ハチミツREMON

牛板九由

第1話 ハチミツREMON

『この度は【文書社絵本新人賞】に応募していただき誠にありがとうございます。早速ですが最終選考の結果を伝えたいのですが、その前に入賞者数を発表させていただきます。最優秀賞一名、優秀賞三名、特別賞二名となっております』

そこで担当者は言葉を切り、その場はより一層緊張が増した。

『では、結果を発表します。土屋星作、木佐貫美桜絵の【泣く子も笑うなまはげ】は———優秀賞です』

「よっしゃー!」

「やったー!」

同時に発した二人の声が教室に響き、二人はお互い目を合わせてハイタッチをした。




九月のある日曜日。

「星、ゴロゴロしているならついて来なさい。美術館行くわよ」

「今日はゴロゴロする日なの」

母に背中を向け、さっきまで読んでた漫画を手に取る。

はー、と母のため息が聞こえる。これは無視だ。十五年間一緒に居てこのタイミングで振り返って良かった試しがない。

「その性格やめたほうがいいわよ。そんなんだから何時まで経っても彼女できないのよ」

言ってくれるではないか。ここでも反論をしてはいけない。以下同文。

母はそんな俺を見て、もう一度ため息を吐く。さっきより深く、長く。そして最悪なことにこちらに向かって歩いてきた。

「ごたごた言わずついて来なさい」

完全に有無を言わさぬ口調で言い、星の首根っこを掴む。

「わかった、わかったよ。行けばいいんだろ。はいはい、行きますよ。行きますとも」

立ち上がろうとした星の頭に拳が落ちる。そして母はドタドタと足音を立てながら部屋から出て行った。

頭をさすりながら漫画を片付け、着替えをする。



家から二十分ほどのところにある市の美術館に来ていた。母は絵になると時間を忘れ、時間をかけて見るので遅いったらありゃしない。星は母を置いて二階にいた。

今美術館では夏にあった市の美術コンテストの作品が展示してある。一階には小中学生の作品、二階には高校生大学生の作品が展示してある。一階の展示品は毎年同じような物が並んでいるので何の楽しみもない。なら二階に上がれば面白いものがあるかと聞かれればそうでもないと答えるだろう。

それでもある一角だけはしっかり見ようとした。それは星が通っている都立田駒高等学校の作品。高校には美術部と工芸部があり、その二つの部が作品を出していた。

流石に高校生になればどれも違う作品で作品からその作品に込められた気持ちが感じられる。と言っても所詮高校生なので大きなものは感じないが。

その中で一つだけ星の目を奪う作品があった。

普通の絵。どこにでもあるような絵。上手くも下手でもない絵。頑張れば自分でも描けそうな絵。そんな絵なのに何故か目が心が惹きつけられる絵。

絵はちょうど半分に分かれていて、右側に桜のような木に満開の花が咲きそれを見上げている制服の少女、左側に葉を一枚残した木とその落ち葉をしゃがんで見ている制服の少年。真ん中に少年少女は背を向けている。

右側は青空に太陽の光が差し込んでいる春のような風景。左側は今にも雨が降りそうな曇天の冬の訪れを感じさせる風景。

右側の少女はこれから新しくなる生活に心を弾ませているような表情。左側の少年は何かが終わったように疲れたような諦めたような表情。

しかしこれはこの絵の表面。この中に隠れた、星が惹かれた部分がある。

少女は一見楽しそうに笑みを浮かべているが目からは涙が溢れ、少年は絶望したに目を伏せているが手は力強く握られている。

もしこの絵が動くなら次に取る行動は少女は泣き崩れ、少年は立ち上がるだろう。そしたらこの絵の全てがひっくり返る。

そんなことを考えているとある言葉が自然と湧き上がってきた。

「綺麗」

咄嗟に口を手で押さえる。無意識の内に口にしていた。横目で誰にも聞かれていないか確かめる。

「ありがとうございます」

背後から声がして肩をビクッとして後ろを振り返る。そこには三つ編みされたおさげと丸縁眼鏡、目より下を手に持っているパンフレットで隠している少女が立っていた。

「それ、私の絵です」

小さい声で途切れ途切れ言うから聞きづらかったけど、確かにこう言っていた。

びっくりしすぎて落としたパンフレットを拾う。その間に頭でこの状況を俯瞰してみると恥ずかしくなって顔が赤くなった。

「そ、そ、そ、そ、その、すみませんでした」

思っていたよりも大きな声が出て、周りの視線が一気にこっちに向く。今日は日曜日なので普段より多くの人が来場しているため、視線の数が多い。その視線に何度も頭を下げ、平常を取り戻した。

改めてその少女に面と向かい頭を下げる。

「本当にすみませんでした」

「いえいえ、気にしないでください。私こそ盗み聞きみたいなことをしてすみませんでした」

少女は星と同じく深々と頭を下げた。顔を上げても目より下を隠し、目は下を向いている。彼女も恥ずかしいのだろう。自分の作品を純粋に褒められたのだから。

話すこともなく二人して黙ってしまう。

もう一度作品を見る。作品の右下には作品を描いた人の学校名、学年、名前が書かれた紙が貼られていた。

『都立田駒高等学校 一年 木佐貫美桜』

星と同じ学年だった。心がパッと明るくなり、美桜に顔を向ける。

「僕も田駒高校の一年なんだ。僕は六組だけど君は?」

美桜はパッと顔が明るくなり、弾んだ声で答えた。

「そうだったのですか。私は二組です。部活とかってされてますか?」

「うん。バレーボール部。中学の頃からやってたから一応レギュラー」

「それはすごいですね。私運動はからっきしで」

「いやいや、こんな絵描けるんだから君の方がすごいよ。あ、言い忘れてたけど

僕、土屋星って言います」

「あ、私は木佐貫美桜です。よろしくお願いします」

「うん、よろしく」

二人して頭を下げ、お互い顔を見合わせて笑う。何か馬が合う、そう直感した。

「「そうだ」」

二人の声が重なる。美桜がどうぞどうぞ、と言うので言わせてもらう。

「一緒に見て回らない?」

「私もそう言おうと思ってました」

これが僕と彼女の出会いだった。母親の影響で美術を心得ているために話は合い

意気投合するのは時間の問題だった。

絵を見るときは一言も発さず、見終わるとどこが良いか悪いかを言い合う。周りには迷惑かけないように声を小さくして。


二階の作品を見終わると展覧会自体も終わる。一階に降りて、ベンチに腰を掛ける。

「学校にこんなにも美術を好きな人がいたなんて知りませんでした」

「いや、半分以上は母親の入れ知恵だよ」

「それはそれですごいですよ」

ありがとう、と素直に言い、近くの自動販売機に行く。

「どっち飲む?」

星は飲み物を二本買ってきたのだ。男として当たり前の行動である。

「ありがとうございます。失礼ながらこちらで」

美桜はリンゴジュースを取り、星は残ったグレープジュースを開ける。

美桜はジュースを美味しそうに飲んで、星に尋ねた。

「今日はお一人ですか?」

「違うよ。母親に無理やり連れて来られた」

美桜はアハハ、と口元を隠して笑う。その表情を見て、星も頬がほころぶ。

「やはりそうでしたか。私はここで失礼させていただきますね」

「そうなの。気を付けて帰ってね」

「はい。今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

「僕もだよ。じゃあ、また明日ね」

美桜は首を傾げる。数秒かかって思い出してくれたようでポンッと手を打った。

「学校が同じでしたね。これからもよろしくお願いします」

「おう」

短く答えてその後ろ姿を見る。

「なにニヤニヤしてるの、キモイ」

最悪なタイミングで現れるのが母の特技だ。

「別にニヤニヤしてないし」

「してますよ」

「してない」

「してますよ」

と終わりの見えない子供の喧嘩をする。年上なのだから引いてくれてもいいはずなのに一向に引く気配がないので、いつも折れるのは星だ。

もし万が一、ニヤニヤしていたとしたらそういうことなのだろう。



翌日。

学校は家から自転車で十分のところにある。ただ家から近いという安易な考えでここに選んだ。

いつも通りの時間に家を出て、いつも通りの時間に学校に着く。ただし今日はいつもとは違うことがある。いつもなら教室でスマホを見ながら友達とお喋りをする。でも今日は教室に行くと荷物を置いて、二組の教室に行く。目的は一つ。

「三太、木佐貫美桜って子来てる?」

三太と呼ばれた男子が星に首を回す。

「木佐貫さん?」

そういって三太は周りを見渡す。

「まだ来てないみたい。何かようがあるのか?」

「いや、特にはないよ」

星はそれだけ言って教室から出る。

まだいないことは不思議ではない。授業が始まるのは八時半。今はまだ八時十分である。この時間にはどのクラスも十人くらいしか登校していない。

とりあえず教室の向かいの窓で外を見る。そこから見える中庭には朝練をしている野球部やら陸上部が片付けをし始めたところであった。七月から止むことのない蝉の声はまだ残っており、年々長くなる残暑のお供だ。木の葉はまだ青々としていてじめっとした空気も健在だ。

「てか何でお前、木佐貫さん知ってるんだよ」

突然声をかけられて肩をビクッとさせ振り返る。声で分かっていたがそこには三太が立っていた。

「昨日、美術館行ったんだよ。そこで会ったの。偶然」

三太は星に疑いの眼差しを向ける。

「まあ、そういうことにしといてやる。でもな、朝から訪ねて来るのはどういう風の吹き回しだ?恋愛は面倒だと言ってたくせに」

「別にそういうわけではない。ただちょっと気になっているだけ」

「それが恋だと言っているのだよ、星くん」

三太は確実にからかうモードになってしまった。これだから三太に声をかけたくなかったのだ。

大山三太。同じ部活に所属している一八〇cm超えの長身。学年で一番高い。バレーボールやるには恵まれた体だ。なんたって星はぎり一七〇cmある程度で運動神経のおかげでレギュラーに入れているにすぎない。それに対して三太は次期エースとも呼ばれている。

「からかうのはよしてくれ。知り合ったのなら友達になりたいじゃん」

「本当にそれだけかよ。ってほら噂をすれば来たよ、木佐貫さん」

長身というのは常々得である。星には全く見えない。多くの生徒が登校する時間、すなわち電車組が登校する時間なので人が多すぎる。

星に見えたのは美桜が教室に入ろうとしているところで、三太が声をかけてくれたおかげでこちらに気付いた。

美桜は教室には入らず、星と三太のところに来る。

「おはようございます」

美桜が先に挨拶をした。それに続いて星と三太も挨拶する。

「なあ、聞いてくれよ。星な、木佐貫さんに会いたいから学校に来るなり一目散にうちのクラスに来たんだよ」

「おい、それは言うなよ」

星は三太の胸倉を掴み、怒っていることを伝える。それを三太は頭をかいてごめんと軽く謝る。

それを見ていた美桜はフフフと押し殺せていない笑い声をあげる。

「お二人は仲が良いのですね」

「どこがだよ」

美桜にはそれがまた可笑しくて笑った。今度は押し殺すことなく。

気を取り直して、美桜に向かい合う。

「えっと、今週文化祭があるじゃん」

そう、今週末にはだ田駒高校で文化祭が行われる。二日間開催で毎年盛況している。

「俺のクラス、劇やるんだけどその脚本、その———、俺が書いて、見てほしいなって。それを言いに来た」

「そうだったのですか。絶対行きますね」

満面の笑みを見せる美桜。その顔にドキッとする。これではますますもって三太が言ったことが当たってしまう。ついでに母の言ったことも。

「今日って昼練するよね?」

居心地が悪くなって三太に話を振る。

「うん、するよ」

三太は笑いながら答えた。その意味が分かる星は三太を睨む。

「じゃあ、これで」

「あ、はい」

星は半ば逃げるようにその場を後にした。


昼休み。

運動着に着替えた星たちバレーボール部はネットを張り、個人練習をしていた。その多くはサーブ練習。

星の隣にわざとらしく三太が来る。

「なあ、木佐貫さんと親しいなんて知らなかったぞ」

「話をしていると先輩に怒られるだろ」

これはただの言い訳。本当のことではあるが、本当は美桜との話を持ち出してきてほしくないだけ。

「じゃあ、一つだけ。木佐貫さんの笑顔、初めて見た」

一瞬体が固まる。

「今なんてい———」

「そこ喋ってんじゃねぇ」

案の定先輩に怒られた。

「すみません」

三太は星から離れて行く。

星は練習はするが、さっきの言葉がずっと気になって集中できない。ありがたいことは一つだけ。練習がサーブ練習であること。これがアタックの練習だとした先輩に怒鳴られる程度では済まされない。

練習に身が入らないまま昼休みが終わり、授業が始まる。授業のときも上の空で聞いてても反対の耳から抜けていった。

放課後になり、文化祭の準備があるのだがクラスメイトに任せて部活に行く。

更衣室に行くともうすでに三太はいて、今がチャンスと思って話しかけた。

「さっきのどういう意味だよ」

「言い方がまずかったね。木佐貫さんは決して笑わない人ってことではない。でもあんな笑顔は見たことない。俺に向けられているわけではないのにドキッとしたよ、あれは。俺も好きになりそうだよ」

