弾かれ者の異世界戦記
乙姫式
陥落
人間を殺すことを〈楽しい〉と感じたことはない。
これは仕事で、自分が自由に生きるために必要なことだからだ。
むこうにいた頃から、そのことに変化はない。
自分のために殺す。自由のために殺す。
他に理由はない。殺すことで叶えたい願いがあるわけでもない。
だが、時折、本当にそうだろうか、と思うことがある。
本当は、人間を殺すことが楽しくて仕方ないんじゃないか?
肉を裂き、返り血を浴び、致死の叫びを聞いて快楽を感じているのではないか?
だから、むこうの世界から弾かれてしまったのではないのか?
そんな風に、思う。
◆ ◆ ◆
リュートは淡々と槍を振るう。
なんらの感傷も抱かず、なんらの感情も込められずに突き出された穂先は、敵兵の軽鎧を易々と貫き、実に容易く命を奪った。
力を失った敵兵から素早く槍を引き抜き、振り向きざま、背後に迫っていた別の敵兵の首を薙ぐ。
恐怖に染まった男の顔が宙を飛び、首から上を失った胴体がその場に崩れ落ちた。
そうして、周囲に静寂が訪れる。死の静寂だった。
リュートの足元には、合わせて五人分の死体が転がっている。どれも敵国の兵士の装いだ。念のため、槍で全ての死体の急所を突き刺し、死んでいることを確認する。呻きを上げる者すらなかった。
血に塗れた槍を無造作に振る。すると、王より下賜された宝槍は、僅かの一振りで死穢の血を振り払い、冴え渡る白銀の穂先は、微塵のくすみもなく輝いた。
リュートは自分の顔についた返り血を拭いながら、あたりに注意を払う。
場所は石造りの廊下。足元には被毛の絨毯、壁際に高価そうな調度品の類が並べられている。本来なら、このように血生臭い命のやり取りが行われる場所ではない。
周囲に人の気配はなかった。それを確認し、リュートは作戦の通りに行動するべく、廊下を、建物の奥へと向かって進んだ。
しばらくすると、静寂を破るように、耳元で金属が弾けるような音がした。
続いて、その場にいないはずの者の声が聞こえてくる。
『……師団長様。伝令です。二報』
霊術を利用した長距離交信。
伝令係の部下の声には僅かにノイズが混じっている。
『第五小隊、アイゼ部隊長より報告。王城北部の森林地帯にて、旗印のない兵士集団と接触。交戦に入ったとのことです』
「そうか。おそらく、そいつだろう。城下の制圧に回した部隊から、リフォンとマクヘウスの部隊を第五小隊の支援に向かわせろ。絶対に逃がすな」
『了解しました。それと、王城内に潜伏していると思われる敵勢力の術士が、交信妨害を行っているようです。術士隊の広域支援班が対抗しておりますが、しばらくの間、交信が途切れる可能性があるとのことです』
ノイズが混じっている理由はそれか。面倒だが、一手遅い。
「わかった。では、これが最後の命令だ」
リュートは、歩く速度を一切緩めずに言う。
「王城制圧部隊に伝令。作戦に変更はない。城内に残った敵国の人間は、全て殺せ。武器を捨てて降伏しようとしても構わずに殺せ。ただし、王族と思しき者は可能な限り殺さずに捕らえろ。可能な限りだ。無理なら殺していい。判断は現場に任せる。……命令は以上だ」
『了解しました。師団長様、ご武運をお祈りします』
再び、金属の弾ける音がして、交信が終了した。
自分の立てた計画が、自分の思い描いたように進行している。
そのことに、リュートはなんの感慨も抱かずに、ただ歩みを進めた。
◆ ◆ ◆
ミ・タウ王国の王城は、今まさに陥落しつつあった。
それはすなわち、ミ・タウ王国の滅亡が間近であることも意味する。
戦況は一方的で、城下は制圧され、城内にまで敵兵の侵入を許したとあっては、最早、逃走を図ることすら困難であろう。
事実上、戦の勝敗は、すでに決している。
湖の畔に建つ美しい白亜の城は、今や、戦争の勝者による容赦ない蹂躙殺戮の舞台と化してしまった。
元より国力で劣る相手との戦争で、引き際を誤ったミ・タウ王国の末路は、見るに堪えない悲惨なものであった。
◆ ◆ ◆
ミ・タウ王国の名を地図上から抹消せんと攻め入るは、国境線を同じくする隣国、アウリタ王国である。
そのアウリタ王国において、若輩ながら、軍の一翼を指揮する師団長に任命されているリュートは、自分の仕事を果たすため、王城内の最奥、王族の居室とされている建物へ向かった。
やがて見えてきた白い尖塔は、ミ・タウ王国の名の由来となった湖の上に建てられており、王城とは一本の渡り廊下で結ばれている。
眼下に陽光に煌めく湖面を覗く渡り廊下、その中ほどに、一人の兵士が、リュートのことを待ち構えていた。
「師団の長が単独で突出するとは、剛毅だな」
緊張と殺意を隠さない声は、思いのほか軽く、高い。女性の声だ。
キカリ・エル・バンラダウ。
女性の身でありながら、ミ・タウ共和国の近衛師団長にまで登りつめた、戦姫の名で知られる女傑である。
彼女とは、首都への侵攻作戦の折りにも剣を交えた。手強い相手だ。
「剛毅はお互い様だ」
リュートが歩みを止めることなく応え、
「これ以上、先へ進ませるわけにはいかない」
キカリが、剣を構える。
言葉でのやり取りは、それで終わった。
リュートは、戦の勝ちを決定づけるべく。
キカリは、身命を賭して仕えてきた王を守るべく。
お互いが、お互いの目的を理解している。今さら話すことはない。
「せあぁっ!」
裂帛の気合を込め、大きく踏み込んだキカリが剣を振るう。
リュートは即座に後方へ跳び、着地して即、稲妻の如き突きを放つ。
「くっ……!」
キカリは左手の盾で突きを逸らしつつ、後退した。
リュートの扱う宝槍は、槍と言うよりも矛と呼んだほうが正しい。槍にしては若干短い鉄の柄に、薄く研ぎ澄まされた純ミスリル聖銀の両刃剣が取り付けられている。突くことは勿論、切ることに関しても不足ない。
対するキカリの扱う剣は、業物としては全く見劣りはしないが、何しろ戦える距離に差がありすぎる。リュートの繰り出す突きの雨をかいくぐり、懐へと踏み込まなければ、致死の一撃を与えることはできないだろう。
一騎打ちは、リュートの圧倒的優位で推移した。
武器の差もあるが、それ以上に、キカリの目的それ自体が、リュートを有利にしていた。
彼女は、明らかに時間稼ぎをしている。
そも、部下を連れずに現れたのも、そのためだろう。リュートを、アウリタ王国において随一と称される戦士を、この場に釘づけるためだ。
キカリの戦い方に、リュートは自分の作戦が成功したことを確信した。
槍と剣の交錯の最中、遥か遠くより、数発の破裂音が響く。
両者が火花を散らす渡り廊下からも望める、王城の北方――森林地帯の上空に、突如として真っ赤な花が咲いていた。
「なんだ……?」
リュートからは意識を逸らさず、視線だけで青空に浮かんだ大輪の花を見て、キカリが呟いた。
直後、彼女の表情が、瞬く間に驚愕へと変わる。
「まさか!」
見開かれた目、事態を理解して叫んだキカリは、ほんの一瞬、確かに対峙する相手から意識を外していた。
その隙を、リュートは逃さない。
俊足の踏み込み。雷速の刺突。
白銀の穂先が、キカリの細い体を貫いた。
「がっ……しま……!」
微塵の容赦も込められていない刃は、抉るように切っ先を回転させ、キカリの胴体を真横に切り開く。
さらに、血飛沫を散らしながら、宝槍の穂先は大きく弧を描き、キカリの右腕をも斬り飛ばした。
「くあっ……」
短い悲鳴を上げてキカリが倒れ伏すのと、剣を握ったままの右腕が落下したのは、ほぼ同時のことだった。
リュートは短く息を吐いて、槍に付着した血を振り払う。
その穂先は残酷なまでに美しい白銀。
「おのれ……まさか、自分を……囮に……!」
伏したキカリは、血を吐きながら、リュートを見上げる。
その顔には、苦痛と、そして何よりも深い後悔があった。
「もう少し、自国の民を警戒するべきだったな。彼らは善良だが、その善良さが、ときとして国を蝕む」
リュートは言いながら、槍を構え直し、キカリの反撃に備える。
だが、体の中心線あたりから切開された胴体からは臓物が露出し、とめどなく血液が流れ出している。切断された右腕からの出血も激しく、トドメを刺すまでもなく、じきに絶命するだろう。
そう判断し、リュートは構えを解いた。
「脱出路の……存在が……知られて、いたか……」
「そうだ。この城の建設に携わった者が、情報を売りに来たんだ。有事の際に王族が逃げ出すための、秘された通路があると」
