第1話

出会いの月が終わった5月頃、高校2年生の彼は、いつも通りの帰路についていた。

独りだった。辛くない。それが…人生だ。

1年生…それも【初めの頃】は違ったのだが、彼は思い出すことを拒んだ。彼の真紅の瞳と、先の部分にしか黒が残っていない白髪は、その頃との埋まりようのない差をよく表していた。

そういえば…今日、随分久し振りにあいつに声をかけられたな。

学年でもずば抜けた知力を持った、天才。飛び級で10歳のくせに高校2年生にいる、名前は…裏神うらかみ 空そら。

唯一と言ってもいい、彼が覚えている女生徒の名前は、全校生徒…いや、同じ地方にいて知らない者はいないであろう名前だった。

何て言われたんだったか…確か。

思い出そうと口元に手をやり思考の構えを取ろうとした…その瞬間、彼の視界は、“if”に染められた。

…その日に限って、普段四六時中着けているイヤホンを何故か着ける気になれなかったのは…或いは世界が、止めてくれたのかもしれない。

「っ…なん、だよ…!」

彼の視る世界が、別のものへと切り替わる。

ーーー後ろから迫るオンボロな軽トラックは自分を吹き飛ばし、吹き飛ばされた先の電柱に頭部が綺麗に当たる。意識は…空の彼方へ。

ーーー後ろから迫るトラックに気付き、瞬時に横へ跳ぶ。避けられはしないが地面に打ち付けられただけで済んだらしく、傷は深いが意識もまだある。


二つの見えた結果から、後ろを瞬時に振り返った。

なるほど確かに、軽トラックが自分に向けて迫っていた。運転手はやつれた4.50代の男で、焦りと怯えを持った瞳でガタガタと震えながら運転していた。

車線から逃れようと横へ跳ぶ。…結果は先程の通り、半身間に合わず、宙に舞ったその体は地面に叩きつけられ、痛みは意識を闇に引きずり落とそうとしていた。

「へ、へへへ…やってやった!これで、1億!ざ、ざまぁみろってんだ…。こんな極悪人、殺したって罪にならねぇはずだ」

運転席から出てきた男は、右手に鋭い刺身ナイフを持っていて、どうにも彼を殺しに来たらしかった。

体に力が入らない…それに、視界も霞んできていた。

結局…死ぬ、のかよ…!

そんな時、彼の瞳はまた、ifを映した。

先程とは少し違い…今いる世界にifが映る。倒れた彼の隣、見たことのない可憐な少女が薄れた体で倒れていた。少女は虚ろな瞳でこちらに手を伸ばす。どうやら彼の姿は見えていないようだったが。

「こ、殺す…!」

倒れた彼の意識があることに気付いたのだろう、驚いた顔でナイフを握り締めると、男はそれを彼の左腕に突き刺した。

「ぐぁ…っ!」

未だ感じたことのない鋭い痛みが彼を襲う。心臓を狙ったらしい男は、人にナイフを刺した感覚に震えを強まらせ、その場で固まっていた。

苦痛に顔を歪めながらも、隣の少女に右手を伸ばし…2人の手が触れた瞬間、彼の意識はifへと飛んだ。


〜〜〜〜〜

「うおっ!」

意識が覚めた時、彼の体は誰かに投げ飛ばされたかのように世界に投げ出され、地面と激突した。

痛む頭を押さえようと左手をあげようとして、腕に刺さった包丁の存在を思い出した。痛みに小さく悲鳴を上げつつ、何時までもこの場に止まるわけにはいかないと、顔を上げた。

…そもそもここは何処なんだ。何が、どうなってるんだ。


そこに居たのは、3.40人ほどの人々。人間のものとは思えない、獣が持つような尻尾や耳を持った者や、一部が機械化している者など、様々だった。彼らは一様にして、高校生が着るような制服に身を包んでおり、周りの机椅子、黒板などから…どうやらここは学校の教室の中らしかった。

「き、北神様!?」

「なに!?」

彼らも突然彼が現れたことで驚いたらしかったが…それよりも驚いたのは彼だった。

「なん、で…名前を……」

車に轢かれ、血を大量に失い、意味のわからない状況に突然巻き込まれ…彼の脳ショートを起こし、気絶してしまった。


ーーあの日から、奇妙なものが見えるようになった。それは…もしもの未来。適当に…その力を、結論イフルー仮定トイフと名付けていた。…名前をつけるのは必要だろう?

例えばAさんの右手に赤い玉、左手に白い玉を握らせ、それをシャッフルする。その後、能力を使う。タイムラグは無いに等しく、一瞬の間に百回視たとして、その内右手に白があったのは80回、だということがわかったりする。Aさんの傾向が分かるわけだ。

ただ…その物事が起こるその時から離れすぎている物に対しては能力を使えない。具体的には…半日前ぐらいか。例えば家を出るときに、傘を持っていくか否かで能力を使い視る。雨が降っていたなら、遅くても半日後には、雨が降ってる可能性が高いことが解り持っていける。例えば、どのアイスを買えば当たりが取れるか、の時は、少なくともアイスが目の前にある状況じゃなきゃ、視れなかった気がする。要するに…何かしら選択を迫られた場合にしか使えないということだ。

そして、未来予知としては使えない。核が落ちる景色が見えたとして、それはもしかしたら一億分の一の確率の、ifを見たかもしれないのだから。ないとは思うが…一億分の一の確率を何度も引き当てて視えてしまうことだって無くはないのだ。

…それとは別に、俺の意思と関係なく勝手発動することがある。それは先程のような、生命に関わる場合や、今後を左右する選択が訪れる直前。

先程のは…よくわからない。後者のモノの亜種…?今迄見えたものに触れることなんてできはしなかった。それなのに……よくわからない。


目覚めて早々に考えを纏めていた彼は、ベッドの上に寝転がっていた。窓の外には校庭らしきものが見えることから、どうやら学校の保健室らしい。左腕を見ると、何故か跡形もなく傷が消え…車で轢かれて傷んでいたはずの体の節々も、何の問題も無くなっていた。

「…気がついたか」

扉の開く音がしたかと思うと、見知らぬ男性がベッドの横に現れた。男は普通の…元いた世界では普通見ることのない、逆三角形の素晴らしく鍛え上げられた体を見せつけるように、体に合わない黒のジャケットのみを羽織り、同じく黒のズボンに身を包んでいた。腰に携えた二本の紅いナイフも目を惹く。そんな異質彼に、圧倒されるのは当然だろう。それに加えて…牛が持つような二本の大きな角が生えていた。

「…あなたは?それに、自分は身体中傷だらけだったはず…何をしたんですか」

取り敢えず、敬語を使うことにした。明らかに…そう、彼の予想が正しければ…ここは

「俺か?俺はくれない、好きに呼んでくれて構わねぇ。体の傷なんか、回復の魔法マジックを使えば一瞬だ」

紅は部屋の隅から椅子を取り、ベッドの横に置き腰掛けながらそう告げた。

魔法…そう、そんな予感はしていた。そんな非科学的なものが、何処かに存在するということは…自分の能力の存在が証明していた。

「そうですか…。ところで、あの学生達は何故、自分の名前を?」

「あー待て待て、敬語なんか使うな。鳥肌が立っちまう」

わざとらしく肩を抱き、大きな体を縮こませると、そう彼は口角をニッと上げて微笑んだ。

「お前さんは…少なくとも俺が知ってるお前は、この国の軍で諜報員として働いていた。俺はお前の師匠だった。さっきの学校は士官学校、お前は学生の身でありながら最重要任務をこなし、そして…」

揚々と語り出した紅だったが、次第に調子を落としていき、黙り込んだ。

「…命を、落とした?」

その言葉にピクリと肩を震わせ、彼は苦笑いをして頷いた。

「…ああ。国同士がぶつかり合った時、お前は逃げ遅れた生徒達を逃がす為に、命を尽くしてくれたんだ」

そういうと彼は頭を掻き…しばらくすると、よし!となんでもないように再び口を開いた。

「今度はこっちの番だ。お前は…何者だ?俺の知ってるお前は確かにあの時、死んだはずだ」

ジッと疑りの視線が刺さるのを感じた。…それはそうだ、死んだと思ってたやつと似ているのが突然現れたら、そうなるだろう。

「俺は…北神 仁、そこらへんの普通科高校に通ってた、まぁ…ただの2年生。俺が居た世界には魔法なんてなかったし、武器の所持も許されてない」

「お前さんの…世界?」

「ああ、俺は多分…こことは別の世界から来た」

突拍子も無いその発言に、ポカンと口を開いていた紅だったが、少し考えながらも、その根拠は?と続けるように促した。


自分について軽く説明し、能力のこと、ナイフが刺さっていた理由を話した。

「…もしもの世界、ね…。解った、信じよう」

紅はそう頷いた。…まさかこんなに簡単に信じられるとは思わず、彼が逆に怪しむことになった。

「…少しは疑ったらどうなんだ」

「本当だろうと嘘だろうと、別にどっちだっていい。…さて、帰り方も解らないんだよな?」

頷く。そして…自身の置かれた状況を思い出した。

…そうだった。金は多少あるが通貨が違う可能性もある。身分は証明されてないし、魔法も何も持ってはいない。…どうやって生きていけばいい。…帰りたくはないが…あの世界に置いてきてしまったも事もある。それにもしかしたら…この世界に来れたように、別の世界ーーもっと特別な世界に行ける可能性だってある。その為には…俺がまだ知らない、この能力を使いこなせなければならない。