「”も”ってなんだよ。そんなんじゃないって言ってるだろ」

「じゃあ、好きになって良いってことだね」

「お前は彼女いるだろ。ちくるぞ」

「それだけはマジ勘弁」

三太は土下座までして謝ってくる。三太もちょろいものだ。そう心の中でほそく笑む。

「でも、本当だよ。誰もあんな笑顔見たことないって」

三太が取り繕うように言う。だが三太が嘘を言うことはないことを知っている。特にこういうときは。

「でもでも、文化祭って言うからてっきり誘うのかと思っただろ」

「誘うって何に?」

「そりゃ、一緒に回ろうとかそういうの」

「は———」

言葉を失う。それは考えていなかった。そしてそう思われていたとは、評価を戻そうと思っていたのに落とすことに決定。三太にはたとえ美桜と仲良くなっても何も言わないと決心した。

「それともう一つ。木佐貫さんに放課後時間あったら体育館来てよ、って言ってあるから」

「は———」

またしても言葉を失う。三太は要らないことしかしない。これでは身がもたない。がっくりしている内に三太は着替えを済ませ、更衣室から出ていく。


五時前。

休憩で体育館の外に出ると偶然なのか待っていたのかはわからないが美桜がいた。飲み物を取った後、美桜に近づく。

「本当に来たんだ」

「はい。駄目でしたか?」

「そんなことないけど。文化祭の準備してたの?」

「はい。今日の分は終わったので来てみました」

「そうだったんだ。まだ時間あるなら上から見てたら?俺は戻るからさ」

体育館ならどこにでもあると思うがギャラリーに行くように勧めたのだ。

飲み物をごくごくと飲んで体育館に戻る。美桜は星の言う通りにギャラリーにいるのが見える。

「これからゲーム形式の練習をする。俺がスパイクをする」

コーチの掛け声で動く。最初にコートに入るのはレギュラーメンバー。それを一球ごとに全員でローテーションする。

星の最初の位置はバックレフト。その前にいるのが三太。後ろを向いている三太がちょっとの時間の隙に星に言った。

「木佐貫さんと話してたな。それも上に行かせるとか、そんなに見せたいのかよ」

「そんなんじゃないって」

「そこ喋ってるんじゃねぇ」

コーチからの檄と共にボールが飛んでくる。しかし二人は怯むことはなかった。コーチは話をしている人に対してよくボールを打つ。そういう性格だとわかっているから話をしていてもいつ打ってきてもいいように心構えはしていた。

ボールは星がレシーブして弧を描いてセンターに上がる。その下にセッターが入る。

「レフト~~~!」

三太が叫び、踏み切る。

バン、バン、と二回大きな音がしてボールはむこうの壁にぶつかる。

「「もう一本」」

星と三太の声が重なる。

「いや、ローテしろよ」

と部長から低い声で怒られる。

これだからバレーを止められないのだ。たとえアタックしていなくても込み上げてくる気持ちいいという感覚。コートにいる六人が繋いで起きる奇跡。練習だとしてもこの感覚は心の中にある。だから楽しくてしょうがないのだ。美桜をギャラリーに行かせたのはこの感覚を少しでも知ってもらえたら、という思いからだ。

ローテーションでフロントレフトに立つ。コーチがボールを打つ。今度はこちらに飛んでこなかった。先輩が拾ったボールをセッターがトスする。

「レフト~~~!」

星は俺に打たせろという思いを乗せて叫ぶ。

「センタ~~~!」

負けじと三太も叫ぶ。

セッターの上げたボールは三太の頭上を通り過ぎ、星の手に吸い込まれる。

バン、バン、バン、と三回大きな音がする。一回目は星の手とボールが当たる音。二回目はボールが床に当たる音。ここまでは三太と同じ。だが三回目はボールが壁に当たる音。三太は真正面に打ったためにボールが壁に当たるまで床を三回跳ねる。しかし星は斜めに打ったために床を一回しか跳ねずに壁に当たったのだ。サイドラインぎりぎりに打っていることも一つの要因だ。

「相変わらず変な飛び方してよくネットに当たらないな」

コーチから褒められているのか呆れられているのかわからない感想をいただく。

変な飛び方というのは、ふつうならネットに直角で直上に飛ぶのだが、星は飛ぶ瞬間にネットに背を向け、体を捻って打つ。こうすることで斜めにも打てるし、遠心力も加わりボールが速くなるし威力も強くなる。

だがこれを使うのは星だけである。なぜなら、そもそも空中で体の向きを変えながらボールを打つのは至難の業だ。それにボール自体も動いているのでセッターがトスしてから走り出さないとボールに当たらない。

これは中学時代から使っている。背の低い星にとっては唯一の攻撃である。


五時になると鐘が鳴る。それは部活以外で残っている生徒の帰る時間ということ。もちろん残っていて怒られることはないが大抵の人はこういうものを守る。

それは美桜も同じで、鐘が鳴るとギャラリーにいる美桜を見ると鞄を持ち、星にお辞儀をした。それに笑顔を向け、さよならと口パクで伝える。



文化祭当日。

一昨日は午後の授業は文化祭の準備の時間となり、昨日は一日文化祭の準備の時間になっていたおかげで間に合った。内装も外装も衣装も。

星のクラスの出し物は劇。題名は【恋は神のみぞ決める】。

男子が女子に告白するところから始まる。そこに天から神様が現れ、YESかNOを決める。その前に今までの回想、出会いから好きになるきっかけ、告白するのを決心するところまでを流し、最後に最初の場面に戻り、神が下すという話だ。

役者は練習に練習を重ね、みんなが納得いくものとなったのは文化祭開始である九時の十分前だった。

劇の開場は九時四十分。それまでにすることはそう無いが、それでもこの五十分間はすぐに過ぎそうだ。クラスメイトの誰もが口角が上がって、表情がキラキラと輝いている。それもそのはず、人生初の文化祭なのだから。劇上手くいくかな、どこ回ろうか、○○に会えるかな、とかとか。あちらこちらから楽しそうな声が上がっている。中には教室の外に出て、他クラスの人と話に行く人もいる。

星はそれを観客が座るように並べた椅子に寝っ転がって見聞していた。

九時になると開場の放送が入り、学校中がお祭り一色となる。

星は教室の外を出て、受付の椅子に座る。もう一つの椅子に誰かが座った。それは三太だった。

「何でお前が座るんだよ。クラス違うだろ」

「最初に星のクラスを見ようと思ってな」

「そんなら立って待ってろ」

「おいおいおい。客に対してひどいんじゃないか?」

「黙れ。ほら間宮が座るんだからどけって」

ふてくされた顔をして立ち上がる三太。だからお前のための席じゃないから。

「彼女と一緒じゃないんだな」

「架純か?あいつとはここで会うことにしてる。あっちはまだ色々とやっているそうだよ、準備」

「それは災難だな。確か四組だったよな。あそこも劇だったよな?」

「架純もそうだけど、あそこのクラスやる気なさそうに準備してたから仕方ないだろうよ」

「大山君だよね」

隣にいる間宮が話に混ざってきた。三太はそうだよと答える。

「やっぱ近くから見ると大きいね。遠くからでもそうだけど、近いと迫力が倍増する」

「そうか?デカいだけだろ」

「チビが何を言おうが負け犬の遠吠えにしか聞こえねぇ」

むかつくので三太の足を蹴る。それが偶然すねに当たったようで蹴られた方の足を押さえる。三太は睨んでくるが口笛を吹きながら明後日の方向を向いてやりすごす。星にやり返そうとして立ち直った三太の名前をどこからか聞こえ、仕返しされずに済んだ。

