怖い人

 ラブは覆面の下で笑みを浮かべてみせる。

「脅かせてしまってごめんなさい。ラブは神出鬼没なんですよ。いつでもあなたたちの前に現れることができる。気まぐれだけどね」


 ゲームマスターは視線を島田夏海に向けた。その瞬間、彼女は息を飲み込む。


 妙な胸騒ぎを感じた少女は、赤城恵一に隠れるように、彼の背中へ回り込む。そうして、彼女は恵一の制服の裾を強く握った。少年は一瞬背後を振り向き、彼女の顔を見る。その顔は何かを怖がっているように見えた。


「助けて……この人……怖いよ」

 島田夏海が囁く。その声を聞いた少年は首を縦に振った。

「ラブ。お前はなぜ俺の前に現れた! なんで島田夏海はお前のことを怖がっているんだ! 俺の疑問に答えろ!」


 怒鳴り声で疑問をぶつけられ、ラブは両肩を落とす。

「暇つぶしに遊びに来たんですよ。これ以上の質問は、彼女に退場してもらってからにしないとね」


 冷徹な視線を向けられた夏海の瞳が虚ろになる。その直後、彼女は赤城の制服の裾から手を離した。

「赤城君。私、この人と顔を合わせたくないから」

 そう言い残し、何かから逃げるかのように彼女は階段を駆け上がる。


「さあ、質問に答えましょうか。島田夏海が私のことを恐れている理由は、答えることはできません。秘密です。その代わり、この世界のルールについてお答えします。この踊場の空間だけは一時的に管理者権限で言論の自由が許可されているから。安心してください。このことは今晩の生放送でも話すよ。赤城様だけに伝えたら不公平だからね」

「前置きはもういい!」


 急かされたゲームマスターは額のハートマークに右手を置く。

「1時間目終了後の休憩時間に谷口様が脱落しましたね? そして、彼に関する記憶は、シニガミヒロインをプレイする男子高校生たちしか覚えていない。こうなった理由は、脱落と同時に彼の存在していた痕跡が消去されるから。この世界の住人の記憶は脱落と同時に改ざんされていくよ。最初から彼なんていなかったって思うように。その方がやりやすいでしょう? 死んだ奴のことが忘れられないから、フラれたっていうのは、不条理じゃないですか? あっ、それとこれも言い忘れていたことだけど、脱落者と交代する形で男性モブが追加されるからクラスの人数は変わらない」


「不条理だと。このデスゲーム自体が理不尽じゃないか! なんで俺をゲームオーバーにしなかったんだ。俺はあの時、お前を挑発する発言をしただろう。あんなことを言えば俺を殺すんじゃなかったのかよ!」

 少年の反論に対し、笑みを浮かべるラブは、静かに赤城恵一の元へ近づく。

「そんなに死にたかったのですか?」

「それは違う!」


「ちょっとトラブルの対処をしなくちゃいけなくなって、あの時点では殺せなかったの。プレイヤーYってヤツに感謝した方がいいよ。アイツが動かなかったら、今頃、あなたは死んでたからさ。それと、色々と精神的に病んでいる頃でしょう。階段から転落していく友達を助けることができなかったから。まあ、そんなに悔やまなくても大丈夫。あの電話を着信したプレイヤーの周囲に特殊なバリアが展開されるから、どうやっても彼を助けることはできなかったんだよ。あれは絶対に壊せない」


 次第に赤城恵一の顔は強張っていく。茫然と立ち尽くした彼の耳元でラブが囁く。

「絶対誰も見殺しにしないって言っていたけど、それは不可能ですよ。さっき説明した壁がそれを拒むから、脱落者が死んでいく様子を黙って見ることしかできない。分かったでしょう。見殺しにするしか選択肢がないって。ところで、カルネアデスの板って知ってる?」

「カルネアデスの板?」


「知らないようだから、説明しないとね。一隻の船が転覆して、乗組員たちが海に投げ出されてしまった。そんな状況の中、乗組員の男は流れて来た木の板に捕まったのね。ところが同じ板を別の男が掴んでしまった。その板に2人の男が掴まれば、板ごと海に沈んでしまう。それで、最初に板に掴まった男は別の男を見殺しにして、自分だけが助かった。この寓話と一緒なんですよ? 自分の命が大事。悪いのはこんなデスゲームに参加させたラブなんだ。そう考えてる人が多いようです。全員が協力しあえば、犠牲者は出ないなんて、ただの正論に過ぎないんですよ」


 沈黙する恵一に追い打ちをかける。

「それと谷口様を殺したのはあなたですよ。あの時、あなたがあんなことを言わなかったら、私を怒らせることはなかったのに。あの時点であなたを殺せなかったから、安心して暴言を呟いたのかもね」


「違う。お前が殺したんだ。お前がこんなデスゲームを開催しなかったら谷口君は死ななかった。谷口君だけじゃない。500人以上の高校生は死ななくて済んだ。それが分かっているのか。お前らのやってきたことを棚に上げやがって。俺はお前を許さない!」

 赤城はラブの言動に激怒する。しかし、ラブは当然のように反省しない。


「だから言いましたよね。これまでゲームオーバーになった連中は負け犬だったって。最後に今回は見逃すけど、今度私を挑発したら白井美緒を消すから」

「美緒を消すだと! お前。美緒に危害を加えたら絶対に許さないからな!」

 当然の怒りの込められたリアクションに、ラブは腹を抱えて笑う。

「そう言うと思いましたよ。語弊がありましたね。赤城様の記憶から白井美緒を消すって意味です。あれを使えば人間の記憶を改ざんすることなんて簡単だから。ということで質問コーナーは終了です。それではまた会いましょう」

