罪を知らない少女

 1年前の5月から、罪を知らない少女は変わり始めた。きっかけはある同級生に助けられたこと。


 あの日、椎名真紀はいつも通りに登校し、クラスの自分の席に座った。そして、彼女は朝礼までの暇な時間を潰すために、鞄から文庫本を取り出す。この学校に通い始めて1か月半程経過したが、彼女には友達がいない。

 あの同居人は友達を作っても構わないと言っているが、真紀にはそれができなかった。

 デスゲームの運営に関わっている彼女は、友達は足枷に過ぎないと考えていた。友達と遊ぶ時間が増えれば、ゲームに関わる時間が少なくなる。そうなれば目的に支障が生じてしまう。それだけはどうしても避けなければならなかった。


 秘密を隠すために友達を避けている真紀は、不愛想にクラスメイトと接してきた。放課後一緒に遊ばないかと同級生が誘ってきても、彼女は冷たく突き放す。その結果、真紀の周りには1人の少女しか寄り付かなくなった。


「真紀。また恋愛小説でも読んでいるんでしょ?」

 文庫本を読む少女に近づきながら、優しく微笑んでいるのは、白井美緒だ。

「退屈だから」

 顔も合わさず適当に返されたにも関わらず、美緒は真紀の机の前に立ち止まった。

「そんなに本が好きなら、図書委員にでもなれば良かったのに。そうしたら、高校生活を楽しめるよ」


 正直うっとうしいと真紀は思った。白井美緒はクラスで孤立している少女に対し、進んで話しかけてくる。仲間はずれが嫌いなのは分かるが、あまり自分には関わらないでほしいと彼女は思った。


「家の都合で学校が終わったらすぐに帰らないといけないからね。そういうのはちょっと……」

「そういえば真紀って先週の金曜日の放課後、すごく悲しそうに夕焼けを見ていたよね。どうしてあんな顔をしていたの?」


 この質問を聞き、真紀は沈黙してしまう。すると、美緒は両手を合わせ、真紀に謝った。

「ごめんね。変なこと聞いて。答えたくなかったら答えなくてもいいよ」


 その直後、チャイムが鳴り白井美緒は席に戻った。そして、担任教師が大量の紙を抱えて教卓の前に立った。

 学級委員の号令が終わると暑苦しい担任教師は教卓を叩く。


「早速だが、全国模試の結果を返す。先に言っておくが、このクラスに全国ランキング6位の好成績を収めた生徒がいる。これはこの学校始まって以来の快挙だ」

 とんでもなく頭の良い生徒が、このクラスの中にいると言う事実は、教室を騒がす。緊張する空気の中、担任教師はその生徒の名を呼んだ。

「椎名真紀さん。全国ランキング6位。おめでとう。このレベルだと東大合格も夢じゃない」


 椎名真紀の功績が明かされ、クラスは険悪な空気になる。彼女の入学当初の不愛想な態度が災いし、称賛よりも非難の声が強まったのだ。


「あんなに頭が良いんなら、進学校の桜内高校に通えばよかったのに……」


「態々レベルの低い高校を受験して、校内1位の成績って。ただ威張りたいだけじゃないの?」


 休憩時間、クラスでは椎名真紀を非難する声が多く聞こえた。だが、本人は気にしない。


 誰が何と言おうと、どうでもいい。そう思っていた矢先、1人の少年が異議を唱えた。

「全国ランキング6位ってスゴイことだな。桜内高校受験できなかったのには、何か理由があるんだろう。インフルエンザにかかって受験できなかったとかな。だから、一緒に喜ぼう」



 真紀にとって興味のなかった少年、赤城恵一の言葉で、非難する声が消え始めた。

 空気を一変させた少年の顔を、真紀はジッと見る。優しさに満ちた少年の瞳は、天才少女の物とは正反対で、真紀の頬は一瞬赤く染まった。

 クラスの空気が変わり、彼女を称賛する声が溢れた。その結果、中間テストのヤマを全国ランキング上位の天才女子高生に聞きに行く男子も増え、椎名真紀の高校生活は華やかな物に変わった。

 

 次の休憩時間。椎名真紀は首を縦に動かし、他の男子生徒の輪に入り楽しそうに話す赤城恵一の元へ歩み寄った。それから彼女は頬を赤く染め、少年に笑顔を見せる。

「赤城君。さっきはありがとうございました。お礼に缶ジュースでも奢らせてください」

 突然のことに恵一は一瞬戸惑ったが、すぐに笑う。

「本当のことを言っただけだ。だからお礼なんていらない」

 少しだけ照れた恵一に対し、周りにいる男子生徒は冷やかし始める。

「カッコイイですな。付き合っている白井さんもそんな所に惚れたんだろうなぁ」

「だから美緒はただの幼馴染だって言っているだろう」

 満更でもない少年の表情から、真紀は事実を読み取る。周りにバレバレだが、赤城恵一は白井美緒のことが好きなのだろう。

 この事実は白井美緒にも同じことが言える。お互いに好きだが、幼馴染という関係から抜け出せない。これが幼馴染恋愛。

 自分が彼に惚れたとしても、二人の間に割って入ることはできない。悔しい思いを胸の抱えた真紀だったが、男子生徒のやり取りを見ていると、自然に笑みが零れた。


 男子同士のやり取りを近くで見ていた白井美緒は不愛想な少女が笑っているのを見て、彼女に近づく。その後で美緒は真紀に笑顔で話しかける。

「真紀の笑った顔ってカワイイね」

 あの日から、椎名真紀は笑わなくなった。しかし、今彼女はクラスメイトのやりとりに笑っている。さらに、笑顔がカワイイと褒められた。

 その瞬間、真紀の心は揺れ始める。ぶつぶつと湧きあがる罪悪感を隠した少女は、再び笑顔を見せ、自分の席に戻った。



 放課後を迎え、椎名真紀は胸を躍らせ、一目散に帰宅した。初めてあの世界に行ける。それは、彼女にとってとても嬉しいことだった。

 嬉しいという感情は周りにもバレバレで、休み時間の度にクラスメイト達は彼女に対し何度も尋ねる。「何が嬉しいのか」と。

 偶然にも模試の結果が良くて喜んでいるという理由で、本当の理由を隠すことができたことが幸いした。自分がデスゲームに関与していることは、周りの人間には秘密。他人に知られたら、目的に支障が生じてしまう。あの同居人に迷惑をかけたくないという思いで行動していた少女は、帰りを急ぎながら、2人の同級生の顔を浮かべた。

 赤城恵一と白井美緒。あの2人はクラスで孤立していた椎名真紀に優しい手を差し伸べた。2人の優しさに触れ、少女の中で罪悪感が生まれようとしていた。

 それは、嬉しいと感じる心に食い込んでいく。本当に喜んでいいのか。悩んだ少女は、自宅の玄関に到着し、すぐにドアを開けた。すると、それを待っていたようにリビングから足音が聞こえてきた。

「ただいま」

 そう挨拶すると、彼女の帰りを待ち構えていたラブが廊下を歩きながら挨拶を返す。

「おかえり。真紀ちゃん」

 この瞬間、真紀は自宅にラブが潜んでいることを知る。

「もしかして暇なの?」

 出迎えがあるとは予想していなかった真紀が疑問を投げかける。しばらく後、ラブは玄関先に顔を出し、覆面の下で苦笑いした。

「暇なわけないじゃない。真紀ちゃんが無事にあの世界に行けるのかを見届けないと。真紀ちゃんがいないと目的は達成されないから」

「それだけ私のことを大切にするんだ」

「まあね。それで全国模試の結果は?」

「全国模試は全国6位の成績だったよ。詳しいことは後で話すけど、クラスのみんなと打ち解けることができたから。これで桜内高校受験を断念してまでやりたかったことが実現する」

 嬉しそうに笑う真紀の顔を見て、ラブは何かを感じ取った。そしてラブは突然彼女の体を抱き締める。

「罪悪感なんて必要ないよ。何も悪くないから。本当に苦しくなったら、あっちの世界へ逃げればいい。私はできないけど、真紀ちゃんならそれができるからね」

 ブツブツと湧き上がる罪悪感は、ラブの手により摘み取られた。この時ラブを拒絶していたら、彼を巻き込まなくて済んだかもしれない。

 そんな後悔が待っているとは知らず、真紀はラブの言葉を受け入れ、ゲームマスターと共に地下室へ向かった。


 初めてこの世界に行くことが決まった日の出来事を思い返した真紀は、自己嫌悪に陥る。 

 椎名真紀は目的のためなら手段を択ばないクズだった。だが、赤城恵一と白井美緒という仲間外れを許さない優しい正義感を持つ2人と接してきて、少女は変わった。

 あの2人のおかげで揺ぎない罪悪感を得ることができた彼女が再び前を向くと、信号は赤になっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る