始まってからまだ数分しか経っていないのにもうすでに廊下にはたくさんの人がいて、声の主は見えなかった。

「人多すぎ」

文句を言いながら現れたのは三太の彼女、村井架純だ。声で分かってはいたが。

「おお、架純。もう準備はいいのか?」

「面倒くさかったから抜け出してきた」

それは駄目だろ、という目線を送る星と三太の考えが伝わったのか、

「だって私、衣装係だったし。衣装は昨日までに作り終えてたし。だから役目終了。他の手伝いも終了」

はぁー、と長いため息をこぼす星と三太。しかし一人だけは目を輝かしていた。

「大山君の彼女って村井さんだったんだね。村井さんは彼氏いるとは聞いてたけど大山君だとは知らなかった」

「まあ、不釣り合いだからな」

「なんだと、もう一度言ってみろ」

「おお、何度でも言ってやる。不釣り合いなんだよ」

星の言うことに怒る三太。不釣り合いと言われれば誰もが怒るだろう。しかし片や学年一の美少女とも言われる架純とただ身長が高いだけの三太。誰だって不釣り合いだと思うだろう。ただし、それを本人の前で言えるのは星くらいだろう。

さすがに文化祭中なので手を出すことはないが、お互い睨み合って一触即発状態となる。

それを終わらせたのは架純の一言だった。

「好きに言わせておきなさいよ。私は不釣り合いだなんて思っていないから」

おお、なんと天使のようなお言葉。それは星や三太だけでなく間宮も思ったはずだ。

三太はありがたさに抱きつこうとしたが架純のビンタで成しえなかった。

そんなことをしている内に星のクラスを見ようと行列ができていた。三太を先頭にして。

九時二十分になると客を教室に入れ始める。受付では生徒は学年と名前、保護者などの来場者は名前を書いてもらう。

「あ、木佐貫さん」

行列の中に美桜がいた。

「おはようございます」

「おはよう。本当に来てくれたんだね。ありがとう」

「そんな。これでいいのかな?」

「うん、大丈夫だよ。あ、劇が終わっても教室に残ってもらえるかな?」

「わかりました」

「じゃあ、よろしくね。さ、入って」

美桜は教室に入って行った。


九時四十分。

星は照明の光を一身に浴びている。

「本日は田駒高校の文化祭に足をお運び、さらにはこの一年六組に足をお運びしてくださった皆様、ありがとうございます。脚本を書きました土屋星です。まだまだ始まったばかりで生徒の方が多いように見受けられますが、親御さんも楽しめるような劇になっていると思っています。このお話は恋をしている人にはもちろん恋をしていない人にも恋っていいな、と思ってもらえるように作りました。そして恋したいと思ってくれたらな、と思っています。親御さんには昔はこんなんだったな、と振り返る機会になれたらな、と思っています。最初から立ち見の人まで出るとは思わなくてクラス一同、驚きや嬉しさがある一方、不安もあります。間違えたりするかもしれませんが、温かい目で見守ってもらえると幸いです。では、このクラスが最初に見る出し物になる人も多いかと思いますが、一年六組【恋は神のみぞ決める】を上演させていただきます」

お辞儀をして二拍で暗転。割れんばかりの拍手が教室に溢れる。


「「「ありがとうございました」」」

劇が終わり、役者が前に並び、お辞儀をする。始まりよりも大きな拍手が役者だけでなく裏にいる生徒までも包む。大盛況で大成功だった。

星が表に出ると、帰っていく人もいるが、残って友達と話している人も多くいた。星のために残ってくれている人もいた。部活の人たちだ。口々に良かったよ、と先輩たちにも言われた。

だが星のために残っていた人は部活の人だけではなかった。

「写真一緒に撮ってください」

五人の女子集団だった。上履きの色を見ると同学年。

星は了承して、五人全員と写真を撮った。しかしこれで終わらなかった。

「私たちとも撮って」

二、三年生の先輩たちだった。その人たちと一人一人写真を撮っているとだんだん星への視線が強くなっていく。最初は憧れだったものが嫉妬に変わり体のいたるところを突き刺す。

写真を撮り終わるとあらゆる男子が集まってくる。部活の先輩もクラスメイトも。

「モテモテだね、星君」

誰もが悪い顔をしている。そしてその集団にリンチとも思える攻撃を受け、力尽きる。

気が済んだのか他クラスの人は教室から出ていき、クラスの人は裏に行った。

「お待たせしたね」

「いいえ、平気ですよ」

「そう言ってもらえると助かるよ」

「木佐貫さんもいたんだ」

三太が会話に割り込む。その後ろには架純もいる。

「三太はどこかに行ってろ」

「相変わらず酷いな」

「星君、後で私とも撮ってね」

架純がどさくさに紛れて約束をしてくる。

「いいよ。そうそう、木佐貫さんはこの後どこか回ろうと思っている?」

「いいえ、特には。でも土屋君と行きたいところがあって」

「どこでも俺は歓迎だよ」

「美術室行きませんか?」

「それって美術部の絵があるんだよね」

「そうです。ぜひ見てほしくて」

「うん、いいよ。じゃあ、行こうか」

星は財布とスマホを持っていることを確認して教室から出る。

「ちょっと待った」

三太に引き留められる。

「俺たちも一緒に行くよ」

「えー。何で絵なんか見ないといけないのよ」

架純が拒絶する。それもそうだ。星だって美桜という知り合いがいなかったら行こうとは思わない。

色々不満を言いながらも結局架純もついてきた。


部屋の真ん中に美桜の絵はあった。教室の窓から空を見上げている少女の絵。

「これっていつ描いたの?」

「夏休み中です。美術館にあったのは一学期に描いたものです」

「なるほど。どうしてこの絵にしたの?」

うーんと顎に拳を当て、悩みのポーズ。

「私って空の絵が得意でね、それを取り入れるには、と考えてたらこれにしようと思った」

「そうなの?俺からは人間の方が上手いと思うけど。特に表情が良い。この絵は何かを悩んでいるかのような顔をしている。美術館にあった絵もそうだけど、絵から次の動きが見えてくるんだよね。この絵は目を瞑って叫び出しそう」

「そんな風には見えないけど」

美桜との世界を簡単に壊してくる架純。そんなことは無視して美桜は言う。

「そういう風に感じるんだ。でもそう考えれば叫びそうだね」

「だろ。そういえば美術館のはどうして描こうと思ったの?」

「あれは中学三年のときに受験勉強している合間にふと思い浮かんできたの。それを高校に入って最初に描いた。二カ月もかかってしまったけれど」

星は会ったときからずっと思っていたことを口にした。

「木佐貫さんに話があるんだけど、俺と一緒に絵本作らない?」

美桜の目は驚きで丸くなる。三太と架純はありえないとでも言いたそうな顔をしている。

「俺、将来小説家になりたい。その一歩に君と絵本がかきたい。俺が物語を書き、君が絵を描く。どう?」

「少し待ってください」

頭がごちゃごちゃになっているのだろう。目はあっちこっちに泳ぎ、手はスカートを力強く握りしめている。

何かを決心したようで静かに聞いてきた。

「かいてどうするのですか?」

「新人賞に出す」

「出た~。やるからには頂点目指すってやつかよ」

三太が口を挟む。ある意味その一言はありがたかった。星自身も決めかねていた。本当に自分にできるのか。そういう負の感情が心の中にあった。小説家になることも。

「そういう考え方は嫌いではありません。しかし、私たちは所詮学生ですよ」

「やってみなければわからない」

母に鍛えられた言い合いで負けるはずがない。星はさらに付け加える。

「学生だから何だよ。学生だから入賞できないのかよ」

「そうではありません。ただ、私にはそんな力はないという話です」

「そんなことはない。この俺が保証する」

「たった十五年しか生きていない貴方に何がわかるんですか」

「わかるさ。俺の物語にぴったりな絵だ。お前の絵は」

「だからって私は素人ですよ」

「誰だって初めは素人だ。そしてプロになる。俺は絶対に」

「そんな確証もない夢に私を巻き込まないでください」

「いや、俺は諦めない。夢を叶えることも君に絵を描いてもらうことも。それともそんなに自分の絵に自信ないのかよ。美術館に飾ってもらって、こうして学校でも飾っていて」

「自信なんてあるわけないじゃないですか。あれもこれも出しましょうね、って言われて出しているだけ。私の意志はない」

「意志がないなら出せない、俺だったら。でも君は出した。それは誰かに見られたかったから」

「そんなことはない。貴方の狂言に付き合っていられません」

美桜はその場から去ろうとする。

「なら、何であのとき自分の絵だと言った?隠すことだってできたはずさ。あのときは俺たちは赤の他人だったのだから。それでも俺に声をかけた。それは自分のものを見てくれて嬉しかったからじゃないのか?」

「貴方に何がわかるんですか。私はただ感謝の言葉を言いたかっただけです」

「綺麗の一言にか。お前は言葉に感謝したわけではない。俺の心に感謝したんだ。自分の絵を認められ、気に入ってくれたことを喜んだんだろ」

「それくらい誰だって思うことじゃないですか。それに言葉も心も同じじゃないですか」

「違う。言葉はいくらでも嘘をつけるが、心には嘘をつけない。そしてお前はこう思ったはずさ。『私は誰かに見てほしい』のだと。お前はあのとき誰かの心を自分が動かせることを知った。知ってしまったんだ、作家としての喜びを」

「それは———」

美桜は自分の手を見る。その手に何を問いかけているのかはわからない。それでも自分のことを客観的に見れるようにはなれただろう。

どう決断しようがもうそろそろこの話は止めよう。大声で怒鳴りあっているのでそこにいる全ての人から見られている。お世辞にも気持ちが良いとは言えない。

再び美桜に目を向ける。ポーズは変わらないが何か心境の変化はあったのだろうか。わかっている、知っている、それは狂言だ、美桜の言う通り。だがわかることが一つだけある。それは星と美桜は同じ種類の人間であること。だから星が感じていることは美桜も感じているだろうと確信できる。

「決まったか?」

「私は誰かのためとか考えたことがありませんでした。自分に自分の限界を作り、その中だけで生きてきました。本当に感動させるようなものはできないと思っていました。私は結局凡人だと思っていました。でも土屋君は違うと言うのですか?」

「ああ。君は違う。どの星も形も輝き方も違う。ここから見る星は同じだとしても。人間も同じさ。どんだけ表面が同じでも一人一人は違う。同じ人は二人として存在しない。それをなぜ同じと考える。木佐貫さんも三太も架純ちゃんもこの学校の人誰もが凡人ではない。人の中には何か輝いた才能がある。俺はそれを見つけるのが他の人より早かっただけ。そしてその輝く才能は例え表面的には同じでも、核の部分は他にはないもの。その人だけの輝きさ」

「私にはその輝きが絵だというのですか?」

「そうだ。俺にも三太にも架純ちゃんにもないだろ」

「それはそうですけど。私程度の才能なんて大したものではないですよ」

「またそうやって誰かと比べる。才能に優劣なんてない。その人にしかない才能をどうやって比べるんだよ」

「そうは言っても———」

「ならこう考えろ。お前と姿も恰好も目も鼻も口も耳も声も絵も考え方も頭の良さも運動神経の良さも何もかも同じ人間が存在すると思うか?」

「それはありえないけど」

「だろ。だからお前の何もかも、存在すらも特別なんだ。同じ人がいないのなら。そうだろ?」

「うん」

あまり納得がいっていないのだろう。星だって自分の言うことが正しいのかなんてわからない。でもこれが自分の考えなのだと初めてわかった。

「そういうならとことん付き合ってあげましょう」

「何で上からなんだよ」

「いいでしょ」

そう言って微笑む。いつもなら突っかかるのだが可愛いから許そう。

「絶対新人賞、入賞しましょう。やるからには頂点取るんでしょ」

「もちろん。よろしく頼むな」

自然に手が出る。それに何の躊躇もなく美桜が握手をする。

ここに最強タッグが誕生した。


十二時過ぎ。

「は~。ありえない。絵を見るだけで二時間も経つなんて」

架純の文句は今回だけは受け付けてやろう。

今はとあるクラスの喫茶店にいる。メンバーは変わらず四人のまま。もう一日の半分が終わったかと思うとやはり今日の時間の進む速度は速いな、と思うのと同時に時間を無駄に使っているとも思う。

美桜の絵を見る前にも他の絵を見ていたし、その度に美桜と意見交換をしていたからその時点で三太と架純は一周していた。美桜との言い合いは二人にとっては良い暇つぶしになっただろう。その後にもまだ見てない作品があったからさらに時間がかかった。

