構え太刀 三
3
木寺順平は、道場の中央に正座しながら、沈思黙考していた。
考える事はただ一つ。ここ数日間、剣術界を騒がせている、謎の剣客についてである。
最初に殺されたのは、山梨の草間進太郎。
草間は、現代の剣術界において、知らぬ者はいない程の剣豪であった。
木寺自身も、草間のことは良く知っていた。
他流派同士の交流練習の際に、草間が長年に渡って体得した、妙技の数々を見たことがあった。その時、木寺は草間に対して、尊敬と畏怖の念を抱いたものである。
そんな草間が、何者かに両足と首を斬り落とされ、殺害されたのである。犯人は、相当な腕前を持った者に違いなかった。
そして次に殺されたのが、長野の葉山修一であった。
木寺は、葉山に会ったことはなかったのだが、噂は良く耳にしていた。
木寺よりも五歳ほど年下で、表面上は冷静さを取り繕っているが、内面は激情が迸っており、血気盛んな男であったと聞いている。
しかし、剣の腕は非常に優れており、落ち着きを身に付ければ、剣術の歴史に名を残す程の達人になれる程であったとも聞く。
そんな噂を聞く度に、いつか会ってみたいと何度も思った。
しかし葉山も、彼が所属する道場で、遺体となって発見された。
葉山の亡骸は、顔を含めた全身を切り刻まれており、ボロボロの状態であったと聞き及んでいる。そのため、見知った者は勿論のこと、家族ですら、その遺体が彼だと判別できなかったという。
「……」
木寺は、目の前の床に寝かせてある、己の太刀をじっと見つめる。
そうしながら、草間と葉山を殺めた人物の正体について考え続けた。
草間と葉山の遺体の損傷具合を考慮すると、おそらく犯人は同一人物ではないと木寺は考えていた。
しかし、この短期間で、腕の立つ剣術家が連続して殺害されている事を考えると、おおよそ無関係とは思えなかった。
おそらく、この二つの事件の犯人たちは、何らかの繋がりがあるのだ。木寺はそう睨んでいた。
何故この二人を標的としたのか。犯人達は一体、何を考えているのか。正座を崩さぬまま、木寺は思考に耽り続けた。
その時である。
「頼もおおおおおおう!!」
道場の門外から、野太い声が轟く。
その大音声により、静まり返った道場内はビリビリと震え、異様な緊張感に包まれた。
「……!?」
「頼もおおおおおおう!! 頼もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!!」
木寺が驚愕している間にも、大声は何度も響き渡る。
木寺は己の刀を手に取り、道場の外へ出た。
門の所まで歩み寄り、門を開けるべきかどうか逡巡する。しばらく考え込んだ後、木寺は意を決し、門をゆっくりと開いた。
「頼も──おお、ようやく出てきたか! 誰もおらんのではないかと心配したぞ!!」
「……!?」
そこに立っていた大声の主の容姿に、木寺は息を飲む。
その男は、巨大な岩のような体の持ち主であった。身長は、どれだけ少な目に見積もっても、二メートルは軽く越しているであろう。羽織っている革ジャンパーの下からは、力強く太い筋肉が盛り上がっている。
そして──その男は、抜身の刀を肩に担いでいた。異様に長く、ぶ厚い刀であった。刀身だけで、一八〇センチ以上はあるだろう。
そんな大太刀を軽々と担ぎ、男は門の前に堂々と立っていた。
「……こんな時間に、何のご用ですか?」
怪訝な顔をしながら、木寺が問い掛ける。
その言葉に対し、大男はにんまりと笑みを浮かべた。
「うむ。実は、木寺順平という男に用があるのだが……」
「木寺は私ですが……」
「おお、それは僥倖! まさか、いきなり目当ての者に出くわすとはな!」
大男はそう言って、がははと笑う。
その様子に、木寺は直感した。
この男、もしや件の犯人と関係があるのでは──と。
その考えを抱いた瞬間、木寺の口から、自然と言葉が発せられた。
「用件というのは──私と立ち合いたい、というものでは?」
「話が早いな! いかにも、お主と立ち合いに来たのだ! お主も剣士なら、受けてくれるだろうな?」
大男の岩のような顔が、ニヤリと笑う。
その笑みからは、奇妙な気配が漂っていた。
顔は人間のそれであるが、人間ではなく、別の存在のような──そんな笑みであった。
「承諾する前に、聞きたいことがある。ここ数日の間に、何者かの手によって、二人の剣術家が殺められている。お前と何か関係があるのでは?」
「おう、大いにあるぞ! そやつらを殺したのは、俺の二人の兄だ!」
「フン、やはりそうだったか」
己の予感が確信へと変わる。
しかし、木寺の頭の中には、まだ疑問が残っていた。
「何故、あの二人を狙った? そして、私を狙う目的は何だ? 貴様らの標的にされる理由が全く分からん」
「はっ! 答える気などない! それでも聞きたいのであれば、俺を打ち倒して見せよ!」
目の前の巨漢が邪悪な笑みを浮かべる。
その笑みを睨み付けながら、木寺は腹を括っていた
剣客達の真の正体を突き止めるには、剣を交えるしかない。そう思い、木寺は口を開いた。
「──承知した。入れ、中で相手をしよう」
「おう、そう来なくてはな!」
そう言うと、巨漢は門内に入り、道場へ歩を進める。
隣に並んで歩いている木寺は、その岩のような男が一歩歩くごとに、地響きが起こっているように錯覚した。
