8.暗中模索

 一体、迷宮が崩壊してからどの位の時間が経ったのか――小休止を挟んでいるとはいえ、不眠での行軍は俺達の体力を確実に削りつつあった。罠や魔物への警戒に常に気を配っている事による精神的疲労もそろそろ限界に達しつつある。アーシュの魔法の眼鏡による探知がごく僅かな魔力しか消費せず、いまだに魔力を十分に温存出来ている事はせめてもの救いではあったが……体力が先に尽きてしまえば、魔法を発動するどころの話ではなくなってしまうだろう。

 せめて、仮眠程度でもいいから交代で睡眠を取った方が良いのだろうが、今の俺達の一番の敵はだった。……食料がもう、殆ど無いのだ。時間をかければかけるだけ、空腹による更なる披露、そしてその先に待っている「餓死」の二文字に近付く事になる。下層での探索に時間をかけず、ある程度の割り切りでもってルート選定してきたのもそれが大きな理由だ。


 俺の非常食袋に残っていた申し訳程度の量の干し肉は、既に三人で分け合った後だった。それぞれの裁量で少しずつ消費しているが、俺の分はあと三口分程度しか残っていない。アーシュとドナールの分も、恐らくは同じ程度かもしくはより少ない位だろう。残念ながら、先の「薬草園」では食用に耐えられる植物を発見出来なかったので、手持ちの干し肉が無くなれば後は水だけで耐え凌ぐしかなくなるだろう。

 ……逆に言えば、水が補給出来るだけマシなのだが。


 ――薬草園を過ぎ、次なる階層へと辿り着いた俺達を待っていたのは、慣れ親しんだ「普通の迷宮」だった。天井も床も壁も、カミソリ一枚入らないのではないかという位に精緻に組み上げられた石の通路、それがいくつにも分岐し、複雑な迷路を形成している。そこら中に機械仕掛け・魔法仕掛け問わず罠が仕掛けられており、ちょっと足がもつれる程度の嫌がらせのような物から、鋭い鉄槍が飛び出してくる即死級の物まで、様々な罠の歓迎を受ける事になった。


「――下層みたいな一本道や変わり種と違って、普通の『迷宮』っぽくなってきたわね。往路を思い出すわ……まだ数日前のはずなのに、なんだか遠い昔の出来事みたいに感じてきた」


「……ですね。最初の頃は皆さん、遺跡探索慣れしてなくて色々大変でしたが、すぐに順応しましたよね。ダリルさんなんかは冒険者をやっていた事もあるらしくて、最初から堂々としたものでしたけど」


 何やら感慨深げに呟いたアーシュの言葉がどこかおかしくて、俺は思わず茶化すような答えを返してしまった。


「あーもう! 最初の頃の事は忘れて! 私も座学にかまけてフィールドワークを疎かにしていた事、すっごく後悔したんだから!」


 最初の頃に、魔法装置や魔物への興味が優先してしまい何度も危ない目に遭った事や、魔法の罠の知識を披露していてまさにその罠にはまりかけた事等を思い出し恥じたのだろう、アーシュがいつになく子供っぽい口調で怒りだした。普段の才女然とした振る舞いとのギャップに、ドナールと共に思わず吹き出してしまった。


「な、何ですかドナール様まで! もう! ホワイト君も笑いすぎ!」


「ハハハ、いやいや、すいません。アーシュさんがあんまり可愛らしかったもので」


「なっ!?」


 俺の「可愛らしい」という言葉に反応したのか、アーシュが顔を真赤にして絶句する。普段は「大人の女」ぶっている彼女だが、その内面は実は乙女なのかもしれない。そのまま小さくうつむいてしまった彼女は、少しだけ黙った後、小声で意外な話を切り出してきた。


「……もう少し位くだけた口調の方が、いいのかしら?」


「え?」


「いえ、だからね……私の口調、少し堅いでしょう? それで、ホワイト君もいつまで経っても他人行儀な話し方なのかな、って。ドナール様に対しては分かるけど、年の近い私にもずっと敬語だから……。アイン様やリサちゃんと話す時みたいな自然体で接してくれた方が、私も話しやすい、かも……」


 アーシュがそんな事を気にしていたとは意外だった。俺としては、騎士や宮廷魔術師という位が高い二人に対して、あまり上品でない元々の口調で話すのは失礼かと思っていたのだが……どうやらかえって気を遣わせていたようだ。


「フフフ、ホワイト君。アーシュ殿は幼少の頃から宮廷魔術院という大人の世界で生きてきたので、同年代の知り合いが極端に少ないのだよ。気の合う友人ともなれば、更にね。幸い君とリサ君の事は迷宮探索を通じてかなり気に入っている様子だ。どうだね? ここは一つになってあげてはくれまいか?」