「この世界の仁が稼いだ金はお前が使ってくれていい、家も掃除させておく。メイドも付けとけば大体なんとかなるよな?」

そう言いながら、スマホによく似た携帯端末を動かす紅の言動に、彼の頭は混乱しだし、頭を軽く抑え込んだ。

「待ってくれ、あんたは…一体どういう立場なんだ。そもそもどうしてそんなに尽くしてくれる。言っておくが、この世界の“俺”と俺は別人だ。変な期待をされても困る」

彼の言葉に、何故か紅は笑みを浮かべた。

「言ってなかったか?…俺はここらへんの街の管理を任されてるんだ。困ってる人を助けるのは俺の義務だからな。同一視なんかしねぇ。ここの世界のお前とは色々と全然違うしな」

…その図体で、頭脳派なのか…?と口に出しそうになるのをなんとか抑え、はぁ…とだけ言葉を漏らす。

スラスラと、思ったことをそのまま言ったかのようにそう告げながらも指を滑らせていた紅は、終わったのか、よし!とポケットに機械をしまい、立ち上がった。

「ところでお前…大丈夫なのか?」

意味の解らない質問に疑問符を浮かべる。まさか…言葉の意味まで多少違うというのか?

…まさか、無意識?

深刻な事態に遭遇したかのように紅は、彼を見つめて考え込み…いや、なんでもない、と勝手に完結してしまった。

“灰身滅智(けしんめっち)…それは、仁と他の人間との飛び抜けた差を見せる力だった。その力を使うとあらゆる身体の機能が向上する。デメリットとしては…精神が削られる。仁はここぞという時にしかそれを使わなかったが…それでも、心は次第に弱っていった。

…まぁ、あいつが側にいたからなんとかなってたんだが。

その力の使用中は瞳の色が赤く変色し、白髪に変わる。特にデメリットでは無いように思えるが…何か、その強大な力の理由を指し示しているのかもしれない。

髪の染まり具合からして、完全じゃないにしても…まさかこっちの仁も使えるなんてな…。いや、というより常にそうなってるんじゃ…気を失っていてもずっとそうだったようだし。…まさか、制御出来てない?じゃあ…ずっと、削られている?

長い物思いに耽る紅を見つめる彼が、途端に少し恐ろしくなった。

…どんな闇を抱えて、その力に目覚めてしまったんだ。


…正直言って、紅が何を思ったのか気にはなったが、しつこく尋ねるわけにもいかず、飲み込んだ。

「お前はとりあえず…この世界の仁とは赤の他人だってことにしとけ。その方がお前もいいだろ。突然現れたのも、魔法士マジシャンに襲われたとか何とか言っておきな」

言われたことに素直に頷き、ベッドから立ち上がる。夕日が窓から部屋の中を照らし、それが紅の真紅の髪を、業火のように映えさせる。

「お前はこの世界では…灰(かい)、そう名乗るといい」


出会いの月が終わった5月頃、高校2年生の彼は、いつも通りの帰路についていた。

独りだった。辛くない。それが…人生だ。

1年生…それも【初めの頃】は違ったのだが、彼は思い出すことを拒んだ。彼の真紅の瞳と、先の部分にしか黒が残っていない白髪は、その頃との埋まりようのない差をよく表していた。

