幼馴染のプリズナー【CERO D】

綾乃葵

第1話

 彼女……が泣いていた。


 僕の、彼女じゃない。


 幼なじみの女の子、沙樹だ。


 そして僕は悲しみのはけ口としてここにいるんだ。


 沙樹は僕の彼女じゃない。


 今、僕は彼女の話を聞くためにここにいる、僕が出来る事って今はそれくらいしかないから。

涙の理由は、彼氏に振られたんだって。


 嗚咽を漏らしながら、ところどころ言葉が途切れ途切れ、悲しみと悔しさとやるせなさで上手く言葉にできていないようだった。


 時間にして20分ほど。


 うんうん、と沙樹のペースに合わせ相づちを打ちつつ聞き出した話は、トドのつまり、付き合っていた彼氏から「他に好きな子が出来たから、もうお前とは付き合えない」だった。


 例の彼氏と付き合っていた頃、沙樹から話を聞いたことがある。

今の彼氏がかっこいい、ラブラブなどと。

彼、ショートカットが好きなんだー。だからずっと伸ばしてたけど、思い切ってばっさり切っちゃった。彼、かわいい系が好きだから、フリフリのピンクのかわいいワンピも買っちゃった。

などと、のろけ話も何度と聞かされたことか。


 沙樹なりに色々と頑張っていたのに。

 世の中は理不尽だ。


 そんな彼女に僕は。

「沙樹はさ、彼氏のために色々頑張ってたと思う。髪型も、服も色々彼氏に合わせてたもんな。なんていうか、その好きになりすぎてさ、つかれちゃったんだね。だから今度は疲れない相手、探しなよ。あんまり気張りすぎると空回りしちゃうからさ」


 僕なりに言葉を選んで繕った言葉。

そんな僕の言葉に沙樹は。

「……君はいつも優しいよね……。私。好きになっちゃうかも……」


 しおらしい顔で。

 猫が餌をおねだりする上目遣いで。

 そんなことを言ってきた。


 その言葉に僕は、淡い期待と失望の念を抱かざるえなかった。

 この先の言葉選びを間違えなければ、ずっと好きだった彼女を自分のモノに出来るかもしれない。

 だけど、自分が欲しかった気持ちってそんなものなのだろうか?

 彼女は、ただ単に彼氏という心の支えを失って、側にいた僕にその寂しさをうめてもらいたいだけじゃないのか?

 僕はていのいい沙樹のおもちゃなのだろうか?


 ずっと前から。

 ずっと前から、彼女の事を見ていた。


 ずっと近くにいたはずなのに。

 彼女と僕の距離は、僕が思っているより遙かに遠かった。


 今、この時。この瞬間。

 ノベルゲームの選択肢が僕の前に出てきた――――気がした。


 理解しているはずだった。

 これは分岐点だ。


 今の僕の気持ち。

 一体どうしたいのだろう?

 僕は、スリープモードだった脳を急速にフル回転して現状を把握する。


 今の気持ち、そもそも僕は本当に彼女のことが好きなんだろうか?

 一度は人のものになった彼女を、僕は今でも好きでいることが出来るだろうか?

 彼女は本当に僕のことが好きなんだろうか?


 ――小さい頃。

 僕は沙樹といつも一緒に遊んだ。

 家が近いこともあって、よくお互いの家で遊んだ。

 家族ぐるみでの付き合いだった。

 大きくなったら僕のお嫁さんになる! なんて言ってくれるかわいい沙樹と将来絶対ケッコンするんだって意気込んでた。


 そう、信じて疑わなかった。



 転機がきたのは中学2年の夏だった。

 沙樹に彼氏が出来たのだ。

 そのことを知ったのは沙樹の家に同じ地区の回覧板を持って行った時のことだった。


 中学に上がって思春期を迎えたせいか、お互いに前ほど交流はなくなっていた。

 男女一緒に遊ぶということにお互い恥ずかしさが芽生えていたからである。


 久しぶりに沙樹の家の玄関に立ち、インターホンを押す。

 見慣れたレンガ調の外観が妙に懐かしかった。


 沙樹の家に来たのは久しぶりだ。

 中学の入学式の後、娘の晴れ姿に浮かれた沙樹の父親が、一緒に記念写真を撮らせて欲しいということで、最後に行ったっきりだ。


 ちょうどその頃の僕は女と遊ぶなんて格好悪いなんて思ったりする思春期病真っ最中だった事もあり、家に行くこと事態内心嫌ではなかったが、いつまでも沙樹と遊ぶ俺かっこわりぃなんて考えていた為、写真を撮ったその日以来、沙樹の家に行くことはなかった。


