73-24-5

右手にはコーヒーカップ、左手には写真立てを持っていた。カップにはコーヒーが、写真立てには徳田と子犬が写った写真が入っている。

「先生、急患です。」

看護師がそう言うので、徳田はコーヒーを啜るのを中断した。写真をいつもの場所に置く。

「分かった。すぐ行く。」

白衣を羽織る。彼の仕事はいつもこうして始まるのだ。




手術室に向かいながら、信頼のおける看護師、那須に患者の状況を尋ねる。これもいつものサイクルだ。

「交通事故による複雑骨折。内臓にもダメージが入ってます。1番危険なのが、網膜に損傷が見られることです。」

要はかなり危険な状況だ。しかし徳田は焦ることなく、ただ足は緩めずに歩き続ける。焦りが失敗を産むことを知っているのだ。

「目か……失明の危険性は?」

「回避しようがないかと。」

「ふむ...この際、諦めてもらうことになるかも知れんな。家族の了解は取れているか?」

「患者の身元が分からず、取れていません。」

「自己判断、か…」

自己判断。徳田はこれをあまり好いてはいなかった。最後の最後は本人の意思を尊重すべきだと思っているのだ。




手術は始まった。己のまなこで患者の状況を確認する。

「こりゃあ……目はもうダメだな。」

網膜がほぼ完全にイカれていた。緊急手術でどうにかできるものではないし、眼科医でもどうにもならない程だった。

「悪いが、命を優先させてもらう。」

患者に語りかけているようにも聞こえたが、それは確かに自分自信に決心をつけさせる為のものだった。

肌を裂く。血を止める。脈を確認する。内臓を元の場所に直す。

メス。ハサミ。ピンセット。汗。看護師も慌ただしげに走り回る。

執刀医の、器用で繊細な指が舞う。患者の呼吸、体温、意識までもが伝わってくるようだ。




大手術は終わった。どのくらい時間が経ったのか、時計を見るまで誰も知り得なかった。

結果だが、一応の成功を収めた。一応というのは、目を諦めたからである。しかしそれ以外の箇所は問題なく、怪我の甚大さからすれば、奇跡と呼ぶに値するものだった。

ただ、徳田は酷く落ち込んでいた。理由は言うまでもない、患者の失明についてである。

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