 すかさずドナールが俺の方によってきて、そんなアドバイスを耳打ちする。だが、彼のでかい声はアーシュに丸聞こえであり、彼女は気恥ずかしさからか顔を真赤にしながら「ドナール様! 余計な事を吹きこまないでください!」等と言いながらドナールの事をポカポカと叩き始めた。

 その様はどこか仲の良い父娘おやこか年の離れた兄妹を思わせ、そう言えばこの二人は遠縁にあたり、年端もいかぬ頃に宮廷魔術師への道を歩み始めたアーシュを、ドナールが何かと面倒を見ていたのだと以前に聞いた事を思い出した。しかしそれは、果たして誰に聞いた話だったか――。


「――と言う事で、ホワイト君。私に対しては敬語禁止ね! 『さん』付けもいりませんので、呼び捨てで結構よ!」


 どうやら、アーシュの中ではもう決定事項らしい。俺はやれやれと思いつつも、承諾の意味を込めて「分かったよ、アーシュ」と答えた。



 ――そんな心温まる一幕があったものの、俺達の現状が厳しい事には変わりはなく、その後も辛い行軍が続いた。通路はますます複雑に入り組み始め、マッピングを怠ればたちまち迷いかねない。罠もその数と凶悪さを増し、一瞬たりとも気が抜けない。そして遂に、この地下迷宮で一番厄介な連中が俺達の前に姿を現した――魔物の群れだ。


「こいつはまた……魔物の種類まで最初の頃と同じってか!?」


 思わずそんな叫びを上げてしまう程に、はこの地下迷宮でも他の古代遺跡でもお馴染みの連中だった。不定形で半透明、粘液ともゼリーともつかぬ酸性の物質で構成された身体を持つ不気味な魔法生物――スライムだ。


 元々スライムは、古代王国の魔術師が人造人間ホムンクルスの研究課程で生み出した失敗作だと言われている。知性らしい知性も見受けられず、ただ周囲の動くものに反応して体内に取り込もうとし、酸性の体内でゆっくりと溶かして栄養とする、実に単純な生態を持ち、当初は何の役にも立たないと思われていた。

 だがやがて、その性質を利用して普段人間が立ち入らぬ施設――それこそ、この地下迷宮のような場所――のとして使う者が現れ、いつしかそれが一般的になっていったのだという。何せ動くものなら何でも捕食しようとするのだ。ネズミなどの害獣駆除にはもってこいだったのだろう。当初は、酸性の身体で這いずり回る為に床や壁が傷んでしまうという欠点もあったらしいが、後に身体の表面に薄い膜を張るよう改造され、改善されたのだとか。

 だが、一つだけ魔術師達には誤算があった。当初、「成長」も「繁殖」もしないと思われていたスライム達の中に、際限なく巨大化していく個体や、一定以上の栄養を摂取すると分裂し始める個体が現れたらしい。スライムは魔法攻撃に非常に弱いので、駆除自体は簡単だったようだが、それも魔術師達がスライムを放った施設を管理出来ている間だけだった。


 やがて古代王国は滅び、いくつかの施設は誰にも知られぬまま眠り続ける「古代遺跡」となった。管理する者のいなくなった古代遺跡の中で、スライム達はのびのびと分裂や巨大化を続け……後の世の遺跡荒らしや冒険者達を、古代遺跡の探索において、まず最初に苦しめる定番の魔物となった。とある遺跡では、通路という通路にみっちりと巨大スライムが詰まっていた等という笑えないケースもあったという。


 俺達の前に現れたのは、どうやら分裂する方の個体らしい。道行く先にそのブヨブヨとした、緑がかった半透明の身体をゆらゆら揺らしながら十数体のスライムが徘徊している。こちらに襲いかかってくる気配は、まだ見受けられない。奴らは主に音や空気の流れで獲物の動きを捉えるらしいのだが、比較的近くまでしか感じ取れないらしく、十分に距離をとっていれば気付かれない事も多い。今がまさにその状態だった。


 スライムの魔物としての強さは、正直大した事がない。多少の戦闘の心得があれば一対一ではまず負けないだろうし、刃物や鈍器である程度ダメージを与えてやれば身体を維持できなくなりすぐに死んでしまう。だが、一度獲物を捕らえれば素早く鼻や口を塞ぎにかかり窒息死させようとしてくるので、数が多い場合には中々に厄介な敵とも言える。更に、個体によっては体内が強酸性を帯びており、攻撃した武器――とりわけ刃物に甚大なダメージを与えてくる場合もある。そうとは知らずにスライムを舐めてかかり、結果として返り討ちに遭う冒険初心者も少なくない位だ。


 大量のスライムと戦う場合の適切な対処法は二つ。一つは、奴らの弱点の一つである火を使う事。小さな松明程度では無理だが、油でも撒いて火をかけてやれば、奴らは実にあっけなく死んでしまう。だが、道具袋を紛失している今、油どころか種火も持ち合わせていない俺達にはこの方法は取れない。となると――。