その通路が繋がる先が、王城の北部の森林地帯だった。
逃走する王族を確保するべく、精鋭部隊を森林地帯に派遣する一方、リュートは、おそらく最も警戒されているであろう自分が、自ら王城の制圧に赴くことで、脱出路の存在が知られていることを悟られないようにした。
「だから言ったんだ。剛毅なのはお互い様だと。お前も、自分が城の防衛に回ることで、国王がまだ城内にいると思わせようとしたのだろう?」
リュートの問いにキカリは自嘲気味の笑みで答えた。それは肯定を意味していた。
先程、北方の空に咲いた大輪の花は、逃走中の国王を確保したという、リュートの部下からの合図だった。
それは、ミ・タウ王国の終焉を告げる知らせでもある。
そのことを理解したのだろう、キカリはゆっくりと目を閉じ、
「陛下……申し訳、ありません……」
そう呟いて、それっきり、言葉を発することは二度となかった。
キカリの死を見届けたリュートは、渡り廊下の先、王族の居室へと向かった。
ただ囮になるためだけに、キカリが城内に残った可能性は低い。リュートはそう考えていた。
確実に国王を逃がそうと思うのなら、荷物は可能な限り少ないほうがいいと考えるはずだ。そうならば、この先の居室に、国王の次に大切な荷物が残されているかもしれない。
居室の扉の前に、三人の男が立っていた。帯剣しておらず、鎧も身に着けていないが、体格からして兵士だろう。
「ま、待ってくれ。俺たちは丸腰だ。降伏する」
リュートの姿を認めると、男の一人がそう言った。
男たちは皆、媚びるような下卑た笑顔を浮かべて、両手を挙げた。
「手ぶらってわけじゃねぇ。土産もあるんだ。こん中に――」
居室の扉に目をやった男の首を、リュートは両の腕ごと斬り飛ばした。
次いで、残りの二人の首も一瞬にして斬り飛ばす。
何も言わず。何も聞かず。何も思わず。
槍の一振りでひとり。三度振るえば三人が死ぬ。いつもの光景。
警戒を解かないまま、居室の扉を開け、中へと入る。
豪華な作りの、円形の部屋だった。王族の居室に相応しく、室内の至るところに華美な装飾が施され、調度品はどれも高価そうで、よく手入れされている。
だが、室内は、まるで強盗にでも押し入られたかのように、荒れていた。
金銀の細工が施されていたであろうタンスは破壊され、細工が剥ぎ取られて、中身の衣服が散乱している。
鏡台のそばには、王妃の物と思われる宝飾品が散らばっている。
高価そうな調度品も、本来飾られていた場所から移動され、部屋の隅に集められていた。
そのように荒らされた部屋の中央、皺の寄った絨毯の上に、ひとりの少女が横たわっている。彼女の顔には見覚えがあった。
ミ・タウ国王の一人娘。つまり、この国の王女である。
槍を携えたリュートが近づいても、王女は身じろぎひとつしない。
王女の、まだ幼さの残る肢体は、ほぼ全身がさらされていた。身を飾っていたであろうドレスは、力任せに引き裂かれたようで、一部がボロ布のように纏わりついているだけだ。
湖の至宝とも謳われた美しい王女の体には、至るところに痣や擦り傷が刻まれていて、ところどころに粘液が付着している。ミ・タウ王国の王族であることを示す豊かな金髪の奥深くにまで、白濁した粘液が絡みついていた。
明らかに、複数の男に強姦された形跡だった。
横たわる王女の傍らに、葉巻の吸いカスが落ちている。室内に漂う残り香から推して、城下で出回っていると情報にあった麻薬の類だろう。王女から抵抗力を奪うために嗅がせたか。
視線を部屋の隅にやると、そこにも女性がひとり、横たわっている。王女よりも大分年上だが、豊かな金髪という特徴が一致していた。
ミ・タウ国王の妻。この国の王妃だ。
王妃もまた、王女と同じくほぼ全裸で放置されている。近づいて確認してみると、息絶えているのがわかった。王女と違って外傷はほとんどないが、太股の内側に擦り傷と、粘液が付着している。おそらく、死後に強姦されたのだろう。
リュートは、この部屋で何が行われたのかを理解した。
国王を逃がしたのち、その逃亡を妨げないよう城に残った王女と王妃は、王城の陥落が間近であることを察し、敵国に捕らえられて辱めを受けるくらいなら、と服毒自殺を図ったのだ。
