聞きたい事

 四畳くらいの小さな部屋の中で、赤城恵一は目を覚ました。怪しげな黒色のコンピュータが壁に埋め込まれたこの場所は、仮想空間の自分の部屋ではないことは、一目瞭然。

 床に倒れていた彼は、立ち上がり周囲を見渡す。ここは怪しげに光るコンピュータしかない殺風景な空間で、鉄色の扉の前に、ロングヘアの少女が佇んでいた。

 ピンク色のチャック柄のパジャマを着ている彼女は、少年が気が付いたことを知り、足を進めた。


 可愛らしい二重瞼が特徴的な少女のが近づいてきて、恵一は瞳を大きく見開く。

「東郷深雪か?」

 その問いを聞き、立ち止まった少女は思わずクスっと笑った。右手に持った携帯電話を振りながら、頬を緩める。

「さっきのメールで、椎名真紀かって聞いといて、目の前にメールの差出人が現れたら東郷深雪かって聞くんだ。おかしい。まあ、東郷深雪と私は声質や容姿まで似ているから無理もないけど」

 少女の言うように、声は東郷深雪に似ていると恵一は思った。

「ということは、お前があのメールの差出人か?」

「もちろん。赤城君。何が起きているのかが分からないようだから、ちゃんと説明するね。ここはシニガミヒロインのサブコンピュータ室。ラブやゲームの動向を監視してる運営の人たちは、この部屋かホストコンピュータがある部屋で、仮想空間にログインする。今は、シニガミヒロインのバグを利用して、一時的にあなたをログアウトさせてるんだけどね。つまり赤城君は、今現実世界にいる」

「ここが現実世界だと! でも首輪が外れていないじゃないか?」

 首に嵌められた屈辱的な輪に触れながら、そう尋ねた恵一の問いに、彼女は淡々と答えていく。

「こっちから一方的にログアウトさせて、現実世界に呼び戻しただけだから、それは外れないの。仮想空間内の自宅のベッドの上で眠っている赤城君と、あらかじめ用意したダミーを入れ替えることで出来た裏ワザだから、何回かやったらバレちゃう。おまけに仮想空間内が夜中じゃないと使えない。だから限界があるんだけどね」


 赤城恵一は、現実世界に戻ってきたという実感がなかった。でも、目の前にいる少女の言っていることが正しいとしたら、やらなければならないことがあることを彼は知っている。

 今すぐにでも部屋を飛び出して、大切な幼馴染に会いに行かなければならない。そう決意した少年は少女の横を通り過ぎ、ドアに向かって歩き始めた。ところが、彼の気持ちを察した少女は彼の右腕を強く握る。

「離せよ。1か月くらい美緒を待たせているんだ」

 恵一の右腕を掴む少女は、彼の発言を聞きクスっと笑った。

「無駄なことだから伝えなかったみたいね。赤城君。現実世界と仮想空間では時間の流れ方が違うんだよ。簡単に説明すると、仮想空間の24時間は現実世界の2時間に相当する。だから現実世界では、赤城君が美緒と離れ離れになってから1週間も経過していない」

「そんなの関係ない。美緒は俺のことを待っている」

 何としてでも幼馴染の元に戻らないといけないという強い決意を感じ取った少女は、それでも彼の手を離さず、首を横に振った。

「早く美緒に会いに行きたい気持ちは分かるけど、それはできないよ。現実世界に戻ってきたとは言ってもあなたは、この部屋から出られない。この部屋から出ようとしたら、首輪に注入された薬が打たれるから。メインヒロインに振られた時と同じように、体を蝕んでいるウイルスが物凄い勢いで増殖して、死に至る。一応あのウイルスのワクチンは持っているんだけど……」

「だったらそのワクチンを打てば、今すぐ美緒の所に行けるんじゃないのか?」

「ダメ。赤城君は一時的にログアウトしているだけなんだよ。確かにワクチンを打てば、ここから出られるかもしれない。でも、あなたの体は5分以内に仮想空間へ強制的に戻されちゃう。このサブコンピュータから離れたら、ログインに失敗して、廃人になる。そのことに気が付いた運営は、あなたを殺しに来ると思うよ。どこかに匿ったとしても、あの人たちは血眼になって探し出す。因みに、ゲームから脱落したら、自動的に外れる仕組みなんだけど、それ以外の外し方を知っているのは、ラブだけ。だから、私はあなたをここから逃がすことができない」


