猿かくれんぼ、鬼ごっこ
シウタ
このお話に意味はない。
雪解けははじまっていた、新芽が顔を出す。太陽に照らされた白雪が光り出す頃、それでもまだ肌寒く生き物は皆暖かさを求めていた。
「鮫(ワニ)と一緒で猿って言ったらだいたい悪者扱いだ」そうつぶやきながらタイチは道の石ころを蹴飛ばした。
生暖かい風がタイチの頬を撫でる。
「こんなところにこんな道あったっけ」首を傾げるタイチ。
黒い穴道、そこの周りだけは雪がまったく残っていない。森を見回るのが僕の役目だ、でもばあちゃんが言っていた。
この先には行ってはいけない、穴道の先に行くと失ったものを取り戻せるけど二度と戻ることは出来ない。
鬼はいなくなった、鬼がいなくなってはいけない。だらかまたじゃんけんして新しい鬼を決めないといけない。
じゃんけんで負けたのはトンジだった、のろまなでぶっちょだから鬼ごっこじゃ勝負がつかない、だからかくれんぼにしたんだ。
「もーいーかい」鬼のトンジの声が聞こえた。少し待っても誰も答えない、みんな隠れ終えたんだ。タイチだけ突っ立っていたが何かの拍子にズボンからビー玉がこぼれて、緩やかな傾斜に誘われてその黒い穴道の方へと吸い込まれるように転がっていった。「丁度いいっか」タイチは追いかけて入っていった。
気に入っていたビー玉を無くしたくはなかったから走った、追いつき拾い上げる頃にはもう暗くない。穴道を出た世界、雪がなく草が茂っていた。空気も冷たくない、お天道様だって暖かかった。
タイチはビー玉を空にかざした、蒼色に赤が混じっているお気に入り。
「珍しいお猿の坊や、こんなとこで悪さをしちゃいけねぇ猿蟹合戦なら他所でやりな」
小猿――タイチの目の前にはぶっちょう般若面した鬼が立っていた。
「か、蟹なんていやしないだろう」タイチは2歩半後ずさりしてでたらめに手を振り回した。
「ここにいちゃいけない」鬼は強い力で無理やりタイチをおぶると駆け出した。タイチは拳で背中を叩くが鬼には痛くも痒くもなかった。
「しっかり掴まってな!」鬼は速度を上げた、タイチは思わず彼の首へと腕を回して密着した。
鬼の背中は広く優しく暖かかった。
新緑の背の低い草地を抜けると土煙上る荒地に出た。空気が小さく破裂したかと思うと切り裂くように矢が飛んでた。まだ昼前だったはずの空は暁に染まり、矢雨が鬼とタイチの上を沢山、沢山飛んだ。飛んだ矢の先には形容し難い巨大な獣が咆哮をあげている。
人の先頭に立つものが剣を抜き合図を出し走り出す、それに続きまわりの人々も呼応した。鬼が駆けた後、引き裂かれたなだれを埋めるように波が押し寄せていった。
背中越しにそれを見つめるタイチ、本当に別の世界に来てしまったんだと思った。
荒地を突っ切って壁のように迫り出した丘を登った。下は緩やかな崖状の起伏に飛んだ地形が広がっており、はるか下には凍った湖と溶けない氷華の森があった。吹き上げる風は冷たく、甲高い。
「ここから先は自分で行くんだ」鬼はタイチを背中から降ろす。タイチは手を振って別れを告げた、鬼の表情は変わらないが寂しく見えた。鬼も小さく手を振り返すと荒地へと帰って行った。あの鬼もきっと異形の魔物と戦うのだろう、そうタイチは想像した。
そうして一人丘にたたずむ小猿の肩を遠慮がちに叩くものがいた。
「やあ」荒地の丘の番人は笑っていた。タイチは「また変なのが出た」と叫び距離を取る。
彼は「今何時か」とタイチに聞く、「そんなのはお日様に聞いて」とタイチは答える。暁は見当たらず青空が戻っている。
「大変だ! もうそんな時間か」と頭を抱え振り回し驚き、荒地の番人は勇み足で駆けて行ってしまった。
眼下の湖へと続く崖の道は細く長かった。一番下まで着いたときにはへとへとだった。空気の色は変わり息が白く見えた。
湖は広大だ、遥か先に動く点が見えた。点はやがて太くなりこちらに近づいてくる。優美にて尊大、蒼白銀色した狼はタイチをじっと見つめ、見下ろせる位置に来ると歩みを止めた。
「そんなとこに立ってると氷るよ」狼がしゃべると真っ白な鋭い牙が何本も見えた。タイチは震えた。狼は鼻をその小刻みに振動している貧相な小猿に近づけて匂いを嗅いだ。そして横を通り過ぎる。
「ついてこないのかい、そのままじゃ本当に死んじまうよ」狼のその問いにタイチは震えとあまり変わらない頷きで答えた。
「なんだい、食われるとでも思ったのかい、残念だね今はお腹空いてないんだよ」狼は独り言のようにつぶやき歩きはじめた。
静かな氷の森の中を歩く、途中歩みが遅いと急かされて走る、最後には結局背中に乗せてもらった。この世界は小猿を背中に乗せるのが流行っているようだ。着いた場所は森の中の開けた空間、木がお辞儀するように周りを取り囲みその場所を空けていた。中心に寂しげに傾いた木が一本小屋の横に立っていた。
狼は口で器用に小屋の扉を開けタイチを中へ招き入れた。
「さあその服装じゃ持たないからね」そう言うと狼は床に丸まって小猿にお腹のところに来るように顔で指示した。
タイチはその暖かな毛に包まれた。
「灯を少し分けてあげよう、そうすればこの森くらいは越えられる。自分のいた森へお帰り……自分のいた森へお帰り……」狼は子守唄のように柔らかく繰り返した。そして寝息だけが部屋の音となった。
静まった部屋、小猿は目を開けて質問した。
「僕は沢山寝てしまった?」
「安心しい坊や、少しだけ少しだけだよ」狼は我が子を愛でるように頬ずりをした。
小猿は立ち上がると狼の前に立って無言で問うた。
「いいよ、出口まで一緒に行ってやろう」素早い動きで狼は小屋を飛び出した。タイチもそれに続いた。
森は静かだと思っていた、でも走っている彼らの騒がしさに合わせる様に木々についた雪は落ち、地面は強く踏まれて鳴った。物見遊山なのか、途中で出会った鹿も一緒に走り出した。猪も、兎も、イタチや野鼠、空には鳩やトンビに鴉まで、みんな狼と小猿に合わせ一緒に森を駆けていた。
森は序所に光を増した。タイチは狼から貰った内に宿る炎を感じていた、だからもう寒くて震えることもない。光が増している、空の動物たちはもう見えない。森も段々と白く霞んできた、狼は真っ直ぐ前を見据えている。タイチも前だけを見た。そうして完全に真っ白になった。
突き抜けた後には硬い感触が足に突き当たった。
「あ、タイチみっけ!」トンジはタイチを指差した。
タイチは黒い地面を見つめた、硬い道路だ。振り返る、背後にあるのはいつもの風景、いつもの森だった。
「汗かいてる、鬼ごっこじゃなかったのに」そう言って見つめるトンジ。
タイチはズボンの中にあるビー玉の感触を確かめた。 [完]
猿かくれんぼ、鬼ごっこ シウタ @Lagarun
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