そして同時に、大男の体から、強烈な殺気が迸っているのを感じ取っていた。──その様子から、相当な腕前を持っていることも。
二人の兄がいると言っていたが、おそらく彼らも相当な手練れなのだろうと思った。草間と葉山を討ち果たしたというのも、嘘ではないようだと思った。
そう考えている間に、二人は道場の中央に立っていた。
間合いを取って、互いに向かい合う。
対峙するまで、木寺は無言であった。
大男も同様に無言であった。しかし、その顔には依然として、不敵な笑みが浮かんでいた。
「立ち会う前に、貴様の名前を聞いておこう」
愛刀を構えつつ、木寺が問い掛ける。
それに対し、巨漢は大胆不敵な態度で応じた。
「いいだろう、しかと聞くがいい! 我こそは構え太刀三兄弟が三男、剣三郎! 貴様を一刀のもとに斬り捨て、地獄へと叩き落とす男よ!!」
高らかに名乗った後、大太刀を構える。
それから一拍程置いて──
「では──行くぞぉっ!!」
──剣三郎が咆哮を上げた。
同時に、大太刀を振り上げ、木寺目掛けて突進する。
「むうっ!?」
木寺はその迫力に飲まれかけたが、瞬時に冷静さを取り戻す。
そして、振り下ろされる大太刀を横に回り込みつつ回避し、己の太刀を叩き込んだ。
「せいっ!」
木寺の斬撃は、剣三郎の左腕に直撃した。
しかし、腕を斬り落とす感触は伝わってこない。
木寺が振り下ろした太刀は、剣三郎の皮膚を数ミリ程抉った所で停止していた。
「何っ!?」
木寺が驚愕の声を上げる。
彼は手加減などしていない。全身全霊の力で刀を振り、剣三郎の肉体を切り裂くはずであった。
しかし、剣三郎のその鋼の如き肉体は、木寺の太刀を全く受け付けず、耐えてみせたのである。
その光景が木寺には信じられず、一瞬の隙が生じてしまう。
「ふん! 甘いわ軟弱者が!!」
その隙を突いて、剣三郎が木寺の胸ぐらを掴む。そして、片手で軽々と持ち上げてみせた。
「うおおりゃあああああっ!!」
剣三郎はそのまま、木寺を乱暴に投げ飛ばす。
宙を舞う木寺の体は、二回程回転しながら、十メートル程先の床に叩き付けられた。
「ぐっ!? ……が……ぁぁ……っ」
受け身を取り損ね、木寺が悶え苦しむ。
全身を強かに打ち付け、呼吸を取ることが出来ず、全身の内臓が外へ漏れ出すような苦痛を味わっていた。
そんな木寺のもとへ、剣三郎は悠然と歩み寄る。
「ふん! つまらん男だ。噂を聞いた時はもっと骨のある男だと期待していたのだがな……!」
そう言って、ニヤリと笑う。
その言葉に、木寺の心の内に、かっと熱いものが込み上げる。
木寺は苦痛を堪え、膝立ちの姿勢を取る。
そして、目の前で自分を見下ろしている剣三郎を睨み付けた。
「──はぁ……ぐっ……はぁ……はぁ……ま、だまだ、勝負は……!」
呼吸を整えながら、そう言葉を漏らす。
しかし、木寺は膝立ちのまま、立ち上がることが出来なかった。投げられたダメージは思った以上に大きく、未だに全身は震えていた。
「ほう、まだ続けるか! 剣の腕はともかく、度胸だけならば大したものだと褒めてやりたいが──」
剣三郎は笑いながら、己の大太刀を両手で構える。
「──残念ながら、ここまでだ」
剣三郎はそのまま、刀を握った丸太のような両腕を、上段へと振り上げた。
それを見た木寺は、最後の力を振り絞り、なんとか両足で立ち上がる。
そんな木寺を見て、剣三郎はもう一度、ニヤリと笑った。
そして──
「剛オオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
──凄まじい雄叫びと共に、剣三郎は己の大太刀を振り下ろした。
木寺は、その落雷の如き一撃を受け止めようと、刀を掲げ、両腕に力を込めた。
その時である。
「な──」
木寺の視界に、再び信じられない光景が映った。
互いの刀が接触した瞬間、剣三郎の刀に耐え切れず、刀身が叩き折られたのである。
驚愕の表情を浮かべた木寺の視界に、強風を纏った大太刀が迫り来る。それが、木寺が最期に見た光景であった。
次の瞬間──広い道場に、肉と骨を断ち、床を叩き斬る轟音が響き渡った。
剣三郎の斬撃は、木寺の頭頂部から股にかけて、真っ二つに切り裂いていた。
左右に分かれた遺体が、鮮血を吹き出しながら床に崩れ落ちる。それと同時に、骨が──内臓が──糞尿が──木寺の体内に詰まっていたものが、断面からこぼれ出た。
その凄惨な光景を見た剣三郎は、豪快な笑い声を上げた。
「がはははははははは!! 軟弱で斬りごたえの無い体よ! 次に生まれてくる時は鋼にでもなるが良い! 最も、もう一度真っ二つにしてやるがな!!」
そう言うと、剣三郎は遺体に背を向ける。
そして、のしのしと足音を鳴らしながら、出口へと歩き出した。
「腹は膨れることはなかったが、まあよい。手筈通り、兄者達と合流するとしよう」
そう呟き、出口の所で立ち止った。
すると突然、嵐のような強い風が吹き荒び始め、竜巻の如く、剣三郎の巨体を取り囲む。
次の瞬間、突風はピタリと止み、その中心にいたはずの剣三郎は、忽然と姿を消していた。
剣三郎の去り際の風の勢いにより、木寺の遺体の中から、左脳がごろりと零れ落ちた。
静まり返った道場内には、遺体が発する凄まじい死臭が立ち込めていた。
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