「待て。まだ話が」

 ラブは赤城恵一の前から姿を消す。それと同じタイミングで赤城のスマートフォンが制服の中で振動を始めた。


 丁度その頃、校舎の廊下を島田夏海が歩いていた。

 彼女は歩きながら深いため息を吐いた。突然彼女の前に現れたあの覆面の人物のことを、夏海は一切覚えていない。しかし、あの人を見ていると妙な胸騒ぎを感じる。


「また会いましたね♪」

 背後から聞こえて来た声を聞き、少女の足が止まった。彼女の体は小刻みに震えている。

「そう。驚かなくてもいいじゃないですか。私は神出鬼没だって言ったでしょう。赤城様とはお話が済んだから、今度はキミと話そうと思ってね」

 恐怖から一歩も動けない島田夏海の腕をラブが掴む。

「触らないで」

  手を振り払われ、ラブは肩をすくめた。

「やっぱり嫌われているようですね」


「あなたは誰?」

 緊迫した空気の中で島田夏海が尋ねる。それに対してラブは人差し指を立てた。

「それは秘密です。長話もあれなので要点だけお伝えします。実は赤城恵一様には、好きな人がいるんですよ。彼は幼馴染の白井美緒さんのことが好きなんです」

「えっ」

 ラブの口から語られる事実を島田夏海は茫然と聞いていた。間もなくして予鈴が響く。それが鳴り終わり背後を振り向くと、そこにはラブの姿がなかった。


 

 島田夏海が静かに一歩を踏み出すと、後ろから赤城が駆け寄り彼女を追い越した。それから彼女は小さく首を縦に振る。

「赤城君。さっきはごめんね。あの人を見てたら怖くなって」

 その声を聞き、恵一は立ち止まり、彼女と顔を合わせた。

「そういえば島田さんはあの覆面の人を知っているのか?」


 赤城からの質問に対して夏海は首を横に振った。

「分からない。直感的に妙な胸騒ぎがしたから、危険な人だと思う。だけど、それとは裏腹に懐かしい感じもする」

 少年は少女の言葉の意味を理解できなかった。それから続けて、夏海は恵一に訪ねた。


「さっきも仮面の人に会ったよ。その人から聞いたんだけど、赤城君って好きな人がいるんだよね。名前は白井美緒さんで2人は幼馴染の関係だって聞いたけど、本当なの?」

 赤城は額に手を置いた。受け答えによっては好感度が下がる可能性もある。そのため解答は慎重にしなければならない。しかし、幼馴染の存在を隠すことは、彼女に嘘を吐くことになるのではないかもしれない。真実と虚構の狭間で彼は悩んだ。


「そんな奴の言うことを信用するのか? あいつは危険な奴だから、島田さんを騙しているかもしれないだろう」

「……そうだよね。幼馴染の女の子がいるのなら、私なんかよりその子と仲良くした方が楽しいよね。あっ、早くしないと授業遅れるよ」

「ああ」

 赤城恵一が一瞬見た少女の顔は、どこか寂しそうに見えた。



 5時間目開始のチャイムの音と共にラブは監視ルームに戻ってきた。

「お疲れ様です。ラブ様。タイミングを間違えましたね」

 椅子に座る黒服の男が椅子を回転させラブと顔を合わせる。

「どういうことですか?」

 ラブが首を傾げ疑問を口にすると、男はモニターを指さした。

「あのまま2年B組に行ったら大量虐殺祭を近くで観られたのに……」


 モニターに映るのは血塗れで横たわる3人の遺体。殺害現場は教室で遺体の近くにはガラス片が散らばっている。

「あっああ、結構派手にやっちゃいましたね。教室内にいた他の生徒たちは無事ですか?」

「はい。何人かは軽傷を負ったのですが、いずれも命に別状はありません。メインヒロインたちは全員無傷ですのでご安心ください。そして、今回の死亡者は3人でした」

「3人ってことは1人生き残ったってこと? 今回も全滅すると思ったのに。えっと、誰だっけ? 幸運な生存者さん?」

「5番の岩田波留様です」

「岩田様ですね。今後、彼は彼女の奴隷になるでしょう。これは、面白くなってきました」


「ラブ様。そろそろログアウトしないと、現実世界のお勤めができませんよ」

 部下からの指摘を聞きラブは男の耳元で囁く。

「そうだね。留守はしっかり任せたから。そろそろ第1回イベントゲームクリア条件満たす人が出てきてもおかしくないから、そっちの処置もよろしく。じゃあ、おやすみなさい」


 ラブは素直に従い、手にしているスマートフォンの電源ボタンを強く押す。

『ログアウトします』

 ラブのスマートフォンにメッセージが表示され、ゲームマスターは左手の人差し指でメッセージをスワイプさせた。その次の瞬間、ラブの体が白い光に包まれ、部下の大男の前から姿を消した。


 黒色のコンピュータが壁に埋め込まれた小部屋の中心で1人の影が何かを脱ぎ捨てた。壁に埋め込まれ、怪しげに光るコンピュータが薄らと周囲を照らし、床に落ちた額にハートマークが印刷された覆面を浮かび上がる。

 

 シニガミヒロインのサブコンピュータの前で素顔を晒したラブは微笑み、個室の出入り口である鋼鉄の扉の前まで歩く。

 そしてゲームマスターは欠伸をしながら、鉄製の扉の取っ手を持ち、小部屋から去った。

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