構え太刀 五

5         

「そんでさぁ、カズの奴、彼女から引っ叩かれてマジ泣きしてンだよ!」

「ハッハハハハ! みっともねえ!」

「はい、承知致しました。それではニ十分後にお伺いします。それでは──」

「こちら新商品でーす! どうぞよろしくお願いしまーす!」

「ねーパパー、レストランでデザート食べても良い?」

「そうだなぁ。……ママに聞いてごらん?」

「しょうがないわねえ、今日一日良い子にしてるって約束できるなら、食べても良いわよ?」


 渋谷の交差点は、今にも雨が降り出しそうな曇り空だというのに、いつも通りの騒がしい姿を見せていた。

 友人と話しながら、大声で笑う若者。電話を耳に当て、せわしなく歩くサラリーマン。サンプリング配りに励むキャンペーンガール。家族の団欒を楽しむ親子。

 行き交う人々の声や表情、車や機械の音、それら全てが、騒がしくも平和である事を示すように、街を彩っていた。


 横断歩道を歩いているその男も、そんな平和な日常に浸りながら、幸せを噛み締めていた。

 右手の中には、隣に並んでいる恋人の手が握られている。

 彼は今日、恋人とのデートを楽しむために、渋谷を訪れていた。


 それもただのデートではない。

 今日は、恋人の誕生日であった。

 彼女と交際を始めて今年で五年が経ち、結婚を考え始めていた。

 この五年の間に、嬉しい事や楽しい事、色んな事があった。幸せな事ばかりではなく、喧嘩をしたり、一緒に悲しんだりした事もあった。

 そしてこれからも、彼女と一緒に、色んな気持ちを共有したいと思っていた。恋人としてではなく、夫婦として。

 そして、彼女の誕生日である今日、彼は結婚を申し込む決意で、このデートに臨んだのである。


「ねえ、何か今日はいつもと感じが違うね。何か良い事でもあったの?」

 恋人が微笑みながら、男に話しかける。

「え? あ、ああ、ちょっとね。後で話すよ」

 男は動揺を抑えながらはぐらかす。


 彼女は元々、勘が鋭いほうであった。

 自分が何か隠し事を抱えていたりすると、男が打ち明ける前に、大抵彼女の方が気付くのである。

 もしかしたら、今日も気付いているのかもしれない。

 ──落ち着け。大丈夫だ。彼女はまだ気付いていないはずだ。びっくりさせようと思って、いつも以上に注意して隠し通してきたのだから。

 そう考え、自分の心を落ち着かせる。

 ──大丈夫だ、彼女はきっと受けてくれる。そして、これから先も、ずっと一緒にいてくれるはずだ。

 そう己に言い聞かせ、再び、隣にいる恋人の方を見た。


「……えっ」

 その時、男が呆けた声を漏らす。

 先程まで、隣で手を繋いでいた恋人の姿が、どこにも見当たらないのである。

 男は、キョロキョロと辺りを見渡しながら、恋人の姿を探す。

 ──いない。どこにもいない。


 ふと、嫌な予感がして、足元へと視線を下す。

 ──いた。

 何故か、うつ伏せに倒れていた。


 男には、その状況が全く理解できなかった。

 ──何故?

 ──何故、恋人はこんな所に倒れているのか?

 ──何故、倒れている恋人の、腰から下が無いのか?

 ──何故、恋人の腰から、紐状の赤い物が飛び出しているのか?

 そして──何故、自分の右腕が無くなっているのか?


 男が混乱していると、突如、彼の視界がぶれた。

 そして暗転し、何も見えなくなった。


 ──男の首は、刃物によって切断され、宙を舞っていた。

 首を失った男の体は、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


 崩れ落ちた遺体の傍らには、刀を持った、スーツ姿の男が佇んでいた。

 その男──構え太刀三兄弟の長男・剣一郎は、その遺体を見下ろし、男女が確実に死んだという事実を確認する。

 そして、ゆっくりと顔を上げると──口の端を吊り上げ、嘲笑を浮かべた。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 近くにいた女子高生が、男女の遺体と、剣一郎の姿を見て、甲高い悲鳴を上げる。

 それが合図となり、交差点を渡っていた群衆は、一斉にパニックに陥った。

 我先にと目の前の人間を押しのけ、その場から逃げ惑う。


 そういった人々の背中を追いかけ、剣一郎はその手に握られた刀を振るった。

「ぎゃああああああああっ!!」

「が……あっ……!?」

「あっ、足っ、足が、ひっ、ひぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 一振りする毎に、腕が、足が、胴体が、首が──斬られた者の体の一部が、血飛沫を上げながら撥ね飛ばされる。