そういえば…今日、随分久し振りにあいつに声をかけられたな。

学年でもずば抜けた知力を持った、天才。飛び級で10歳のくせに高校2年生にいる、名前は…裏神うらかみ 空そら。

唯一と言ってもいい、彼が覚えている女生徒の名前は、全校生徒…いや、同じ地方にいて知らない者はいないであろう名前だった。

何て言われたんだったか…確か。

思い出そうと口元に手をやり思考の構えを取ろうとした…その瞬間、彼の視界は、“if”に染められた。

…その日に限って、普段四六時中着けているイヤホンを何故か着ける気になれなかったのは…或いは世界が、止めてくれたのかもしれない。

「っ…なん、だよ…!」

彼の視る世界が、別のものへと切り替わる。

ーーー後ろから迫るオンボロな軽トラックは自分を吹き飛ばし、吹き飛ばされた先の電柱に頭部が綺麗に当たる。意識は…空の彼方へ。

ーーー後ろから迫るトラックに気付き、瞬時に横へ跳ぶ。避けられはしないが地面に打ち付けられただけで済んだらしく、傷は深いが意識もまだある。


二つの見えた結果から、後ろを瞬時に振り返った。

なるほど確かに、軽トラックが自分に向けて迫っていた。運転手はやつれた4.50代の男で、焦りと怯えを持った瞳でガタガタと震えながら運転していた。

車線から逃れようと横へ跳ぶ。…結果は先程の通り、半身間に合わず、宙に舞ったその体は地面に叩きつけられ、痛みは意識を闇に引きずり落とそうとしていた。

「へ、へへへ…やってやった!これで、1億!ざ、ざまぁみろってんだ…。こんな極悪人、殺したって罪にならねぇはずだ」

運転席から出てきた男は、右手に鋭い刺身ナイフを持っていて、どうにも彼を殺しに来たらしかった。

体に力が入らない…それに、視界も霞んできていた。

結局…死ぬ、のかよ…!

そんな時、彼の瞳はまた、ifを映した。

先程とは少し違い…今いる世界にifが映る。倒れた彼の隣、見たことのない可憐な少女が薄れた体で倒れていた。少女は虚ろな瞳でこちらに手を伸ばす。どうやら彼の姿は見えていないようだったが。

「こ、殺す…!」

倒れた彼の意識があることに気付いたのだろう、驚いた顔でナイフを握り締めると、男はそれを彼の左腕に突き刺した。

「ぐぁ…っ!」

未だ感じたことのない鋭い痛みが彼を襲う。心臓を狙ったらしい男は、人にナイフを刺した感覚に震えを強まらせ、その場で固まっていた。

苦痛に顔を歪めながらも、隣の少女に右手を伸ばし…2人の手が触れた瞬間、彼の意識はifへと飛んだ。


〜〜〜〜〜

「うおっ!」

意識が覚めた時、彼の体は誰かに投げ飛ばされたかのように世界に投げ出され、地面と激突した。

痛む頭を押さえようと左手をあげようとして、腕に刺さった包丁の存在を思い出した。痛みに小さく悲鳴を上げつつ、何時までもこの場に止まるわけにはいかないと、顔を上げた。

…そもそもここは何処なんだ。何が、どうなってるんだ。


そこに居たのは、3.40人ほどの人々。人間のものとは思えない、獣が持つような尻尾や耳を持った者や、一部が機械化している者など、様々だった。彼らは一様にして、高校生が着るような制服に身を包んでおり、周りの机椅子、黒板などから…どうやらここは学校の教室の中らしかった。

「き、北神様!?」

「なに!?」

彼らも突然彼が現れたことで驚いたらしかったが…それよりも驚いたのは彼だった。

「なん、で…名前を……」

車に轢かれ、血を大量に失い、意味のわからない状況に突然巻き込まれ…彼の脳ショートを起こし、気絶してしまった。


ーーあの日から、奇妙なものが見えるようになった。それは…もしもの未来。適当に…その力を、結論イフルーの仮定トイフと名付けていた。…名前をつけるのは必要だろう?

例えばAさんの右手に赤い玉、左手に白い玉を握らせ、それをシャッフルする。その後、能力を使う。タイムラグは無いに等しく、一瞬の間に百回視たとして、その内右手に白があったのは80回、だということがわかったりする。Aさんの傾向が分かるわけだ。

ただ…その物事が起こるその時から離れすぎている物に対しては能力を使えない。具体的には…半日前ぐらいか。例えば家を出るときに、傘を持っていくか否かで能力を使い視る。雨が降っていたなら、遅くても半日後には、雨が降ってる可能性が高いことが解り持っていける。例えば、どのアイスを買えば当たりが取れるか、の時は、少なくともアイスが目の前にある状況じゃなきゃ、視れなかった気がする。要するに…何かしら選択を迫られた場合にしか使えないということだ。

そして、未来予知としては使えない。核が落ちる景色が見えたとして、それはもしかしたら一億分の一の確率の、ifを見たかもしれないのだから。ないとは思うが…一億分の一の確率を何度も引き当てて視えてしまうことだって無くはないのだ。

…それとは別に、俺の意思と関係なく勝手発動することがある。それは先程のような、生命に関わる場合や、今後を左右する選択が訪れる直前。

先程のは…よくわからない。後者のモノの亜種…?今迄見えたものに触れることなんてできはしなかった。それなのに……よくわからない。


目覚めて早々に考えを纏めていた彼は、ベッドの上に寝転がっていた。窓の外には校庭らしきものが見えることから、どうやら学校の保健室らしい。左腕を見ると、何故か跡形もなく傷が消え…車で轢かれて傷んでいたはずの体の節々も、何の問題も無くなっていた。

「…気がついたか」

扉の開く音がしたかと思うと、見知らぬ男性がベッドの横に現れた。男は普通の…元いた世界では普通見ることのない、逆三角形の素晴らしく鍛え上げられた体を見せつけるように、体に合わない黒のジャケットのみを羽織り、同じく黒のズボンに身を包んでいた。腰に携えた二本の紅いナイフも目を惹く。そんな異質彼に、圧倒されるのは当然だろう。それに加えて…牛が持つような二本の大きな角が生えていた。

「…あなたは?それに、自分は身体中傷だらけだったはず…何をしたんですか」

取り敢えず、敬語を使うことにした。明らかに…そう、彼の予想が正しければ…ここは

「俺か?俺は紅くれない、好きに呼んでくれて構わねぇ。体の傷なんか、回復の魔法マジックを使えば一瞬だ」

紅は部屋の隅から椅子を取り、ベッドの横に置き腰掛けながらそう告げた。

魔法…そう、そんな予感はしていた。そんな非科学的なものが、何処かに存在するということは…自分の能力の存在が証明していた。

「そうですか…。ところで、あの学生達は何故、自分の名前を?」

「あー待て待て、敬語なんか使うな。鳥肌が立っちまう」

わざとらしく肩を抱き、大きな体を縮こませると、そう彼は口角をニッと上げて微笑んだ。

「お前さんは…少なくとも俺が知ってるお前は、この国の軍で諜報員として働いていた。俺はお前の師匠だった。さっきの学校は士官学校、お前は学生の身でありながら最重要任務をこなし、そして…」

揚々と語り出した紅だったが、次第に調子を落としていき、黙り込んだ。

「…命を、落とした?」

その言葉にピクリと肩を震わせ、彼は苦笑いをして頷いた。

「…ああ。国同士がぶつかり合った時、お前は逃げ遅れた生徒達を逃がす為に、命を尽くしてくれたんだ」

そういうと彼は頭を掻き…しばらくすると、よし!となんでもないように再び口を開いた。

「今度はこっちの番だ。お前は…何者だ?俺の知ってるお前は確かにあの時、死んだはずだ」

ジッと疑りの視線が刺さるのを感じた。…それはそうだ、死んだと思ってたやつと似ているのが突然現れたら、そうなるだろう。

「俺は…北神きたがみ 仁じん、そこらへんの普通科高校に通ってた、まぁ…ただの2年生。俺が居た世界には魔法なんてなかったし、武器の所持も許されてない」

「お前さんの…世界?」

「ああ、俺は多分…こことは別の世界から来た」

突拍子も無いその発言に、ポカンと口を開いていた紅だったが、少し考えながらも、その根拠は?と続けるように促した。


自分について軽く説明し、能力のこと、ナイフが刺さっていた理由を話した。

「…もしもの世界、ね…。解った、信じよう」

紅はそう頷いた。…まさかこんなに簡単に信じられるとは思わず、彼が逆に怪しむことになった。

「…少しは疑ったらどうなんだ」

「本当だろうと嘘だろうと、別にどっちだっていい。…さて、帰り方も解らないんだよな?」

頷く。そして…自身の置かれた状況を思い出した。

…そうだった。金は多少あるが通貨が違う可能性もある。身分は証明されてないし、魔法も何も持ってはいない。…どうやって生きていけばいい。…帰りたくはないが…あの世界に置いてきてしまったも事もある。それにもしかしたら…この世界に来れたように、別の世界ーーもっと特別な世界に行ける可能性だってある。その為には…俺がまだ知らない、この能力を使いこなせなければならない。

「この世界の仁が稼いだ金はお前が使ってくれていい、家も掃除させておく。メイドも付けとけば大体なんとかなるよな?」

そう言いながら、スマホによく似た携帯端末を動かす紅の言動に、彼の頭は混乱しだし、頭を軽く抑え込んだ。

「待ってくれ、あんたは…一体どういう立場なんだ。そもそもどうしてそんなに尽くしてくれる。言っておくが、この世界の“俺”と俺は別人だ。変な期待をされても困る」

彼の言葉に、何故か紅は笑みを浮かべた。

「言ってなかったか?…俺はここらへんの街の管理を任されてるんだ。困ってる人を助けるのは俺の義務だからな。同一視なんかしねぇ。ここの世界のお前とは色々と全然違うしな」