 現実世界に戻ってきても、待たせている幼馴染に会えないのなら、意味がない。そう思いながら、恵一は悔しそうな顔になる。すると、少女は目の前の少年の顔を覗き込んだ。

「さっきから、美緒に会いたいとしか言っていないけど、他の男子高校生はどうでもいいの? 犠牲者を出さずに全員で現実世界へ戻りたいんじゃなかったの?」

「違う。俺は美緒に会ってから、警察に行ってデスゲームのことを話すんだ。そうしたら奴らが捕まるのも時間の問題」

「そう簡単に捕まると思う? そんなことをしたらラブは仮想空間内で生存している男子高校生を皆殺しにすると思うよ。ここから逃げたら、彼らを見捨てることになる。絶対誰かを見殺しにしないっていうあの言葉が本心だったら、そんなことできないよね? 美緒との再会は諦めて」

皆殺しという言葉は真実味を帯びていると思った恵一は、背筋を凍らせた。そんな時、彼は目の前の少女が携帯電話を手にしているのに気づく。

「せめて美緒と電話だけでもしたい。絶対に生きて帰ってくるから待っていてくれって一言だけでも伝えたいんだ」

 彼の申し出を聞いた真紀は、携帯電話を掴んでいる右手を上下に振った。

「一応これには美緒の連絡先も登録されてるけど、私は反対。最初に言ったけど、あなたは一時的に現実世界へ戻っているんだよ。時間が経てば強制的に仮想空間へ戻される。あなたに与えられた時間は少ないの。そんな状態で電話したら、時間なんてあっという間に過ぎて、仮想空間に戻されてしまう。そうなったら余計に心配させちゃうでしょう。途中で電話が途切れたということは、赤城君は危ない人に見つかって、殺されそうになっているのではないかって」

「3分、いや1分だけでいいから頼む。美緒を安心させたいんだ」

 恵一は頭を下げるのだが、目の前の運営側の少女は首を横に振る。

「ダメ。その会話で赤城君が何に巻き込まれているのかを知った美緒が無茶な行動をするかもしれないでしょう。デスゲームのことを直接言わなくても、あなたの隠し事を見抜くはず。非通知設定にしたら、私と赤城君が一緒にいることはバレないけど、あの娘を守りたいんなら、連絡しない方がいいよ」

「何となく状況は飲み込めたよ。ここまで話しを聞いて、お前が椎名真紀だってことも分かった。今まで、俺は真紀と美緒が協力して俺を助けようとしているんじゃないかって思ってたけど、それも間違いだった」

 恵一の推測に、その少女、椎名真紀は首を縦に振って微笑む。

「正解。美緒は赤城君を助けたいって思ってるみたいだけど、今のところ大丈夫。すごく不安で怯えてるけどね。美緒の気持ちを赤城君が尊重したいんだったら、私のことを美緒に話すつもり。そうなったら美緒はラブに命を狙われるようになるけどね」

「イヤ、俺は美緒を危険な目に遭わせたくない。だから、真紀。お前に聞きたいことがある。どうしてお前は、シニガミヒロインに関わっているんだ。あの時、真紀は白井美緒が死んだって嘘を吐けってメールを打った。そんなことができるのは、シニガミヒロインに関わっている証拠だ」

 事実を突きつけられ、真紀は悲しそうな表情を恵一に見せた。

「どうして私がデスゲームに関与しているのかを説明したいけど、残された時間では語れそうにないの。それで、赤城君を現実世界に戻した理由は謝りたかったから。現実世界へ一時的でも帰すことができるんだったら、そのチャンスを生かさないと一生後悔する。そんな気がして……」

「謝りたいこと?」

 赤城恵一が首を傾げてみせると少女は、ある言葉を口にして、頭を下げた。

「ごめんなさい。あなたを巻き込んでしまったのは、私のせいだから」

「えっ」

 東郷深雪が『ごめんなさい』と言えば赤城恵一の体は動かなくなり、そのまま何かしらの事故や事件が起き、死亡する。そのはずなのに、何も起きていない。ということは、目の前にいるのは東郷深雪ではないのか。疑惑が強まる中で、真紀は恵一に質問を投げかける。

「プロトタイプアンサーの時や、第2回イベントゲームのルール説明映像の時に、赤城君は東郷深雪の顔を見ているよね。だけど、赤城君は何とも思わなかった。私と声質や顔まで似ているはずなのに。それと、どうして赤城君が通っている高校だけ、あなただけを拉致したのも気になっているよね。その2つの謎の答えは、私と赤城君が友達だったから」

