構え太刀 二
2
──草間進太郎、斬殺さる。
この報せは、一日と経たぬうちに日本各地に知れ渡り、全国の剣術家達に衝撃を与えた。
ある者は偉大な剣術家の死を嘆き、またある者は、草間を殺めた謎の人物に対して怒りを露わにした。
そんな中に、それらの感情とはまた別の想いを抱いた者達がいた。
高揚──草間殺しの犯人と闘ってみたいという、血に飢えた欲求である。
葉山修一も、その闘争本能に駆られた者の一人であった。
年齢は三十代半ば。若者と呼ばれるには少々歳を経ていたが、心の内に、強者と闘いたいという情熱を秘めた男であった。
彼は今、自分が所属する道場で一人、黙々と鍛練に励んでいた。
「フンッ……! ハッ……!」
葉山の呼気が、静まり返った深夜の道場に響き渡る。
彼の体が発する闘志は、徐々に道場の中を満たしつつあった。
──老齢とはいえ、草間は紛れもなく猛者であった。その草間が、無残な姿で斬り捨てられた。草間と立ち合った人物とは、一体何者なのであろうか。
謎の剣士の幻影を追い求めるかのように、葉山は何度も刀を振る。一振りする度に、その人物への興味が、ジワジワと湧き出していた。
──闘いたい。刃を交えてみたい。そしてこの剣で、葉山を殺めたならず者を討ち果たしたい。
危険なほどに純粋な願望を抱きながら、葉山はひたすら体を動かし続けた。
鍛練の最中、彼の闘志は、禍々しい程の殺気へと変わりつつあった。
その時──激しい音を立てながら、道場の扉が開け放たれた。
葉山は鍛練を中止し、扉に目を向ける。
その視線の先には、一人の男が佇んでいた。
鋭い刃物の如く、両目が吊り上がっている。
口元に視線を下してみると、ニヤニヤとしたいやらしい笑みが浮かんでいた。
体型は痩せ型で、ひょろりと背が高い。ダウンベストにシャツというラフな服装であり、厳かなこの道場には似つかわしくない姿であった。
両手には、それぞれ小太刀が握られていた。
「おっ、いたいたァ!」
ベストの男は、ニヤニヤとした笑みを崩さず、声を上げる。
「なあアンタ。葉山修一サン……だよな?」
口の端を更に吊り上げながら、男が問い掛ける。
葉山は怪訝な表情を浮かべながら、男の質問に答えた。
「……そうだ。お前は一体誰だ」
「へっへっへ! そいじゃァお目当ても見つかったことだし、自己紹介させてもらうか。俺ァ剣次郎、構え太刀三兄弟の次男坊さ」
男が無邪気な様子で名乗る。その様子はさながら、玩具屋で目当てのものを見つけた時の子供のようであった。
「構え太刀だと? 妙な名前を……」
葉山が嫌味をこぼす。
しかし、葉山は確かに感じ取っていた。剣次郎と名乗る男が、只者ではないという気配を。
目の前の男の無邪気さに混じっている、おぞましい程の殺気を。
「まさかとは思うが、草間進太郎先生を殺ったのは、貴様か……?」
「草間ァ? ああ、それ違う。そいつ殺ったの、俺の兄貴だわ」
剣次郎があっさりと返答する。
そして、右の小太刀の峰で、己の肩をとんとんと叩きながら、こう続けた。
「俺が殺すのはこれからだよ、葉山の旦那。俺がこれから、アンタを殺すんだ。」
そう言うと、再びニヤリと笑った。
それにつられるように、葉山も口の端を歪めた。
「ほう……面白い。丁度俺も、誰かと立ち合いたいと思っていた所だ。草間先生を殺した男ではないのが残念だが、見た所、お前も中々の手練れのようだしな」
「ハハハ! 話が分かるねェ! ……良いぜェ、良いよアンタ。噂通りの好戦的な野郎だぜ。やっぱり俺好みの相手だ!」
剣次郎が歓喜の声を上げながら、二刀を構える。
「分かるぜ……アンタの気持ち……! 俺もさァ……誰かと闘り合いたくってウズウズするんだよ……! 案外俺達、気が合うのかもなァ……!」
「フン、抜かせチンピラが」
鼻で笑いながら、葉山も構える。
冷静な口調で語ってはいるものの、実際のところ、葉山は興奮していた。
長年夢見ていた、強敵との死闘。それが今、現実として彼の目の前に現れている。
そんな状況に、その状況の中心にいる自分自身に、深く酔い痴れていた。
「ハッ……それじゃあよォ……行くぜオラァ!」
先手を取ったのは、剣次郎の方であった。
素早く踏み込み、右手の小太刀で斬り掛かる
それを葉山は、己の刀で受け流し、回避する。
そのまま剣次郎の側面に回り込み、斬撃を放った。
「……っと危ねェ!!」
しかし、剣次郎はそれを見た途端、葉山の伸長よりも高く飛び上がり、これを回避していた。
凄まじい反応速度と運動神経であった。
剣次郎は、葉山の背後に着地すると、そのまま素早く左の小太刀で斬り掛かった。