「ホワイト君、ドナール様、ここは私が……」


 スッと、魔法の杖を構えながらアーシュが一歩踏み出す。――そう、ここはスライムのもう一つの弱点である魔法攻撃の出番だろう。となると、俺達三人の中でアーシュ以上の適任はいない。元が魔法生物な為なのか、はたまたなんでも吸収しようとする貪欲さ故なのか、スライムはある程度強い魔力をぶつけてやると一瞬にしてし蒸発してしまうのだ。魔術師にとってこれ以上くみやすい敵はいまい。


魔弾よミシル・マヒコ!』


 アーシュが古代語エンシェントを唱えると、彼女の頭上に何本もの「光の矢」が出現し、スライムの群れに降り注いだ。「魔法の矢マジックミサイル」の魔法だ。攻撃用の魔法としては基本にして王道とも言えるもので、この魔法の使い方一つで魔術師の力量を測ることさえ出来る。

 初心者ならば一回の詠唱でおおよそ一本の矢を生み出せるが、この矢は一度狙い定めて放てば、目標が動いていてもある程度は追尾するという性質を持っている。威力も、大の大人が棍棒こんぼうで殴りつけた程度にはある。弱い魔物相手ならば、距離をとってこの魔法を使っていれば近寄らせずに倒す事も可能だ。

 そして使い手の力量によって、一度に生み出せる矢の数、一本の矢の威力、射程、速度等を自在に調整出来るのも特徴だ。威力を落とす代わりに大量の矢を生み出しその物量でもって敵を圧倒したり、逆に一本の矢に魔力を集中して速度・威力・射程を高め長距離狙撃を行ったり、シチュエーションによって何かと応用が利きやすい。アーシュがやったのは前者の方だ。


 あやまたず、全てのスライムに一発ずつ撃ち込まれた「魔法の矢マジックミサイル」は、見事にその全てを蒸発させてしまった。「蒸発」と言っても熱を発するわけではなく魔力的な反応なので、周囲の温度が上がるような事はない。ただ、少しだけツンとした酸の匂いが漂ってくるだけだ。少々呆気なくも感じるが、それだけアーシュが魔術師として優れている証拠であり、ここまで魔力を温存してきたお陰でもあった。

 ――もし、下層で大量のアンデッド達を倒す為にアーシュが魔力を使い果たしていたら、こうもすんなりとはいかなかっただろう。まともに睡眠も食事もとれない今の状況では、「魔法の矢マジックミサイル」を使えるまでに魔力が回復していたかどうか怪しいところだ。


「さ、先を急ぎましょう?」


 スライムを鮮やかに片付けたアーシュが、俺とドナールに笑いかける。何でもないような素振りを見せているが、その額には玉の汗が浮かんでいた。――魔法というのは、精神エネルギーたる魔力を己の肉体を介して物理的な現象へと変換する技術なのだという。その際、僅かながら肉体にも負荷がかかり、魔法を使えば使うほど少しずつ肉体的にも疲労していく事になる。「魔法の矢マジックミサイル」のように負荷の少ない魔法であっても、今のアーシュにとってはかなりの肉体的疲労感を伴うに違いない。魔力の前に体力が尽きるのではないか、という俺の懸念は的を射ていたようだ。


 一瞬、アーシュの身を案じて小休止を挟もうかとも考えたが、当のアーシュが「先を急ぐ」事を最善と考えている事は先程の言葉からも窺える。今はその思いを酌むべき時だろう。ドナールの方を見やると、彼も同じ判断らしく、静かに頷いてみせた。


「……そうだな、急ごう!」


 再び、俺達は歩き始めた。道程はまだ未知数、この先無事に地下迷宮を脱出できるのかどうか、その確信は全く無い。だが、今は歩みを止める暇はない。ひたすら前へ、前へ。

 きっとリサや、未だに安否不明なアインも、今頃上層を目指して歩み続けているはずだ。往路で散々に歩き回った為に分かった事だが、この地下迷宮は下層に行くほど広く、上層ほど狭いという、台形に近い全体像を持っているらしい。内部構造が組み変わっていても、全体としての大きさは恐らく変わっていないだろう。だから、各々が上層を目指せばそれだけ合流の可能性も高まるはずだった。アインもリサも、同じ結論に達しているに違いないと、俺は確信していた。

 もちろん、楽観論は危険だが、前向きさを失えば人は歩む力を失う。だから俺は、精一杯前を向いて歩き続けた。


 ――結果的に、その「前向きさ」が俺の命を永らえさせる事になる。しかし同時に、少しだけ立ち止まってを、後に俺は深く後悔する事になるのだが、この時の俺には知る由もなかった。


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