 出迎えた沙樹の母親は。

「あら、久しぶりじゃない! 最近うちに遊びに来ないからおばさんちょっと心配してたのよ。部活とか忙しいの? 沙樹も部活忙しいみたいだしね! あ、そうそう。沙樹に彼氏出来たみたいだけど、あなたち付き合っているの?」


 笑ってそう言った。


 全く寝耳に水だった。

「……いえ、彼氏出来たんですか?」

「あら、知らなかったの? てっきり私は沙樹は君と付き合っているのかと思ったけど」

言ってはいけなかったような顔をして沙樹の母親は「ごめんなさいね」と一言言って回覧板を受け取った。


 後日、沙樹に真偽を確かめるべく彼女に電話した。

 相手は沙樹が所属している吹奏楽部の先輩だった。

 先輩から好きだ付き合ってくれと言われたらしい。


 電話越しの沙樹は笑って答えた。

『うん、本当だよー、今めっちゃ幸せです! 君も早く恋人みつけなよ!』


 そういえば、沙樹の母親から沙樹が付き合ったことを知る前に、彼女は言っていたような気がする。

「部活の先輩がさー最近すごく優しくしてくれるんだけどねーこれってなんかあるのかな?」

「ふうん」

「ちゃんと聞いてる? もし、告白されたらどうしよー」

「告白されるわけないだろ……つか、お前の恋愛に興味ないし」

僕は興味なさそうに答えた。


「ねえ、私が君のこと好きって言ったら、どうする?」

「……しらねえよ」

「私、長瀬沙樹は君のことが好きです!」

 嘘めいたような口振りで沙樹はそう言った。

「は? 冗談言うなよ! そんなわけないだろ!」

 僕が返した言葉は真意ではなかった。

 冗談だとしても、大好きな沙樹からあらたまってそんなこと言われると恥ずかしくて、気持ちを見透かされた気がして、つい強い口調で否定してしまった。

 その言葉に対して『はは! そうだよね~!』なんて、笑いながら返答すると思っていた。

 だが、僕の予想に反して沙樹は


「……そっか……」

 と、小さく呟いた。


 先程の明るい声のトーンとは明らかに異なるものだった。

 悲しそうに沙樹はそう呟いた。



 沙樹に彼氏が出来てから、小さい頃思ってたそんな純粋無垢な気持ちも、今となっては何処へ行ってしまったのか。

 一度、人のモノになってしまった沙樹の事を僕は好きになれるだろうか?

