Episode-2.黒猫の変身

 


 時の流れは何とも不思議な物である。


 今朝は通勤や登校する者で賑わっていた街道も、お昼時を過ぎれば人の少なさに何処か物寂しさを感じてしまう。


  時たま空を飛ぶ雀の明るい鳴き声が、溜まりに溜まった寂寥感に追い討ちをかけるかのように響いていた。




「………はぁ………」




 そんな寂しさに包まれた街道を、幼馴染み達に置いていかれた神城かみしろ達哉たつやが溜め息混じりに歩いていた。気分を滅入らせ辿々しく歩きながらも、一歩一歩確実に自宅への距離を縮めていく。


 ただ話を聞いて座っていただけの入学式、普通なら『新たな学校生活の華やかしい幕開け』と連想される筈だが、儀式的な時間が大の苦手な彼の前では『拷問』としか認識されなかった。


 一時間強の長く苦しい戦いを乗り越えた達哉は既に満身創痍。もう一度でも強い衝撃が来れば、たちまち彼の精神は崩壊してしまうだろう。




「………ったく、これだから入学式は………虫酸が走って仕方がねぇ」




 負のオーラを滲ませながら歩く達哉の姿は、第三者から見れば非常に怪しく見えてしまうのだが、彼には周囲の視線などを気にしている余裕はなかった。




「………佳祐けいすけ叔父さん、一体何処にいるんだ………」




 彼の叔父、神城佳祐の失踪事件から早三年。達哉と警察達は今も捜索を続けているが未だに足取りを掴めていない。


 警察ならまだしも、達哉は高校一年生になったばかり、探すことのできる行動範囲は高が知れている。それは達哉自身が痛いほど理解していた。




 ………もし、佳祐叔父さんが見つからなかったら………




 突如として頭に浮かんだ不吉な言葉を振り払い、自らの拳を力強く握りしめる。




「………絶対見つけ出す、だから、絶対無事でいてくれよ」




 達哉の持つ精神力と意志の強さは、常人が持つそれを遥かに上回っていた。自分に関することへの決断力と、それを達成するまで消えることのない執着心と闘志を持つ、数少ない人間の一人である。



 しかし、そんな達哉にも心の迷いは存在する。

 入学式ジゴクでの校長の話、その中で唯一頭に残っていた言葉を達哉はそっと呟いた。



 

「………人生に張り合いを、か………」




 口にした途端、達哉の秘めていた迷いが大きく膨れ上がっていく。


 彼はこの三年間、佳祐の捜索以外に関心を寄せる事なく日々を過ごしてきた。学校行事には必要以上に打ち込まず、捜索の妨げになるという理由で部活動にも入部していなかった。


 そんな中学生らしからぬ生活が、達哉の感覚を麻痺させてしまったのだろう。彼は自分でも気づかないまま、自分と佳祐に関すること以外の『何か』に期待するのを止めてしまっていたのだ。


 達哉は暫くその事についてぼうっと考えていたが、ふと前髪を掻き上げポツリと小さく呟いた




「………ま、どうでも良いか、そんなもん。さっさと帰ろ」




 体が軽くなったのを感じた達哉は、神城家へ通ずる街道を早歩きで進み始めた。





 ーーーーーーーーーーーー




「………」




 急ぎ気味で自宅に向かっていた筈の達哉の歩みが、ピタリと効果音が出そうなほど綺麗に止まる。


 達哉の眼前の状況、少なくとも彼は初めて見る光景だった。


 彼を通させまいと言わんばかりに足元に佇む者、それは………




「………黒猫?」




 一匹の小さな黒猫である。


 くりくりとした愛らしい目を持つ黒猫が、猫特有の品を感じさせる優雅な座り込みで彼の前に立ち塞がっていた。


 猫の事にはあまり詳しくない達哉だが、その猫が"ただの黒猫ではない"ことは容易く理解できた。


 まるで人が着るような女性物のブレザーをその小さな体にまとい、頭には既に猫耳があるというのに、白い猫耳ベレー帽を被らせられていた。装飾品を付けられるのを嫌う筈の猫にとっては、相当な重装備である。




「珍しいな………これだけ付けられてるのに嫌がらないのか?」




 達哉はその場に屈み込み、目の前の黒猫を観察し始める。


 まだ子供なのか、普段見かける野良猫に比べると小さな方だった。達哉を見詰めるそのつぶらな瞳は、どういう原理でそうなっているのか気になってしまう程綺麗な緋色に染まっていた。




「見れば見るほど不思議な猫だ………」




 一通り観察を終えた達哉は立ち上がると、周囲に聞こえない程の小さな声でそっと猫に呟いた。




「………飼い主が心配してるぞ、さっさと家に戻れ」




 すると黒猫は、達哉の言葉を理解したかの様に「にゃー」と声をあげた。その姿を見た達哉は「よし」、と頷くと家に向かって歩きだした。




 ーーーーーーーーーーーー




 猫の観察から五分ほど経過した。


 自宅の屋根が見え始める距離まで来た達哉は、えも言われぬ満足感を感じていた。




 ………しかし、彼は今大きな問題を抱えている。




 達哉はしかめっ面で振り返り、後ろを尾けてきた者の姿を改めて確認する。




「………戻れっつったのに………あの猫め………」




 先程観察した黒猫が、達哉の後をぴったりと付いて来ていた。

 達哉が歩くと猫も歩き、達哉が止まって振り替えると猫も止まる、という何とも不思議な『だるまさんが転んだ』を繰り広げていた彼等。


 達哉がどんな手を使おうとも、黒猫は諦めようとしない。そしてとうとう、達哉の家の近くまで来させてしまった、という訳なのだ。




「どうするか、あいつをこのまま飼うわけにはいかねぇし………」




 うーんと唸りながら進む達哉、その間も黒猫はずっと付いて来ている。早くどうにかしないと、という達哉の心の叫びも空しく、とうとう玄関の前まで辿り着いてしまった。


 こうなったら仕方がない、大きく深呼吸をした後荒療治に出る覚悟を決める。




「こいつが入ってくる前にドアを閉めれば良いんだ。そうなると、ドアを閉めるスピードに懸かってくる訳だが………」




 正直、これはとても危険な賭けだ。下手をするとドアに体を挟ませ、この猫に重傷を負わせてしまう可能性がある。それに、達哉には確実に『成功する』と言えるような勝算はなかった。




「………っ、なんでこんなに悩まなくちゃいけねぇんだ………馬鹿らしい………」




 苦虫を噛み潰したような表情で頭を抱える達哉。早く終わらせてしまおう、と切に思いながらドアノブに手を掛けた。大きく深呼吸を一つして集中力を高めていく。




「………おらっ!!」




 威勢の良い掛け声と共に、勢い良くドアを開け、勢い良く中に入り、勢い良くドアを閉める。


 ………作戦成功。


 どうやら黒猫を挟むことなく、むしろ一歩動く暇さえも与えず、閉め出すことが出来たようだ。ホッと安堵の溜め息を吐き、肩を回す。




「なんとかなった………作戦大成功、ってところだな」


「にゃー!」




 隣から聞こえてきた同意の声に、達哉は満足気に頷いた。




「うんうん、やっぱそうだよな………………っ!?」




 あまりのショックに達哉の体は固まってしまう。


 先程あの黒猫は一歩も動いていなかった。しかも、達哉は絶対に入れさせない、という一心でドアを動かしていた。そんなハイスピードで動くドアを掻い潜り、玄関の中に入るのは至難の技、否、"ただの猫"には不可能だ。


 なのに猫の愛らしい声が聞こえる、一体どういうことなのだろう。


 達哉は声がした方をぎこちないロボットのようにして振り返った。



 すると、そこには………




「にゃん?」




 先程の重装備黒猫が、不思議そうに首を傾げながら鎮座していた。




「………嘘だろ………」




 がっくりと肩を落とす達哉。そんな達哉を嘲笑うかのように、黒猫は廊下を駆けていく。



 

「あっ!おいこら、待てっ!!」



 

 逃げる時に『待て』と言われて待つ者はいない、黒猫はスピードを落とすことなく悠々とリビングへ侵入していった。




「逃がすかっ!!」




 後を追うようにリビングに走り込んだ達哉は、衝撃の光景を見ることとなった。






 白い猫耳ニット帽からはみ出る長く綺麗な黒髪をツインテールにしてまとめ、髪の色と同じ黒を基調にしたブレザーをそつなく着こなす少女が、テーブルの上に立ちながらリビングを見渡していた。


 身長から察するに歳は十四、五歳程、幼いその外見は中学生を思わせるが、その顔は、達也の両隣に住む幼なじみ達に負けないほど端麗で………可愛らしかった。






「………わぁ、予想以上に広いですねぇ!独り暮らしと聞いていたので、てっきり狭いものだと思ってましたが………」




 今の達哉の目には、『見知らぬ美少女が自宅のテーブルの上で、嬉々として部屋を観察している』という普段見ることのない奇妙な光景が見えていた。


 あまりにも突拍子もないその光景に、達哉は少女を呆然と見つめることしかできなかった。そんな達也にようやく気がついたのか、少女は満面の笑みを浮かべながら達也に話しかけてきた。




「貴方が達哉様ですね!今日からお世話になる予定の『さくら』です!これから宜しくお願い致しますね!」




 ペコッと頭を下げる"桜"と名乗った少女。


 そんな桜に言いたいことが沢山あり過ぎて、おろおろと狼狽する達哉だったが、これだけは言って置かなくてはならない。


 達哉は驚いて高鳴る心臓を落ち着かせながら、少女に一言。







「………………テーブルの上に乗らないでくれるか?」

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