…その図体で、頭脳派なのか…?と口に出しそうになるのをなんとか抑え、はぁ…とだけ言葉を漏らす。

スラスラと、思ったことをそのまま言ったかのようにそう告げながらも指を滑らせていた紅は、終わったのか、よし!とポケットに機械をしまい、立ち上がった。

「ところでお前…大丈夫なのか?」

意味の解らない質問に疑問符を浮かべる。まさか…言葉の意味まで多少違うというのか?

…まさか、無意識?

深刻な事態に遭遇したかのように紅は、彼を見つめて考え込み…いや、なんでもない、と勝手に完結してしまった。

“灰身滅智”…それは、仁と他の人間との飛び抜けた差を見せる力だった。その力を使うとあらゆる身体の機能が向上する。デメリットとしては…精神が削られる。仁はここぞという時にしかそれを使わなかったが…それでも、心は次第に弱っていった。

…まぁ、あいつが側にいたからなんとかなってたんだが。

その力の使用中は瞳の色が赤く変色し、白髪に変わる。特にデメリットでは無いように思えるが…何か、その強大な力の理由を指し示しているのかもしれない。

髪の染まり具合からして、完全じゃないにしても…まさかこっちの仁も使えるなんてな…。いや、というより常にそうなってるんじゃ…気を失っていてもずっとそうだったようだし。…まさか、制御出来てない?じゃあ…ずっと、削られている?

長い物思いに耽る紅を見つめる彼が、途端に少し恐ろしくなった。

…どんな闇を抱えて、その力に目覚めてしまったんだ。


…正直言って、紅が何を思ったのか気にはなったが、しつこく尋ねるわけにもいかず、飲み込んだ。

「お前はとりあえず…この世界の仁とは赤の他人だってことにしとけ。その方がお前もいいだろ。突然現れたのも、魔法士マジシャンに襲われたとか何とか言っておきな」

言われたことに素直に頷き、ベッドから立ち上がる。夕日が窓から部屋の中を照らし、それが紅の真紅の髪を、業火のように映えさせる。

「お前はこの世界では…灰(かい)、そう名乗るといい」


紅に連れてこられたのは、よくある普通の一軒家だった。特に外装もおかしな様子は無く…ポカンと見つめていると

「んじゃあ俺は色々報告しなきゃならないから帰る。…そうだ、高校生2年って言ったよな?」

「?あ、ああ」

「明日は改めて士官学校に行ってみるか?」

思わぬ提案に少し驚き、そして気がつくと、溜息が漏れてしまった。

「学校には嫌な思い出しか無い」

「まぁお前が何て言おうと一度は連れてく気なんだがな。うちの士官学校はそのまま軍にくっついてる。街の管理も軍が仕切ってるし…そういう意味では結構重要なところなんだよ」

はぁ…と頭を振りながらも頷く。

「それじゃ、家の中に入ればメイドが居るはずだから、後はそいつに聞いてくれ。…少しドジだが、いい奴だから」

…本当はメイドは二人居たんだが。…姉の方は、あいつといつも一緒で…戦闘の連携も中々だった。

かつての思い出に耽り出した紅の横顔は哀愁を帯びていて…彼は声を掛けられなかった。


意を決してその家の門を開く。小さな庭の手入れは行き届いていて、使われていない駐車スペースも綺麗にされていた。

息を吸い…吐く。メイドなんて見たこと無い。…いや、そもそもこの家にたどり着くまでの道中だって、不可思議な物だらけだったか。…普通に銃やらを持っている人がいるというだけでも、かなり驚いた。

よし、と気合を入れ…玄関の扉を開いた。

扉を開いた先は、桃色の髪で獣耳、尻尾を持った、ロングスカートのメイド服を着た女性が正座をしている…という奇妙な状況だった。

「は、初めまして!今日から灰様の身の回りのお世話をさせていただきます!至らない所も沢山あるかもしれませんが、ょ、よろしくおねがいします!」

ずっと待っていたのだろう、しかし、突然現れた灰に混乱したのか、人見知りなのか、顔を真っ赤にして早口でそう、一方的に挨拶をされた。

…ここに着く前の道中でも、それらが付いている人や、尖った耳や、羽を持った人まで居て…そういうものなんだな、と察していた。触ってみたいが…そんな度胸は無い。一回転もして欲しいが…それを頼む度胸も当然無かった。

