現実世界の少女

「起きなさい!」

 誰かに体を揺さぶられ、白井美緒は静かに瞳を開けた。その少女の瞳には、見覚えのある巨乳の女の顔が映る。

「おば……さん」

 小声で呟き、体を起こすと、少女の指が、ベッドマットに触れた。


 それから彼女は部屋の様子を見渡す。白い天井に白い壁。簡単な床頭台が窓側に見える。

 部屋の中には、京都に出張しているはずの赤城恵一の父親と母親がいた。

 その後で少女は俯き、自分が着ている服を見る。その服はセーラー服ではなく、病衣のようだ。

 伸ばされた右腕には点滴の針が刺さっている。

 何となく、自分は病院のベッドで眠っていたことを、白井美緒は悟った。


 その時、赤城恵一の父親が、隣に立つ巨乳の女の肩を強く持ち、激怒する。

「あんな乱暴に起こしても、現実は変わらないだろう」

「でも状況を知っているのは、一緒にいた美緒ちゃんしかいないのよ」

「恵一のことが心配なのは分かるが、酷いじゃないか。自然に起きるのを待ったとしても、何も変わらないはずだ」

「そんな悠長なことは言えないよ。一刻を争うかもしれないからね」

 夫婦の口論が病室に響く。その間、白井美緒は、自分がなぜ病院のベッドの上で眠っていたのかを思い出す。


 新学期初めての登校日、彼女は幼馴染の赤城恵一と共に、通学路を歩いていた。

 

 その道中、黒ずくめの男が突然現れ、2人をスタンガンで気絶させた。

 

 それからのことを彼女は覚えていない。


 その出来事と彼の両親の口論。白井美緒は嫌な予感を覚え、2人に尋ねる。


「恵一はどこ?」

 その少女の問いを聞き、赤城恵一の父親が真剣な顔付きになった。

「行方不明だ。美緒ちゃん。君は通学路の途中で倒れていたんだよ。それを近所の人が発見して、病院に搬送したんだ。君は数日間昏睡状態に陥っていた」


「えっ?」

戸惑いを隠せない美緒は、点滴の針を抜くため、右腕を左に伸ばす。だが、彼女が何をやろうとしているのかを察知した恵一の父親は、少女の右腕を優しく掴んだ。

「スマホで恵一に電話しようとしているんだろうが、それは無理だ。アイツのスマホは警察が押収しているからな。拉致現場に恵一のスマホが落ちていたって警察から説明を受けたよ」


あの時、恵一は警察に通報しようとスマートフォンを取り出した。

 その時に落ちたとしたら辻褄は合う。

 その事実を思い出した美緒は、大粒の涙を流す。


「それじゃあ、恵一が何処にいるのかが分からない」

「警察の話だと、携帯を所持していたとしても連絡はできないらしいよ。電波の届かない場所にいるのか、スマホが壊されているからかは分からないがね」

 恵一の父親は続けて、優しい口調で少女に尋ねた。


「それではこっちからも聞こうか。あの時何があったのか? 同じことを警察にも話すことになるから、練習のつもりで話してほしい」

 幼馴染の父親に尋ねられ、白井美緒は額に左手を置く。


「あの時2人で、通学路を歩いていたら、突然トラックが私たちの前で停車して、運転席から黒ずくめの服装の大男が現れて、いきなり恵一をスタンガンみたいな何かで気絶させたの。私は大きな声で助けを呼ぼうとしたけど、その男に口を塞がれて、恵一と同じように気絶したんだ。私、すごく怖くて、一歩も動けなかった。このままあの人たちに殺されてしまうんじゃないかって……」


「美緒ちゃんは恵一を見捨てたってこと? 恵一が襲われているのに、何もしなかった。違う?」

 幼馴染の母親が少女の両肩を強く握る。その顔は怒りに満ちていた。次第に少女の顔は暗く重たいものに変わる。

「やめろ。突然怖い目に遭って、動けなくなっただけだ。美緒ちゃんは何も悪くない」

 そう言いながら幼馴染の父親は妻を宥める。続けて、彼は少女に尋ねた。


「トラックのナンバープレートは覚えているのかい?」

 美緒は首を横に振る。

「ううん。ナンバーは一瞬だったから覚えていないよ。ところでおじさんとおばさんはどうしてここにいるの? 確か一週間京都に出張だって」

「ああ、警察から連絡があったんだよ。千代田区で失踪事件が多発していて、恵一もその事件に巻き込まれた可能性があるって言われて、慌てて駆け付けたんだ。失踪したのが全員男子高校生ってことも言っていたからね。昨年の4月から発生しているあの事件に息子が巻き込まれているのではないかと思ってね」


「それって……」

 美緒の呟きに恵一の父が真剣な顔つきで言葉を続ける。

「男子高校生集団失踪事件」


 ある日突然何者かに拉致された男子高校生が、事件発生から1か月以内に遺体となって家族の元へ送り返される。


 ニュースから得ることができる情報は限られているが、その少ない情報だけでも彼女は不安と恐怖に襲われた。

 事件に巻き込まれたら、二度と会えない。体を小刻みに震え、彼女は叫ぶ。

「いやぁぁぁぁ」


 その恐怖は、計り知れない。彼女はこの場所は病院であることを忘れ、思い切り叫んだ。そんな少女の瞳から、大粒の涙が溢れる。

「今から美緒ちゃんのお父さんとお母さんに連絡する。美緒ちゃんが目を覚ましたって」


 赤城恵一の両親は彼女を慰めることさえできず、個室の病室から立ち去った。


 それから間もなくして、2人の警察官が現れ、白井美緒に話を聞いた。

 彼女は涙を流しながら、何があったのかを話す。警察官は必要最低限なことだけを聞くと、病室から退室した。



 その頃、白井美緒が入院する病院の前を通るタイルが敷き詰められた歩道を、1人の少女が歩いた。

 腰の高さまで伸びている後ろ髪を、揺らしながら歩く高校生くらいの少女。その髪の色は艶のある黒髪で、右に分け目のある前髪が四つ葉のクローバーをモチーフにしたヘアピンでとめられている。そして一番の特徴は、可愛らしい二重瞼。

 白井美緒と同じ制服を着たその少女は、人通りの多い歩道の上で、立ち止まり、制服のポケットから二つ折りのピンク色の携帯電話を取り出した。

「やっと見つけた♪」

 少女は嬉しそうに呟き、携帯電話を開きながら、夕暮れで赤く染まった空を見上げた。

 少女はメールを打ち、雑踏の中へと消える。

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