席の配置は隣に美桜、向かいに三太、美桜の向かいで三太の隣に架純。このクラスのメニューはカレーとナン、飲み物が少しある程度。だから頼んだのはカレーとナン。

「大山君と村井さんはお付き合いしていたのですね」

美桜がびっくりした声で言う。

「そうだろ。不釣り合いだろ」

「またその話をするか、星。今度こそ怒るぞ」

「いえいえ、そんなこと思っていません。ただどうして付き合うことになったのか不思議で」

「それは———」

「決して変な意味ではなくて、接点とかなさそうに見えて」

美桜は賢明に誤解を招かぬように必死に言う。

「確かに二人はクラス違うしね。三太がバレー部なのは知っているよね。架純ちゃんもバレー部なんだよ、女子の」

星に向けられた問いではなかったが答えた。どう見ても二人が話そうになかったから。

「なるほど。村井さんもバレーボールやっていたんですね」

「そんなに驚くこと?私はそれより星君があんなにも絵が好きとは思わなかったよ」

「確かに。バレーやっているときよりも真剣な顔してたぞ」

「そんなことはない。バレーもちゃんと真剣にやっている。好きというか教養があって、木佐貫さんと話が合うからだよ」

「それはそうと、星があんな野望を持っていたとは初耳だよ」

三太が身を乗り出して言う。それを暑苦しいと手をひらひらさせる。

「誰にも言ってないからな。あ、誰にも言うなよ。お前らだから言ったところもあるし」

「三人は中学同じなのですか?」

美桜が何を思ったのかわからないが面白い質問をする。

「いやいや、三人とも違う中学だよ。ついでに言っておくと三太は高校に入ってから知った」

「うぜぇー。入学式で星がいることに気付いたときはびっくりしたからな。なんたって星は去年の都大会でベストライト賞に選ばれたからな」

「ベストライト賞とは何でしょう?」

「まあ、知らない人はさっぱりでしょうね。私が教えてあげる。バレーではそれぞれポジションがあるの。レシーブしたボールのトスを上げるセッター。アタックを禁止されたレシーブ専門のリベロ」

「それは聞いたことがあります」

「高身長を求められるミドルブロッカー。バレーボールの花形のウイニングスパイカー。このウイニングスパイカーにはレフトとライトと呼ばれる違いがあって、スパイクを決めエースとも呼ばれるのがレフト。アタックをするだけでなくてレシーブもセッターの変わりにトスを上げることも求められるライト。このライトというポジションで星君は去年の東京都で一番だと認められたの」

「それって、すごくないですか?」

「そりゃそうだ。ベストなんたら賞は七人しか選ばれない。その内の一人に選ばれたんだからすごいよ、こいつはな」

「それに星君は異例中の異例なんだよ」

「普通なら本選でベスト4に入った選手から選ばれるものが本選一回戦敗退の学校から選ばれたんだから」

「よくわからないのですが、一回戦敗退だとベストいくつなのでしょう?」

「ベスト32。悔しさしかないけどな」

あのときの悔しさが今の星を形成していると言っても過言ではない。

「確か十数年ぶりって言ってなかたっけ?」

「そんなもんだろうな」

「一回戦敗退でベスト賞に選ばれたのがですか?」

「「「うん」」」

三人の声がハモる。

「ならいろんな高校から声かかったんじゃないですか?」

「「あ」」

「もちろん。強豪校って言われるところからかかったよ」

「うわー、何で今まで気づかなかったんだろう」

「どんなところから声かかったんだよ」

三太と架純が慌てて聞く。逆に気が付かなかったことにびっくりだよ。

「そうだな。東京なら今年の夏ベスト4のところからは全部声かかったし、千葉の優勝と準優勝校、埼玉の三位まで、神奈川はベスト8の二校、山梨は三位から声をかけてもらったよ」

「なんで全部蹴ったんだよ」

三太の言うことには頷くことしかできない。

「家から近いから?」

「お前、チャリ通だもんな。ってちげぇよ。他にも理由あるだろ?」

「他と言われても———。そうだな。俺は全国行くためにバレーやっているわけじゃないし」

「は。全国行く気ないだと。ふざけんじゃねぇよ」

三太が胸倉を掴んでくる。

「待て待て。最後まで俺の話を聞け。もう一度言うぞ。俺は全国行くためにバレーやっているわけではない。やりたいからバレーをやっているんだ。そしてやるからには頂点に立つ。その前である全国大会出場を俺は掲げている」

