けに出てみた。
無い勇気を思い切り振り絞り。一瞬を見逃さない。女性の表情の変化を、目の動きを。心臓は胸骨の裏側でバクバク鳴っていたが。それでも俺の声ははっきり響いた。
ビニール紐とカッターナイフを袋に入れる際だ。
俺は女性の目を真っ直ぐに見つめる。真剣な表情で。
「なんですか」
土足で踏み込むような俺の問い掛けに、ツンとした声を出す女性。
「何に使うって……そんなの関係ないじゃないですか……何様なんですか」
意外と気の強い言葉が返ってきた。
こんなことコンビニ店員如きが口にすることじゃない、そんなのは分かっていたが、俺は怯まない。言い出しにくい、けど……。この間の現場を目撃してしまって、言わずにはいられなかった。
「そうじゃないと思いますが。場所が、場所なので……」
「……は」
「もしも良くないことをお考えでしたら……俺は」
こちらの考えていることを察したのか。その先を言う前に女性は不快感丸出しの顔で。
「……意味わからない……なにこの店員」
ボソッと、けど確かに俺に聞こえる声で吐き捨てた。
「お釣り……、お釣り下さい。早く」
目を細めて睨まれる。
「あと、領収書。……判子も」
「あ……」
「変な妄想しないで下さい……、そういうこと……客に聞くなんて」
有り得ないです。
冷たく言い放たれ、ビンタされたみたいな衝撃を受ける。
ビニール紐とカッター。そういうことっすか。
やっ、ちまった。全身が強張った瞬間だった。
「大変失礼致しました……」
俺は頭を下げて、領収書に判子を押した。女性はムスッとしながら出口へ向かう。
「はー……」
デカい溜め息。
うん……、やっちまった。やっちまったけど……。安心した。
どうやらあの人は違うみたいだ、俺の間抜けな勘違いだった。そうだよな、普通に業務用で買ってく人もいるんだもんな。この前の出来事が衝撃的過ぎてつい先走ってしまった。
恥ずかしさと気不味さが店内に残ったが。俺は腰を抜かすぐらい安心しきってカウンターに突っ伏した。
良かった……勘違いで。
「なーにやってんだよ」
真横に顔を向ければ、バックルームの扉から顔を半分だけ覗かせ、ジト目で俺を見ている平井さん。じゃなくてあやめさんだ。
「かーっこわるぅ」
「いや、だって……」
「『意味わからない、なにこの店員』だって。……ぷくくっ」
「っ~」
あやめさんに真似をされて俺は口元を歪ませる。俺だって言われたくて言われたわけじゃないのに。
「だから言ったろ。調子に乗るなって」
ほれ見ろと。平井さんは不敵な笑みを浮かべた。
「別に調子に乗った訳じゃ、変だと思ったから、ああ言っただけですよ……。変だと思ったまま、そのまま帰したら、その、人でなし、じゃないですか」
もし俺の想像通りだったとしたら。
「だったとしたら」
「見殺しに、することになるかもしれない……って」
カウンターに置かれた両拳を見つめながらそう呟く。
あの人が……。もし仮に自殺志願者だったとしたら。自殺をする為に使うものを買おうとしていたとして。それを店員である俺が見抜けず、そのまま売って、店から出してしまうということは。何も声を掛けず、止めることもしないということは。それは。直接的にじゃなくても、その人の背中を後押しすることになるということだ。
そんなの、人でなし以外の何者でもない。
「……」
俺はもう、そんな奴になりたくない。二度と。
格好悪くても、失礼な奴と言われても。それが後悔しない一番のやり方だと思うから。もしもその道を選ぼうとしている人がこのコンビニを訪れたら、俺はそれを阻止したい。
青山さんが言っていたように、俺達にはっきりともの申す権利なんてないのだろうけど。だけど死ぬのは、一番よくない。
死んだら、あの樹海に居た者達と同じになる。それを知ってしまったからこそ、余計に見過ごすことなんか出来ない。死んだって、此処じゃ少しも楽になんてなれないのだから。実際に視てきたから、これだけは言い張れる。
「上手く言葉に出来るかはわからないけど、俺は視たから伝えたいんです、此処で死んだらどうなるか。どんな結果になるか」
「だから別の場所で死ねって?」
「なわけないでしょう!違いますって。そうじゃなくて……。なんとかして、その人が死なないように、説得したいだけです、死ぬのはなによりよくないし」
ぎこちなく言葉を並べれば、あやめさんは笑った。
「なんですか」
「馬鹿過ぎて面白いよ」
――は?