頭を下げた彼女に、今度は彼が戸惑う番だった。…人と話すことさえ最近はご無沙汰だった。これでもコミュニケーション能力は決して低くない筈なのだが…女性と話すとなると話は別で、相手も緊張しているとなるとかなり難易度が高い。…そんな心境を顔には出さないが。

「…えっと、名前を聞いても…?」

「あっ…ご、ごめんなさい!フィーリアとお呼び下さい!年は15歳、趣味は家事全般で、好きな食べ物はチーズケーキです!」

フィーリアは顔を上げると、聞いてないことまで答えてくれた。

「そ、そうですか…えっ…と、取り敢えず…よろしく?」

「や、了解やー!」

彼女は何故か、背筋をピンと伸ばし右腕をくの字に曲げて敬礼をした。

「……やー?」

「あ、ご、ごめんなさい!つい癖で…」

えへへ…と頬をかいた彼女は成る程、良い人そうだった。

「あっ、いつまでもごめんなさい!お食事もお風呂もご用意できていますが、如何しますか?」

フィーリアはそう立ち上がると、道を譲るように横に立ち、そう尋ねた。

「あ、ああ…。じゃあ、ご飯の方で」

「ゃ…か、かしこまりました!」

…またヤーって言いかけたな。

彼女はお辞儀をすると、ご、ご案内いたします!と居間へ先導してくれた。


「…おいしい」

「ほ、本当ですか!?」

フィーリアが出してくれた肉じゃがを、特に何も言うことなく食べていたが…不安そうにチラチラと様子を伺っていたので、とりあえずそう感想を告げた。パァァ…と眩しい、安心した笑みを浮かべて胸を撫で下ろす彼女の様子は…彼が未だ感じたことのない種類の癒しだった。加えて、ブンブンと揺れ動く柔らかそうな尻尾と立ち上がった耳もまた、犬猫に似た愛らしさ漂っていた。

「じ、実は料理はあんまり得意じゃなくて…心配だったんです」

「りょ、料理に得意不得意なんて…ある、のか…?」

一時期自炊しようかと思ったこともあったが、思いの外手間だったから投げ出したのを覚えている。料理自体は、大して難しくなかった筈なのだが…。

「い、いえ…。もしかしたら紅さんに聞いているかもしれませんが…私、ほんとうにドジで…調味料を間違えたり、皮を剥き忘れたり、調理工程を飛ばしちゃったり…」

それはまた…と苦笑いを浮かべながら、久し振りの誰かの手料理を、良く味わって完食した。


風呂に入り、その後、部屋に案内された。部屋の内装は、本棚にタンスにベッドに机…といった、普通、の部屋だった。ただ本棚には、漫画や小説の他に、いかにも魔道書、といったものがチラホラ見られ…また、壁には日本刀と小太刀が一本ずつ掛けられていた。

「これ、は…?」

「それは…この世界の仁様が使っていた、硝子の武器の予備ですね」

取っても?と聞くと、もうそれは灰様の物ですから…とのことだった。

日本刀を抜いてみると、部屋の明かりに照らされて、刀身が薄く虹色の光を反射した。

「色収差を極端にしてるそうですよ。…綺麗、ですよね」

「…ああ」

「硝子の剣はとても薄くて軽いのに、切れ味が鋭いんです。…その分とても脆いから、強化の魔法をし続ける必要があります。ですが強化のしかたを誤ると、硝子が砕けてしまう…とても、難しい武器なんです」

フィーリアの解説を聞きながら、この世界の自分のことを考えていた。

…俺は、“俺”に、追いつけるのか?

彼は光を反射し輝くその刀身を、自問しながら見つめ続けた。


「…あっ」

何か思い出したのか、フィーリアはメイド服をガサゴソと漁り始め…

「私も、お揃いのを作っていただいたんですよ!」

自慢げにそう、満面の笑みで二本のナイフを何処からか取り出し見せてくれた。

…明るい人だな。

思わず漏れていた微笑みに、灰は気付かない。

「…この世界の仁は鍛冶屋もしてたんですか?」

少し引っかかったのでそう尋ねる。鍛冶屋に一緒にオーダーした、という意味かとも思ったが…

「あっ、…ぇっと、ま、魔法で作っていただいたんです」

笑顔で語ってしまっていたのを思い出したのか、下を向いてしまいながらもそう教えてくれた。

「…それは、俺もできるのかな」

無意識に呟かれたその言葉に、ピクリと彼女の耳が反応した。

「そうですね…。あっこの本…」

できるのかな…?と首を傾げて考え、視線を本棚に泳がせると、魔道書らしきものの一冊を取り、差し出してくれた。

「この本が丁度、強化、投影の魔道書です。ですが…中の文字は読めませんよね?」

本を受け取り、最初のページを見る。…見たことのない文字群は、何を伝えているのかさっぱり解らなかった。

首を振る。

「まぁ…文字については紅さんがなんとかしてくれると思います。魔法には向き不向きがあって…私も、少しは投影はできるのですが…この世界の仁様のような、性質の弄られた硝子で、尚且つ精巧な武器は作れません。…試しにやってみますね」

