呆れもの同士
おととゆう
第1話 同士
青い瓦屋根。
ひとつづきになった長屋のような細い家が連なっている。
そのうちの1つで、私達は育った。
この町で一番大きな国道から一本外れた奥。
玄関と玄関が向かい合う細い私道は、当たり前のように私たちの遊び場所で、いつだって私がロウセキで描いた絵があった。
雨が降って絵が消えて、泣いてしまったこともあったな。
そうしたらいつも、頭を撫でてくれた。
晴れたら一緒に描こう、なんて言って。
お兄ちゃんと一緒に使っていた部屋は、二段ベットで半分こに仕切っていた。
上の段には私。下の段にお兄ちゃん。
二段ベットの上は蛍光灯に近くて、目を細めて見たら、なんでだか目玉がたくさん浮遊して見えた。
それが怖くて、結局下の段のお兄ちゃんのところに潜り込んだ。
私達の部屋の窓は、分厚い花柄のガラスでやたら重い。
ガララと両手で開けたら、この辺で有名な神山だっていう山が見える。
いつもここから祈っていた。
叶うはずのないことを。
お兄ちゃん。
お兄ちゃんができてから、20年たった。
子どものころ、このあたりに女の子は私だけだった。
お兄ちゃんにくっついて、となりの家のヒデと、三人あちらこちらに走り回っていて、男の子のようだった。お兄ちゃんのお下がりが大好きだった私は、母が買い揃える可愛らしいスカートよりも、お兄ちゃんのデニムの裾を折り曲げて着ていた。
家から少し歩けば広がる土手沿いで、田んぼの隅の薮に秘密基地を作った。草が生い茂っていて、とんできたバッタに飛び跳ねて驚くと、お兄ちゃんが抱き留めてくれた。
男の子のフリしても、虫は怖かったんだ。
大丈夫。大丈夫だよ、ってふにゃふにゃな優しい笑顔で、頭撫でてもらうのが好きだった。
その横で、ヒデがぽいっとバッタを捕まえて飛ばした。
お前、怖がりだなーって口をくいっと上げて。
いっつもそばにいた。
いっつも甘えてた。
お兄ちゃんが好きだった。
お兄ちゃんが好きでした。
「まぁ~~お綺麗に準備して。気合入ってんのな、お前。」
重たい窓をガララとあけて、ヒデがひょいっと入ってきた。重たかったはずの窓も、今となっては、簡単に片手で開いてしまう。
丁寧に、丁寧にネイルを塗る私の後ろをすたすたと歩いて、襖のふちに掛けた淡いベージュのドレスをべしっと指で弾く。
『で?わざわざ白っぽい色準備するとか、なに?』
ククッて喉の奥を鳴らした笑い声に、すっかり慣れている私は、わざわざ腹を立てたりしない。
『案外執念深いのな。こえぇぇーなー。小姑って。』
ヒデの手が、またドレスに触れて、ふと目を細めた。
『…バカじゃないの。お前。』
その急に静かになった声に、ヒデの言いたいことがわかる。
ちらっと横顔を見たけど、すぐに目をそらした。
マニキュアは、まだ乾かない。
『振袖なんか動きにくいもん、着せられるよりましでしょ。』
『着りゃいいのに。振袖。』
『いやよ』
『なんで。』
『そんな、一目瞭然な親族の格好したくない。』
ヒデが、はぁ、とため息をついた。
うるさいな。
あぁ、もう。
うるさいな。
あんただって、同じくせに。
『あんたは?何着んの?』
『…別に。普通にスーツだわ。』
『白いタキシードでも、ご用意なさったの?』
『バカか』
『…着りゃいいのに。タキシード』
『うるせぇ』
人の事好き放題言うくせに。
分厚い花柄の窓には、ほんのり夕日が染み込み始めた。
明日はお兄ちゃんの結婚式だ。
そして、この小さな古い古い家の一部屋で、私とヒデはおそらく、お兄ちゃんの事を考えている。
お互いが考えてることを、わかりすぎるくらいわかる私たちは、目を合わせることができない。
そうしたら、言わなくていいことをきっと口にしてしまうんだ。
今日から、紗季ちゃんのお兄ちゃんですよ。
私の一番古い記憶は、お母さんがそう言って背中を押したあの瞬間。
紗季ちゃんっていうの?
うん。
おれね、トオル。
とおる?
そう、今日からお兄ちゃんだよ。
私の手を握ってくれた、
お兄ちゃんの手を覚えてる。
揺れた瞳を、覚えてる。
あの時から、お兄ちゃんは私の全てになった。
『ちょうどいいんじゃないの。この際。』
いつの間にか、私の横にすとんと腰を下ろしたヒデは、ローテーブルに顎を乗せて唇を尖らせる。
ぼんやりした視線は、ゆっくりピンク色に染まる私の爪を見つめていた。
『何がよ』
『もう、俺らも区切りつくんじゃないの。』
蛍光灯にたくさん目玉が見えた。
そう言ったら、おにいちゃんは『マジか、すげぇなそれ』って笑ったけど、ヒデは目を真ん丸にした。
急な階段を、一息に飛び降りたことがある。
っていったら、お兄ちゃんは私に目線を合わせて、腕をつかんで言った。
『紗季は女の子なんだから、そんなことしたら危ねぇだろ?』
珍しく眉間にしわを寄せたお兄ちゃんの後ろで、やっぱりヒデは目を丸くした。
あとでこっそり教えてくれたのだ。
『俺も見えた。蛍光灯の目。すげえ揺れてんだよな。』
『飛んだことがあるよ。階段。ふわっとおりるんだよな、なんだろなあれ。夢かなんかわかんないんだけど。』
ヒデはおそらく私の気持ちが、お兄ちゃんよりわかる。
私が中学生になった時、お兄ちゃんが彼女を家に連れてきた。
その時、ヒデの胸で泣いたのだ。
ブラコンかよ、って笑いながら、秘密基地でお兄ちゃんが撫でてくれたように、和は私の髪を撫でた。
時々、抱きしめる腕に力を込めながら。
『来ちゃったねぇ、こういう日が。』
と、こぼしながら。
その時悟ったのだ。
私とヒデは同士だ。
叶うはずもなくて、
叶えてはならない人を、
どうしようもなく好きになってしまった、
呆れた者同士なのだと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます