♯12
怪鳥の断末魔みたいなブレーキングによる暴音が、再び夜のパシフィカ・アイランドに響き渡った。
パシフィカ・アイランドで暮らす多くの人々が、再び頭上より響き渡ったこの音に夜空を見上げ、そして気づいただろう。ピラー壁面を降下してくる私達に。
「とりゃ!」
私は迷う事無く、気合いと共にヴァリスの進路を僅かに変えると、ピラー壁面上から、ピラーを支えている幾本ものステーの一つの上へと移った。
一年前にそうしたように、今の私達の速度を殺すには、ステーの上に移動しないと減速距離が足りない。
パシフィカ・アイランドの周囲から、軌道エレベーターの地上数キロ部分に繋がっている幾本ものワイヤーは、OEVが倒れないように支える為のステーだ。その太さは直径にして5メートルはある。めっちゃ怖いけど、ヴァリスが乗っかるには充分な幅だ。
その両サイドにも、ピラーと同じように無数の航空障害灯の赤い光がまるで私らを導くかのように灯されていた。
ステーは、反比例のグラフのように、縦方向から水平方向へと緩やかにカーブしている。それこそジェットコースターように。
これにより、落下の向きとスピードとを、地上へ向かう方向から水平方向へと半ば強引に偏向させることができるはずだ。
減速で、コックピット前面に押し付けられるようだったGが、足元から突き上げられるようにして、地上へ向かう重力と分離するのを感じる。
まだ安心できる状況じゃないことは百も承知だったが、実際問題として、もう私にできることなど殆ど残っていなかった。
あとはひたすらブレーキングを続ける他に無かった。
しかし、私の一年前の記憶が正確なものでは無いとはいえ、今回の降下スピードは前回に比べてちと速すぎる気がした。
それまでに比べれば格段に減速したとはいえ、その速度はステー終端を肉眼の納める距離に至っても、まだジェットコースターばりに速かった。
ピラー接地時の速度は、一年前と大して変わらないはずなのに……。機体ダメージが前回よりも酷い為に、ブレーキング機能が落ちているんじゃ……?
『……い……ユカリ……聞えてる…………ろ!』
「ひゃ!」
猛烈なノイズと共に呼びかけられ、私は思わずセナ・ジン機を取り落としそうになった。
『ひゃぁぁ……』
あたふたと、一個しか無いお手玉状態で彼のヴァリスを落としかけるのに合わせて、さっきから聞こえていたのと同じ悲鳴が聞こえた。
やっぱり幻聴では無かったんだ!
「セナ・ジン君!?」
その声色は正しく、今抱えているヴァリスのパイロットのものだった。
「良かったぁ……無事だったんだ……」
私は思わず鼻の奥がツンとしてしまった。
せっかく艱難辛苦を乗り越えここまで来たのに、実はデブリでコックピットに穴が空いていて、大気圏突入の熱でまる焦げにでもなっていたらどうしようと思っていた。
『……っと気づいてもらえた…………にしても』
こっちの気持ちを余所に、少年のヴァリスは母親の腕の中でムズがる赤ん坊のように、キョロキョロと周りの状況を見まわした。
「え~とぉ、見ての通り今OEVのステーの上です」
『な…………』
ヴァリスにデブリが衝突してから気でも失っていたのか、今の状況では、あのセナ・ジン君であってもそこそこショックだったらしい。
あるいは変なテンションの私について行けなかったのか、少年は黙り込んでしまった。
「セナ・ジン君、聞こえてる!? 怪我とかしてないですか? ……にしても私のヴァリスはアンテナが壊れているのに……なんで通信できてるの?」
『はぁ~…………怪我は無いよ。ヴァリスはボロボロだけど。話ができてるのは接触通信機能が生きてるからだよ』
セナ・ジン君は長い溜息をつくと、何故、会話が出来るのか説明してくれた。
宇宙ではありとあらゆる無線通信が混在しており、なお増加中である。将来ヴァリス同士でのは無線通信チャンネルが確保出来なくなる場合に備え、物理接触で振動を利用して会話を可能とする機構があるのだった。
『で…………止まれそうなの?』
「それがぁ……」
私は胸を張って答えられなかった。
今のブレーキングにより減速率では、ステーを下りきっても、停止できるとは到底思えなかった。ステー終点のパシフィカ・アイランドの端は、もうあと数十秒の距離に迫っている。
『…………』
「…………ごめんなさい」
私は黙ってしまったセナ・ジン君に、先に謝っておいた。
説明せずとも、この光景を見れば状況は説明するまでも無かった。
『まぁしゃーないさ。出来ることはやったんだろ?』
「……うう」
『気にしなくて良いよ。どうせなるようになるんだから』
「うう……」
意外にあっけらかんとした彼の言葉に、今度は私が言葉を無くしてしまった。
この子の腹の括り方は尊敬すべきなのだろうけど、同じくらい心の病を心配すべきな気がしないでもない……。
ともかく、セナ・ジン君がこの状況に動じていないからといって、目前に迫った問題に私が心配しなくても良いってことにはならないようだ。
このままだと私達はステーを下りきった後に、確実に人工島の端から飛び出し、太平洋の海へと夜のダイビングを敢行することになるだろう。
ヴァリスって水に浮くのかなぁ……。
「おかしいなぁ、一年前は上手くいったんだけどなぁ……」
一年前、自分が頑張ってやり遂げたわけではないけれど、私は思わず口に出してぼやいた。
正直、私は悔しかった。
もうちょっとで、自分をちょっと誇らしく思えて、この仕事に就いた選択を良かったと思えるようになれるかと思ったのに……、例のあの人に『どうよ!? こんな妹を持って誇らしい? ねぇ誇らしい?』と言ってやりたかった。
自分の未来に、夢に、希望を持てると思ったのに。
……なのにここまで来て!
『ねぇ……できる事は、本当にもう無いの?』
「はい?」
一瞬、私はセナ・ジン君の言っている意味が分からなかった。だって、ここまで来ておいて、これ以上一体何が出来るって言うのだろう?
一年前、私が助かった時にしたことは全部やった。
デブリ衝突を乗り切って、セナ・ジン
どちらのしろ、ボロボロになってしまった今の私のヴァリスに、これ以上、一体何をせいと言うのだろう。
あとやっていない事と言えば……。
「……あ!」
私は一つだけ思いついた。思いついてしまった。
確かに、あのときゼルラさんが行った事のなかで、私がまだやっていないことが一つだけある。が、正直、その思いついた内容に、私は自分でも全く自信が持てなかった。
いや……確かにまだやっていない事だけどさぁ……と。
だが、事ここに至っては四の五の言っている場合では無かった。どんなに信じられなくても、海に落っこちて沈むよかマシだ。
私は大きく息を吸い込むと、一瞬躊躇ってからまだやっていない最後の事を実行した。
「ゼ……ゼルラさ~ん! た~す~け~てぇぇ~! 助けて~! ……ゼルラさ~ん!」
『あいよ!』
私の魂からの叫びに、あっさりと返事は来た。
よく考えたら私のヴァリスは無線通信できないはずだったのだが、そこは無線通信の無事なセナ・ジン君のヴァリスが中継して、彼女に届けてくれたらしい……。
我が愛しの君の声と共に、彼女の白地に赤いストライプのリフト形態のヴァリスが、なんとこの細いステーの下面から回りこむようにしてが私達のヴァリスのまん前に現れた。
ヴァリスってステーの下面に張り付くこともできるんだ!
『イヤァ~ッホ~ィ!』
彼女はまったくもって本当に楽しそうに私の前方に躍り出ると、上半身のみを人型形態に変形させ、両手を広げて私のヴァリスに抱きつくように突っ込んできた。
「あ……ちょっ……待っ……うひゃあぁぁ!!」
私が「お願い、もっと優しくして」という間も無く、どがしゃ~んっとばかりに私達のヴァリスは抱き合った。
『全力ブレーキッ!』
わざわざ必殺技っぽく掛け声を上げながら、彼女のヴァリスが始めたブレーキングにより、私達のヴァリスはさらなる減速をはじめた。
「い、一体つの間にゼルラさんはここまで……」
まったく近づいてきたゼルラ氏のヴァリスに気づかなかった私には、当然の疑問だった。
『ん~? 結構前からユカリコの後に付けてたよ』
ゼルラ氏はあっさりと答えた。
「け、けっこう前って、どれくらい?」
『う~ん、追いついたのは大気圏再突入を終えた頃かな?』
確かに結構前だ!