「友達だったから、俺を危険なデスゲームに巻き込んだって言いたいのか。ふざけるな!」

 理解しがたい椎名真紀の答えに、恵一は激怒した。だが、真紀は首を横に振り、彼の怒りを否定した。

「違うよ。少し言葉不足だったかな。正確には、私と赤城君が友達だったから、それをラブが利用した。赤城君は、デスゲームの参加者であると共に、ある人体実験の被験者として選ばれたの。シニガミヒロインの世界って奇妙だよね。死んだ人に関する記憶は、最初からなかったことにされて、そうやって生まれた記憶の穴は強引に埋められる」

「何が言いたい」

「そのシステムを応用して、ある特定の人物の記憶を消去する薬を開発したの。赤城君は、その薬を注射され、椎名真紀に関する記憶を消去されていた。数少ない私の友達の中から、ラブはあなたを被験者として選んだ。DNAデータさえあれば、特定の人物の記憶を消し去ることができたはずなのに、あの薬は未完成で、赤城君は私の名前を思い出してしまった。ここで質問ね。どこまで椎名真紀のことを覚えてる?」

「美緒の友達だってことだけ」

「完全に記憶を取り戻していないんだね。あなたが私のことを思い出すまで殺さないでってラブと約束したんだけど、こういう結果なら約束破りそう。私のことを覚えていなかったら、ゲームオーバーしてもワクチンを打って、椎名真紀に関する記憶を取り戻すまで監禁するつもりだったんだよ。もちろん美緒には二度と会えない」


 椎名真紀に関する記憶を消す薬を注射された。そうならば、敗者復活戦までに彼女の存在を思い出すことができなかったことも説明できる。だが真紀の話しには、腑に落ちない点が多かった。

「何のためにお前の記憶を消す薬を投与されたんだ?」

「ただ実験がやりたかっただけ。どの程度の人間関係なら、薬の効果があるのか。それを確かめたかっただけ。最初は、出会って1年以内の友達の記憶を消す。それで成功したら今度は期間を延ばして3年くらいの付き合いの友達に関する記憶を消す薬の開発。そうやって最終的には1番の親友や好きな人の記憶を消す薬を開発する。恋人に振られても、親友に裏切られても、この薬を注射するだけで、最初から自分を傷つけた人物なんて思い出さなくて済む。結構需要がありそうな薬だよね」

「まさかラブは、その記憶を消すシステムを構築するために、恋愛シミュレーションデスゲームを開催しているのか?」

「違うよ。それはサイドビジネス。薬を売って活動資金を稼ぐの。ラブがやろうとしていることは、結構なお金が必要だから。その目的についても話したいけど、それを話しちゃうと、時間をオーバーしちゃって聞きたいことが聞けなくなっちゃう」

「聞きたいことだと?」

「私も赤城君と同じように、無意味なゲームを終わらせたいって思ってる。これが私の本心だから、赤城君の本心を聞かせて。運営側として600人の少年たちを見殺しにしてきた私を信じることができますか?」

「もちろん信じる。こうやって話して、お前が悪い奴じゃないってことは分かったからな。あんな狂ってるゲームに関わってるのだって何か事情があるんだろ?」

あっさりと運営側の少女を信じる少年は、嬉しそうに笑っていた。

「……うん」

 歯切れの悪い真紀の返事など気にしない恵一は、優しい表情で彼女に右手を差し出す。

「よろしくな。今後は、ゲームの攻略法をさり気なく俺たちに教えてくれ。運営を裏切ってるってバレたら、真紀は殺されるかもしれない。だから、無理して教えなくていいから。それと、できるだけ美緒と一緒にいて、アイツを安心させてほしい」

「どうして、そんなに優しくできるの?」

 涙を流す少女の疑問。少年は「当たり前だ」と呟く。「えっ」と真紀は驚き、恵一はさらに言葉を続けた。

「真紀は俺たちの仲間だ。だから、見殺しになんてできない。それで、どうやってゲームを……」

 そう言いかけた時、赤城恵一の体は、白い光に包まれた。

「大丈夫。赤城君ならデスゲームをクリアできるから」

 椎名真紀が優しく微笑むと、赤城恵一は仮想空間に引き戻された。

「相変わらず優しいんだね。彼ならあの娘たちの呪縛を解くことができるかも……」

 そう真紀が呟いたのと同じタイミングで、椎名家のインターフォンが鳴り響いた。




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