7

 そろそろゴミ捨ての時間だろうか、時計をちらちら探ってそんなことを思うも、外にはまだあいつらが居座っていて、一向に立ち去る気配がない。


 二日前の二の舞にはなりたくないが……、仕方ない。やることも他にないしなぁ……。


 割と大きな決断をしてカウンターを出ようとしたら、平井さんが先に出て行ってしまった。


「ちょ、平井さん!」

「今日はわたしが行くよ、袴田君は待ってて」

「いやいやいやいや、普通此処で行くの俺ですから!平井さんは」

「いいって、大丈夫だよ」

「あいつら酒入ってて絶対絡んで来るって、俺に気を使ってくれるのは嬉しいけど平井さん、女なんだし……!」


 もし裏に回った時になにかされたら……。


「なにかって?」

「いや……、ほら」


 あいつらが寄って集ったら平井さんの細っこい腕なんか折れてしまいそうだ。

 此処は男として……。


「じゃあその時は袴田君が格好良く助けてねっ」

「じゃなくて……!」


 平井さん!わかってくれよ!


「ありがとう!でもわたしだって青山さんと一緒でああいう類をかわすのは慣れてるんだよ?あの人達、多分袴田君が出て来るの密かに待ってそうだし……、それだったらわたしがさっと行ってきちゃうからさ!」


 半ば無理矢理押し切られて、俺は平井さんにゴミ捨てを任せることになってしまった。


 外から呑気に手を振る平井さんを見送って、俺は奴らに変な動きがないか店の中から監視することに。

 幾ら平井さんが言ったことに頷けたとしても、全て平井さんに任せてしまうわけにはいかない。あいつらがちょっとでも彼女に近づこうもんなら、惨事覚悟で店から飛び出てやる。


 そう思ったのも束の間。

 店の裏から戻ってきた平井さんを見て、ヤンキー共があからさまにおかしな態度を取り始めた。

 何度も何度も平井さんを見たり、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべたり。


 こいつら、なんかする――。

 直感的に感じた。


 素早くカウンターから身を乗り出し、歩いてくる平井さんにハンドシグナルで呼び掛けると、平井さんが気がつく前に、彼女の両脇を男が挟み、一人が素早く平井さんの腕を掴んだ。


 ヤバい――。


 言わんこっちゃない、と自分を咎め、俺は鉄砲玉みたいに店から飛び出した。


「おい!何やってんだ!やめろ……!!」


 咄嗟に出た馬鹿でかい声に平井さんとヤンキー共が振り向く。

 青山さんぐらい迫力があれば良かったのだが、生憎俺じゃこれが精一杯。


 平井さんを守らなくてはという一心で、俺は素早く間に入って彼女とヤンキーらを引き離す。


 良かった……、と安心するのはまだ早く、俺よりも頭一つ分くらいデカいヤンキーが、間に割ってきた俺にメンチを切る。


「んだぁ、テメェ!!」


 ぐう……。声だけなのに心臓が口から出そうになる……。


 それでも此処で負ける訳にはいかない。今日は青山さんも竹中さんもいないんだからな!


「おっ、女の子を巻き込むな!さっさと帰れよ……!迷惑なんだよ!」


 負けじとかじり付くも、この台詞……負けフラグを自分で立てたような気になってしまう……。


 すると目の前のヤンキーはお得意の見下しモードで首を低く傾けてヘラヘラ笑った。


「帰れじゃなくて、帰って下さい、だろォ?おまえ店員だろ、俺ら客じゃん?敬語使えよ敬語を?お客様に向かってそんな態度でいーのかァ?」


 それを聞いて数人が笑い出す。

 こいつら……調子に乗りやがって。


「ちょっとからかってるだけじゃんかよぉお?流石に俺らもサツに世話になりたくねぇし、っても外なら防犯カメラも無いから……」


 証拠残んねえよな?