「それなら別に良いけど」

三太は謝ることはしなかったが胸倉から手は離した。

昼ご飯を食べ終えた四人はこの後別行動となった。


次の日。いつも通りに駐輪場に自転車を止めると女子の一団が体育館裏に行くのが見えた。一瞬であったが見間違えるわけがない人が腕を引っ張られているのが見えた。

足早にかつ静かに角のところまでに行く。覗き見ることはしない。もしかするとここにいるのがばれてしまうかもしれないから耳に全神経を集めて盗み聞きする。

「貴女が誰だかはしらないけど、星君の前をうろちょろしないで」

「別に私はそんなつもりは———」

やはりだ。美桜の声が聞こえる。もう一人の声はよく星に声をかけてくれるクラスメイトの女子だ。

「はあー、何言っているの?昨日一緒にいたじゃん」

「あれは———」

「ほら、やましい気持ちがあるから何も言えないんでしょ」

「そうではなく」

「はっきり言いなさいよ。大体、星君が貴女みたいな子を相手にするわけないでしょ」

周りにいる複数の女子が笑う。一対複数は卑怯である。だがまだ出るわけにはいかない。

「私は、ただ、友達になりたいだけです」

「生憎ね、友達は私たちで十分よ。貴女は店員オーバー」

また笑う。何が楽しいのかわからないがまだ出る幕ではない。

「友達になりたいだけなら他の男子に尻尾振ってなさい」

「ま、誰もこんなブサイク相手にするわけないけど」

美桜は黙っている。たぶんだが下をうつむいているのだろう。下唇を噛みながら。

「いつまでそうやって黙っているのよ」

ついに手が出る。その手を運動神経と反射神経と動体視力を使って美桜に届く前に掴む。

「そこまでにしときな」

「せ、星君」

「よお」

クラスメイトの女子を上から見る。少し眉間に力を入れると怯えた表情を浮かべる。

周りにいる女子が我を取り戻し、早口で言う。

「せ、星君。どうして昨日この子といたの?」

「いたかったから、じゃ駄目かな」

この場に三太がいたら笑い転げていただろう。きもい声と顔すんじゃねぇ、と言われるだろう。それくらい甘い声で優しい顔をした。

「それなら今日は私と回ってよ」

「それは無理。先約があるから」

「それってこの子じゃないわよね?」

「この子だよ。俺は今日も木佐貫さんと回る」

「なんで」

「さっきも言ったじゃん。一緒にいたいからだよ」

手を掴んでいた女子が手を振り払って、その場から立ち去って行った。その後を追うように周りの女子も去って行った。

残ったのは星と美桜の二人。美桜の方を振り返る。思っていたように俯いていた。

「ありがとうございました」

「いえいえ。元はと言えば俺のせいだからね」

「そんなことは。あの、どこから聞いていましたか?」

「最初からだと思うけど」

バタバタとこちらに走ってくる足音がする。角から出てきたのは架純と三太だった。

「架純、こいつらがどうしたんだよ」

「木佐貫さんが連れて行かれるところが見えたから。でも星君がいたとは。さっき泣きながら走っている子とすれ違ったけど星君の仕業ね」

「やっぱり泣かせたか。後で謝らないとな」

「そんなのはどうでもよくて。貴女、わかったでしょ。星君と一緒にいるとどうなるか。昨日もそうだったけど、星君はモテるの。学年一かもしれないほどに。そんな男子とイベント事に一緒にいたら勘違いされるし、さっきみたいに嫉妬もされる。中には昨日のはダブルデートしているように見えたかもね」

「だから何ですか?私が誰といようと私の勝手じゃないですか。それをどうして誰かに決められなきゃいけないんです?それに貴女も貴女です。言いたいことがあるならはっきり言ってください」

美桜は明らかにイライラしている。喧嘩口調になっている。さっきのがよほどストレスに感じたのだろう。

「私に八つ当たりしないでくれる」

「してません」

架純の何気ない一言にも噛みつくところを見ると、相当参っているようだ。架純はムッとした顔になるが話を続ける。

「ならはっきり言うけど、星君に特別な感情がないならもう近づかない方がいいわよ。さっきみたいのが何度あるかわからないしね」

「馬鹿馬鹿しい。そんなことに付き合っているほど暇ではないので。失礼します」

「ちょっ、ちょっと待って」

逃げるように去る美桜を呼び止めるが足を止めることはなかった。追いかけようとしたら三太に腕を掴まれた。

「離せよ」

「いや、離したら架純に怒られるからな」

「架純ちゃん、俺にまだ用かい?」

「もちろん。彼女と縁を切りなさい。それがお互いのためだと思うけど」

「一言いいか」

三太の手を振り解いて架純に体を向ける。

「お前のそういうところが嫌いだ。相手のことをさも知っているように言っているが何一つ当たってなどいない。そんな簡単に他人の考えていることなんざわからないんだよ。前に言ったよな、三太。この女はおすすめしないと。全てを自分と同じだと考えている。そんなことはありえない。昨日も言ったが同じ人が二人としていないように、同じ考え、同じ価値観を持っていることはありえない。もう一度言うぞ。お前は井の中の蛙だ。自分の持っているものさしで全てを測るな。もし次、俺のことをわかったような口ぶりをしたら、お前と縁を切るぞ」

少しきつく言った方が架純のためだろう。半年も経てばその人がどんな人かだんだんわかってくる。架純の周りの人も星と同じ考えの人も多いだろう。いずれぶつかる問題なら今解決させてやるのが友達というものだろう。

今にも泣きそうな架純と動けなくなっている三太を置いて、美桜の後を追った。


「木佐貫さん、待ってよ」

振り返った顔には面倒くさいと書いてある。

「まだ何か用ですか?」

「今日も一緒に回りたい。お互いのことまだよく知らないし、それにこれからのことも話したい」

「私はもうあんな目は嫌です。私は目立たず生活しようと思っていたのに。私の世界を壊さないでください」

「さっきのはごめん。あんなことをするとは思わなかった。でも今度はちゃんと守るから。俺は君のそばにいたいから。君と一緒にいたいから」

「なぜそこまで私にこだわるのですか。私みたいな何の取り柄もない人に」

「何の取り柄もないだなんて言わないで。君にはすごい絵が描けるじゃん」

「あんなのすごくもない。平凡だよ。それよりか土屋君の方がすごいよ。ベスト賞なんて取れるほどバレー上手いじゃん」

「運動神経がいいだけだよ。どの動きもそれなりにできるだけ。上に行けば行くほど通用しなくなる。だから強豪に行かなかった。どれも中途半端で、俺を使ってもらえないから」

「それなら私だってそうだよ。絵なんて趣味でしかない。何の強みでもない。私には何もない」

「俺だって何もないさ。何もないなりにあがいているだけ。木佐貫さんは何かを手に入れようとか思わない?」

「思うけど」

「だから俺は小説家になりたいだ。後世に何かを残したい。そう思ったときに作家というものを意識し始めた。それに君を巻き込むことにしたことは謝る。嫌なら断ってもいい」

「絵本はやります。でもそれだけの関係ではいけないのですか?」

「良いものを作るにはお互い言いたいことを言える仲ではないといけないと思う。だからお互いのことを知って、距離を縮めようと思っているんだ。だからこういうイベント事を使わないと。それに自然に君と話せるほどの心は持ち合わせていないから」

「それって———」

「俺だって人付き合いは苦手なんだ。基本的にあっちから話しかけてくれるから。でも文化祭なら話すことはいっぱいある。俺はどう勘違いされてもいい。君と一緒にいれるなら」

「前から思っていましたけど、どうしてそんな恥ずかしいことさらっと言えるのですか?」

「本気でそう思っているから、恥ずかしいことは何一つない。俺にはこうする以外に方法を知らないから」

「じゃあ、私も一度だけ恥ずかしいことを言います。貴方と出会えてよかったです」

やっぱり可愛い笑顔を見せてくれる。怒っているような顔をしていたから一層大きくドクンっと心臓が鳴った。この笑顔は絶対守ると誓う瞬間だった。

「では今日も一日よろしくお願いしますね。向かいに行きます」

そう言って美桜は自分のクラスに入っていった。



翌日。

月曜日であるが文化祭の振替休日で学校は休み。部活はあったがばっくれた。それ以上に大切な約束があるのだ。

「おはようございます」

白のTシャツに紺のガウチョパンツ姿の美桜が走りながら挨拶してきた。

今いるところは市内の保育園。星の母親はこの保育園の園長をしていて、ひと月に一度遊びに行くのが習慣である。しかし誰かを誘ったのは初めて、ましてや保育園に遊びに行っていることを誰にも言っていなかった。昨日までは。

美桜を誘ったのは昨日の文化祭のときで、どうして絵本なのかという話になり、このことを話した。そして明日行くから一緒に来ないか、と誘ったのだ。それを二つ返事で来てくれた。