『いやぁ~お前さん達がソーラーパネルを飛び越えたーと思ったら、セナ・ジンがデブリにぶつかっちゃったじゃん? だから大慌てで追いかけてきたのよ』
「それはどうも……」
『でさ、セナ・ジンのヴァリスがピラーに降りれそうにないから、オレがワイヤーで引っ張ってキャッチしてやろうかと思って、セナ・ジンのヴァリス抱えてるユカリコに呼びかけたら、無線が繋がらなくってさ、そしたら、ユカリコが自分で何とかピラーに二人で接地しちゃったからビックリだぜ』
「はぁ」
『何度も何度もユカリコにゃ呼びかけたんだぜ? でも返事が無いからセナ・ジンに呼びかけて、やっと通信を中継してもらえたんだわ』
「あ、あはははは、そだったんですか」
私はもう、乾いた笑い声しか出てこなかった。
そりゃ通信アンテナが壊れてたんだから、ゼルラ氏に呼ばれても返事ができないどころか気づかないし、カメラが壊れて背後が見えないから、近づかれても見えないわけなのだわ。
そして――――って~ことはだよ、必死こいて、あんな大道芸じみた方法で、セナ・ジン君とピラーに接地しなくても、最初からゼルラ氏に任せておけば良かったってのかしらんんん!?
「ひょっとして……って事は、セナ・ジン君は最初から気づいてたんですか? ゼルラさんが後に来てるって……」
私のヴァリスが盾になって大気圏突入したことにより、脚部以外ダメージの無いセナ・ジン機は、当然、カメラも無線通信も生きているわけで、ゼルラ氏が見えるし話せる訳で……。
『だぁって! 教えようと思う度に、ぶん投げられるんだもん!』
「ああ! 納得!」
何度もっていうか、二回だけだけど。
最初のピラー接地失敗と、二度目のワイヤーガンでピラー接地に成功した時の二回、私は確かにセナ・ジン君のヴァリスを決して意図的にでは無いものの、ちょこっと放り投げちゃったりなんかしちゃったかもしれない。
乗ってるパイロットの身になってみれば、とても悠長に通信してる余裕はないだろう。
「わ~ん! もうぅ……ごめんさ~い!」
とりあえずもう、謝っとくしかなかった……。
ちょっと前まで、若干の達成感に浸っていた自分を、海に放りこんでやりたかった。
だがその機会はほっといてもやってくるかもしれない。
いつの間にか、ステーを下りきる寸前まで迫っていた。
あ、っと思う間も無く、僅かな段差を飛び降り二機のヴァリスがステー基部からパシフィカ・アイランド端の人工の大地へと着地する。
着地のその瞬間、コックピットの下でバスンッという破裂音がしたかと思うと、機体ががくんと沈んだ。一年前と同じように、急激なブレーキングで摩耗したタイヤが着地の衝撃にに耐えきれず、とうとうバーストしていまったのだ。
見えないけれど、機体下面ではボディが地面に擦れて盛大な火花を上げていることだろう。電動ノコギリ同士の鍔競り合いみたいな音にがコックピットに響く。
間も無く人工島の端へと到達する。ステーの地上基部から海までは300メートルも無い。
……が、どう考えても、それまでに止れそうも無かった。
よくよく考えてみるまでもなく、そもそも一年前の時でさえ超ギリギリだったというのに、前回よりもダメージのある機体で減速が間に合うわけがないのだ。
『なぁユカリコ?』
「ななな、何ですかゼルラさん? こんな時に」
普段とまったく変わらない……どころか若干楽しそうですらあるゼルラ氏の突然の質問に、私は彼女程朗らかには答えられなかった。
『うん、いやどうだったかと思ってさ』
「え~っと、だから何がですか?」
『今回の大冒険もそうだけど、ヴァリスのパイロットになってから一週間経って、今どんな感じかと思ってさ』
まったくこの人は、何てタイミングで何てザックリした質問をしてくるのだろう。