 一人が怪しい笑みを浮かべたと同時に、横から物凄い衝撃が襲ってきて、俺はコンクリートの上に転がされた。


「袴田君!!」


 平井さんの悲鳴が上がる。


「い……ってえ!」


 あまりの不意打ちに口の中を思い切り噛んでしまって、ぶわっと口内に広がる血の味。


 慌てて口端を押さえて顔を上げれば。この間のリーダー格が凶暴さの滲み出る表情で俺を見下ろしていた。


「お前何様よ……?俺らのことジロジロ見やがって文句あんのか?ああ?」


 威張り腐った口調で罵るリーダー格を、俺もせめてもの抵抗で睨みつけるも、だめだ完全に気迫負けしている。


 無様な格好の俺を奴らは指をさし、下品な声で嘲笑う。


「だっせぇなァ、ハッ……どうせビビってんなら大人しくしとけよ?」


 完全に舐められて、俺の我慢も限界に近かった。


 世間様から嫌われるばっかのお前らが、なんでこんなに堂々としてんだ。なんでこんなに好き勝手できんだよ。


「だっせぇ……って、どっちだよ」

「あ゙?」


 もういいや。どうなっても。


「悔しかったら一人でバイク乗ってみろよ、一人で酒飲んでみろや……、へっ……群れてねぇとなんもできないんだろ?」

「ちょっ、袴田君……!」


 平井さんが止めに入るも、俺はやめなかった。


 こいつら俺のフリーター魂に火をつけやがった。

 フリーター、フリーターってさぁ、ニートと間違われるけど社員様みたいに偉かないけど。

 これでも働いてんだよ。

 必死こいて働いてんだよ。


 金稼いでんだよ。幽霊にビビりながら頑張ってんだよ。

 とりあえず働いてんだよ。


 それをさ、そんな近所迷惑なことしか出来ないお前らがさ、偉そうに笑ってんじゃねえよ。勝ち誇ってんじゃねぇ。


「排気ガス振りまくヒマがあったら社会の為に働け……」


 フリーターをなめるな。

 フリーターをなめるな……。


 フリーターをなめんな……!!


「働けやコラァァアア゙!!」

「頭おかしいんじゃねぇのお前!?」


 ヤンキーらには頭がイかれたと勘違いされたが、俺は凄みをきかせたつもりで心底から叫びまくった。


 もういい、もういいよ。

 気に入らないなら殴ってみろよ。どうせそれぐらいしか出来ないんだろ、馬鹿野郎。こんな奴らに自分の感情爆発させてブチ切れた俺も大した馬鹿野郎だけどな。


 次に来るだろう衝撃に歯を食いしばる。


 あ。なんかどっかで見たような光景。これデジャヴだ――。


「……お前らうっさい…………。いい加減黙れ」



 ヤンキーの拳が襲いかかってくる、その瞬間。


 平井さん、の声。

 だけど、なにか変だ。


 見れば、別人のように表情をキツくして、腕組みをしながら氷のような眼差しで俺達を見る。


 平井、さん……?