結果、王妃は死んだが、王女は死ねなかった。躊躇ったのか、それとも毒が効かなかったのかは、わからない。
そこへ、先程リュートが殺した三人の兵士がやって来る。彼らは自分の仕える国が敗色濃厚と知り、王妃と王女を手土産にして降伏しようとした。その際、室内の金品を強奪し、ついでで二人を犯したのだろう。
戦争には、常に性暴力と麻薬がつきまとう。
こればかりは、むこうの世界も、こちらの世界も、変わらない。
兵士たちを突き動かしたのは、一時の性快楽ではなく、どちらかと言えば種の保存欲求に近い衝動だ。そこに、自国を敗戦国にした責任を王族に求めるという、悲しいほどに姑息で善良な言い訳も、多少は背中を押したか。
リュートは思考を中断し、王女へと近づいた。
確認してみると、どうやら息がある。意識もあるようだ。
「……かあ、さま…………か……さま…………」
王女は光を失った目から涙を流し、か細い声で母を呼んでいる。
愛する母国が今まさに滅亡せんとする只中に、母が目の前で自殺し、助けに来てくれたと思った兵士たちに陵辱されるだけでなく、死した母が犯される光景をも見せつけられる……年端もゆかぬ少女にとって、どれほどの絶望だったか。
リュートは、思わず眉をひそめた。
王女に同情したのではなく。
兵士たちの所行に義憤を抱いたのでもなく。
ただ、
「……面倒だな」
と、そう思って、眉をひそめた。
死んでいるのならば話は早い。首を切り取って持ち帰ればいい。
だが、生きている以上は捕らえて連行しなくてはならない。今は忘我の状態だが、途中で我に帰って暴れられるのは面倒だ。おまけに、王女の体は兵士たちの体液で汚れている。あまり触りたくない。
リュートはしばし考え、室内にあるベッドからシーツを剥ぎ取った。それを引き裂き、小さい布と、大きい布に分ける。
それから、死んでいる王妃の首を切断し、小さい布にくるんだ。
そして、残った大きい布で王女の体をくるむと、一旦部屋を出て、兵士たちの死体の衣服からベルトを抜き、布でくるんだ上から王女の体を縛り上げる。こうしておけば、暴れられる心配はない。汚れた体にも触れずに済む。
右手に槍と王妃の首を携え、左肩に王女を担ぎ、リュートは部屋を出た。
渡り廊下を城に向かって戻る途中、耳元で金属の弾ける音がした。
『……師団長様。伝令です。一報』
いつもの伝令係の声。霊術による遠距離交信が回復したようだ。
リュートは歩く速度を緩めず、報告を聞く。
『第五小隊、アイゼ部隊長より報告。王城北部の森林地帯にて、逃走中の敵国国王を確保したとのことです』
「損耗は?」
『戦死三、負傷七、騎竜二が負傷』
想定していたよりも少ない。キカリが国王の警護に回らなかったのは、こちらにとって幸運だった。
「そうか。城内の制圧状況は?」
『全部隊から作戦区域の制圧報告がありました。損耗は各部隊の報告を待って集計いたします』
伝令係は、交信が回復したことを報告しなかった。全部隊の制圧報告とは、すなわち交信を妨害していた術士を排除したことを意味する。
「こちらも作戦は完了した。王妃は死亡。王女は確保。要警戒対象のキカリは排除した。王女は負傷している。城下外の後方部隊から医療班を追加で呼べ。城門前に待機させろ。二部隊を随伴させるのを忘れるな。こちらからは以上だ」
『了解しました。師団長殿、ご帰還をお待ちしております』
伝令係は感情のこもらぬ声で言い、交信は終了した。
それと同時に、リュートは、戦争が終わったことを実感した。
(……これでまた、しばらくは退屈になるか)
こちらに来てからは、戦っている時間のほうが、戦っていない時間よりも長い。戦争こそが、リュートにとっての日常となりつつあった。
ふと、足を止め、渡り廊下の窓から空を見上げる。
青い空。むこうと同じ色の空だ。
「………………」
無言で空を見つめていたのは、ほんの数秒のことで、リュートは左肩の王女を担ぎ直し、再び歩き始める。
ときは、アウリタ王国暦八〇五年。
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