 ――僕と付き合ってれば捨てられることも無かったのに。


 内心、ざまあみろという邪な気持ちと、今の僕なら、沙樹を振り向かせることが出来るかもしれない。という気持ち。

 そんな汚い考えが浮かんでしまうのは多分、僕が汚れてしまったからだろう。

 僕はその2つの気持ちが入り交じって、どうしたらいいかわからなくなっていた。


 あんなに、沙樹の事が好きだったのに。

 彼氏が出来たとたん、好きという純粋無垢な気持ちと裏切られたような気持ちになって、何故かどうでもよくなっていた。

 誰よりも、一番側にいて、ずっと見ていたはずなのに。

 手を伸ばせばすぐに届くほんの短い距離なのに。

 僕にとってその短いはずの距離は、とてつもなく遠い距離だった。


「ねえ」


 彼女はぽつりと呟く。

 涙でグショグショになって真っ赤に腫れ上がった目で僕を見つめて。

「なに?」

「もし、もし。だよ……私が君のこと好きって言ったらどうする?」

「……えっ……」

 唐突な。

 あまりに唐突な沙樹の言葉に、僕は驚いて彼女へ視線を移した。


 何処かで――。

 今、この瞬間。僕は遠くない昔に同じ事を言われたような既視感を感じていた。

「…………」

「ねえ。私ってバカだよね。こんなこと君にいうなんてさ……私は君のこと好きだった」

「あたしってずるい女だよね。本当は気付いてたのに。君の事本当は前から――」


「やめようか」


 彼女の言い掛けた言葉を遮るように僕はそう切り出した。


 答えは――決まっていた。


「僕は君の彼氏にはなれない。いなくなった彼氏の代わりにはなれない」


「違う……違うの……そんなんじゃないの」


「違わないよ。何が違うって言うんだ。僕は彼氏の代わりじゃない」


 彼女は分かっていたはずだった。僕が沙樹の事を好きだってことは。

 自分に好意を持っていることを知っていて、沙樹は言っているのだ。

 僕のことが好きだと。

「私は……っ、本当……は……前から君のこと……」


 好きだった?か?


「それならっ! 何で! 先輩と付き合ったんだよ! 僕も、沙樹の事好きだった! なのに、なんで……なんで」



『じゃあなんで!? ずっと側にいた僕じゃないんだよ!! 好きなら、僕の気持ちを知っていながら何で先輩なんかと付き合ったんだよ!! そんな沙樹はいらない!! そんな沙樹は大嫌いだ!!』



 その言葉を沙樹にぶつけた瞬間――――すべてが壊れた気がした。




 僕が選んだ選択肢は、最終的にどのようなエンディングへ向かうフラグなのか容易に想像できた。


 高校三年生、卒業間近の冬のことだった。




 気が付けば、あれから5年という月日が経過し、大学へ進学、そして中小企業へ就職というごく当たり前のエスカレーターを上っていた。

 唯一、当たり前でなかったのは女という出会いの宝庫である大学生活において、胸に今も蟠り続ける沙樹への思いを忘れられず、僕は自分に近寄ってくる女性の存在を無意識に避けるようになっていたことだった。


 あの時、終わったはずだった。

 だけど、どこかで、叶うはずのない願い、希望のようなものを抱いていた。

 もし、どこかの街で偶然出会い、傷ついた僕達の心を5年という月日、時間が解決してくれるように。

 絶望的ともいえる暗闇の底に差し込むほんの小さな希望の光、それが偽りの光だとしても、僕はそれに縋って、ただひたすらがむしゃらに前に進むことしか出来なかった。


 心の奥底では、それが絶対に結ばれることのない恋だと理解しているはずなのに。

 認めたくなかったのだ。


 ある日、沙樹から一通のハガキが僕の家に届いた。


『私たち、結婚しました』

 幸せそうな笑顔のウェディングドレス姿の沙樹と傍らに寄り添う僕の知らない男性の写真がプリントアウトされた年賀状だった。

 そして、青いペンの小さくて綺麗な文字で僕へ当てたメッセージが書かれていた。


 今でも、君のことが好きです。

 ずっと伝えるべきか、悩んだのだけれども、ちゃんと伝えようと思って書きました。

 小さい頃からお互い大好きでいっぱい遊んだね。

 先輩と付き合う前、本当は君が好きだったんだけど、君は私の事好きかどうか試す為に尋ねたことあったんだけど覚えてる?

 あの時はお互い子供だったから変な意地の張り合いしちゃったよね。でも付き合ってからも私の相談に乗ってくれたり、凄く優しくしてくれて、先輩と別れた後もお互いに意地の張り合いで喧嘩しちゃったよね。

 あの時、君と付き合ってたら。今どうしていたかなあ。あの頃は若かったね。多分今と変わらず幸せになっていると思います。過去の話なんか、どうでもいいね。私は今、幸せです。

 今の私があるのも、あなたのおかげです。

 最後に。

 優しくていつも側にいてくれた君に、素晴らしい相手が見つかると信じています。


「きっと。あなたなら、大丈夫だよ」


 愛を込めて。松田沙樹(旧姓 長瀬沙樹)