 視界に何かが映り込み。


 ぐちゃっ――、と。

 柔らかいものが直ぐ目の前に落下したのが、その時。


 何かが、上から降ってきた。


 そして、……コンクリートの地面に落下した。

 あまりにも唐突過ぎて、誰もがその状況を理解できず、空気が凍る。


 ヤンキーですら無言でそれを凝視し、俺も驚いたのと、それがなんなのかという認識が出来ず。目を見開いたまま地面を見た。


 見たものを簡単に言うと。

 とても柔らかくて、赤黒い。


 脳がそれを勝手に解析していく。


 ぐずぐずに崩れた……肉の、塊。それでいて鼻を刺すような、とても臭い、けど……ぼんやりと。

 何かの面影を残す……それ。


 目も背けたくなるぐらい醜いそれ。


「あ……あ、……」


 落下物の正体が分かってしまった途端に言い表せられぬ程の怖気が走る。


 まさかなんて誰も思いもしなかったろう。


 俺とリーダー格の目の前には、数日前に轢かれて原型を留めていない腐った肉となり果てた猫の死骸が無造作に転がっていた。


「お……い、なん、だ……」



 リーダー格もどうやらそれがどんなものか理解したようで、汚物を見るような顔をした。


「……きもっ……」


 そう言いたくなるのも無理はない。


 鼻腔を刺す腐敗臭。口や腹から飛び出たものは最早目も当てられない。腐って溶け出したのか眼球がだらりと零れて、これじゃあまるでゾンビだ。


 そんなものが頭上から落ちてきたのだ、流石のヤンキー達もビビりまくっていた。


 来た時は道路にいなかったはずの猫。なんでこんなところに。埋められたんじゃなかったのかよ、なんなんだよ。


 これは……。



「うわぁああ!?」


 一人が悲鳴を上げて数人がそこから遠ざかる。


「こい、つ……」

「いきてる……」


 降ってきた猫の死骸。

 ぐずぐずの肉の塊、生きているはずがない、はずがないのに……。


 何故かそれは、呼吸するように裂けた胸を微かに上下させ、腐りきって異臭を放つ臓器をびくびくと動かしていた。


 そんなこと有り得ない、そう思うだろうが、その場にいた全員がそれを目の当たりにした、信じがたい光景を。


 死んでいるはずの個体が、まだ生きているかのように動く奇妙で、怖ろしい様を。


「こいつ……、俺らが轢いた猫じゃね……っ」

「なんで……動いてんだ、とっくに死んでんだろ……?!」


 非現実的な現象に先に恐怖を溢れ出させたのは取り巻き達で、顔をひきつらせながら好き勝手に騒ぎ立てる。


 何が起こっているのか把握できずパニック寸前なのはこっちも一緒で、猫の死骸がひくひく動く度に俺の呼吸も不規則なものになっていく。


 また……、前回と同じようなことに巻き込まれているのか、俺は。


 リアルな音を立てて収縮する内臓に吐き気がしてきた時だ。


「うっ、ェエエ、ッ……!」


 目の前のリーダー格がいきなり嘔吐し始めた。

 コンクリートに大量に吐き散らして、膝を折り、そのまま苦しそうに腹を捩らせる。


「ォ……あ゙……っ、うぐふッ」


 口から舌を出し、体を激しく痙攣させるリーダー格は、グロテスクな猫の死骸を見て気分を害したようには見えず、誰がどう見たってそれはそれは異常な状態だった。


 天罰くだれ――。

 俺は、そいつに吐き捨てた言葉を思い出す。


 天罰。

 まさに。

 これは、天罰。


 コンクリートに苦しみの声を上げてのた打ち回るそいつに、ヤンキー共はより一層動揺を露わにして、誰もが皆開いた口を塞ごうとはしなかった。


 生温かい夜風が、雑木林から吹き抜けて俺達を飲み込む。


 やがて一人が堪えきれなくなり、大声で叫んだかと思ったら、奇声を上げながらバイクに飛び乗り大慌てで発進させた。


 それによって恐怖が感染したのか取り巻き達も我先にと逃げ出し、その場から離れていく。


「おい……、やべぇだろあれ」

「俺じゃない、俺は轢いてない……!」


 動揺を剥き出しにして、一人また一人と逃げていき、リーダー格の一番近くにいた二人は最後まで残ったが、コンクリートの上で吐き尽くして胃液を口から垂らすヘッドの有り様を流石に不味いと思ったのか、二人掛かりで支え、引きずるようにしてバイクに乗せると俺達に振り向くこともせずに去って行った。


 嵐のように去っていた暴走族がいなくなると、コンビニ周辺には奇妙な光景だけが残った。


 奴らが散らかした食物、煙草の吸殻、胃液混じりの嘔吐物、そして……、どこからともなく降ってきた猫の死骸……。


 暫くは何も言うことが出来なかった。

 足元に転がる猫の死骸に目をやれば、まるでさっきのことが嘘のように、悪臭を放ってはいるが、そいつはぴくりとも動かず、腐敗したただの物体でしかなかった。

 今のは……、いや、でも確かに見た。


 この死骸が、飛び出た内臓が微かに動いたのを。

 心臓が、いつまで経っても派手に鳴り続けている。


「掃除、しなきゃだね」


 何事もなかったかのような平井さんの声がして、恐る恐る振り返れば、彼女はいつもの穏やかな表情に戻って少し困ったような顔をして首を傾けていた。

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