7.薬草園の恐怖
「――これはまた、見事な……」
傍らのアーシュが感嘆の声を漏らした。ドナールも驚きのあまり口が開いたままになっている。かくいう俺も、思わずここが地下迷宮の中だという事を忘れてしまいそうな目の前の光景に釘付けになっていた。
――そこは、種々の草花が生い茂る植物の園だった。地下には場違いなほどの緑が広がっている。
「天井全体が光っているようだが……これも魔法かね?」
ドナールの言葉にやや高い位置にある天井を仰ぎ見ると、確かに天井全体が均等に光を放っているように見えた。
「――恐らくは。この天井の灯りが陽の光の代わりになって、植物の成長を促しているんだと思います。地下植物園……確か、日照不足による不作への対策として古代王国で考案された施設だとか。私も実物を見るのは初めてですが……。これはなんとも、興味深い……文献通りなら、園芸用の
言うと、アーシュは興味深げに植物園の中を観察し始めた。知識欲に火が付いてしまったのだろう。時折、何やらぶつぶつ言いながらウンウンと一人頷いている。こうなった時の彼女は手が付けられない。地下迷宮に入ったばかりの頃も、珍しい魔法装置や魔物に出会うと危険も顧みず観察を始めて、俺達は非常に難儀したものだった。
今の所は敵の気配も罠がある様子も見受けられないが、かといってアーシュを放置するわけにはいかない。護衛の意味も含めて、彼女の後について俺も植物園の中を観察し始めた。ドナールもアーシュの悪癖をよく心得ているのか、無言で付いてくる。
植物園には格子状に細い通路が無数に走っており、それによっていくつかの区画に分かれていた。それぞれの区画によって栽培されている植物の種類が異なるようだが、同時にある共通点もあった。
「ここにある植物の殆どは薬草ですね。いくつか名前が分からないものもありますが……」
「なるほどな。つまりここは植物園ならぬ『薬草園』という事か。――ふむ、薬草ならば、もしかすると食べられるものもあるのではないかね、ホワイト君?」
「……どうでしょうね、俺が見覚えのあるものは、どれも苦みが強くて食用には向かないものばかりみたいですが。アーシュさんならもう少し詳しいでしょうけど……あの様子だとしばらくは手伝ってくれそうにないですね。――それにドナール卿、どちらかというと今必要なのは薬草の方じゃないんですか?」
「……気付いていたのかね」
「ええ、先程から尋常じゃない位に汗をかいてますから。傷が痛むんですよね?」
そう、ドナールはしばらく前からひどく汗をかいていた。最初は彼の重装備のせいかとも思ったが、その汗の量は尋常ではなく、彼の様子を注意深く観察していると何やら無理矢理笑顔を浮かべている事が多いのに気付いた。――迷宮崩壊の時に負った傷が痛むのを、俺達に悟らせない為だろう。
いや、正確には「俺達」ではなくアーシュに悟らせない為か。彼の負った傷は、アーシュを庇ってのものなのだ。彼女が気に病まぬよう、何でもない振りをしていたに違いない。
「そういう気遣いはドナール卿の美徳だと思いますが……今は生き抜く事を優先してください。肝心な時に動けなくなっているようでは、本末転倒です。いい薬草があったら、それで処置してから先に進みましょう」
「……すまん」
ドナールが深々と
それは、丁度薬草園の中央に鎮座していた。赤黒く毒々しい色をしたそれは――「巨大な花」だった。肉厚な五枚の花弁を持ち、中央は大きく落ち窪んでおり、
そこいらを物色していたアーシュもその巨大花に気付いたらしく、近寄ると花弁を杖で突いたり、花の中央部を覗き込もうとしたりと、興味深げに観察し始めた。そちらはアーシュに任せて俺は薬草探しを続けよう、と目を離した瞬間、それは起こった。
「きゃっ!?」
突然のアーシュの悲鳴に振り返ると、そこには――
「ちょっと、何? この触手!? やだ! 離して! このっ!」
巨大花の中央部からはい出た緑色の
「ア、アーシュさん!?」
「アーシュ殿!?」
彼女の危機を察し駆け出す俺とドナールだったが――
「ちょっ、変な所触らないでこの変態植物! あ、だ、駄目! そこは、ああ!!」
触手は容赦なくアーシュの身体に巻き付き締め付け、普段はゆったりとしたローブの下に隠されているその艶めかしいボディラインを露わにしていた。更にあろうことか、触手はアーシュのその豊満な胸や太ももをまさぐるように蠢き、その度にアーシュは何とも色っぽい悲鳴を上げていた。
『……』
――すぐに助け出さねばアーシュの身が危険なのだが……なのだが、彼女のあられもない姿を前に、俺は思わず動きを止めて見入ってしまった。傍らのドナールも同じく動きを止めているが、まさか俺と同じく下卑た情欲をそそられているのだろうか……?
「――って、イカンイカン! アーシュさん! 今助けますから!」
ハッと我に返った俺は、愛用の短剣を抜き放ち、アーシュを救うべく再び駆けだした。
「――ああもう、酷い目に遭ったわ!」
触手の纏っていた謎の粘液を拭いながら、アーシュが愚痴る。幸い怪我などは無いようだ。触手は力こそ強いが短剣で簡単に断ち切れ、思いの外アーシュの救助に手間取る事は無かった。ある程度距離を取れば触手が追ってくるような事も無いようだ。
「あの花、何なんですかね?」
「多分だけど……
「ゴミ箱……?」
「ええ。さっきね、触手に捕まった時に花の中がチラッと見えたのだけれど、そこには溶けかけた草花の束があったの。文献によれば、古代王国の地下植物園は、人の手を借りる事なく
「はぁ、
「あら、魔導の技は何も戦いだけのものではないわよ? 真理の探究や、人々の暮らしを良くする事こそ、魔術の本来の目的なんだから。古代王国期には、人が操る必要のない馬車なんてものもあったらしいわよ」
「それはまた楽そうですね。……でも、それだけ便利だと堕落しそうで少し怖い、かもな」
「……そうね、ヴァルドネルが語っていた事にも通じるけれど、古代王国が滅びた理由の一つは『便利になり過ぎて人々が向上心を捨ててしまったから』とも言われているわ。便利過ぎるのも考え物、という事かしらね?」
――そもそも、この薬草園は封印された地下迷宮の中にあって、長い年月を人間の手を借りずに存続してきた事になる。逆に言えば、ここには人間が必要ないのだ。そう考えると、どこか空恐ろしいものを感じた。
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