フィーリアはナイフをしまうと、瞳を閉じ、手を前に出した。

「投影します…!」

フィーリアの手元の光が集い…それらは徐々に伸びていき…光は剣の形状に収縮し…やがて鉄と化した。

「ふぅ…。投影は繊細な魔法で、使う魔力量も多いですから、使う人はあまりいないんです。構造に穴があって大事な場面で壊れてしまう…なんてことも起こり得ますから」

フィーリアに剣を渡され、それを受け取る。…20〜30kgぐらいだろうか。急に渡されて、以前なら地面に落としてしまったかもしれないが…あの日以来、筋肉がついたわけでもないのに、力が付いた気がしている。

「武器以外にも色々作れますから、一応できる、って人は多いんですよ。…私もよくお皿を割ってしまって…その度に直していたんです」

「それは…中々便利ですね」

できるなら是非その力は欲しい。…いや、魔法は出来る範囲全部欲しいんだが。

「強化に近いですが、“復元”なら、材料無しに作る投影よりも魔力量は少なくすみますから…」


彼女は何か引っかかるのことがあるのか、う〜ん…?と首を傾げ、ぁ…と、納得したらしい小さな息を零した。

…やっぱり、仁様と灰様は…違う方なのですね。

「…灰様は、普段敬語を使っておられるのですか?」

「?…ああ、成る程。いや、なんていうか…女性と話す経験が極度に少なくて、一歩下がってしまうというか…反射的にそうなるというか」

「そうでしたか…。メイドに敬語を使う方はそう居ませんので、なんだかくすぐったくて…」

失礼しました、と頭を下げるフィーリアに、今度はこちらが首をかしげる番だった。

「そんなに変?…まぁなら、気をつけるよ」

はい!と元気に頷いた彼女は剣を、光に戻して消滅させた。


ベッドに横になって、今日の出来事を振り返る。

…世界。…最高だよ、お前は。

…なに言ってんだ俺は。

無神論者の彼は、神ではなく、“世界”に感謝した。

幸運を感謝したのは、随分と久し振りだった。小さな幸運、不幸はもう…流すようになっていた。大きすぎる不幸が訪れた日から、神なんてものは、いない…いや、いたとして、助けてくれない、何の意味も無いのなら…一緒だろう。

それからは、“世界”の意思の存在を思うようになった。神はいなくても…自分が生きている、この“世界”は絶対に居るのだから。きっと彼女は見ているだけしか出来ない、大いなる…しかし少し哀しい存在なんだ、と。

……明日はどうなるんだろう。…案外、起きたら元の世界に戻ってたり…。

悪夢を想像してしまい、その途端に腹痛に襲われた。

…体に触れていたからか、鞄はこちらの世界に届いていた。彼が倒れていた間に、紅がこの家に届けるようにしてくれていたらしい。居間に鞄がポツンと置かれていた時には、どれだけ彼がホッとしたことか。

食後からはかなり経っていたが、整腸薬を飲む。毎日朝と夜に飲むそれは、最早効果はなさそうだが…一種の精神安定剤として効果を発揮していた。

…元の世界とこの世界…随分と自分の性格が違う気がする。それは…他人≒敵だったあの世界とは、彼の置かれた状況が違うからだ。…元の世界の奴らは9割方ろくでもなかったが…別の世界、彼らはきっと…夢見たような存在達であるかもしれない、そう願っているからか。少なくとも…自分を助けてくれた人達を、無下に扱ったりなどしてはいけないだろう?


…思い出した。あの…倒れていた人は…フィーリアだ。頭がふらふらしていて、はっきりと断言出来る訳ではないが…そうだと思う。しかしそうだとして…あの見た光景の意味は…なんだったんだろう。

…いい、か……眠い。


…世界。…どうか、夢じゃありませんように。

願いを虚無に届けながら、彼は布団にくるまり、瞳を閉じた。

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