「絵に描いたような正義論。大いに結構。自殺志願者を止めたい。いいね、その台詞、まさにヒーローだ」
けど。と、あやめさんは吊り目を細める。
「説得で解決できりゃ。こんな場所で死ぬ人はめっきり減ってるよ。此処で働いてる人達はみんな口に出さないけど気がついてるんだ、ああこの人自殺する気だ……って」
此処で働いてりゃ誰だって嫌になるぐらい人を見抜く目が冴えてくるのさ。と、あやめさんは続ける。
「でも実際問題、お前が言うように簡単には解決できない。なにも知らないコンビニ店員が、絶望の淵に突っ立った自殺志願者に慰めの言葉をかけてやったとして……一体どんな結果が出せると思う?」
考えてみろ。赤の他人に薄っぺらな励ましを受けた鬱病患者が何を思うか。知られたくも無い胸の内を抉られて、何を感じるか。
「それこそ、背中を後押しするようなもんさ」
「じゃあ、あやめさんは見過ごすんですか……そういう人に出くわしたら」
「あたしは、引き返せるか引き返せないかの域が視えるからね、それで判断してる」
なんだよそれ。
「それは、見捨てる人も中にはいるってことですか」
「早い話が」
あやめさんの声は怖いぐらい冷静だった。
「引き返せない域って、あやめさんは……わかるのに声すらもかけないんですか」
「あくまで客と店員だからね。その人に改心の“か”の字もなしなら、こちらが何を言ったって無駄なんだよ」
「なんで最初から諦め腰なんですか、何か言えば、そこで変わるかもしれないのに」
「確かに声をかければ揺さぶりくらいはかけられるだろうけど。最終的に全てを決めるのはあっちだからね」
「う……」
「現実の厳しさに叩きのめされて、散々な思いをしてきて、それをなんとかして理解しようと必死にこっちが言葉を掛けたって、それでも死を選ぶ人はいるんだよ。思い留まる人も中にはいるかもしれないけど。そんなのは極僅かだ、殆どの人は、“死”という解放を求めすぎて他人の言葉なんて届きゃしない」
「そんな、切り捨てるような言い方……」
「お前はまだ知らないからそういうことが言えるんだよ、ずっと此処に居ればそのうち理解する、そうするしかないってことがね」
「……」
あやめさんの言ったことが受け入れられないわけじゃない。自殺志願者の胸の内は、俺達なんかじゃ簡単に理解することができないことだって。俺の言ったことが、夢見がちな綺麗事だってのも。
このコンビニで起こることは、複雑で、とても難しい。
青山さんも、平井さんも、竹中さんも、店長も、他の人達も。きっとみんな、誰もが苦悩している。ついこの前転がり込んできた俺よりも。深刻さを知っている、知っていながら此処で働いている。
その中で声を掛けられた人はどれぐらいいるんだろう。
声を掛けられなかった人、気がつかれなかった人、見て見ぬふりをされた人は。どれぐらい、いるんだろう――。
そんな人達を見るのが嫌で、辞めていった人達は、一体、何人、何十人……。
考えていたら息苦しくなってきた。
「でもそれじゃあ。声をかけずに送りだしてしまったら……、もっと後悔しませんか、俺だったら後できっと後悔します」
自分が声を掛けなかった所為で、もしかしたら……。そんなふうに不安で仕方なくなってしまう。
「このコンビニに居れば、これから先、どうしたらいいのか分かってくるのかもしれないけど。俺は、一人でも見過ごしたくないんです……そういう理由があるんです」
「理由ね……」
「だから他人ごとでも、ただのコンビニ店員でも、突っ込んでいこうと思います。たとえ、気の利いたことが言えなくても……。なんとかしたいと思うんです」
何もしないのだけは絶対に嫌だ。
「自己中心的ですいません」
「まったく――、笑えるほど割に合わない仕事だろ」
呆れたように溜め息を吐いて。あやめさんは俺に言った。
「普通はそう思うんだよ。こんな仕事……いくらあの時給ぶら下げられたってごめんだってさ」
店長だって言ってるぐらいだからな。と、そう呟く。
「それなのに、お前は本当に……まったく」
肩を竦めて言いながら、あやめさんは掃除用具入れからモップとバケツを出してトイレに向かっていく。
「他人を気にかけるばかりで自分を守ることを忘れるな。余計なものを自ら背負いに行くな。これだから竹中君の心配も尽きないんだよ」
やれやれと頭を掻きながら、俺が聞き返す前にあやめさんは女子トイレに入っていってしまった。
自分を守ること。余計なものを背負うな……。どういうことだ。
「……」
ゆったりとしたクラシックの流れる店内で、俺は少しの間あやめさんの言葉の真意を考えた。
「あ――」
無意識に声が出た。
とっくに帰ったと思ったのに。あの女性が駐車場のブロックの所に座っているじゃないか。買った袋を真横に置いて、中から紙パックの飲み物と菓子パンを掴んで袋を開けて、彼女は恥じらいもなく大口を開けて
相当、腹が空いているのか、ガツガツと、買ったものを次から次へと出しては口に運んでいく。
この時間帯に、よくもあんな……。店の中から見える女性の様子に俺はたまげて目を見開いた。
つか、帰んなくていいのかあの人。車、バイク、自転車すらもない。タクシーも何も通らない、この時間帯で帰る手段としたら徒歩しかないだろうし……。
少し心配になりながら、夢中でスイーツを頬張る女性を店の中から見守る。
なんか頬張るっていうよりかは……。やけ食いのようにも見える。
無理やり口の中に押し込んでるってか……。
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