「ぐぅっ!?」
葉山が呻き声をもらす。
剣次郎の左斬撃は、葉山の背中を斜めに切り裂いていた。
だがその一撃は、葉山を完全に仕留めるまでには至らなかった。
剣次郎の着地地点は、葉山の位置から若干離れており、小太刀の切っ先のみしか当てることが出来なかったのである。
「ありゃ、ちょっと遠かったか」
剣次郎がひとりごちる。
それを聞く事もなく、葉山は素早く後ろを振り返り、構え直した。
「クッ……!」
──葉山の顔が、醜く歪む。
敵に無防備な背中を晒してしまったという屈辱が、その表情に表れていた。
「ホラホラ、悔しがってる場合じゃないぜ葉山サンよォ!」
剣次郎が再び踏み込む。
そのまま、両手の小太刀による連続した斬撃が放たれた。
「チッ……!」
葉山は舌打ちしながら、その斬撃を防いでいく。
一向に止まない素早い斬撃を捌きながら、葉山は敵の隙を見つけ出そうとしていた。
しかし毛支援見当たらない。
片方の刀が斬り付ける間に、もう片方の刀が巧妙に隙を隠している。
右で斬り、左で隠す。
左で斬り、右で隠す。
その連続した一連の動作により、徐々に葉山の体力と集中力は削られていった。
そして遂に、葉山の左肩から鮮血が噴出した。
斬撃を捌ききれず、斬り付けられたのである。
「うっ!」
左肩が熱い。
傷口から、だらだらと血が流れ出す感覚が伝わってくる。
このままでは一方的にやられる。一旦距離を置いて、体勢を整えなければ──そう考えた葉山は、剣次郎との間合いを離すべく、後退ろうとする。
しかしその時。
「おいおいおい逃げんなよ葉山ァ!!」
叫び声とともに、剣次郎が左手を、下から上へと振り上げた。
その直後、葉山は己の丹田部に違和感を感じ、一歩も動けなくなる。
嫌な予感を感じ取り、葉山が目線を下に向ける。
「……な……!?」
その目に映ったのは、己の腹部に深く突き刺さった、剣次郎の小太刀であった。
葉山が後退る直前、剣次郎は凄まじい速度で小太刀を投擲していたのである。
「……ぐ……が……」
口から血液を漏らしながら、葉山は己の刀を床に落とした。
それと同時に、剣次郎が再三踏み込む。
そして右小太刀で、葉山の胸を袈裟に斬り込んだ。
「ぐあっ!?」
葉山の苦悶の声が上がる。
その間に剣次郎は、葉山に突き刺さった小太刀を引き抜く。
そしてそのまま、両手の刀で何度も斬撃を浴びせた。
「がぁっ! ……っぐ……あが……っ……!!」
呻いている間も、剣次郎の斬撃は一向に止まらない。
何度も何度も、葉山の無防備な体を斬り付けていた。
「ヒャッハハハハハハハ!! オラ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねやオラアアアアアアアッ!!」
狂ったような奇声を発しながら、剣次郎が無慈悲に斬り付ける。
斬り付ける。
斬り付ける。
斬り付ける。
斬り付ける。
激しい斬撃の舞に晒され、葉山の呻き声は、徐々に小さくなっていく。
そして遂に、葉山の体は仰向けに、どう、と倒れた。
道場の床に横たわる葉山の体は、数えきれないほどの裂傷と、そこから吹き出した大量の血液により、挽肉のような形になっていた。
その死体を見下ろしながら、剣次郎は再び、歓喜の声を上げた。
「ヒャッハハハハ!! 弱ェ! 弱ェぜ葉山サンよォ!! ヒヒヒヒヒャハハハハハハハ、イッヒ、ヒヒヒヒハハハハハハハハハ!!」
その表情は、狂喜により、大きく歪んでいた。見た者を恐怖のどん底に叩き落とすような狂った笑みが、その顔に張り付いていた。
剣次郎の笑い声はしばらく続いていたが、だんだん小さくなっていき、表情も真顔へと変化していく。
「──ハハハハハハハハ!! ハハハハ……! ……ハハハ……ハハ……ハ…………。……。ハァ……あーあ……終わっちゃったか」
肩を落とし、ため息を漏らす。
その顔はいつの間にか、落胆の表情へと変わっていた。
「最初はそこそこ面白かったんだけど、期待外れだったかァ。もうちょい楽しめるかと思ったんだけどなァ……」
そのまま、道場の出入り口へと歩き出す。
外に出る直前、剣次郎が一度振り返った。
そして、肉片の混ざった血の海──その中心に横たわる死体を一瞥すると、ニヤリと笑った。
剣次郎は再び、外の方へ向き直る。
次の瞬間、剣次郎の体にノイズのようなものが走り、忽然と姿を消した。
誰もいなくなった道場の中では、葉山の遺体が、絶えず血を垂れ流し続けていた。
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