「星君カッコいいです」

「ほんと?ありがとう。美桜ちゃんも可愛いよ」

昨日二人のときは下の名前で呼ぶことにしたのです。でも勘違いしないでくださいね、付き合ってはいません。

二人で正面の玄関から入る。園長である母のところに行く。

「あら、この子が美桜ちゃん?私は星の母でここの園長をしています。今日はよろしくお願いしますね」

「こちらこそよろしくお願いします」

「美桜ちゃんこっちに来て」

美桜は不思議そうに母に近寄る。そうすると母は美桜の肩に腕を回し、耳元で何かを話し始めた。

美桜を解放した母は子どものように無邪気に笑い、年長をよろしくね、と言って外に追い出された。

「母に何を言われたの?」

「秘密です」

美桜はそっぽを向いてしまい、当分教えてもらえないと悟った。

年長の部屋に入ると、星を見つけた子たちが一斉に星の下に走ってくる。年長ともなれば付き合いは長い。月一で来ていても星のことを覚えてくれている。

一通りハイタッチをすると決まって席に座らせる。いつもならふざけたことをするのだが今日は美桜がいるのでやめておく。

みんなが席に着いたところで星は前に立ち、その横に美桜が立つ。

「今日はみんなと遊んでくれるお姉さんが来ています。美桜お姉さんです。はい、挨拶」

「「「おはようございます」」」

息の合った挨拶をする年長の子どもたち。成長していることに感動するが、できるのならいつも適当な挨拶をするな、と叱りたくもなった。

「美桜お姉さんは俺と同じ高校でとても絵が上手いので絵を描いてと言ったら描いてもらえると思うから、みんなじゃんじゃん注文していいからね。美桜お姉さんから一言どうぞ」

予定にないことで美桜は戸惑っている。それでも笑顔で言った。

「運動はあまり得意ではないのですが、星君の言うように絵には自信があります。一日よろしくお願いします」

「「「よろしくおねがいします」」」

子どもらしく元気よく言う。こういうことを星に対してもやってほしいものだ。

「じゃあ、野郎ども。遊ぶぞ」

オー、と掛け声を上げ、席を立ち、それぞれ思い思いのところに行く。


十一時。この時間から外遊びが許され、男子女子関係なく外に駆け出していく。中には部屋の中にこもる子もいるのが現状だ。

星は園庭と園舎の間にある緑色の園路にいた。段差の手前まで足を延ばし、日向で座っている。そこから部屋の中にいる子どもに優しく言った。

「あのさ。部屋でそうやって絵を描くことは悪いことではないだけど、ちょっとここに来ない?」

トントンと自分の隣に来るように促す。しかしそこに残っている三人の女の子は椅子の上から動こうとしない。

「俺は決して外で遊べって言っているわけではないの。こうして日に当たることが大事なの。人間は日を浴びると健康が維持できるの。いつまでも元気でいられるの。だからお兄ちゃんはこうして日向ぼっこしてるの」

少しは興味を持ってもらえたようで椅子から立ち上がり、窓のところまでは来る。その三人の後ろには美桜が立っている。

「太陽は嫌い?」

「うん。まぶしい」

「暑い」

「確かにまだ暑いね。でも日を浴びると体だけではなくて心も元気になるの。ここら辺がほっこりするんだよね。こうしていると」

胸に手を当てる。三人も星と同じ行動をする。

「お兄ちゃんは太陽に当たっていると安心する。太陽の温かさってお母さんみたいに優しくて、守ってくれてると思える。今の太陽はね、ちょっとその思いが強いの。だからまぶしくて、暑いの。愛情が強すぎるだけ。いつでも僕たちの事を見守ってくれているんだよ」

笑顔で言う。これでも来なかったら諦めようと思っていたら、一人が星の隣に来た。

「星お兄ちゃんが言う通りだね。温かくて安心する」

ピカピカ輝く笑顔を星に向ける。こういう顔が見れるから毎月欠かさずに来ているのだ。こんな笑顔をいつまでも持っていてほしいとおじさんのような思いが芽生えた。

それを見て、他の二人も星のところに来た。同じような笑顔を浮かべて。

数分もすれば庭に出ることはないが日向の部分で三人で遊び始めた。すると星の隣に美桜が座った。

「やっぱりすごいね。あの子たちでもわかるような言葉を選んで説得するなんて」

「言葉は俺の専売特許ですから」

お互い顔を見合わせて笑う。いつもは人工の光が当たっているが今は太陽の光が当たっていてとても神秘的で可憐に見える。いつまでも見ていられる顔。それが美桜の顔だ。

「どうだい、俺の宝物は?」

「とても素敵なものだね。私にも妹や弟ができたみたい」

「だろ」

「星君が絵本にこだわる理由がわかった。それはこんな笑顔を守るためなんだね」

二人は庭を見渡す。庭を走り回る子たち、ブランコを漕いでいる子たち、鉄棒で遊ぶ子たち、ジャングルジムを登る子たち、砂場で何かを作る子たち、どの顔も笑顔で満ち溢れていた。

「俺はこういう無邪気な笑顔が好き。こんな顔をして読んでくれる絵本を作らないとね」

「うん。本当に星君には感謝しかないね。こういう機会を私に与えてくれて。絵本作りに私を選んでくれて本当にありがとう」

美桜は星の目を見て言う。少し照れているようで頬が赤い。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。無理矢理作らせるような形になちゃったかと思ってて。本当はね、ここに呼ぼうとは最初考えていなかったの。絵を描いてくれるだけで良いと。でも美桜ちゃんといて、あることを思ったんだ。美桜ちゃんの笑顔は子どもの笑顔そのものだって。美桜ちゃんの笑顔はここにいる子どもたちと一緒で輝いている」

「それって———」

「もう君しか見れない。君と一緒にいる未来しか見えない。君となら何でもできる気がする。だから俺のそばにいてください」

こんなこと柄ではないとわかっている。自分の言うことは核心に触れているようで触れていない、そういう言い回しをしてきた。でもこればかりは包み隠さずに言う。もう心臓が破裂しそうだ。

美桜は果たして今、何を考えているのだろうか。それを確かめたくても顔が見れない。恥ずかしくもあり、怖くもあるからだ。

「私は———。私は貴方と出会えて良かった。嵐のような日々で自分を見つめる時間がなかったけど、それでも一つだけ確信して言えることがある。私は貴方が好き。貴方の楽しそうな顔、本気になった顔、今のような不安そうな顔。私はどの顔も大好き。許してもらえるなら私を貴方の隣にいさせてください」

二人の心が今一つとなる。手を少しずつ近づけていき、指を絡める。お互い見つめ合う。美桜は目を瞑る。それを合図にして顔を近づけていく。

唇がブアー、と熱くなる。心臓はドクンドクンと過去最速で鳴り響く。唇が触れたのはほんの一瞬だった。しかしその瞬間はまるで無限のようで時間が止まったかのように長く感じた。

「あんたたちよくこんなところでそんなことできるわね。私でもさすがにできないわ」

母の一言で薔薇色の世界から引きずり出された。


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ハチミツREMON 牛板九由 @kuyu0222

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