 2011年1月1日




 そのハガキを読み終えた僕は、もうなにもかも終わってしまったのだと。

 手を伸ばしても、もう絶対手の届かないところに行ってしまったのだと。


 やっと、全て理解して、

 僕は、泣いた。







そして、もう、彼女は泣いていなかった。
















「どうだった?新作のゲーム。僕なりにかなり頑張ったんだけど?」

にこやかな笑みで、白衣の男は言った。

 フルフェイス型仮想VRマシンのヘルメットを脱ぎ捨て、僕は答える

「ああ、はっきりいってクソゲーだよ。これは……。なにが悲しゅうてビッチ化した売れ残り幼なじみを引き取らないといけないんだよ!」


 強がりだった。


「はは、上質なNTR(ネトラレ)恋愛に仕上げたつもりだったんだけどなあ。お気に召さなかったみたいだね」


「…………俺がNTR属性大嫌いだって知っててわざと仕込んだよな…………?

同級生のよしみでVR新作ゲームのモニターやらせてくれるのは嬉しいんだけどさ、これ嫌がらせって言うんだぜ?」


「君の皮肉が聞きたくて選んだんだよ。やっぱ最初にプレイして貰うのは君しかいないってさ。それに、でも、今は後悔はしていないんだろ?

人間の深層心理に働きかけて、望んだシチュエーションを作り出してくれるVR恋愛シミュレーションゲーム。

ゲーム内でプレイヤーと脳内メモリーから作成された過去の自分と向き合えるなんて画期的だと思うんだけど?君みたいな現実否定派なんてそれがゲームって分かってたら感情移入できないだろ。今回の実験で君が途中でゲームやめなかった事が深層心理システムが上手く機能してるって証明にもなったし、成功と言えるね」


「ゲームに没入してる間は現実世界の記憶をシャットダウンすることによってゲームであると疑わなくなる。ってやつだろ。確かに、それが無かったらゲームが終わる前にこのVRヘルメットを投げ捨てていたな」


「そう! このゲームは夢を応用したVRSLG。従来のバーチャルシミュレーションと違って、プレイヤーの過去の体験から夢をみさせることによってゲームだと疑うことなくゲームに没入することが出来る! 一時期流行ったVRMMOなんて目じゃないと思わないかい? 恋愛シミュレーションにおいて一番必要なのはそこに入り込むことで主人公としてリンクすること。だからこのシステムは素晴らしいと思うんだ!そこんとこどうよ?」


「確かにそうかもしれないな、ちなみにこれは医療用だろ?」


「そうだよ。退行催眠療法というものがあるだろう?こいつは催眠術の代わりにバーチャル空間で過去を疑似体験することで自分と向き合うことが出来る。VR療法と言われる新しい治療法だよ。勿論、医療機器としても特許出願中だ」




「君は、やり直したいっていったよね?

だから――夢の中、ゲームの中だけでもやり直しさせてあげようと思った

でも、君はこのゲームを162回ループしたのに選択肢を変えなかった。

つまり、君はどちらに転んでも同じ選択肢を選んだんだよ。

現実でも、夢の中でも、ゲームの中でも。

もう一度聞こう――――後悔は、していないんだろう?」



「……してないさ」



 好きな子に告白しなかったあのときの自分が嫌になった

 卒業してだいぶ経つのに忘れられない

 学校の前、偶然会ったお店、当時彼女が住んでいた町へ自然に足が向かってしまうのだ。

 そこに彼女がいるはずがないのに。

 冗談で言ってくれた「好きだよ」の言葉に。

 僕は照れくさくて、気持ちを見透かされた気がして

「そんなわけないだろ」と否定するしかできなかった。


 あの時――。


「俺も本気で好きだ」と言えば良かった。


 言って、抱きしめれば良かった。


 もし、あの時。自分の本当の気持ちを伝えていたならば、僕は今、彼女と何処で何をして、何を考えているだろう。

 人はきちんと終わりの形を取ることの出来なかった思いを胸に抱き、生きている。

 過去があるからこそ、今の自分がある。

 そして、今僕は乗り越える。

 過去に囚われた自分自身を――




「最後に聞いていいかい?」


「何だよ」


「君にとってこのゲームはバッドエンド?それともハッピーエンドかい?」


 僕は答える。


「そんなの決まっているだろ―――トゥルーエンドだよ」

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