けれど、そんな人だから私は惹かれているのかもしれない。
「そ、そうですねぇ……」
私はバカ正直に、ゼルラ氏の質問の答を考えて見た。
元々は、自分でも上手く説明できない、一年前の事故で体験したことが忘れられなかったからとい理由と、彼女に命を助けられた礼が言いたかったなどという、全くもって不純な動機で選んでしまった職業だった。
世間一般の価値観で言えば、あまり胸を張って自慢できる動機じゃないことは分かっている。でも自分には、たとえそんな理由であっても、これ以上の動機は無かったのだ。
そして再びこのパシフィカOEVにヴァリスのパイロットとして戻り、その数々の作業や任務をこなしてみた時、思ってたのと違った事は沢山あったけれど……でも……。
ついさっき、上空から見下ろしたパシフィカ・アイランドの夜景や、太陽に照らされてありとあらゆる黄金色にそまる雲や、私を抱えたゼルラ氏のヴァリスから伸びる飛行機雲。稲光のように一瞬だけ光る私を狙う迎撃レーザー、宇宙へと向かう多く人々を乗せ、猛烈な速度で上昇していくゴンドラ。
ここで見た様々な光景や、体験が蘇る。
それぞれにどんな意味があるのか、きっと私は一割も理解していないのだろう。なにせこの軌道エレベーターが存在する意義さえ、よく分かってはいないくらいなのだから。
……でも、上手く言葉にできないけれど、何故そうなのかもよく分からないけれど、私の心に、ここでこうしてヴァリスに乗って生きることを選んだことに、後悔している? と尋ねたならば、少なくとも今は……。
「わ、割りと……上々です」
『そうか! そりゃ良かった良かった!』
我ながら、いかにも日本人らしい曖昧模糊とした結論だったけれど、ゼルラ氏は私の答に、とても嬉しそうに笑った。
『じゃあさじゃあさ、ってことは辞めないってことなんだよな!? この仕事』
畳み掛けるように尋ねて来る彼女に、私は良く考えてから答えた。
「え、……ええ、まぁ」
『イ~ッヤッホ~イ!』
ゼルラ氏のヴァリスが、いきなりガッツポーズをした。
私の返事がそんなに嬉しかったの!?
いつぞやは『辞めたいなら仕方が無い』みたいな事言っていたくせに、本当は、私みたいな同僚にいてほしくていてほしくて仕方が無かったんだったりして。
「でも、これからも、今みたいに沢山ドジったり、迷惑かけるかもしれませんよ」
『な~に気にすんない! そんなことぉ』
ゼルラ氏よ、あなたはちょっとは気にした方が良い気がする……OEVの保守点検・警備・緊急救命は、どう考えても責任重大だよ。
なんてやりとりをしている間に、私達はステーを下りきり、人工島の端、海まであと100メートルにまで迫っていた。
でも何故か、私は普通だったら抱くべき焦燥感だの不安感は、特に感じなかった。
なぜならば…………
私は早くもこれからの事を考えていた。
軌道エレベーターの地上1キロから420キロまでの、地上と言うには高高度で、宇宙と言うには重力があるこの通称【絶対領域】において、保守点検・警備及び救難活動用を担う我々【絶対領域の守護者】には、これからどんな未来が待ち受けているのだろう?
私が数多ある中から選んだこのお仕事が、正解だったのかなんて、今の時点で分かるわけがない。でも答を性急に求めるのはやめておこう。
人類の歴史はもちろん、全地球生物においても初めての恒常的宇宙往還装置・軌道エレベーターは、きっと人類が経験も想像もしたことのない未来をもたらすに違いない。
そして、もし人類が初めて実用化した有人人型ロボット・
絶対領域の守護者 第二話『ヴァーチカル ワーキング』 了
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