「こっ、この野郎──!」

 そんな光景を見て、義憤に駆られた勇気ある若者が、無謀にも剣一郎目掛け突進していく。

 剣一郎はその男を一瞥すると、彼目掛けて空太刀を放った。

「げ──!」

 青年の体は、恐るべき妖怪が放った空を疾る斬撃によって、斜めに斬り裂かれた。


 その時、剣一郎がいる場所から少し離れた地点で、大きな血飛沫が舞った。

 その地点に立っていたのは、次男・剣次郎であった。

「ギャッハハハハハハハハハハハ!! オラオラ逃げろ逃げろ人間共がァァァァァァァァァァァ!!」

 剣次郎は狂ったような笑い声を上げながら、逃げ惑う人々を斬り裂いて行く。

 地面に倒れ伏す者の中には、一太刀で絶命した者もいれば、斬撃の痛みに全身を捩りながら悶え苦しむ者もいた。

 彼らを足で跳ね除けながら、剣次郎は逃げ惑う人々に斬り掛かっていく。


「あっ……ぁ……あ……あ……!?」

 剣次郎の目に、腰を抜かしてへたり込んでいる女性の姿が映る。

 剣次郎はその女性に素早く駆け寄ると、左の小太刀で、女性の顔面を突き刺した。


「あがっ──ご──」

 顔中の穴から血が噴き出し、全身が痙攣する。

 剣次郎は、口元を大きく吊り上げると、右の小太刀で女性の首を切断する。

 それから左の小太刀を大きく振ると、小太刀に突き刺さっていた生首が外れ、宙を舞った。


 そして、更に別の場所から、凄まじい爆発音が上がる。

 一大の乗用車が爆発し、黒々とした煙が立ち上っていた。

 その煙の中から現れたのは勿論、三男・剣三郎であった。

「ハッ! 車とかいう鉄の箱、いつかぶった斬ってみたいとは思っていたが、見た目よりも柔らかいものだな!!」

 そう言うと、手に持った大太刀で、逃れようとする人々を薙ぎ払った。

 その斬撃により、人体が崩れた豆腐のようにバラバラになって吹き飛んでいく。


 その時、運転手が逃げ出し、空っぽになっている車を剣三郎が見つける。

 その車におもむろに近付き、両腕でゆっくりと持ち上げていく。

 そして──

「どっ──せいっ!!」

 ──逃げ惑う群衆目掛けて、その車を投げつけた。

 宙を舞う車は最高点に到達した後、ゆっくりと加速しながら、地面に向けて降下していく。

 そして、激しい音を打ち鳴らしながら、一人の女性を下敷きにした。


「ぎゃあああああっ!! ……ぐっ……が……!」

「お母さん!? お母さん!!」

 その女性の息子らしき少年が、泣きながら駆け寄っていく。

 そして、何とか車の下から引きずり出そうと、母親の腕を引っ張った。

「お母さん! お母さん! お母さん!!」

 しかし、何度引っ張っても、重い車の縛めから、母親を助け出す事は出来なかった。

 それでもなお、子供は泣きわめきながら、母を助け出そうと腕を引っ張る。


 剣三郎は、その子供に近付くと──

「フン、ピーピーうるさい小童めが! そこをどけぃッ!!」

「ぎゃあっ!?」

 ──泣きわめく子供を、渾身の力で蹴り飛ばした。

 蹴りの威力と、地面に叩き付けられた衝撃に悶えながら、子供は血の混じった吐瀉物を吐き出す。

 そんな子供に一瞥もくれることなく、剣三郎は車の下敷きになっている母親を、大太刀で無慈悲に突き差した。


 人々は、ただひたすら逃げ惑っていた。

 謎の襲撃者は、近くにいる人間を、手当たり次第に殺傷している。

 近くにいれば、次に襲われるのは間違いなく自分だ。

 そんな恐怖に支配されていた。


 そして同時に、こんな事を考えていた。

 ──自分達は今、一体どこにいるのか。

 この街は本当に、さっきまで自分たちがいた渋谷の街なのか──と。


 ──狂喜の叫び。

 ──斬撃の音。

 ──飛び交う悲鳴。

 ──噴き出す鮮血。

 ──斬られる肉。

 ──断たれる骨。

 ──零れる臓物。

 ──漏れ出る汚物。

 ──ぶちまけられる吐瀉物。

 ──横たわる死体。

 ──死体。

 ──死体。

 ──死体。

 ──死体。死体。死体。

 ここはもう、平和な日常に包まれていたはずの渋谷の街などではない。

 地獄絵図を具現化したかのような、死に満ちた魔境と化していた。


 人々を無差別に斬り付けていた剣一郎が、不意にその手を止める。

「ふむ、こんなものだろう。お前たち、引き上げるぞ!」

 そう言うと、剣一郎の姿が周囲に溶け込むように徐々に透けていく。

「ああ! 行くぞサブ!」

「おう、合点承知よ!!」

 二人がそう言ってニヤリと笑うと、剣次郎の体にはノイズが走り、剣三郎の周囲には強風が渦巻き始めた。

 すると次の瞬間、三人の姿は、忽然と消え失せていた。


 三兄弟が去った後も、人々は未だにパニックに陥っていた。

 既にいなくなった殺戮者の影に怯え、無数の遺体が散乱する渋谷の街を、訳も分からず逃げ惑っていた。

 警察が到着しても、そのパニックはしばらく収まることはなかった。


6 

 それから連日、世間はこの事件の話題で持ち切りとなった。

 死者六十九名、負傷者百四十二名という、三名の通り魔に寄る未曾有の無差別大量殺人。

 警察は、血眼になって捜査を行った。

 しかし、目撃者は多数いたものの、犯人へと至る決定的な証拠や痕跡は少なく、結果的に犯人の特定には至らなかった。

 三人の謎の襲撃者によって起こされたこの惨劇は、日本の犯罪史に残る大事件として深く刻まれる事となった。

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